流星少女 0
流星少女
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重要なことは、おれたちは星を見ていたのであって、宇宙人を捜していたのではない、ということだ。
もちろん、仲本のような例外はいる。あの顔も名前も知らない宇宙人に惚れている娘は、あの夜もなぞの呪文を唱えながら宇宙人を待っていた。空から巨大な皿が下りてきて、光がぱっと差し、すらりとした身体の宇宙人が下りてくるのを。もしやつらが例の震えた声で「われわれは、宇宙人だ」なんて言ったら、おれなら爆笑だが、きっと仲本は感激のあまり泣き出すだろう。それとも、わたしが呼んだのはグレイ型ではなくクラークのオーヴァーロード型の宇宙人だ、とでもいうかな。そのときの宇宙人の反応を見てみたい。怒り狂って暴れるか、おろおろしてUFOに引き返すか。宇宙人もつらいところだ。呼ばれてきてみりゃ、おまえなど呼んでいない、と追い返されるのだから。
まあ、とにかく、仲本を除いて、おれたちは宇宙人など探していなかった。
部長はだれにともなく、あれはなに座だ、あれはなんという星だ、と呟きながら歩きまわっていたし、木下は望遠鏡を覗いてにやにやしていた。もし望遠鏡の先が空ではなく、ここから一望できる町に向いていたら、間違いなく逮捕されるレベルの怪しさだ。しかし男としては決して異常ではない。木下が異常なのは、望遠鏡を空に向け、土星を観測しながら、にやにやしているところだ。木下には土星の輪やかすかな明暗の模様がこれ以上ないほど美しく見えるらしい。目の病気か、頭の病気のどちらかだ、とおれは密かに思っている。
そしておれは、もう秋だ、学園祭の出し物を考えなければ、と思いながら、それとなく空を見ていた。
町からほんのすこし離れただけなのに、展望台からは星がよく見える。北にあるあれが北極星で、ということはあれがこぐま座、あのあたりが龍で、その上がおおぐま座かな。そこから南へ下りてくると、秋なのに、夏の大三角が見える。はくちょう座の頭部分のデネブ、地味なこと座のベガ、どう見ても人間の形をしたわし座のアルタイル。ベガとアルタイルのあいだには、よく見えないが、天の川がある。ミルキィ・ウェイとはよくいったものだ。空の川、というそのままの名前をつけた日本人とはすこし感性がちがう。その川を挟んで、ベガ、織り姫と、アルタイル、彦星がいる。ベガがあること座もアルタイルがあるわし座もトレミーの星座のひとつだ。つまり、ギリシャ神話由来の意味を持っている。わし座はともかく、こと座は形として多少無理があるような気もする。四角形に一本毛が生えたような形だ。その毛の先が、ベガになる。そう考えると織り姫というのもなんだかな。毛の先、という言い方では格好がつかない。学園祭でも最終的にはそのあたりの由来を自慢げに書くことになるのだろうが、それまでに適切な言い方を探さなければ。毛の先、ではなく。
流れ星、と部長が呟いたのは、そんなことを考えているときだった。
空を見ると、すでに流れ星は消えていた。普段どおりの夜空だ。ゆっくり動いているが、見上げているあいだにはなにも変化しない。流れ星もそれほどめずらしい現象ではないが、見逃したかな、と思っていると、今度は仲本が声を上げた。
「あれですか。あの、星の下にあるやつ」
「どの星の下だよ」とおれ。「星なんて、掃いて捨てるほどある」
「あれです。あの上の」
「だから、どれだよ」
「くじらの近く」と部長。「ディフダの下」
ディフダというと、くじら座の尻尾にある星だ。くじら座でもっとも明るい星。たしか東の空だったか、と視線を向ける。ぼんやり見ただけでは、星がありすぎて、どれがくじらなのかまったくわからない。そもそも星座に現れるくじらは実在するくじらとは別だったような。部長ならよく知っているのだろうが。くじらの全容はわからないが、なんとか尻尾の三角形を見つける。
まさにディフダの下だ。明るい星の下を、同程度に明るい光がゆっくり横切っている。あれはなんだろう。流れ星ではない。尾もないし、速度もちがう。
「人工衛星じゃないのか」
望遠鏡から顔を上げ、木下が言った。いつの間にか全員が集まっている。
「それにしては動きが不自然よ」
人工衛星は、言うなれば地球に自由落下し続けているようなものだ。左へいって、ちょっと戻って、高度を下げて、倍上がって、というわけにはいかない。光はそんな動きをしている。まるで尻文字でもやっているようだ。なんの文字を書いているんだろう。あんな遠いところで。
「UFOですよ」と仲本が叫ぶ。「あれ、絶対UFOです。願いが通じたんです。きてくださいってお願いしたかいがあったわ」
「UFOなんて」部長が鼻で笑う。「飛行機かなにかでしょう」
「航空機でも、あんな動きはしないと思いますけど」
おれが言うと、部長ににらまれた。おまえはどっちの味方だ、というように。いつの間に敵対したんだろう。
「飛行機だけが航空機じゃないわ。ヘリだってある。ヘリなら、上空でも好きなように動ける。左へいって、右へ戻って、ということも」
「こんな夜中に、あんな高いところでアクロバット飛行なんてしますかね」
「だから、UFOですって」
「どっちでもいいさ」木下は望遠鏡のもとに戻る。「土星のほうが美しい」
「UFOなんて実在しないわ」部長は言う。「よく宇宙人を捕らえただの、解剖しただのってビデオがあるけど、あんなの全部作り物でしょ」
「たしかにああいうビデオはうそくさいけど」仲本も譲らない。「だからって宇宙人が存在しない理由にはならないでしょ。あれは偽物でも、どこかに本物がいるかもしれない」
「それならどこにも本物なんていない可能性もあるわけね」
「宇宙人はいます。あれが証拠です。あれはUFOです。ほら、ゆっくり下りてくる」
「なにかの自然現象よ」
女の争いは恐ろしい。おれはすこし距離をとって、光を見上げた。木下は望遠鏡を覗いてにやにやしている。民家を覗いているのでは、と望遠鏡の角度を見てみるが、やはりそれは空に向いている。たまには民家でも覗けばいいのに。
それにしても、光だ。
ディフダの下。その光はすこしずつ輝きを増しているように見える。しかし星の輝きとはなにかがちがう。同じ光でも、どちらかというと太陽系の惑星に近い気がする。光っているというよりは、反射しているような。
まさか、本当にUFOなのか。銀色のスーツを着た小柄の宇宙人が下りてくるんだろうか。そして、「われわれは、宇宙人だ」? しまった。震えた声で「われわれは、宇宙人だ」というのは知っているが、そのときなんと答えるべきなのかを知らない。そりゃそうだ、とでもいえばいいのか。そうは見えない、と驚けば満足するのか。同じように震えた声で、「われわれは、地球人だ」と答えるべきなのか。
考えればいいんだ。光はすこしずつ近づいてくるように見える。部長と仲本はまだ言い合っている。木下は土星を見てにやにやしている。考えてみれば、宇宙人の考えもすこしはわかる。
宇宙人は、われわれは宇宙人だ、と自己紹介しているわけだ。それが何語かはともかく。自己紹介しているということは、こちらを認識しているということでもある。つまり、われわれは宇宙人だが、きみたちは何者だ、と訊ねているわけだ。こちらが地球人であることは承知しているのだろう。それよりもさらに個人的な情報を欲しているのかもしれない。おれは日本人だ、と答えるべきか。南方東高校二年の高市和樹だと名乗るべきか。宇宙人には、おれが本当のことを言っているのか、うそを言っているのかわからないはずだ。おれが地球の代表だ、といってみようか。
おっと、しまった。ばかなことを考えている場合ではない。おれは、順調に大きくなり、いまでは月と並んでも遜色ないほどになった光を見る。
「ほら、見てください」仲本が空を指さす。「あんなに大きな光になった。これでも自然現象ですか」
「特殊な性質の隕石かもしれないわ」部長は、もう自分の言葉も信じていないようだったが、あれがUFOであるとは絶対に認めない。「それか、オーロラのようなものかもしれない。太陽からの粒子と地球の磁場が反応しあってあんなふうになっているのかも」
「オーロラならもっと大きいはずじゃないですか」
「このあたりの磁場が極端に歪んでいるせいかもしれないわ。弱いオーロラなら白一色に見えるはずだし」
「そんな。あれはUFOです。宇宙人が乗ってるんです。間違いない」
「あなたも高校生でしょう。子どもじゃないんだから、UFOだの宇宙人だの、そんなSF小説みたいなことは言わないの」
「だって、現実にUFOが」
木下が、やかましいというように望遠鏡から顔を離す。
目が眩むような閃光が走ったのはそのときだった。反射的に目を閉じ、腕をかざす。なにかが爆発したような光だった。しかし音はない。一瞬で光が増幅されたような感じ。なんだったんだろう。恐る恐る目を開けようとして、ふと、目が覚める。
おれはベンチにもたれかかるようにして眠っていた。あたりは暗い。夜だ。空には星がある。このあたりには街灯がなく、あたりの様子がよくわからない。どうなっているんだろう。おれは、天体観測にきたはずだ。天文部の四人で。部長はぶつぶつと星座や星の名前を呟いていた。木下は望遠鏡で土星を見ていた。仲本は一心不乱にUFOを呼んでいた。それは、夢ではない。
いつの間に眠り込んだのだろう。おれは立ち上がって、声をあげた。
「みんな、いるのか。それとももう帰ったのかな」
「まだいるわ」と部長の声。「いつの間にか眠ってたみたい」
「ぼくもいる」と木下。「くそ、しまった」
「どうしたんだ」
「望遠鏡を倒したらしい。角度がずれた」
がたがたと望遠鏡を立て直す音。また土星を探すらしい。ご苦労なことだ。
「仲本は。あいつだけ帰ったのか」
「います、ここにいます」と仲本の声が比較的近くで聞こえる。「先輩たち、どこですか」
「こっちだ。ベンチのほう。とにかく、みんなこっちに集まろう」
「わたしを差し置いて指示するなんて」と部長。
その部長がいちばんに近づいてくる。仲本も見えた。木下も望遠鏡を片手に持って近づいてくる。もうひとりも無事だったようだ。四つの人影が暗闇で近づく。四つ? おれは動いていないのに。
懐中電灯だ。ポケットを探る。もしものときのために準備してあるはずだが、なかなか見つからない。地面を探すと、ベンチの下に転がっていた。拾いあげ、スイッチを入れる。
「まぶしいなあ」と部長。目を細めている。たしかに部長だ。
「高市も土星探しを手伝ってくれ。あのあたりにあるはずなんだ」
木下はさっそく望遠鏡を設置する。たしかに木下だ。木下以外に、あれほど土星を愛せる男はいない。もちろん女も。
「仲本はどこだ」
「こっちです」と仲本が暗闇で手を振る。「あれ、先輩? 部長ですか」
「なに?」と部長。「わたしはこっちよ」
「あれ。これ、だれですか。木下さんってこんなに髪、長かったっけ」
「なにを言っているんだ。おれたちはこっちだ」
懐中電灯を仲本の声がする方向に向ける。仲本はそこにいた。おれたちではなく、明後日の方向を向いている。寝ぼけているのかしらん、と光を仲本の先に向けると、そこには女がいた。女は光を向けられ、驚いたような顔をする。しかしすぐ怯えたようになにか言った。なんと言ったんだ? 言葉は聞き取れない。なにか、ごちゃごちゃした言葉だった。ごみ屋敷のごみがごみになったら大変だ、というように聞こえたが。すこし間を置いて、あたり一帯に響き渡るような大声。
「おはようございます、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい!」
耳を劈くような声だ。部長か仲本が悲鳴のような声をあげる。おれも反射的に耳を塞いだ。
懐中電灯の光のなかで、女はきょとんとした顔をしている。そして、またなにか言った。ごみ問題についてごみごみした人混みのなかで五味大臣とこみ入った話で盛り上がる? しばらく置いて、また張り裂けるような声。
「ごきげんよう、本日はお日柄もよく、ごめんあそばせ!」
部長と仲本がこちらへ逃げてくる。さすがの木下も、望遠鏡を置いて、なぞの女から距離をとった。女は、それが信じられないという顔で口を開く。おれは慌てて言った。
「もうわかった、わかったから、その大声はやめてくれ。普通に話せば聞こえる」
女はしばらく耳を澄ますような顔をして、不意に笑顔になった。すたすたと近づいてくる。仲本が最初に逃げ、部長はおれの背中を押してから逃げた。裏切り者め。女はおれの前で立ち止まる。なにか言おうと口を開いた。この距離であの大声は堪らない。おれは耳を塞ぐが、聞こえてきたのは普通の声だった。ごみがごみってごみなればごみなる、と最初は聞こえたが、続いて、日本語が聞こえる。
「はじめまして。わたくしは宇宙人です。はじめまして」
どことなく硬質な印象の声だった。平坦、というべきか。それに、最初のごみごみした言葉とはすこし声がちがう。
それにしても、宇宙人だって? 例の震えたような声ではないが、たしかに女は、わたしは宇宙人だ、といった。丁寧にはじめましてをつけて。二回も言った意味はわからない。
「高市」と離れたところから、部長。「なんて言ってるの」
「わたしは宇宙人です、だって」とおれ。「なんだか、宇宙人みたいですよ」
「宇宙人?」と仲本。「本物ですか。あの、何型ですか。グレイ型? ウェルズのタコ型? ホーガンの機械型?」
「人型に見える」
どう見ても、人間の女だ。おれは懐中電灯で足下から照らしてみる。見ると、裸足だった。くるぶしがあり、白い膝。光沢のある銀色のワンピースを着ている。手足は細く、髪は薄い茶色で腰まである。目はふたつに鼻と口はひとつずつ。耳もふたつある。いや、耳は四つだ。顔の両側にひとつずつと、頭の頂点に、白いふさふさした毛の生えた大きな耳がふたつある。うさぎの耳のようだ。卑猥な写真かビデオで見たことがある、コスプレというやつかもしれない。しかし髪になにかつけているような様子はなく、見れば見るほど、うさぎの耳は直に生えているように思える。
女は、にこにこと笑ったままだ。おれがじっくり観察しても嫌がる様子もない。意味のわからない笑顔ほど怖いものはない。とくに、女性のそれは恐ろしい。
「強いていうなら、銀色だし、グレイ型かな」とおれ。「目も大きいほうだ」
「UFOは」と仲本。「そのあたりに着陸していませんか。アダムスキー型かなにか」
「いや、見えないけど。それにしても、本当に宇宙人なのか」
「そのとおりです」女は言った。例の、ごみごみした言葉のあとに、日本語で。「わたくしは宇宙人です。こんにちは」
「それは、なんというか」おれは困る。「おい、仲本、こういうときはなんて答えるのが正しいんだ」
「なんですか」
「わたしは宇宙人だ、と言っている」
「われわれは地球人だ、と答えてください」
本当かよ、と思いつつ、おれは女に言った。
「そっちが宇宙人なのは理解した。こっちは地球人だ。地球人。わかるかな」
「地球人!」女はなぜかよろこぶ。「はい、はい、あなたは地球人。わたくしは宇宙人」
「どうですか、先輩」と仲本。
「どうもコミュニケーションは成立しているらしい。地球人と聞いて、よろこんでいる。危険には見えない」
恐る恐る、仲本が近づいてくる。部長はその背中に隠れながら、疑わしそうな顔つき。木下は、もう興味をなくして、また望遠鏡を抱えて土星探しを再開している。
「木下、こっちこいよ。宇宙人だぞ」
「興味ないよ」木下は言った。「普通の宇宙人だろ。土星人、というなら多少興味も沸くけど」
普通の宇宙人か。なんだか奇妙な言葉だ。
「先輩、大変です」仲本がおれの腕を引っ張る。「この宇宙人、何型でもないですよ。新種です。人間っぽいけど、耳がある」
「そりゃあ、耳はあるでしょうよ」と部長。完全に及び腰だ。
「それにしても、本物の宇宙人かな。ただ耳をつけた人間に見える。あんたは本物の宇宙人なのか」
おれが聞くと、すかさず、仲本が背中を叩いた。
「言葉に注意してください。もし相手が怒ったら、それこそウェルズの小説みたいに、侵略されちゃうかもしれませんよ。地球文明と地球外文明のファーストコンタクトなんですから、友好的にやらなくちゃ」
「そりゃそうだけど、どうしたらいいんだよ」
「笑顔です。笑顔で対応してください」
「逆効果じゃないの」と部長。
「失礼な。おれだって笑顔くらいできますよ」
それよりも、おれの後ろに隠れてなにやら囁いている仲本たちのほうが悪印象ではないんだろうか。おれなら、なにをこそこそしているのか、と思うが。しかし女は、宇宙人の女は笑っている。にこにこと、まるでばかみたいに。本当にばかなのかもしれない、と思う。宇宙人だからといって、ばかではないとはかぎらないではないか。人間にもばかがいるように、宇宙人にだってばかはいるだろう。ばかの定義はちがうにしても。
おれは自分でもやったことがないほどの笑顔を浮かべて、再び訊く。
「あなたは本物の宇宙人なのか。それともただの変わった人間なのか」
宇宙人は、ごみがどうのこうのという。そのあとから日本語。
「偽物の宇宙人、というものがいるのですか。わたくしは本物の宇宙人ではないのですか」
「おれに訊かれても知らん」
「先輩」と仲本。
「わかったよ。あなたは宇宙からやってきたのか」
「宇宙からやってきました」宇宙人は言う。「ですから、宇宙人なのです。こんにちは」
おれは振り返って、仲本に訊く。
「宇宙人は随所に挨拶を詰め込んでくるものなのか」
「さあ。そういう宇宙人もいるかもしれません」
「挨拶は返したほうがいいのか。こんにちは、と」
それが聞こえたのか、宇宙人は大きな声で、こんにちは、と言った。ずいぶん楽しそうに。なんだかずれている。それで、本当に宇宙人かもしれない、という気になる。それか、相当に変わった女だ。まともな宇宙人か、相当変わった女か。どちらがいいかといわれれば、むずかしい。まともな分、宇宙人のほうがいいような気もする。いい、というのは、まし、ということだ。本当はまともな女というのがいちばんいい。そう考えると、なかなかの美人だ。宇宙人としてはどうなのだろう。美醜感覚は、やはりちがうんだろうか。
「偽物よ、そんなの」と、おれの後ろに隠れる仲本の後ろに隠れている部長が言った。「本物の宇宙人なんて、いるわけないわ。考えてみなさい。太陽系からいちばん近い恒星はプロキシマ・ケンタウルだけど、それでさえ四光年も遠いのよ。一光年は光速で一年かかる距離だから、光速、つまり秒速約三十万キロメートルで四年、いま有人で実現可能な速度は秒速十キロ程度よ、これじゃあ何万年かかるか。もちろん太陽系には宇宙人なんて存在しないんだから、すくなくとも四光年以上の距離を渡ってこなくちゃいけないのよ。そんなこと、できるはずがないわ」
「わたくしは宇宙人です」と宇宙人は言った。「証拠をお見せいたしましょう」
「証拠ですって?」
「これです。これが、わたくしが宇宙人だという証拠なのです」
いんちきくさい手品師のようだと思いながら、おれは女が差し出したものを見る。手のひらに乗る程度の石だ。表面はごつごつとしていて、岩の欠片といったほうが正しいかもしれない。表面は灰色で、懐中電灯を当てるとちいさな粒子が光って見える。
「なんだ、これ」
「隕石じゃないですか」と仲本。「別の星の石ですよ」
「そのとおり!」宇宙人は叫ぶ。「これは別の星の石なのです」
「ただの石でしょう」と部長。「どこにでもあるわ、そんな石」
「これは別の星の石なのです」宇宙人は石をおれに突きつける。「これは別の星の石なのです」
「わかったよ。なんだ。持てってことか」
試しに、受け取ってみる。予想は当たっていたようで、女はうれしそうに手を引いた。見た目よりも重たい石だ。鉄の塊のように、ずっしりしている。
「たしかに隕石っぽいな。本物の隕石は見たことないけど」
「じゃあ、隕石なのよ」あくまで部長は否定する。「地球上には隕石なんていくらでもあるわ。博物館にいけば、売ってるところまであるんだから、手に入れるのは簡単よ。南極や北極ではいまでもたくさんの隕石が見つかっているし」
「でも、隕石ならもっと表面がなだらかになっているんじゃないですか」とおれ。「ほら、大気圏の突入で熱くなるから。こんなにざらざらはしてないでしょ」
いらないことを、という顔で、部長。
「とにかく、わたしは宇宙人なんて信じないわ。絶対に。科学的じゃないもの」
「目の前にいるのに?」
仲本は言う。それなら、前に出て自分で対峙すればいいのに、相変わらずおれの後ろに隠れたままだ。なにかあったらすぐに逃げられるような体勢。ひどいやつだ。後輩思いでない先輩と、先輩思いでない後輩の相手をするのは疲れる。
「最後の手段よ」と部長は小声で言った。「これは集団催眠なのよ。わたしたちは同じ幻を見ているんだわ」
「たしかに最後の手段だな」とおれ。「そう言われれば、否定は絶対にできない」
「明日になればわかるわ。これは夢なのよ。目が覚めれば、宇宙人なんていなくなる。そうに決まってる。だって宇宙人なんか存在しないんだから」
目の前で、おまえなんか存在しない、といわれても、宇宙人はにこにこ笑っている。おれたちの言っていることがわからないわけではないのだろう。問いかければ、返事はする。多少的外れではあっても。
おれは隕石を返そうとしたが、女はゆっくり首を振った。
「贈り物です。出会いの記念にさし上げます」
「いや、いらないよ、こんなもん。部屋に置いとくと、また妹に怒られる」
ごみを拾ってきて、といやな顔をする妹が目に浮かぶ。妹に、それは宇宙人からもらった隕石なんだといっても通じないだろう。
「仲本、部屋に飾るか」
「え、じゃあ、そうします」
「重たいぞ。気をつけろよ」
仲本は隕石を受け取り、その表面を撫でまわす。にやにやしている様子は木下にそっくりだ。その木下は、再び土星を見つけたらしく、望遠鏡を覗き込んだまま動かない。
「木下、UFOは見えるか」
「土星の輪なら見えるよ」
「それ、実はUFOじゃないのか」
「やめてくれ。そんなくだらないものじゃない。土星というのは、太陽系の惑星でもっとも多くの衛星を持つすばらしい惑星だ。あんな乗り物といっしょにしないでくれ」
「わたくしの乗り物なら」と宇宙人は頭上を指さした。「もう宇宙へ戻りました」
「あんたひとりだけ降りてきたのか」
「そのとおりです。わたくしひとりだけ降りてきたのです。仲間たちは上にいます」
こんな宇宙人が、最低でもまだ何人かいるわけだ。全員が降りてきたら大混乱だろうなと思うが、この女がいる時点で大混乱だといえばそのとおりだった。まだだれも気づいていないのかもしれない。おれたち以外は。しかし、気づけば、一気に広まるだろう。おれもテレビに出るかもしれない。最初に宇宙人と接触した地元の少年、とかいって。見ているときは、悪いことをしているわけでもないのにモザイクとは、と思っていたが、実際にそうなってみると顔を出すのはやや恥ずかしい。やはりモザイクをかけてもらおう。声は変えなくていい。あれはみっともない。
ところで、と宇宙人は言った。
「みなさんはここでなにをしていらっしゃるのでしょうか」
「天体観測」とおれ。「星を見ていたんだ」
「星を!」宇宙人、驚いた顔。「星を見ていたのですか。それは、それは。今日はあの、あれが、よく見えます」
あれ、と宇宙人がいうのは、どうやら月のことらしかった。たしかに今日はよく見える。おかげで天体観測にはあまり適していない。月が明るすぎると、周囲の星が見えなくなる。近いうちに極大を迎えるジャコビニ流星群も、月が明るすぎると見えづらい。まあ、どちらにしても派手な流星群ではないから、ぼんやり気長に待つのがいいのだろうが。
「そういえば、いま何時かな」おれは腕時計に目をやる。「もう十時だ。そろそろ帰らないとまずいな」
「え、もう十時ですか」と仲本。「どうしよう。九時半が門限なのに」
「宇宙人がきて遅くなった、といえば許してくれるだろう」
「先輩はすぐそうやって適当なこと言うんですから。あの、部長、いっしょに言い訳してくれません?」
「別にいいけど」と部長。「それじゃあ、そろそろお開きにしましょうか」
「宇宙人は、どうする」
「勝手にきたんだから、勝手に帰るでしょう」
それもそうだが、とおれ。宇宙人はきょとんとした顔をしている。
「木下、お開きだって」
「わかってる」木下はぴくりともしない。
「ほら、帰るぞ。いつまでもにやにやすんなって」
「もう二分」
「だめだ。帰るんだよ。おまえのところも門限は十時だろ」
「宇宙人がきたから、と言い訳するよ」
「おまえはぜんぜん気にしてないだろうが」
木下の首根っこを掴むようにして、望遠鏡から引きはがす。木下は渋々望遠鏡をしまった。仲本と部長は、もう展望台から下へ降りようとしている。おれは宇宙人に、
「隕石、ありがとな。じゃあまた」
「おお、さよなら、さよなら」
宇宙人は笑顔で言った。なんでも二度繰り返すのが宇宙人流なのかもしれない。
それにしても、星を見にいって、宇宙人を見つけるとは。それも頭からうさぎの耳を生やした宇宙人だ。いまだかつてだれも見たことがなく、おそらく想像すらしていない新種の宇宙人。それか、変な女。こういう日は日記のネタにも困らないんだけどな。圧倒的になにもない日が多いから、日記はつけていない。今日のこともそのうち薄れて、年寄りになったころには孫に「おじいちゃんは宇宙人と話したことがあるんだぞ」と自慢するようになるのかもしれない。そしたら、仲本か木下に頼んでそれがうそじゃないことを証明してもらおう。部長は年上だから、そのころには死んでいるかも。いや、一歳年上なだけだ。まだ生きているだろうが、おれよりは年寄りになっている。あてにはならない。
展望台から、階段を降りる。ふと展望台を見上げると、まだ宇宙人はこちらを見ていた。手を振ると、振り返してくる。人懐っこいような、奇妙な宇宙人だ。だからこそ宇宙人なのかな。そんなことを思いながら、おれは家に帰った。