シムさんはすでに別行動を取っていた
SIDE:SQUARE
「ご機嫌ですね」
スコヤは今にも飛び跳ねそうに歩くシムに苦笑する。
「当然じゃない。村の手がかりは手に入ったし、新品の服まで買えたんだから。選ぶ時間がなかったのはちょっと残念だけど、これでご機嫌斜めだったら罰が当るわよ。ねー、大蟲」
同意を求められた大蟲は、頭を三回まわして顎を大きく開いた。賛成なのか反対なのかスコヤには分からないが、シムの機嫌が損なわれていない事をみると、悪い答えではなかったようだ。
既に都市オングストロームを出て、辺りに人影はいない。お陰でシムの肩に乗る大蟲が誰かに見つからないか、神経を尖らせる必要がない。
フィーラーからシムの村の情報を手に入れた後、スコヤとシムは山対策の為に都市内で色々買い込んだ。シムが手にぶら下げている服もその一つ、山歩きように衣服である。他にも食料や縦臼の整備用品を買い込み、スコヤは両肩が外れそうだった。
街道を外れ、右手に見える林に向う。そこに縦臼を隠していた。
スコヤが茂みをかき分け、縦臼の前に出ると
「久しぶりだな」
職業兵が縦臼に背を預けて立っていた。ひょろりとした長身の男、シムを追っている職業兵男女二人組みの片割れだ。
「シムさん」
スコヤは手に持った袋を男に投げつけると、シムの手を取った。頭痛が始まるが構っていられない。奥歯をかみ締めて我慢する、。
男が荷物と格闘している隙に逃げようと後ろを振り返り、足が止まる。物陰から現れた片割れの女が道を塞いでいた。
「大人しくしなさい。悪いようにはしません」
この二人だけでしょうか?
スコヤはさりげなく周囲に視線を走らせて見るが、他に人の気配は感じられない。職業兵に縦臼が見つかったのだから、少なくても五人、十人位で包囲してなくては可笑しい。二人だけなんて、また逃げてくれと言っている様なものだ。
素人のスコヤに分からないように隠れているのかもしれないが、そんな事をするメリットはあるのか。
「大蟲っ!」
シムが叫び、スコヤの脇から黒い塊が飛んでいった。木を使い稲妻の様にジグザグに飛び跳ねながら、女の腹部へと向っていく。
高速で複雑な軌道を描く大蟲を女は捕らえ切れていない。女の視線は右へ左へワンテンポ遅れで大蟲を追従し、身体は中途半端な中腰でいる。
「ヘグゥゥ」
鈍い音と共に大蟲が女の腹部へと突き刺さった。女は苦しそうに腹を押さえ蹲る。
これで女も撃退した、が周囲に反応がない。てっきり、大蟲対策で伏兵が隠れているのかとも思ったが、そんな気配はなかった。ここにきた職業兵はこの男女二名だけと考えて良さそうだ
職業兵が二人だけ……ちょっと理屈に合いませんね。
不意に、スコヤの手が引かれた。思考の海に浸っていたスコヤを、切羽詰った様子のシムが引っ張り上げる。
「スコヤ、今の内に逃げるわ」
「いえ、その必要はありません」
「どうしてかしら? 今しかチャンスはないわよ」
「どうやらお二人は僕達を捕まえる気がないようです」
捕まえる気があれば、もっと仲間を呼んでいる。二人だけで捕まえようとしたとしても、いきなり姿を現す必要はない。背後からこっそり羽交い絞めにした方が、まだましだ。
「そんなの分からないわ」
「そうですけど、大蟲を見捨てるわけにもいかないでしょう」
尚も逃げようとするシムに、スコヤは女を指差した。先ほどは、大蟲に腹を打たれた痛みで蹲っている様に見えたが違う。大蟲を逃がさないように抱えているのだ。恐らく腹にプロテクターでも仕込んでいたのだろう。その証拠に、今までならすぐシムの元に戻っていた大蟲が女の腹から出てきていない。
「分かってくれたか」
復活したひょろりとした男が、スコヤの背後に立つ。こぶしが当る距離まで近づかれた。
抵抗しても逃げられない事が分かったのだろう、スコヤの手を握るシムの手が緩む。
「俺達はお前さん達と話がしたいだけなんだ」
「ええ、そうでしょう。上の話が付いてない時に、勝手に動くわけには行きませんよね」
スコヤが男に含みのある笑いを向ける。男はほう、と感心した様子でスコヤを眺めるが、答えない。回答は反対方向、大蟲を捕らえていた女から来た。
「そ、そのような事、おおおお、お前達にはす必要なぞにゃい」
突如、立ち上がってうろたえる女。拘束を解かれた大蟲がシムの懐に飛び込んだ。
「動揺しすぎた馬鹿」
がっくり項垂れた男が、顔を覆う。
これは当りですね。
「あー、お前さんの言った通りだ。今の俺達は、捕まえる事が出来ねぇ。だから、話を聞いちゃくれないか?」
スコヤは目でシムに確認を取る。シムは小さく頷いた。
スコヤとシム、職業兵二名は縦臼前に円を作って座り込む。
ひょろりとした男がドルトン。迂闊そうな女がグレーン。どちらもグラム領の職業兵だそうだ。セック領の職業兵から要請があって、協力しているとの事だ。
スコヤとシムも名乗り、これまでの経緯をある程度説明した。最大の隠し事である大蟲の事がばれている上に、シックネスの所で顔を合わせているので、これまでの経緯を説明する事に何の抵抗もなかった。これからの行き先についてと情報屋フィーラーについては伏せたが、それ以外は洗いざらいぶちまける。
一通り話し終えると、女の職業兵、グレーンがコホン、と場を仕切りなおした。
「事情は分かった。同情すべき点もある。だが、職業兵を敵に回したお前達に希望などない。この逃避行もそろそろ終わりぶへっ」
「なに、いきなり脅迫してるんだ、アホ」
グレーンの重々しい声を、片割れの男、ドルトンが脳天チョップで止める。グレーンは旋毛の辺りを押さえ、恨みがましい視線をドルトンに向けた。
「だが、マニュアルでは……」
「はぁ、これだから変に頭のいい奴はぁ。そのマニュアル様に待機命令が出ている奴が、越権行為して目標をしょっ引いて良い、て書いてあるか?」
「いや、それは、ないですけどぉ」
グレーンは指先同士をツンツンと合わせながら、唇を尖らせた。
「分かったら、少し黙っとけ。俺が話をする」
「……はい」
ドルトンがグレーンの頭をぴっぱたいた。グレーンはいじけた様に、地面にのの字を書く。
このやり取りだけでどんな力関係かすぐに分かりますね、この二人。それはともかく、まずは確認からです。
「僕達は捕捉されていたんですね?」
この場所は都市オングストロームから歩いて十分程度の位置にある林の中、近くに遊べるような所はない。そして、スコヤとシムがこの場から離れた時間は約三時間。偶々、待機中の職業兵がやってきて縦臼を見つけるには無理がある。
隠す気がないのかドルトンはあっさり頷いた。
「ああ、そうだ。お前さん達が海岸線に沿って逃げて、メータラ領に入られた所為で手出しは出来なかったが、都市ジュウで逃げてからずっと捕捉していた」
「どうして、海岸線で追ってこなかったのかしら?」
シムが首をかしげると、ドルトンはシムの頭に載った大蟲を指した。大蟲はシムと同じように首を傾ける。
「原因は蟲だ。都市ジュウの時みたく、蟲をけしかけられたら堪ったもんじゃねぇ。あの蟲達の攻撃の原因が分かるか、海岸線から離れるまで手出しできなかったんだよ」
飲料水と逃走経路確保の為に海岸線を走っていた事が、まさか相手を警戒させることになるとは。世の中、分からないものです。
「つまり、海が遠いここでなら、待機命令が解除されれば、すぐに捕まえる事ができるわけですね」
「そう言うこった」
「そんな。もう少しなのに。もう少しで村に帰れそうなのに」
悔しがるシムにスコヤは申し訳なさと、自身に対する怒りを覚える。善人チップには二つの機能がある。一つは施術者が犯罪に走らないように、罪悪感をトリガーに頭痛を与える事。もう一つは、発信機としての機能だ。
スコヤは、都市ジュウでの遭遇やその後の追跡がない事から、てっきり発信機の機能は使われていないと思っていた。発信機の情報公開は政府に領主が申請する必要がある事も、そう判断した理由だ。色々と言い訳はあるが、一言で言ってしまえば、相手を舐めていた。勝手にこの程度と思い込み、対策をとらなかった。
その忌々しい善人チップはスコヤの額で盛大に自己主張をしている。痛みを打ち出すそれを黙らせる様に、スコヤは額を強く叩く。頭蓋骨を通して響く硬質な音で気を紛らわせ、スコヤはドルトンに提案する。
「ドルトンさん、今回は僕を捕まえて手打ちには出来ませんか? この街にシムさんはいなかった。いたのは僕と背格好がよく似た女の子。シムさんはすでに別行動を取っていた。そう言う形で片付ける事はできませんか?」
他に方法はない。スコヤの位置からシムの居場所を割り出されている現状、スコヤを見失ったとする事は出来ない。だが、シムは違う。シムだけなら、居なくても言い訳のしようがある。
無論、言い訳が出来るからと言って、ドルトンとグレーンがそれに頷くかは別問題だ。しかし、可能性はゼロでない。口に出して、泣いて、縋って、拝み倒して、何としてでも首を縦に振ってもらう。他に方法が思いつかなかった。
「どうか、お願いします」
スコヤが地に頭をこすり付ける。
「だ、駄目! スコヤを犠牲になんて出来るわけないでしょう!」
シムがスコヤに飛びつき、地面から頭を上げさせる。スコヤの顔がシム胸に埋まる。ほのかな甘い匂いと微かな膨らみで押さえつけられ、スコヤの口と目が塞がれる。
「目標はわたしでしょう。なら、ここにいる無関係な人を捕まえる道理はないわよね?」
沈黙が返ってきた。
シムの胸からスコヤが顔を出すと、気まずそうに目を逸らすグレーンと頬を掻くドルトンがいる。
「あー、盛り上がってるところ悪いが、そりゃ無理だ。嬢ちゃんにも坊ちゃんにも捕獲命令が出てる。それに坊ちゃんは言わずもがなだが、嬢ちゃんの場所も追尾する方法があるから、誤魔化しようがねぇ」
「そんな」
シムの手から力が抜け、スコヤの拘束が弱まった。スコヤは素早くシムから距離を取る。先ほど、シムが抱きしめてから大蟲が口をあけて威嚇していたのだ。さっさと逃げないと、今度はスコヤが大蟲の体当たりを受けていまう。
一息つけたスコヤは、改めてドルトンとグレーンを観察し、一つ疑問が生じた。
何故、彼らは僕達に会いに来たのでしょうか?
捕まえるだけなら、こうして姿を現す必要はない。余計な警戒心を与えずにすんだはずだ。この二人に会う前までのスコヤとシムならば、寝込みでも襲われればひとたまりもなかった。これからは居場所が知れていると分かった以上、それにあわせた警戒をとる。
そんな事は分かっているはずです。それでも僕達に会いに来たという事は、そうしなければいけない理由があるんでしょう。
その理由とは何であろうか。分からない。捕まえれば幾らでも顔を合わせられるのだ。わざわざ今会いに来る必要が思いつかない。
そう言えば、この二人はグラム領の職業兵でしたね。確か、シムさんを捕まえたいのはセック領の職業兵……ッ、捕まえた後では不都合がある。つまり、僕達と接触した事をセック領の職業兵には知られたくないと言う事ですか!
そこに至り、スコヤは二人の狙いが分かった。ドルトンとグレーン、この二人はセック領に秘密で、スコヤとシムに何か依頼があるのだ。だからわざわざリスクを犯してまで、ここに来た。
これは上手くやれば、シムさんを助けられるかもしれません。
気付けば頭痛は治まっていた。興奮で体中の血管が噴出しそうになる。
「シムさん、落ち込むのはまだ早いです。か細い糸ですが、天国からの糸は切れていません」
「え?」
シムがぽかんと口を開けた。この積んだ状況で、まだ打てる手があるのか、と驚いている様だ。
「ドルトンさん、グレーンさん、お二人は僕達に何か依頼があって現れたんですよね? 何をやらせたいんでしょうか?」
ジッとスコヤはドルトンとグレーンを見据える。
目を丸くしたドルトンが口笛を吹く。
「ヒューーー、おいグレーン、この坊ちゃんお前より優秀じゃね?」
「なっ!」
グレーンが憤慨するが、ドルトンは取り合わない。
「正解だよ坊ちゃん、いや、スコヤ。まず、最初にはっきりさせておきたいのは、お前さん達を捕まえたいのは俺達グラム領じゃねえ、隣のセック領だ」
「セック領……研究施設の多い所ですね。そこがどうして、シムさんを?」
一瞬、大蟲に視線を走らせる。
「さあな、そんな事、現場の一兵卒が知ってるわけないだろう。だがな、この件は臭い」
「臭い?」
「やり方がまどろっこしいんだ。お前さん達の捕縛なんて、全国の職業兵のガシェットに依頼を出したら、三日で捕まえられる」
誇張ではない。指名手配されれば、街中を歩く事もできなくなる。そうなれば、早晩、食料に困って飢えるか、整備不良で縦臼が壊れるか、どちらにしてもグラム領を抜ける事さえ無理だっただろう。
「それに、都市ジュウで追いかけっこしただろう? あの時も本気でやれば捕まえられた。だが命令は、海岸まで追い詰める事、その後は海に逃げたお前さん達に焼夷弾を撃つ事だ。こりゃ一体どういう事だ? 捕まえたかったんじゃないのか? あそこで焼夷弾を撃ったら下手しなくても死ぬかもしれないだろう」
指摘されれば、もっともな事だ。あの時は運よく蟲の矛先が、海を燃やした職業兵に向ったから良かったが、そうでなければスコヤもシムも蟲に水分を取られて干からびていただろう。死んでもいいから回収するつもりだったとしても、海の中ではそれも難しい。居場所が分かっているのだから、対岸に職業兵を展開したら簡単に捕まえられたはずだ。
「しかも、この任務についてる職業兵の大半はセック領の奴で、俺達ぁはおまけだ。グラム領内での活動なのに、俺達がのけ者にされてんだ。
ここまで不自然がそろうとだな。おじさんみたいな心配性は疑問に思っちまうんだよ。この任務は本当に任務なのか? てな」
「なるほど、それで僕達に何をして欲しいんですか?」
「この件の奥には何か後ろ暗いものがあるはずだ。それを突き止めるのに協力してくれねぇか?」
ドルトンの瞳の色は真剣だった。しかし、その目の奥にはまだ何かを隠している気配がある。それが何であるかは分からないし、スコヤの興味の範囲外だ。そんな事より、協力する事でシムの自由を手に入れられるかどうかが重要である。
幸い、この依頼は職業兵の仕事とは直接関係なさそうだ。断る事も手札に加えて、話を進められる。
「その後ろ暗いものが分かれば、シムさんを自由にしていただけるんですね?」
「質問に、質問で返すのはマナー違反じゃねぇか?」
「質問? ただの確認ですよ。後で踏み倒されたら困ります。心配性のおじさんへその事をよく伝えて頂けませんか?」
スコヤは軽い調子で嘯く。顔には笑みを貼り付けて、ハッタリを忘れない。
正直、心臓は今にも破裂しそうだ。まるでドルトンの後ろにまだ誰かが居るような事を言ったが、根拠はない。ただの一職業兵が職務を破るには、正義感だけでは軽い気がしただけだ。
外れていれば、大恥どころか、今後の話でずっと主導権をとられるだろう。だがしかし、だからこそ――
「ぷ、ブワハハハハハハ」
突如、ドルトンが笑い出した。腹を抱え、目に涙を溜めて笑った。ひとしきり笑ったドルトンの前髪が汗で額に張り付く。
「分かった。しっかり伝える。次に会った時は、色よい返事をくれよ」
――当った時のリターンは大きい。
「よし、帰るぞ、グレーン。この場でやる事はぁやった」
「は、はい」
ドルトンが立ち上がり、グレーンがそれに続く。スコヤ達に背を向ける。
二、三歩、歩いたところでドルトンが立ち止まった。そして今、思い出したように嘯く。
「上の交渉が終わっても準備や現場間のすりあわせがある。職業兵は後、三日は動けない。やりたい事があるなら今のうちだぜ」
「ご忠告ありがとうございます」
ドルトンが手をヒラヒラ振りながら、林の中に姿を消した。グレーンもその後に続く。
「ふぅ、なんとか猶予は手に入りました」
二人の姿が見えなくなると、スコヤは体中を弛緩させる。思ったより緊張していたのだろう、体中が強張っていた。凝ったか肩を回していると、背後から肩を揉まれる。
「スコヤ、わたしの為にありがとう」
労うように肩を揉むシム。強すぎず、弱すぎず心地よい力加減に、ああ~、とスコヤの口から声が漏れる。
しかし、至福の時は長くなかった。
黒い塊が眼前に着弾し、次の瞬間、真下から顎に凄い衝撃を受けて吹き飛ぶ。
「大蟲っ!」
シムの叫びが鼓膜に響いた。
そうですね。忘れてました。こうなりますよね。
スコヤは痛む顎を摩りながら立ち上がる。先ほどまでの弛緩した気分はない。大蟲のお陰で、文字通り吹き飛んでしまった。
「シムさん、急いで移動しましょう。職業兵が動くまで、後三日しかありません」




