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海が蟲  作者: AAA
第三章:記憶と現実
12/25

これはお礼に行かないといけないわね

SIDE:SHIM


 都市オングストロームに入ったシムは、その町並みに懐かしさを感じる。

 傾斜の付いた屋根と小ぶりな二重窓、そして屋根の上に取り付けられた除雪用の小さなドア。シムの記憶にある家と同じ匂いがした。地面を流れる水がお湯で足元を暖めている事も、誰に説明されるでもなく分かった。

 すれ違う人の姿は色白で、全体的に髪が長い。あまり肌を晒さない服を着て、若干小さな足幅で歩く姿は、村の皆とよく似ていた。

 誰かに指摘されなくても分かる。この近くに村がある。

 シムは帽子を深めに被って、緩んだ顔を隠す。緩みきった情けない顔をスコヤに見られたくなかった。幸い隣を歩くスコヤは地図との睨めっこが忙しくて、こっちに気付いていなかった。


『圧迫、開放、要求』


「あ、ごめんね」


 シムは慌てて、帽子を浅く被りなおす。今回、大蟲は帽子の中に居座っている。大蟲のマイブームなのか、最近はシムの頭に居る事が多く。都市オングストロームに入る時も、自分で帽子を持ってきて要求したほどだ。

 大蟲が殆ど重さを感じさせず、大人しくしているので、シムはうっかり忘れてしまっていた。頭を上を回り抗議する大蟲をなだめたシムは、辺りを見渡して呟く。


「誰もわたし達を気にしてないわね」


 既に数人の職業兵ともすれ違っているが、シムとスコヤを見咎めたものは居ない。今回は髪型を変えているだけなので、よく観察されたらすぐに分かるはずだ。しかし、職業兵達はシム達の事を観察するどころか、気にも留めていない。それだけ秘密裏に事を進めているのだろう。

 頭ではそう分かっていても、こうまであっさりとしていると落ち着かない気分になる。


「なんか、逆に凄く不安」


「恐らく、領間の話し合いが終わっていないのでしょう。堂々としていれば、大丈夫です」


 スコヤが地図から目に放さずに答える。苦戦しているようで、ガシェットに指を這わせて地図を拡大、縮小しながら、うんうんと唸っていた。


「え~、ここが現在地で、住所がここですから……ああ、分かりづらいですねぇ」


 頭を掻いてぼやくスコヤの隣をシムは黙って付いていく。時折、『温度、上昇、冷却』と訴える大蟲の為に、帽子のツバを直すふりをして、中に新鮮な空気を入れてやった。

 いい加減、シムの踵が痛くなってきた頃、スコヤが一件のカフェの前で止まる。


「ここですね」


「ここ?」


 シムは目の前に立つカフェを見上げる。この都市では殆ど見ない三階建ての建物で、凝った意匠の入り口が特徴的だ。建物の前にはテーブルと椅子が置かれ、ポツポツと座る客がカップ片手に談笑していた。大きく開かれた入り口から中を覗くと、食事をしている客で賑わっていた。


「ここ、カフェにしか見えないんだけど。おじ様の時と様子が違いすぎないかしら?」


「どうやら二階から上がアパートになっているようです。シックネスの紹介状にある情報屋は、ここの二階に住んでいるようですね」


 シムとスコヤは建物の周りを一周してみるが、階段らしきものはない。カフェの中に階段があるのだろうか。一旦、階段の場所を聞く為に、シムとスコヤはカフェの入り口をくぐった。


「いらっしゃいませ。お二人ですか?」


 入り口脇で待機していたウェイトレスが笑いかけてきた。


「あ、いえ。ここに住んでいらっしゃる。フィーラーさんにお会いしたいのですが、お恥ずかしながら階段が分からず、押して頂けないかと」


 スコヤがフィーラーの名前を出すと、ウェイトレスが目を細めた。スコヤとシムの事を無遠慮な視線で嘗め回す。居心地の悪くなったシムは身を捩る。ウェイトレスはじっくり、つま先から頭の天辺まで穴が開くほどスコヤとシムを見た後で、スコヤに尋ねる。


「君、ここの辺りの子じゃないよね。ウィーラーさんに何の用事かな?」


「知り合いのシックネスからの紹介です。ウィーラーさんならきっとよくしてくれるだろう、と聞いています」


「ちょっと、待ってね」


 ウェイトレスはエプロンドレスからガシェットを取り出し起動させた。


「シックネス、シックネス。あ、あるわね。うん、良いわ。こっち来て、階段は従業員通路の奥にあるからね」


 ウェイトレスが二人に背を向けて歩き出す。スコヤがそれに従う。

 今の態度、何か隠してることがありそうだけど、このまま着いて行っていいのかしら? 一瞬迷うシムだが、すぐに迷いを振り切る。

 ええい、もうスコヤは付いて行っちゃてるし、他に手がかりもないんだから、行くしかないでしょ。女は度胸よ。

 シムもスコヤの後に続いた。

 店のカウンターを越え、調理場へと続く通路に設けられたドアの奥に階段はあった。右手には従業員の休憩室があり、左手には別のドアがある。


「この階段を登って、右手奥の部屋がウィーラーさんの部屋。今は部屋にいるはずよ」


「分かりました。お陰で助かりました。ありがとうございます」


「あ、ありがとうございます」


 スコヤが礼を言い、シムも慌てて頭を下げた。


「別にいいわよ。良くある事だし、まぁ、もし悪いと思ってるなら、フィーラーさんとの用事が終わった後、お店で何か注文してよ」


 ウェイトレスは照れくさそうに明後日の方を向いて言うと、スコヤ達の返事を待たずにドアの向うへ消えた。有無言わせない、鮮やかな撤退だった。


「これはお礼に行かないといけないわね」


 シムが冗談めかして言うと、スコヤも苦笑いで答える。


「ええ、手痛い出費になりそうです」


 二人は目を合わせて小さく笑った。

 階段を上がって右手奥、ウェイトレスの話通りに進むと、古ぼけたドアに突き当たる。ウィーラーとネームプレートがかけてある。


「ここですね」


「うん」


 シムは緊張で顔を強張らせる。

 ここまで殆どスコヤにおんぶ抱っこだったシムでも、これ以上の旅が難しい事は分かっている。縦臼は時々、異音を鳴らし、スコヤが補修する回数も増えていた。路銀も少なくなってきているのだろう、前に比べてスコヤの食事量が減ってきている。

 それに、職業兵が次にシムを捕まえに来たら、もう逃れる事は出来ない。いくら何でも、三回も四回も子供を取り逃がすほど、職業兵が間抜けだとは思えない。

 ここで何の手がかりも手に入らなければ、どうしようもない。後は真綿で首を絞められるように、じわじわと追い詰められるだけだ。

 スコヤもその事に気付いているのか、若干表情が固く見える。


「すみません」


 スコヤがノックする。中から若い女の声が聞こえてきた。


「開いてるよ。入ってらっしゃい」


 ドアを開けると声の主が椅子に座ったままシム達を出迎えた。

 うわっ、細い。シムは出迎えた女性の肢体に息を呑む。目深に被ったフードから覗く顎のラインはすっきりとしており、黒のワンピースから覗く二の腕に無駄な贅肉がない。目の前のカウンターが邪魔で胸から下が見えないが、腰も足も触れれば砕けてしまえそうなほど繊細な曲線美である事は想像に難くない。極限まで肉を削り落とした氷細工の彫像を思い起こさせる。


「お邪魔します」


「失礼します」


 スコヤがカウンター前の席に座り、シムもそれに続いた。

 女、フィーラーは肘をカウンターに付き、手を組むと、おとがいを乗せる。編んだ指の上で頭を転がしながら、興味深そうにスコヤとシムを眺めた。


「いらっしゃい。ご注文は何かな? 下は居酒屋の裏メニューから、上は政治家のスキャンダルまで色々とりそろえてるよ」


「これを」


 スコヤが紹介状をシックネスの前に差し出す。フィーラーは細く長い指で紹介状を摘みとる。フィーラーはカウンターの下から溶液を取り出し、紹介状の封にかける。紹介状を封じる樹脂が溶けた。

 中身を取り出し眺めるフィーラーに、スコヤが説明する。


「都市ジュウの情報屋、シックネスからの紹介で来ました」


「ふ~ん」


 手紙を読み終えたフィーラーがどこか面白くなさそうに顔を歪め、シムに向き直る。


「なるほど、大体の事情は分かったよ。そこのシムちゃん、でいいんだよね? 故郷の場所を知りたい、でいい?」


「はい、わたし、自分の村が何処にあるか分からないんです。だから、教えて下さい」


「ちょっと待ってね」


 フィーラーがカウンターの下からガシェットを取り出し、起動させる。指でガシェットを弄り始めた。


「とり合えず、思いつく限りでいいから、故郷の様子について教えて頂戴」


「えっと、周りを山で囲まれていて……」


「フンフンフン」


 シムが村の様子を話し、フィーラーはその度にガシェットを弄る。シムからでは見えないが、検索範囲を狭めていると思われる。時折、フィーラーが山の形や夏の様子等を突っ込み、シムが答える。細部を思い出そうとすればする程、霞がかかる記憶。何気なく摘んだ花の匂いが、色が、輪郭がぼやけてくる。

 シムは記憶を搾り出して懸命に答えた。一通りを話し終えると、フィーラーがガシェットの画面をシムに向ける。


「とり合えず、可能性のありそうな村の画像を見せるから、見覚えのない?」


 フィーラーが街や村の画像をスライドさせていく。その度にシムは首を横に振った。何枚見ても、あたりにはめぐり合わない。あまりに首を振りすぎるので、帽子の中で大蟲が何事かと騒ぎ出す位だ。

 一枚、また一枚と画像に首を振るたびに、心臓の鼓動が大きくなる。五月蝿いほど早鐘を鳴らす心臓を汗ばんだ手で押さえ、食い入るように画像を見る。

 そして、最後の一枚までシムは全て違う、と答えた。


「これでもないのかい」


 フィーラーがガシェット手元に戻して、再度、弄る。眉間に皺を寄せ、時折指を止めるが、他に候補が見つからないのか。シム達に画像を見せて来る事はない。


「他にそれらしい村はないなぁ。となると、別の領かもしれない」


 シムの目の前が真っ暗になる。体中から力が抜け、今にも倒れたい。


「そんな」


「シムさん気を落とさずに……」


 スコヤが肩に手を回して慰めてくれる。しかしシムの心には響かなかった。『接近、禁止、排除』、と帽子の中で暴れる大蟲を押さえる手も力ない。

 これから、どうしよう。もう会えないの?

 頭の中が真っ白になったシムは、目から滲み出る涙を放置する。もう、泣き声を食いしばるだけで精一杯だった。

 シムは抱かれた肩を強く引かれ、スコヤの肩に顔を埋める。


「なにか、他に画像はありませんか。遠目からの景色だけでも構いません。せめて、ヒントが欲しいんです」


「そうだねぇ。このままじゃ後味悪いし、料金上乗せでよければ、候補から外れたものも見せるよ」


「お願いします」


 シムはスコヤから身を離す。驚き見開いた目に、スコヤが気にするなと笑いかけてくる。もう財布に余裕はないはずなのに、迷わず頭を下げたスコヤに、シムは、ごめんと、ありがとうで喉がつっかえて何も言えなくなってしまった。


「それとここから先は先払いだよ。情報を見せてるんだから、それ位はね」


「分かっています」


 スコヤが掌サイズの金属板をフィーラーに渡す。フィーラーがガシェットの画面をスコヤとシムに向ける。


「シムさん」


「うん」


 スコヤに促されたシムは涙を拭うと、ガシェットに向き直る。ガシェットの一ドットまでも見逃さないよう、画像に食い入る。

 ガシェットに映された画像は、先ほどまでとは違い林や川、草原等どこかの風景だ。シムは一つ、一つ丁寧に自身の記憶と照合しては、首を横に振る。これは、と思うものも、よく見ると微妙に川の形が違ったり、記憶にない草花が咲いていて、ぴったり合うものがない。

 やっぱり、別の領なの? まだ、まだよ。諦めちゃ駄目、画像は残ってるわ。

 次第に重くなる気持ちを、シムは何度も奮い起こさせる。萎える度にスコヤが手を握ってくれて力をくれ、大蟲も『情報、残債、残存』と慰めてくれたお陰で、泣き出すことはなかった。


「次で最後だよ。いくよ」


 ついに最後の一枚となった。思わず目を閉じてしまったシムは、意を決して目を開けた。

 最後の画像は遠目から山を映したものだった。画像下半分は木々が立ち上り、上半分には角ばった山が映っている。山は頂上が特徴的に尖がっており、平らな二面が正面で接している。三角錐の様な形に見える。

 シムはその山に見覚えがあった。夕方、紅の空をバックに真っ黒になったこの山を見ては、もう家に帰る時間だ、と思った。友達と一緒に、山に背を向けて帰ると、家の前では母親が腰に手を当てて、遅くまで何してたの、と怒ってくる。シムはそれを五月蝿いなぁ、とか、ちょっと遊んでただけよ、なんて言ってあしらっていた。

 懐かしさに、目から涙が溢れる。


「えっ、そ、そんな泣かないでよ」


「シムさん、今回は駄目でも、次のところへ行けば必ず手がかりはあります。気を落とさないで下さい」


 慰めるスコヤとフィーラーに、シムは、違うの、と告げる。


「見たことあるの。この山、この山の形、わたしの家からも見えた」


「本当ですか、シムさん!」


「うん、ここのまっ平らな所とか、こっちのとがり具合とか、ぴったりそのままよ」


 山肌を指で指し、シムは説明する。こらえきれない喜色が、声の調子を跳ね上げていた。


「すみません、この画像はどこから撮ったものですか?」


「それは別料金」


 フィールが手を出してくる。


「大したものではありませんが、発電用の純水です。用途は色々あるかと」


 スコヤは手の中に隠れるような大きさの容器をカウンターの上に置く。容器は透明で中にはないも入っていないかの様に見える。フィーラーが容器を宙にかざして検分、そのままカウンターの下に仕舞うとにんまりと笑った。


「ふ~ん、分かってるね。ここで金を出してくるようなら、追い出してたよ」


「はは、額にキズがあるもの同士、いつお上から取り上げられるか分からないものは出せませんよ。それにしても、歯に衣着せませんね」


 額にキズ? それを言うなら脛にキズじゃないの?


「ま、シックネスの紹介に猫被る気はないよ。それで場所だけど」


 フィーラーがガシェットを操作し、地図を表示する。この周辺の地図だ。この都市、オングストロームに青い丸、そこから北西に進んだ位置に赤い丸が打たれていた。


「ここから西に進んだ山間部、そのどこかの写真だよ」


「可笑しいですね。地図には都市や街の表記がありません」


「うん、だから、こっちも候補からはずしたんだけど……」


 スコヤとフィーラーが一斉にシムを見た。二人分の視線に気圧されながらもシムは、答える。


「う~ん、小さい村だったし、外から人が来る事もなかったから、知られて無いだけじゃない? もしくはその地図には、小さすぎる村がのってないとか」


「それは興味深いね」


 フィーラーが身を乗り出してくる。


「もし、この辺りで村が見つかったら教えてくれる? 地図にのらない村なんて、格好の飯の種だからね。お礼は弾むわ」


「あ、は「考えておきます」


 反射的に頷きそうになったシムを、スコヤが押し留める。

 その後もしつこく教えてくれと頼み込むフィーラーをなだめて、シムとスコヤはその場を後にした。

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