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「ふんふん、ふんふんー♪」
「はぁ、何かご機嫌ですね理恵子姉さん」
「ふふん当たり前よ、今日は透利くんの初登校なんですもの」
早朝、理恵子姉さんは鼻歌を交えながら俺の制服のしわを確認していた。
「よしっ、おっけー。うん、透利くんカッコイイわよ」
「どうもです」
どうして俺がこんな状況になっているかというと、俺が学校へ行くと宣言した翌日にはもう理恵子姉さんは学校に入学できる手続きを終わらせていて、もうあと一月ちょっとで夏休みに入るというのに入学することとなったのだ。
俺はてっきり2学期の始まり、つまりは9月くらいから入学するもんだと思っていたから、入学案内や学生証を持ってきた日には思わず声をあげて驚いた。
しかしこんな変な時期に入学する奴なんているのだろうか?
理恵子姉さんは『学校のみんなと仲良くなる為にはなるべく早いほうがいいでしょ?』なんて言っていたけど、この時期だったらもうある程度仲のいい奴が数人ができて、だいたいクラスの中でいくつかの派閥というかグループができているはずだ。
そんな中によそ者の俺が行ったところで一匹狼が関の山だと思うんだけどなぁ……。
まあどの道遅かれ早かれ入学はすることになっていたから構わないけど、もう少し心の準備をする時間が欲しかった……。
しかし独りになれるというのは今の自分にとっては好都合かもしれない。
なぜなら今の俺には他人と仲良くなるなんて到底無理だと思うから……。
引き籠る前の経験がそれをさせない。
あの時、俺は他人に対する信頼というものを根こそぎ奪われた。
それは思った以上に大きい。
他人を信頼できないというのは、やや極端な表現になるかもしれないけど初対面の人全員が敵みたいなもんだ。
ある種、対人恐怖症と言ってもいいかもしれない。
知らない人と接すると思うとゾッとするし胸が締め付けられる。
実際に俺は今日までに日を増すごとに、鬱になっていったし、頭痛がしたり、お腹の調子も悪かったりと、気負うあまり体調まで崩していた。
『他人と接するぐらいなんだよ』と思うかもしれない、でも俺にとってそれは何よりも難しいことのように思えた。
だから自分に言い聞かせるように、あることを決意した。
独りでいよう。
あくまで高校を卒業する事を第一目標として、大学まで進んで職を身につけ、独りで生きていけるようになろうと。
もちろん、こんな考えは理恵子姉さんは望んでないだろうし、自分も本当はそんな考え方で学校に行きたくなかった。
だけどそうでも考えていないと、とてもとても学校に行きたいないという自分を抑えることができなかったし、脆い心がきっと耐えきれなかっただろうと思う。
ともかく俺は多くの不安や後悔を抱えながらも、村に唯一の高校である三城高校へ入学することとなったのだった。
◇
浮かない表情を浮かべながら、学校までの坂を上る。
1足1足ごとに重くなっていく足をなんとか動かしながら。
ほとんど下を向きながら歩く。
たまに進行方向を確認するときに目に入る同じ時間に登校している奴らを、どこか景色のように捉えることでなんとか自分を落ち着かせていた。
目も合わせていないのに全員に見られている気がする。俺の事をこそこそ言っている気がする。
そう気がするだけ。たぶんというか確実に俺の思い込み……。
でも久しぶりに外の世界に出た俺は、まるで自分が動物園の猿のような見世物になっている気分だった。
背中にじっとりと汗を掻きながら、ようやく校舎が見えてきた。
山の中に建っている三城高校はなんというかイメージどおり、田舎の学校って感じだった。
都会というか世間一般でいう校舎と違ってコンクリートではなく木造で、グラウンドも狭くなく、よくありそうな野球部とサッカー部が場所を取り合うよなこともない、広大なグラウンドがそこにはあった。
なんというかテレビとかアニメとかでしか見たことがなかったから実物をみると圧巻って感じだった。
そうやってしばらくぼけーっと校舎を眺めていると急に視界に何かが割り込んできて、そして声がかかった。
「あのー、どうかされましたか?」
「えっ?」
はっと我に返って、正面をみると白を基調としたセーラー服を着た少女が立っていた。
「校門の所にぼーっとしていらしたようなので声を……あら? 初めて見るお顔ですわね」
そう言って少女は頬に手をを持って行き、首を傾げながらはてというような顔をした。
いきなり声を掛けられてびっくりした……。
てかさっきから黙ったままだ。なにか返答をしないと……。
「ああ、えっと、俺は――」
「あっ、わかりましたわ。今日来ることになっている転校生さんではないでしょうか?」
「え……?」
は? 何で知ってんだ……?
俺が普段見ない顔ぶれだったからかとかか?
登校してからいきなりのアクシデントに付いていけず、思わず固まってしまう。
「あの、大丈夫ですか? 先ほどからお話しなさらないようですけど……。どこか具合でも悪いのですか?」
固まっている俺を具合が悪いと勘違いしたのか、目の前にいる上品な雰囲気の少女は心配そうな顔をこちらに向けてきた。
「い、いや……大丈夫」
「そうですか? でも本当に具合が悪いなら言って下さいね? 保健室まで案内致しますから」
『いや、本当に結構だから』と素で言いそうになるのを押しとどめた。
いくら知らない奴とはいえ、心配してくれる奴にそんな事を言うのは流石に憚かられた。
「えっと、そういえばどうして校門の前に立っていらしたんですか?」
「いや……校舎を見ていただけだよ」
「私達の学校の校舎を……ですか? どこかおかしなところがありましたか?」
「いや別に、ただ木でできてるのが珍しかっただけ」
「木でできているのが……ですか? 私は珍しいとは思ったことはありませんけれど……。あの、もしかして貴方様は都会育ちなのですか?」
貴方様って、初めて聞いたよそんな言葉。どこのお嬢様だよ……。
「一応そうだけど……」
「まぁ、そうなんですか!? 羨ましいですわぁ……」
さっきまで何処かのご令嬢のような雰囲気がいきなりガラリと変わる。
適度に空いていた俺と少女との距離が縮まり、まるで何に対しても興味を持っている子供のようなキラキラとした目をこちらに向けてくる。
「あ、あのコンビニというものがあるのは本当なのでしょうか!? それに高層ビルという山ぐらい高い建物があったり、目に収めきれないほどの多くの人がいるのですか!?」
「あーえっと……」
いきなり何なんだこいつは……?
ていうか近い近い! あとそんな純粋な目でこっち見るな! 対人恐怖症の俺にはキツ過ぎる!
そんな視線に耐えられなくなった俺は、視線を逸らしながら何か話題を変えようとまったく関係のない話をすることにした。
「あー職員室教えてもらっていい? このままだと立ちぼうけだし……」
それといい加減衆目がキツい……。
そりゃそうだろう、こんな校門付近で話をしている男女がいたら誰だって目を向けたくなるもんだ。
「へっ? ああっ! 申し訳ありません……。私ったらつい興奮してしまって……。職員室でしたね、はい、教えるといいますか、案内致しますね」
「え? ああ……よろしく」
「はい、ではこちらに」
◇
「はぁ……」
まだクラスもわかっていなかったから、取り敢えず来賓用の下駄箱に靴を入れ、スリッパに履き替えつつ溜息を吐いた。
成り行きとは言えやっぱり初対面の奴と話すというのは、緊張感がずっと続いているような感じで疲れる。
「あ、そういえば先ほどは有耶無耶になってしまいましたが、今度都会のお話聞かせてくださいね」
「え? 今度?」
「はい、貴方様がお暇な時でいいので是非お願いします」
だからキラキラした目をこっちに向けてくるのを止めてくれ……。
ほんと今の俺には辛いんだって……。
そんな目から早く逃れたい思いで、普段なら即断るような話に了承していた。
「わ、わかった、わかった。今度な……」
「はいっ」
曖昧な返事ではあったものの、俺の返事に満足したのか少女は笑顔を浮かべた。
一瞬ドキッとさせられたが、少女の『では、付いて来てくださいね』という言葉で我に返り、おとなしく付いて行くことにした。
案内されている途中、初めての場所でキョロキョロするのも嫌だった俺は視線を向ける場所に迷い、『はぁ……』と溜息を1つ吐きながら隣にいる少女を見た。
綺麗なつやのある黒く長い髪を青い紐で緩く縛っている。
背は165、6cmぐらいだろうか。
きらきら光る紫色の瞳に長いまつげ。
柔和な印象を受ける顔立ちをしている少女をすこし大人に見せるように左目のしたに泣きぼくろがある。
スタイルもよく、一部が大変成長してらっしゃる。
そう制服を押し上げるほど自己主張するやわらかい物体が――、
「――あの、着きましたよ?」
「ああ、悪い! ぼーっとしてた!」
少女から言われてはっと気が付くと、職員室と書かれたプレートが付いているドアの目の前だった。
「えっと、大丈夫ですか?」
「あ、ああ大丈夫……」
「それならいいのですが……。 では、貴方様の担任の先生を確認してきますね」
「よ、よろしく」
あ、あぶねぇ……胸見てたことばれる所だった。
入学早々スケベ高校生の烙印を押されるところだった……。
まあそんな話は置いといて、ほんと親切な奴だよな……こんな見知らぬ奴にここまでしてくれるなんて。
ほんと“いい奴”だよ……。
しばらく職員室の前で待っていると少女がジャージを来た20代くらいの女性を連れてきた。
「すみません、お待たせ致しました。こちらの方が高梨麻奈先生といいます」
「あんたが転校生かい? あたしはあんたの担任ね。まあ何か困ったことがあったら遠慮なく頼ってくるといい」
「は、はぁ……」
「な~に情けない声を出してんのさ、ほら、シャキっとする!」
そう言うとやけに男らしい口調の高橋という俺の担任の女性は、俺の背中を容赦なくばしばしと叩いてきた。
「イタっ、いたたっ!!」
「ははっ、これで元気がついただろ? わざわざ祇乃村もありがとう」
「いえ、そんなお礼を言われるほどではないですよ。偶然校門で会っただけですわ」
「そうなのか? ははっ、まあなんでもいいさ」
そんなやり取りをしていると、どの学校でもお馴染みのチャイムが鳴り響いた。
「っともう時間か。ほら祇乃村もホームルームはじまるから急ぐ急ぐ」
「そうですね、では私はこれで。高梨先生、後はよろしくお願いしますね」
「任かされた」
「では――」
そういうと祇乃村という少女はこちらに一度会釈をして教室の方へと歩いて行った。
「さてと、南城。お待ちかねの教室に向かうか」
「え、俺の名前覚えてるんですね」
「そりゃそうさ、担任だし、一年親御さんから預かる身だし。これくらいのことは当たり前だろ?」
俺を安心させる為なのか、高橋先生はポンと俺の肩に手を置くいた。
「南城のクラスは1年1組な。まあ最初はいろいろと不慣れなとこがあるかもしれないけど、あたしもサポートするし、すぐに慣れると思う。それと授業だけど教科書が机の上に届いているはずだからそれを使うといい。あと……」
高梨先生は今までのどこか軽い体育教員てきなノリの雰囲気から一転して真面目な顔になると、
「“前”の学校のことはいろいろ聞いてる。別にそのことに関して南城に深く聞いたり、どうこうしたりするつもりはない。ただ……」
「っ……」
そういうと高橋教員は俺の顔をじっと十数秒見つめた後、にかっと笑って。
「今を楽しめ!」
「は……?」
「学生なんだ。もちろん辛いこともある。だけど今しかできないこともあるし、友達やクラスの連中とたまにはハメを外してバカ騒ぎするのもいい、恋愛して青春を謳歌するもいいさ。だから今を、悔いの残ることのないよう楽しむがいい! 以上!」
「な、な……」
俺は驚いて声が出なかった。
真面目な顔をしたからてっきり、「気にすんなよ」とか「大変だったね……」とか同情の言葉が出るもんだと思っていた。
それがいきなり『楽しめ!』だなんて、この先生なに考えてるんだ……!?
「うん、うん。驚いたって顔してるね、あたしはそれが見たかったのさ。さて、時間も時間だし行こうか南城」
「あ、あの」
「うん?」
「変じゃ……ないですかね?」
「何がだ?」
「18の俺が一年から始めるのがです」
高橋先生は一瞬目を丸くして驚いた顔をしたかと思うと、どこか得意げな顔になり、
「な~んだそんなことか」
「いや、そんなことって……」
「人生たかが18。2、3年違ったぐらいじゃ大して変わらない。やり直すのは何時だって遅くないもんさ。それに高校一年だったらあたしのほうがもう2年上だったよ」
「は……?」
「さーて、クラスに行こうか。ほら、ぼけっとしないで行くぞ」
「は、はい」
俺はその時どんな顔をしていたのだろうか。
予想外な言葉に驚いた顔しか出来なかったように思う。
だけど……ほんの少しだけ、ほんの少しだけ心が軽くなったような、そんな気がした。
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