そうやってスコヤも虐めてるの
SIDE:SHIM
窓の外は一面、白い綿の様な雲がうっすらと広がっていた。その下には、シム達が登った山が見える。
こんなに小さかったのね。
木々が生い茂る山の中腹程に、小麦の粒程度の大きさの空白地。先ほどまでシム達がいた場所が、たった数十分であんなに小さくなっている。
窓から離れ、シムは椅子に座りなおす。その膝上に大蟲が飛び乗ってくる。この部屋から脱出できないか調べていたのだ。
『堅牢、脱出、困難』
予想通りだ。大蟲と一緒に小さな部屋に入れられたのだ。逃亡対策は万全に決まってる。入り口では職業兵二名が見張り、部屋には通気口一つない。その上、はるか上空にいるとなれば、やれる事なんて何もない。
大蟲が、落ち込んだ様子で背中を丸める。シムは小さくなった背中を撫でて慰める。両手にはめられた手錠の鎖が、軽い音を立てた。
大蟲が手錠に頭を擦り付けながら尋ねる。
『破壊、分解、解除』
「ううん、大蟲、大人しくして。ここで暴れたら、スコヤが酷い目に合っちゃう」
この部屋にはシムと大蟲しかいない。スコヤは飛行船に乗ったところで、別の職業兵に連れて行かれてしまった。
スコヤは大丈夫なのかしら? あいつらの目的はわたしだし、酷い目にはあってない筈よね。
シムはそう自分に言い聞かせる。こうして、大蟲と二人だけでいると、村の事を考えてしまう。
「わたしが勘違いしてるだけ……よね?」
シムの声に力はなかった。
「でも、あの山、見覚えがあった。あの少し冷めた空気に鼻が馬鹿になりそうな木の匂いも懐かしかった。ううん、そんな事ない。たまたま、似ているところがあっただけ」
あの時は動揺してしまったが、あそこに村があったわけがないのだ。踏みしめる大地は固かった。普通家を掘り起こしたら、もっと緩くなる。シムは自身の感じた感覚を、勘違い、と判断する。
行った事のない所に行った事がある様に感じる……確かデジャヴだったかしら?
大蟲の背を撫でながら、取り留めのない事を考えていると、入り口が開いた。職業兵が三人、うち二人は棍棒を持って、残り一人は台車を押して入って来る。
大蟲が牙を剥き威嚇すると、棍棒を持った一人が手で制す。
「待て、我々は君達を害するつもりはない」
職業兵の言葉に嘘はないだろう。何が目的でつれて来られたか分からないが、これだけ手の込んだ事をしておいて、意味もなく暴力を振るとは考えづらい。それに暴力を振るいに来たにしては、雰囲気が固すぎた。
でも、ここは主導権を取れるようにした方がいいわね。スコヤの事も気になるし。
シムは微笑を浮かべ、鼻で笑った。
「あら、そんな物騒なものを見せておいて、警戒するな、は無理があるんじゃないかしら?」
「そうだな。だが、規則だ。我慢してもらおう。君達が反抗しない限り、我々がこれを使う事はない」
「そう、そうやってスコヤも虐めてるのかしら?」
シムは素早く三人の顔色をチェックする。どの顔も能面の様に無表情、スコヤの事を知っているかどうかも分からない。
「我々はその件について答える権限がない。本作戦の責任者より、君に話がある。心して聞くように」
職業兵が台車をシムの前に移動させる。台車の上には、両手を広げないと抱えられない大きさのディスプレイがのっている。
責任者、つまりわたしがこんな目に合ってる元凶ね。
シムは怒りを込めてディスプレイを睨みつける。ディスプレイに白衣を着た男が現れる。鉤状に曲がった背の上に突き出す様に顔が置かれ、ギョロリとした目玉がシムの体中を嘗め回すように転がる。
「やあ、試験体。久しぶりだね」
白衣の男が口を開いた。キィキィと甲高く耳障りな声がシムの耳を侵す。
「君が研究所を逃げてくれたお陰で、捕まえるのに苦労したよ」
「あら、こんな悪趣味な事をするからどんな紳士かと思ったら、思った以上に不健康そうな老人ね」
シムは両手を挙げて、ディスプレイ前に手錠を突き出す。男は額に手を当ててヒヒヒヒ、と笑う。
「これは手厳しい。まぁ、モルモットは活きが良いほど、良い。その点、君は良いね」
試験体? モルモット? そう言う扱いなわけね。
シムは強烈な嫌悪感を微笑みの裏に隠して、話を続ける。ここで取り乱せば、相手を喜ばせるだけだ。その為にわざわざ見下した様に、嫌みったらしく言ってるはず。絶対に思い通りになりたくなかった。
「誘拐犯に言われても嬉しくはないわ」
「誘拐犯? 酷いな。さらってなんかいないさ。そう思い込んでるだけだ」
「ふざけないでくれる。私の村がなかったのもあなたの仕業でしょう」
シムは胸に煮え立つ怒りと憎悪をなだめ、気になっていた事を確認する。シムが村があると思った場所に村はなかった。それはシムの勘違いで一蹴されるべきものだ。だが、シムの感覚は言うのだ。あそこで間違いない、と。この感覚が正しいのか。シムは男の反応で見極めようとしていた。
男は呆れた様にポカンと口を開けていたが、すぐに口を閉じなおす。眉を寄せ、何かを悔やむような顔で答える。
「ああ、あそこにあった村の事か」
やっぱり村はあったのね? それじゃ、皆はどこに行ったの?
男から少しでも情報を得ようと、震える心を黙らせて観察していたシムだが、次の一言で目の前が真っ赤に染まる。
「うん、確かにあれは私の所為だな。だが、モルモットに言われる筋合いはない」
ワタシノセイダ?
イワレルスジアイハナイ?
どの口が、誰様に向って何言ってるのよっ!
「ふざけないで頂戴。皆をどうしたの?」
叫ばなかったのは一重に意地でしかない。こんな男に心を乱している姿なんて、死んでも見せたくなかった。
「ふざけてはいない。まぁ、君の言う皆なら、無事だよ。」
科学者が口を大きく開けて、いやらしく笑う。
「君がこれ以上抵抗しなければね。懐にいる頼もしいナイトにも、よぉく言い聞かせてくれ」
冷や水を浴びせかけられた。シムが抵抗したら、皆、危険な目に合う。つまり、目の前の男は皆を捕まえているという事だ。シムの背中を冷たい汗が流れる。
「へ、ん、じ、は?」
シムは唇を震わせ、血を吐く思いで頷く。
「…………分かりました。大人しくします」
「なかなか使い勝手がいいね。御褒美に、君を連れて来た彼について教えてあげよう」
「スコヤ! スコヤをどうしたの?」
「彼は別室にて丁重にもてなされているはずだよ」
丁重に? それってどういう意味で丁重に? もしかてして丁重に解剖されてるとか? 丁重に拷問されてるとか? 丁重に尋問されてるとか? 丁重に監禁されてるとか?
この男に丁重なんて言われると碌な事が思いつかない。
「スコヤは関係ないわ。離してくれないかしら? あなたの目的はわたしなんでしょう。それとも、こんな小娘相手に人質なんて品のないやり方をする事が、職業兵のやり方なのかしら?」
「それは、君次第だね。他の皆と同じく、君が私たちの実験に大人しく参加してくれれば、何もしないさ」
「ふん、本当に品がないわね」
シムは拗ねたようにそっぽ向くが、胸中は雪原に居るように凍えていた。男に対する怒りや憎しみよりも、家族や村の皆、それにスコヤの方が大事だ。その大事な人達の命が、不気味な白衣の男の気分次第でいつ消えても可笑しくない。恐怖と後悔がシムを凍死させようとしていた。
「飛行船がこちらにつくまで二日ある。快適な空の旅を楽しんでくれ」
映像が切れる。職業兵は最後まで能面を崩さないまま、静かに退室した。
静かになった部屋の中、大蟲がシムの肩に乗り、まん丸の顔を首筋にこすり付けて来る。
『未来、未定、希望』
「慰めてくれるの、ありがとう」
シムは大蟲の背を撫でながら、窓の外を見る。分厚い雲阻まれて、大地はもう見えなくなった。
「父さん、母さん、テスラ…………スコヤ」




