やまのともだち
ユキちゃんの通う小学校では、ちょっと変わったあることが流行っていました。
その村の子供たちなら、じゃんけんや鬼ごっこと同じように日常でする遊びのようなものなのですが、きっと他の所ではないに違いありません。なぜなら、ルールとなる対象物がその村にしか存在しないからです。
昔から、どういうわけか恐れられて、近づいてはならないとされてきた山がありました。自分たちもそうやって育ったからなのか、具体的な根拠を説明する大人は一人もおらず、その村の住民は皆、とにかく危険だという認識だけはもっていました。
そういうわけで、どうしてそのような言い伝えができたのか原因を考えようとするのも当然といえます。そして、明確な答えのない問いですから、自説を披露したり、他の子とあれこれ話し合うのも自然なことだったのでしょう。特に名前はついていませんが、とにかくそういう遊びがあったのです。
想像力の豊かな子は、UFOの着陸地になっていて宇宙人にさらわれるとか、悪い魔女に姿を変えられるとか、どんどん空想を膨らませて話しました。
現実的な子は、熊や猪が出るからとか、貴重な自然を壊さないようにとか、まるで先生のように教えました。
その中で一番多数を占めた意見は、やまんばに襲われるから、というものでした。それぞれ詳細は異なりましたが、とにかく恐ろしい老女が登場するのです。
ユキちゃんはといいますと、そのどれでもありませんでした。いつも聞き役なのです。
否定することなくうんうんとよく聞いてくれるので、話したがりの子たちには人気者でした。
今日もまた、目を輝かせて一人の女の子がユキちゃんに近づいてきました。
「ねえ、新説があるの。ユキちゃんには特別に話してあげる」
「なあに」
「あの山にはね、妖精が住んでるの!」
「……いたずらする妖精さん?」
「違う。ちっちゃくて、ピンクのお洋服着た可愛い妖精。昨日ね、山の奥できらきら光ってて、何だろうって離れた所から見てたの。そしたらね、いたの。ちゃんと羽もあったし」
「その妖精さんを守るために近づいちゃだめって言ってるの?」
「そう。あんなに綺麗なんだから捕まえようとする悪い人たちが出てくるでしょ。それで最初に山に入った優しい人がね、愛護しようって考えて、あの山は危険だって皆に嘘ついたのよ――ね、ね、私の考えどう思う?」
わざと難しい言葉を使うのは、相手を混乱させて無理やり納得させる手でした。その事を経験から知っていたので、ユキちゃんは“あいご”の意味が分からなくてもあえて質問したりしません。なにしろ優秀な聞き役なのですから。
「うん、すごいね。絶対そうだよ。よく見つけたね」
その反応にお友達はすっかりご機嫌になって、満足そうに去っていきました。
放課後、ユキちゃんは誰にも内緒で山に向かいました。もちろん、中に入るつもりです。
素直な良い子たちばかりだから誰も山に近づこうと考えないのでしょうか。いいえ、きっとユキちゃんのように興味を持って真相を確かめようとする人がいないだけです。決して法で罰せられるような悪いことではないのですから。
前に一人で山の上まで行って以来、ユキちゃんは密かに行き来を繰り返していました。
「妖精さん、まだいるかなぁ」
独り言をつぶやきながら立ち入り禁止のロープをくぐって、どんどん奥の方へと進んでいきます。
すると突然、淡い光のようなものが前方を横切りました。目を凝らしてみると、あの子が言っていた通りの妖精が、ぴょーんぴょーんと活発に跳ねています。
しばらく様子を見ていたユキちゃんは、妖精が椎の木の根元で休んだところで、ゆっくりと近づいていきました。軽く重ねた両手を前に出して、気づかれないように、後ろから。
数秒後、ユキちゃんの手の中には目を丸くした妖精の姿がありました。
「ごめんなさい。痛かった?」
妖精は今度は怯えた顔をしました。
「大丈夫。私はあなたのこと、ちゃんと分かってるから」
ユキちゃんが一生懸命訴えても、いやいや、というように首を振るばかり。
その時、山のもっと奥から誰かが走ってくる音が聞こえてきました。それは怖い顔で大きな麻の袋を持った老婆でした。土、枝、葉、石ころ、全てを蹴飛ばしてこちらに進んできます。
そう――最初に彼女を見てから、ユキちゃんはやまんば説こそ正しいと思っていました。でも、もう秘密を知っていましたから、微笑みを浮かべて言います。
「お婆さん、この子を探してるんでしょう?」
さっき捕まえた妖精を差し出すと、老婆はそれをひったくるように袋へ押しこんで、逃げないように紐でぐるぐると縛ってしまいました。そうして、はあーっと長いため息を吐きました。
「お前さんで助かった」
すでにお友達の一人に見られていたのですが、それは黙っていることにしました。
老婆はそのまま背を向けて歩いていこうとするので、慌てて後ろについて話しかけます。
「その子のおうち、見たい」
それに答える代わりに、ユキちゃんを睨んで重い声をぶつけます。
「誰にも喋ってないな?」
あまりの迫力に一瞬声が出ませんでしたが、老婆が前へ向き直ると同時に大きくうなずきました。その後で見えていないかもしれないと心配になり、もう一度はっきり「ない」と返事をします。
老婆は、やれやれと首を振ってつぶやきました。
「……所詮根拠のないでたらめだ」
ユキちゃんは何も言わずに歩き続けました。悪い人ではないと分かっていても、できるだけ老婆の顔を見ないようにしました。怖いものは怖いのです。
しばらくして、木でできた大きな家に辿り着きました。老婆がたった一人で住んでいる所。
中に入ってすぐに感じた、微かな甘い匂いの正体を無意識に探していたのか、ふとユキちゃんの目にティーカップが映りました。同じテーブルの上には開いたままの本がのっていて、窓から入る風によって、ぱらぱらと音をたてています。一瞬見えただけでも笑顔になれるような、優しい絵がところどころにありました。
老婆は気づいて、空になったカップをキッチンへ運びます。
「ちょうど良かった。飲んでいってもらうかね。コーヒーに飽きたからって、あんな甘ったるいもん買うんじゃなかった。おかげで……」
「読みながら寝ちゃったのね」
「最近よく人が訪れるようになったから、注意していたんだが」
「私以外にも?」
「まあ、あいつらを完全に見られたのはお前さんだけだ。わざわざこんな不便な場所に住んでいる、ただの物好きな婆さんくらいにしか思ってないだろうよ」
“あいつ”という時に、床に置いた麻袋をちらと見ます。
「おとぎの住人たち、ね。お婆さんのお友達」
ユキちゃんは、中の妖精にだけ聞こえる声でそうささやきます。
やがて老婆は二つのティーカップを持ってきました。ミントの浮かんだハーブティーと、ユキちゃんにはハチミツ入りのアップルティー。それを置くと、麻袋の紐をほどき始めます。
「こいつが帰る場所は、紫色の森が描かれている場面だ」
ユキちゃんは絵本をめくっていき、言われたとおりのページを開きます。口では言い表せないような、何とも不気味な雰囲気と違和感。中央には堂々と、意味ありげな切り株が描かれてありました。
それから老婆は、袋から出した妖精をそこへのせて、バンッと勢いよく本を閉じてしまいました。
しばらくの静寂。後、しわくちゃの手がゆっくりとページを滑り、さきほどのページで止まります。
切り株の上――あの元気な妖精の姿がありました。妖精の放つ光のせいで、周りも少し明るくなったようでした。
「さあ、もう読んでいい」
そう言う老婆は、少し寂しそうでした。
ユキちゃんは「ありがとう」とそれを受け取り、お茶を飲みながら読み始めます。ユキちゃんが最後の場面に出会うまで、この空間に静かな時間が流れます。それはすごく短いけれど、幸せな時。
この大きな家には、たくさんの絵本で埋め尽くされています。老婆は自分を傷つける人間のことが嫌いで、昔から絵本ばかり集めて読んでいました。そして、ある日突然不思議な力をもってしまいます。
そのため、道すらなくて誰も入らないような不毛の山に家を建てる決心をしました。用心にも、危険だという認識を村人にうえつけて、人を遠ざけることさえしました。それが噂の始まりだったのです。
次の本に困らないほどの量があるからといって、老婆の一冊の本に対する執着心は消えませんでした。
絵本に登場するキャラクターとの別れが惜しくて、最後のページをなかなか開けない時があるほどです。頭の中で想像を巡らせて、終わりを読まないまま眠りにつく――。
そうした時には必ず、夢の中にそのキャラクターが登場して話しかけます。背景はどこかの一ページ。
おともだちになって、あなたのせかいであそびましょう?
夢の中では感情にとても忠実なようです。老婆はどうしても断ることができませんでした。目覚めると、絵本から飛び出して現実の世界に実態をもって存在してしまうことを知ってからも、一度だって。きっと、心の中ではずっと寂しかったのです。
「どうなった?」
ユキちゃんが本を閉じるのを見て、すかさず老婆は訊ねます。
「読まないの?」
「あたしにそんな資格はない。友達を裏切ったんだ」
その答えに、ユキちゃんは泣きそうな顔で訴えます。
「そんなのおかしいよ。本当のお友達なら、最後まで一緒にいたいって思うもん。裏切ってるのは、お婆さんの方でしょ。妖精さんが何を伝えたかったか、知らないままでいいの?」
いよいよユキちゃんは涙を流して、出ていってしまいました。
老婆はまたこの広い家に一人きり。日常が戻ったように、腰掛けて静かにハーブティーをすすります。けれども、甘ったるい香りの残るもう一つのティーカップを、いつまでも片づけようとはしませんでした。
ユキちゃんも、しばらくいつものように学校へ行き、勉強をして、遊んで帰る日々が続きました。
お婆さんのことは少し気にしながらも、山へは近づくこともありませんでした。なにしろ、“おとぎの住人”の目撃情報を示唆する話が誰からも出なかったものですから。
しかし、例の遊びに妙な動きがありました。
ほとんどの生徒が、やまんば説を支持し始めたのです。実際に見た、という人が何人もおり、いよいよ一つの答えに辿り着いたような空気になりつつありました。
老婆が山をおりたのだと確信したユキちゃんは、放課後、やまんばを見たという友達の話の中で登場した場所を探しました。
そんな時、よく遊ぶ公園の前を通ると、数人のクラスメイトの姿がありました。集団で何やらこそこそと話し合っているようでした。
様子が変だったので、駆けていって「どうしたの」と輪の中に加わりますと、そのうちの一人が少し離れたベンチを指をさしてささやきました。
「な、いるだろ。やまんば」
ユキちゃんは、はっと息をのみました。やはり、あの老婆でした。
「違うよ!」
今度はユキちゃんがみんなに説明してあげる番でした。驚いた周りの視線が一斉に集まります。老婆もこちらに気づいて立ち上がる気配がしました。
「お婆さんは確かにあの山に住んでるけど、私の大事なお友達なの。だから私、お婆さんが悪い人じゃないって知ってる」
ユキちゃんは自分の言葉に自信をもっていました。だから、よく考えて説き伏せる努力をしなくても、みんなが信じて納得してくれるのを期待して、それ以上口にしませんでした。
それから、老婆のもとへ歩いて、話しかけます。
「あのね、お友達とここで一緒に遊ぶのは普通のことなんだよ。だから私と遊んでくれるでしょ?」
老婆に否定する気はこれっぽっちもありませんでした。そのことは老婆自身が一番不思議に感じ、今が夢の中だと疑ってしまったほどです。
「あいつ――あの妖精とは、あの後ちゃんと仲直りした。でもお前さんとはけんかしたままだったからな」
「それでユキに会いにきてくれたんだ。またおとぎのお友達を捕まえにきたんじゃないんだね?」
声に出してふふっと笑う顔を見て、老婆もつられて頬を緩ませました。
「そうさ。ユキもあたしの大事な友達だからな」
そのことがあってから、やがて学校で例の遊びをする生徒は一人もいなくなりました。そのうえ、何のためらいもなく山に入る人たちが増えました。
それは、ユキちゃんが時々お友達を連れて遊びに来たせいでしょう。お茶を出したり絵本をすすめたりしているうちに、老婆が力を使う機会も自然となくなっていきました。
平穏が訪れた山の中、うぐいすの声が高らかに響きます。
おともだちになってくれて、ありがとう。
老婆の家の窓に、とてもとても美しい羽を持つ一匹の鳥が舞い降りました。
それを目にした老婆は、急に思い出したように笑って、一冊の絵本を手に取り言います。
「うちへおかえり。そうしたら、あんたにあたしの新しい友達を紹介してやれるよ」
うぐいすはそっと羽ばたき、老婆の手の中に収まりました。
お読み頂き、ありがとうございました。
『冬の童話祭』がきっかけで初めて童話を書いてみました。しかし結局間に合わなくて放置して、気付けばもう夏でした…。