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海が蟲  作者: AAA
第三章:記憶と現実
14/25

わたしとテスラの部屋

SIDE:SHIM


 ドルトンとグレーンが現れたから、三日が過ぎた。ドルトンの話が正しければ、今日、職業兵が動く。

 胸を焦がすような焦燥感を押し込めて、シムはスコヤに声をかける。


「どう、直せそう?」


「もう少し待って下さい」


 スコヤが縦臼の外輪カバーを取り外す。辺りには、スパナやレンチ、ハンマーが草の上に散乱していた。

 都市オングストロームから、シムの村があるであろう地点まで、スコヤは昼夜問わずに縦臼を走らせた。そのお陰で、目的地まで後少しと言うところまで来ている。しかし、その代償も大きかった。街道は山の前で途切れ、ただでさえ負担の大きい山道のそれも人の手が入っていない原生林の中を突っ切った為、縦臼が動かなくなったのだ。縦臼はガラス同士を擦り合わせた様な異音を発し、うんともすんとも言わなくなった。


『希望、修理、可能』


 大蟲が懐から顔を出し、スコヤの方に頭を向けた。シムがその頭を撫でながら、頷く。


「そうね。直るといいんだけど」


 単純な移動方法として縦臼が必要であるが、それ以外の意味でもシムは縦臼に直って欲しかった。ここまでの道のり、ずっと乗っていたのだ。愛着を持ってしまった。この場に捨てていくのはあまりに忍びない。

 シムがハラハラと見ている中、スコヤは取り外したカバーの部分に顔を突っ込んで中を確認している。


「駄目です。駆動用のシャフトがいかれて、焼きついています。これはもう僕達が何とかできる範囲じゃありません」


 スコヤは縦臼から顔を出すと、首を横に振った。


「そう、直せないのね?」


『復元、復活、不可』


「正確には、ここでは直せない、ですね。どこか都市にもって行けば、一、二ヶ月程度で直してくれる所はあります」


 スコヤが外輪カバーを取り付けなおす。口調は明るい。どうやら、それほど深刻な状態ではない様だ。

 シムは、直るんだ、と胸を撫で下ろし、あれ、と思った。ここから、一番近い都市はオングストロームだが、そこから縦臼で三日進んだ場所に居る。そんな遠くまで、どうやって持っていけばいいのだろうか。


「でも、ここから都市までかなり距離があるわ。そこまで持っていけるのかしら?」


「いかれたシャフトの縁を切れば、坂道を下るくらいは何とかなるでしょう。この先にはシムさんの村があるはずです。村の方にお願いして、手伝ってもらいましょう」


「うん、そうね。そうしましょう」


 スコヤの案に、シムは一、二もなく頷いた。この山にシムの村がある事は間違いない。

 木々が、獣の鳴き声が、虫のざわめきが、濃厚な草の匂いが、シムの既視感を刺激し、心がここに村があると叫んでいる。胸を焼く焦燥感はそのまま期待の現われでもある。

 シムとスコヤは手早く荷物をまとめると、ガシェット片手に山を登り始める。スコヤがガシェットに地図と現在位置を表示させ先行する。どんどん坂は厳しくなり、時に坂道を滑り降り、小川を一つ超え、更に先に進む。


「あ」


 シムは一本の木を見て声を上げる。真っ直ぐ伸びる一際太いその木を、シム達は長老と呼んでいた。遠出する時、家に帰る時、この木を目印にしたら迷わず帰れた。皆を導いてくれるおじいちゃん。だから長老だ。


「スコヤこっちよ」


 思い出すと足が止まらなくなる。シムはスコヤの脇を抜けて走り出した。三本杉、親子岩、全部全部憶えている。あと少しで村だ。


『指摘、転倒、危険』


 頭の上ではねる大蟲が、ゆっくりしろ、と言ってくるが、そんなの聞けるわけがない。この先にはシムの父親が、母親が、妹が、家族が待っているのだ。どうして、足を緩められようか。

 シムはこの前の落雷で倒れた木に飛びつく。倒木には十数年朽ちていた様に苔が一面に生えていて登りづらかったが、気にならない。服や自慢の青い髪を泥で汚し、乗り越えた。

 後はこの坂を越えれば、村が、村に帰れるわ。


「ハァハァッンッハァハァ」


 目に入る汗を土が付いた手でこそげ落とし、乱れた呼吸のままがむしゃらに走る。胸が痛く、目の周りが暗くなってきたが、気にならない。太ももはズボンをはちきらんばかりに膨れて、膝にはもう力が入らない。苦しさで顔が歪む、それでも口元が緩む事は止められなかった。

 転げるように坂を越えると、木々の隙間から光が飛び込んでくる。木々が途切れている。あの先に村がある。


「帰って…………あれ?」


 光の下へ躍り出たシムの顔が喜色から一転、乾いたものに変わった。シムは目を擦り、もう一度辺りを見渡す。

 村どころか、家一件立っていない。広々と草で覆われた広場があった。


「嘘……なんで」


 遠くに見える山の形には覚えがある。冬、シムの朝は玄関の前につもった雪を父親と一緒に脇へ退ける事から始まる。まだ空が黒色で染まる中、頬が凍りつき、耳が痛くなる寒さに身を震わせ、スコップ片手に雪を街道脇へ積んでいく。街道を流れる温水が雪を溶かしてくれるのだ。背中にじっとりと汗を掻く頃、薄っすらとあの山肌が光り輝く。母親が、朝食が出来た、とやって来るのだ。

 シムは覚束ない足取りで、自分の家があった場所に向う。蹴りつける地面は固く、生える雑草の根は深い。何年も人の足が踏み入れていない様だ。

 痕一つない。家があった痕跡も、裏庭の畑も、妹達と一緒に作った竈も、何も残っていなかった。


「う、ううん、こんなの可笑しいわよ。だって、だって」


「シムさん、いきなり走らないで下さいよ。追いつくのに苦労しました」


 顔を真っ赤に汚したスコヤが、シムの前に立つ。


「ここが、目的地みたいですが……どうやら外れの様ですね」


『同意、場所、誤解』


 それはありえなかった。あたりを見渡せば、そこかしこに見覚えがある。ここでなければ、こんなに似ている場所が他にあるとでも言うのだろうか?

 シムは地面を指す。


「ここに、わたしの家があったの。ここに、窓があって、こっちにわたしとテスラの部屋。ここがお風呂、ちょっと浄化装置の調子が悪くて、五分使ったら十分は休ませなきゃいけなかったわ。だから、いつも先に体や頭を洗ってね」


「シムさん、ここには」


「あ! ここ、ここに台所があったの。わたしも時々手伝ったりしてたのよ。ここに流しがあって、こっちに」


「シムさんっ!」


 スコヤがシムの肩を掴んで叫ぶ。スコヤの言いたい事はシムにも分かっていた。シムが村から誘拐されて、まだ二ヶ月も立っていない。例え家を潰し、街道を砕いたとしても、その痕が残っているはずだ。

 つまり、ここに村なんてなかったのだ。


「そんなのない! だって、わたし、ここに住んでたもん! お母さんは優しくて、お父さんは陽気で、テスラは可愛くて、皆、皆、ここに居たの! 居たんだからっ!」


 シムが泣き叫ぶ。

 認められなかった。ここが唯一のチャンスなのだ。既に職業兵に居場所が知られ、逃げる為の縦臼は壊れた。その上、今日、職業兵がやって来る。奇跡が起きても、シムが職業兵から逃げられる事はないだろう。


「アアアアァァァァアァァァァァァァアッァァァア」


 シムはその場にへたりこみ、声を上げて泣いた。

 帰して、と。

 私を家に、家族に、帰る所に帰して、と泣き叫ぶ。

 突如、気の抜けた音楽が鳴り響いた。シムの心をあざ笑う陽気なメロディーに乗せて、声が届く。


『あ~、テステス、マイクテス。こちら第六捜索隊。こちら第六捜索隊。二名の救助者を発見。これより保護の為、停船します』


 声は上空から鳴り響いていた。

 シムは南の空を見上げ、全身から力が抜けた。南の空から急速近づいて来るそれは、シムが今まで見た事のない巨大ない動物だった。空に両端を丸めた円柱が横たわり、その下に豪邸と言って良さそうな家が吊り下げられている。円柱や豪邸の各所に取り付けられたプロペラの風切り音が聞こえてきそうだ。


「飛行船……あんなのまで持ち出して来たんですか」


 そう言うスコヤの声に力はなかった。

 ああ、そっか。これはもう、どうしようもないのね……

 シムの首が力なく落ちる。空を見上げる気力もなくなっていた。

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