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海が蟲  作者: AAA
第二章:蟲と職業兵
10/25

品のない事は嫌いなの

SIDE:SHIM


 シムはスコヤに続いて縦臼に乗り込んだ。スコヤの横に顔を突き出して、真っ黒の正面ディスプレイが切り替わるのを今か、今かと待つ。

 密室の中、外の様子は分からず、何もできる事がない。ただ、まんじりと待つ十数秒が、妙に長く感じる。大蟲によって混乱した職業兵がすぐに追ってくる事はないと思いたい。だが、一秒経てば、一歩、二歩、あいつらが近づいて来る。無言の圧迫感が、シムの喉を干からびさせた。


『至急、緊急、高速』


 頭に載った大蟲も焦れたように急かすが、機械が答えてくれる筈もない。チカチカと点滅するドットを睨みつけるしかなかった。

 ディスプレイに正面の映像が映ると同時に、縦臼が急発進する。シムは転げるように、自分のシートに倒れた。荒々しい運転で走り始める縦臼が跳ねるたびにシムも跳ね上がる。お尻が痛くなりそうだが、文句は言えない。ディスプレイの角に映る背後の映像には、早くも土ぼこりが立ち上っていた。

 加速途中の縦臼にどんどん近づく二つの影。二つの車輪を持った影が次第に大きくなっていく。土ぼこりの中から現れたその追って荷台を見て、シムは悲鳴を上げる。


「あいつら、制圧機まで出してきたわ!」


 二つの車輪で挟まれた乗車席、その構成は双輪車と変わらない。違いは、その乗車席が箱ではなく、円盤であることだ。クランクの両端に車輪をつけたようなそれは対地域制圧用兵器C-1079、通称制圧機である。トルク出力、走破性、耐久性、どれも双輪車を上回る。


「文胴を投げられるとやっかいですねっ」


 制圧機の乗車席が回転を始める。正確にはその外周だけが回っているのだが、シムからでは乗車席全てが大きく回転しているようにしか見えない。

 次第に加速する回転。乗車席のつなぎ目や木目が交じり合い線にもならない位の速度になった所で、突如回転が止まった。突如回転を止められた慣性エネルギーを全て受け取り、外周の一部が一直線に発射される。

 画面いっぱいに広がる巨大な塊。塊は縦臼の脇を通り過ぎて大地を抉る。引き裂かれた空気の悲鳴が縦臼の外壁を通してシムに伝わる。

 聞いた話が子供だましに思える威力に、シムは身を震わせる。心なしか縦臼を運転しているスコヤの背中にも、焦燥感が溢れているように思えた。

 こんなの当ったら、一発でお陀仏ね。でも、あんな大きな塊、何個も乗せていられない。すぐ、弾切れに……

 シムの希望を叩き潰す様に、飛んでいった塊が征圧機に戻る。塊の尻から伸びる紐を引っ張り回収したのだ。回収に時間がかかるが、弾切れはない。幾らでも遠慮なく打ち出せる。


「ええ、ずっこい!」


 無限に使える弾を見せ付けるように、二台の制圧機が交互に巨大な塊を打ち出していく。

 次々に襲ってくる塊が、縦臼の直近を嘗める様に飛び、その度にシムの肝が冷える。特に真横に着弾した時なぞ、その衝撃と飛び散る土砂が縦臼越しにも生々しく感じられ、口を塞がなければ泣き叫びそうだった。


「一端森に入ります。森の中なら、あそこまで自由に照準を合わせられないはずです」


 縦臼が進路を右へ大きく変え、森を目指す。制圧機からの射出が止まる。

 どうしたのか、とシムがディスプレイを覗くと、制圧機二台が大きく外に膨らみながらよたよたと曲がっているところだった。制圧機は射出機構をつけている分かなり重量があるのだろう、軽量で一輪の縦臼と旋回性能を争えるものではない。

 制圧機が方向転換に四苦八苦している間に、縦臼は森の中に突入する。縦臼が左右に激しく傾き、木々の狭い隙間を通り抜ける。時折、木肌に側面がぶつかり、ガンッと鈍い音がなる。地面を走る細かな振動はない。木の根で跳ねては、次の木の根まで飛んでいるからだ。

 内臓がかき回されるような乗り心地に、シムは口元を押さえる。気分の悪さはすぐに恐怖へと取って代われた。背後から制圧機が迫ってきていた。左右の車輪を地形に合わせて上下に動かす制圧機の方が、縦臼より森の中では適している。その差が、徐々に現れてきていた。

 制圧機の乗車席が回転する。


「また撃ってくる!」


「大丈夫です。これだけ距離があれば、木が盾になって……」


 打ち出された塊が木々をなぎ倒しながら飛んで行く。


「……あれ?」


「あれ? じゃないでしょ。ど、ど、どうするの?」


「落ち着いてください。少し計算違いがあっただけです。問題ありません。修正範囲です」


 ディスプレイの左端で何かが動いた。一瞬しか見えなかったが、車輪の様に思えた。


「左からも出てきたわ」


「右からもですね」


 ディスプレイに左右の様子が映し出され、縦臼を挟み込むように対峙する制圧機が映し出される。既に乗車席は回転しており、縦臼が通り過ぎる瞬間、撃墜するつもりなのだろう。


「シムさん、しっかり捕まっててください。もうちょっと荒くなりますよ」


 縦臼の進路がずれる。木々の合間を抜けるのではなくて、木に激突するようなコーズだ。

 シムは声なき悲鳴を上げ、眼を閉じる。横から吹き飛ばされるような衝撃に襲われ、シムの身体は縦臼の内壁に叩きつけられる。次に来るであろう制圧機からの攻撃に備えて、身体を硬くする。

 しかし、待てども待てども、衝撃が来ない。

 どうしたのか、恐る恐る眼を開けたシムは、ディスプレイの情景を見て、目を見開いた。

 下方に制圧機が見える。正面では、太い枝が横から伸びて生い茂る葉が視界を狭める。縦臼が飛んでいた。


「な、何したの、スコヤ?」


「木の幹を台にして、飛んでみました。上手くいってよかったですよ」


 落下する縦臼の側面を木にこすり付けて加速、方向転換。スコヤは忙しなく両手を動かし、少しでも落下速度を軽減しようとあがく。その甲斐あってか、着地の衝撃で縦臼が壊れる事はなかった。被害はシムが頭をぶつけた位である。


「このまま森を抜けて、海に入りますよ」


 眼前に光が差す。森の終わりだ。背後から制圧機が追ってくる気配はない。

 森を越えれば海まですぐだったわね。何とか逃げ切れたわ。

 縦臼が森を抜ける。眼前に広がる砂浜と蟲が蠢く海。そして待ち構えていた職業兵の一団。

 スコヤがブレーキを踏むが間に合わない。縦臼は砂浜の上をスリップしながら、職業兵達のど真ん中で停止する。砂浜の左右は制圧機が並び、正面には杭が打たれて通せんぼしている。後ろに逃げようにも、スコヤ達を追い回した制圧機が姿を現し、逃げ場はなかった。

 職業兵の一団から、一組の男女が出てくる。先ほど、シックネスの所に来たあの男女だ。女が手に持った拡声器を口に当てて叫ぶ。


「あなた達は完全に包囲されています。大人しく縦臼から出てきなさい。あなた達の安全は保証します」 


 音声を切っているはずの縦臼の中まで響く大声量に、ディスプレイの中では耳を押さえてのた打ち回っている。耳栓を外した男が女の頭を叩いた。女は涙目で肩を落とす。

 男が縦臼の正面カメラ前に立つと、ガシェットを開き、一文を見せた。

 五分待つ。その間に出て来い。

 明確な命令が、シムとスコヤに突きつけられた。


「どうする? また、海に逃げるのかしら? と言うか逃げられる?」


 前回、海中にいた時間は約一時間、それ以上は酸素がもたない。たった一時間で、この職業兵の一団を撒けるとは思えない。


「それしかないでしょうね。ただ、エアの残量が少ないので、ちょっと息苦しくなりますよ」


 シムが置きに備え付けられたメーターを見る。針は、レッドゾーンの約半分〇・七MPaメガパスカルを指している。


「省エネの為にコンプレッサーを落としたのはミスでした」


 悔恨の為か、スコヤが手で額を押さえながら呻く。


「どれぐらい海に入っていられる?」


「恐らく、三十分位でしょう」


「三十分……」


 シム海の向かいに見える対岸を見据える。距離は大体、五十キロ位だろうか。三十分で進むには無理がありそうだ。それに、ここから海の底を通って対岸に進める保証がない。途中、蟲達の圧力で潰されてしまう可能性が高いだろう。

 大体、杭を抜けて海に入れる保証がない。杭にぶつかって停止する事だってありえる。

 こんな危険な橋をスコヤに渡らせるの? スコヤは今までずっと助けてくれた。迷惑しかかけてないのに、嫌な顔一つしない。その優しさに甘えてる。だけど、こんな危険な事をやらせるぐらい甘えていいの? これ以上、スコヤに負担をかけるぐらいならいっそ……

 シムは頭の上に載った大蟲を懐に戻すと、覚悟を決める。


「もう、いいわ。そんな危険な賭け、させられない。わたしが出て行ってあいつらの目を誤魔化すから、その間に逃げて」


「出来ません」


 スコヤが苦しそうに顔を歪めていた。

 どこか、怪我をしたのだろうか。シムは心配になって身を乗り出すが、外傷は見つからない。単に体力が限界なのかもしれない。この三日間、スコヤは休む事なく運転し続けていた上、今日は職業兵との追いかけっこだ。職業兵に囲まれた事で緊張の糸が切れて、倒れても可笑しくはなかった。

 うん、やっぱり、これ以上スコヤと一緒に居られないわ。


「このままじゃ二人とも捕まるのよ。幾らおせっかいだからって前科者になるまで付きまとわれたら迷惑よ。わたし、そこまで品のない事は嫌いなの」


「ふぅ、シムさんは土壇場になると格好つけますね。本当は怖いくせに」


「あら、そうかしら?」


「手、震えてますよ」


 咄嗟にシムは血の気の引いた手を隠す。


「こ、これはその、スコヤの運転が荒くて気分が悪くなっただけよ」


「それは失礼。それなら、名誉挽回の為、もう暫くドライブに付き合っていただけませんか?」


 顔を真っ青にしたスコヤが震える唇を笑みの形に変えた。

 やっぱり、どこか可笑しい。まるで今にも倒れそうじゃない。なんで、そんなに苦しそうなのに、わたしを助けるの?

 シムが疑問を口に出す事はない。そんな事してしまえば、スコヤの事だ自分を責めて、強行にでも縦臼を動かそうとするに違いない。


「残念、女の子を誘えるチャンスは一度だけ。紳士たるもの、潔さが必要よ」


「……嫌なんです。この程度で諦めるなんて。こんなものに従いたいわけじゃないんです」


 スコヤがディスプレイを睨みながら、自分の額を殴る。


「ドアのロックは絶対に解除しません。今の僕にはこれが精一杯です。ですけど、シムさんが頼ってくれたら、きっと不可能だって覆して見せます。だから、頼って下さい」


「そんな事言ったら、本気で頼るわよ。ずっと、ずっと、貴方が嫌だといって頼りきるわ。それでもいいのかしら?」


「光栄です」


 ああ、無理だ。一人じゃ逃げられない。こんな懸命に守らせてと言ってくる人を、どうして無碍に出来ようか。この先にはきっと破滅しかない。分かってるけど、わたしはスコヤの差し出してくれている手を払いのけたくない。何度払っても差し出してくれた手を、その先に居るスコヤの気持ちをこれ以上踏みにじるのは辛すぎて出来ない。

 ごめんなさい。これはきっと間違った選択よ。でも、そっちが悪いんだから、だから一緒に行ってあげるわ。


「スコヤ。そこまで言うなら任せるわ。だから、絶対に逃げ切りなさい」


「ありがとうございます」


 縦臼の外輪が高速回転を始める。外輪が噛んだ砂を撒き散らし、ディスプレイが砂嵐でいっぱいになる。


「しっかり捕まってて下さい!」


「うん」


 縦臼が弾かれたように発進する。目の前に迫る杭。スコヤはハンドルをきろうとしない。杭に向って正面から体当たりする気だ。

 シムの顔が引きつるが、すぐに平静を装う。スコヤを頼ると決めたのだ。舌の根も乾かないうちに、疑うなんて出来るわけがない。

 ディスプレイから杭の姿が消えた。近すぎてカメラの死角に入ったのだ。

 軽い衝撃が縦臼を襲い、杭が宙を舞った。


「え?」


「どうやら、ハッタリだったみたいですね」


 あっけなさ過ぎない? 今までだって逃げられてるんだから、もっと入念な準備をしてるんじゃないの。

 シムは杭を簡単に突破できた事に疑問を抱くが、進路を変えようと進言しない。

 左右、後ろを制圧機で囲まれたこの状況。例えこの先に罠が合ったとしても他に道はないのだ。海に進むしかない。

 後ろから追ってくる気配もないまま、ディスプレイが蟲で埋め尽くされていった。

 海に入ると四方八方から、カンと軽い音が響いてくる。蟲が縦臼に牙を突き立てている音だ。コンプレッサーから放出される空気に混じって聞こえるそれは、二度目とは言え慣れるものではない。シムは音がする度に縦臼側面、入り口のあるつなぎ目辺りを見てしまう。


『周囲、警戒、警報』


 大蟲がシムの懐から飛び出して、膝の上に乗る。全身を突っ張らせて、油断なく周囲を睨みつける。大蟲の頼もしい後姿に、シムの顔から笑みがこぼれる。


「護ってくれるの? ありがと」


 感謝の気持ちを込めてシムが大蟲の背中を撫でる。大蟲は気持ち良さそうに身震いした。


「このまま真っ直ぐ対岸を目指します。対岸に着けば、メータラ領まで目と鼻の先です。たとえ職業兵が追ってきても、間に合いません」


「うん」


 この海さえ抜けられれば、メータラ領。わたしの村があるかもしれない場所に行ける。待っててね、パパ、ママ、テスラ、皆。

 シムは家族の顔を脳裏に描く。小柄ながら屈強な身体をした父、歳を経ても色あせない金糸の髪をたなびかせる母、そして母と同じ髪を振り回して走り回る妹のテスラ。一人が口元に笑みを浮かべシムを見ている。その顔をもっとよく思い出そうと、眼を凝らすシム。だが、眼を凝らせば凝らすほど脳裏に描く絵は滲んでいく。

 シムがもっとよく思い出そうとした時、聞いた事のない爆発音が体中を襲った。


「何があったの?」


 正面ディスプレイが火の海で埋め尽くされていた。赤々と燃え滾る炎が当たり一面を覆い尽くし、とことする蟲達を溶かす。溶けた蟲から溢れる塩水に、無事な蟲達が群がり、また溶かされる。飴細工の様に溶ける蟲達がもがくが、群がる蟲が牙を突き立て動きを止める。喰って喰われて溶かされる炎の麦穂が広がっていた。


「恐らく可燃性物質を使った強制燃焼です」


 先ほどの爆発で可燃性物質を飛び散らせたのだろう。海を炎で覆って燻り出すつもりだ。


「こんな貴重品まで引っ張り出してくるとは、職業兵も本気ですね」


「大丈夫なの?」


「縦臼表面の温度上昇が安全値を超えそうです。特にパッキンの劣化が心配ですね。コンプレッサーのエアと飲料水を、冷却に回します。これで当面は凌げるはずです」


「でも、それじゃあ、わたし達の分の空気が足りなくならない?」


「この火の海から逃げる程度の時間なら何とかなりますよ」


 炎の奥に見える蟲達の海。炎に照らされ明々と輝くそこまでたどり着けば、縦臼に群がる蟲の持つ塩水で冷却できる。

 希望を見出したシムの心を折るように、六発、追加で爆発音が響いた。見渡す限り一面、炎が乱れ踊る。蟲達の海ははるか彼方へと遠ざかった。

 夕方の様に緋色に染まる海。溶けては喰われ、喰っては喰われる餓鬼道の世界を目の当たりにして、シムの力なくシートに座り込む。


「そんな」


 呆然とするシムの頬を汗が落ちる。気付けば額に玉の汗が出来ていた。手足もじっとりと湿っている。縦臼の中がどんどん蒸されているのだ。

 アラームが鳴る。


「今度は何ッ?」


 シムは引きつるような声で叫んだ。このけたたましい音が、良くない合図だという事は機械に疎いシムでも分かる。


「縦臼表面温度、四百度を超えました。パッキンの限界です。ラビリンスにエアを強制供給、これで誤魔化します」


 ただでさえ少ない空気が、更に消費されていく。状況は刻一刻と、悪い方向へ転がっていた。


「ハァハァ」


 息苦しさを感じてきたシムは、シャツの襟首をパタパタと振りながら喘ぐ。暑さが熱さに変わってしまったようだ。幾ら吸っても、胸の苦しさが消えない。それどころか今度は眼球の奥に押しつぶされるような痛みが加わる。思わず呻きたくなったシムは歯を食いしばり耐える。これ以上、スコヤの負担になりたくなかった。


『心拍、体温、異常』


 大蟲が白と黒の瞳を向けてくる。シムは弱々しい笑みを浮かべ、大蟲の背をそっと撫でた。


「はぁ、はぁ、シムさん大丈夫ですか?」


「…………ええ、まだ大丈夫よ」


「そうですか。頭痛や眩暈が起きたら脱水症状です。そうなる前に小まめに水分補給をして下さい。足元に呼びの飲料水があるでしょう」


 シムが確認すると、シートの下に水の入った瓶が一本見つかった。シムは瓶を掴むとスコヤに渡そうとする。


「そう言う事なら、貴方が先でしょう」


「ご心配なさらずに、僕の足元にもありますから。きつくなったら飲みますよ」


「そう、それなら貰うわ」


 シムはお言葉に甘えて、瓶に口をつける。温い水が喉を駆け落ち、胃に溜まる。その感触に至福を感じながら、水を貪る。口を離した時には、瓶の半分が空になっていた。

 心なしか頭痛が治まってきた気がするわ。うん、何だかちょっとだけ楽になったわ。

 再度、アラームが鳴り響く。


「今度は何!」


「コンプレッサーの残圧がゼロになりました。クソッ、エアパージに容量を取られすぎました」


 スコヤが悔しそうに壁を叩く。平気そうに見えていたスコヤだが、この暑さで消耗していたのだろう。後姿に悔しさが感じとれる。

 再度、壁を叩こうとするスコヤに、シムはシートごと抱きついた。

 スコヤが自身を責める必要なんてない。悪いのは何も出来ない自分だ。貴方は十分わたしを助けてくれた。だから、自分を責めないであげて。

 自分の気持ちがスコヤに伝わるように、力を込めて抱きつく。スコヤがシムの手に、手を重ねた。


「すみません、シムさん。見苦しい所をお見せしました」


「ううん、気にしないで、スコヤ。それより急いで引き返しましょう。このままじゃ、炎と蟲で殺されるわ。それなら職業兵についていった方がマシよ」


 シムが殊更明るい顔を作って見せると、スコヤは暗く悔恨に満ちた顔で首を横に振った。


「もう、間に合いません。蟲が侵入してきます」


 スコヤの言葉を合図に、縦臼の入り口とドアの隙間から蟲が一体入ってきた。

 丸い頭に細長い身体、髪の毛の様に細い足。大蟲そっくりのシルエットを持つそれは、透明な身体を壁に張りついたまま、ゆっくりと獲物を見定める様に辺りを見渡す。

 ゆっくりと首を回した蟲が大口を開け、スコヤに向って飛び掛っていった。緩やかな放物線を描く蟲は、その頂点より少し落下した地点で大蟲の体当たりを受けて四散する。塩水で身を滴らせながら大蟲がシムの肩に戻った。


『護衛、危険、排除』


 大蟲の言葉にシムはハッとする。そう、まだ諦めちゃ駄目よ。入ってくる蟲を全部潰しちゃえば、問題ないんだわ。それしかない。


「スコヤ! わたし達が蟲を潰していくから、急いで戻って。一匹も通さないから」


「ですが、それは……」


 シムはスコヤの唇に指を当て、反論を押し込める。無理、無茶、無謀なのはシムも分かっている。だが、他に方法がないのだ。四の五の言わずにやるしかない。


「スコヤはわたしに頼れ、て言ったわよね。だったら、スコヤもわたしを頼って頂戴。わたしは貴方を頼ると決めたわ。でも、頼るだけじゃ嫌なの。こんな時ぐらい、頼ってよ」


 シムは思いを込めて語る。ずっと助けられていた。初めて会った時からずっと、シムはスコヤに頼りっぱなしだ。食事も服も、全部スコヤがくれた。シムは何の力もなくて、スコヤにずっと迷惑をかけている。

 本当は迷惑だと思われているかもしれない。それとも子供だと思われているのだろうか。シムはスコヤと友達になりたかった。何の気兼ねもしない対等な友達に。もうそれは叶わない。一生かけても返せないほどの負債をシムは負っている。今更、どんな顔で友達になってほしい、と言えるのか。

 だから、せめて、見せたい。認めて欲しい。頼るだけじゃなくて、頼れる女だと。手弱女なれど、こんな時にまで泣いてばかりいる子供じゃないと。


「……分かりました。今すぐ、戻ります。その間、蟲潰し、よろしくお願いします」


 スコヤが縦臼のハンドルを握り締める。


「ええ、任せて」


 シムは大蟲に加勢し、蟲潰しに向う。蟲は思ったよりも柔らかく、手で叩いただけで潰れてしまった。体液も全て塩水で、多少べたつくが妙な匂いはしなかった。お陰でシムは嫌悪感を抱かずに蟲を叩き潰す事ができる。


「出て行きなさい」


『迎撃、迎撃、迎撃』


 一匹、一匹と蟲を潰していくが、どんどん侵入してくる蟲に対して次第に手が追いつかなくなる。縦臼内の暑さも限界が近い。はじけ飛ぶ塩水がすぐに蒸発し、真っ白な塩の粉をふく。

 ついに蟲がシムと大蟲の手をすり抜けた。縦臼内に侵入した蟲は、唯一攻撃してこないスコヤに狙いを定めた。


「あっ!」


 慌てて、シムが飛びつくように蟲を潰した。それが間違いだった。一匹程度なら、そのまま放置しておいた方が良かった。幾らスコヤが運転で忙しいとは言え、蟲一匹を潰せないほど余裕がないないわけではない。シムは通り抜けた蟲をスコヤに任せて、入り口から入る蟲を潰すべきだった。

 シムがいなくなり、殲滅量が半減した入り口の隙間から、大量の蟲が押し寄せてくる。蟲は縦臼内を自由に這い回り、壁に残った水分を、シムが口をつけた飲料水を、そしてスコヤの肌に牙を立てる。

 腕、頬、首、肩、足、スコヤのありとあらゆる場所に、蟲が張り付いていた。


「離れなさい!」


 シムが叫ぶと驚いたのか一瞬蟲達が硬直する。その隙に、シムはスコヤの身体に張り付く蟲を叩き潰す。しかし、叩き潰した先から新たな虫が現れ、スコヤの身体を覆いつくしていく。

 それでもスコヤは運転を止めない。もう視界も蟲で埋め尽くされているだろうに、縦臼は真っ直ぐ海岸に向って走っていた。


「ッ!」


 シムにも蟲に牙が突き立てられる。慌てて首筋から蟲を叩き落とすが、今度は左手から痛みを感じる。手首に牙を突き立てた蟲を、左手を壁にぶつけて潰す。ジュッと音を立てて、蟲が蒸発した。

 もう、暑すぎ。それにキリがないわ。

 縦臼の温度に辟易する間もなく、今度はふくらはぎ、太もも、右手を噛まれる。それを振り払っても、次から次へと体中あらゆる場所に牙を突き立てられて行く。

 と言うかなんでこんな事になってるのよ。上手く逃げられないし、暑いし、蟲は痛いし、何で、何で、わたしがこんな目に合わなくちゃならないのよっ!

 堪忍袋の緒が切れた。駄々っ子宜しく、適当に手足を振り回して喚く。


「あー、もう。いや、いや、いや、熱いのも、息苦しいのも、蟲も、みんなどっかいけぇぇぇぇぇぇえ」


 全員が動きを止めた。無秩序に動いていた蟲達が一斉に縦臼から出て行く。


「え、何?」


「外で何かあったんでしょうか?」


 顔を見合わせたシムとスコヤはディスプレイの映像を見て、絶句する。蟲が職業兵を襲っていた。燃える蟲もただの蟲も関係なく皆一様に職業兵を襲っている。職業兵達も応戦しようとするが、相手が悪い。制圧機で潰そうとも、棍棒で叩こうとも、すぐに次の蟲が来て牙を突き立てていく。


「火にかけたから怒ってるのかしら?」


「かもしれません。とにかく、これはチャンスです。今なら、この混乱に乗じて逃げられます」


 スコヤはハンドルを倒し、その場から離脱を計る。蟲に襲われている職業兵達は、縦臼の動きに気付く余裕がないのだろう。一切の妨害を受けず、縦臼はその場から逃げおおせた。

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