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「無能巫女と蔑まれ追放されましたが、月読命に溺愛されて最強になりました」  作者: 月代


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5話 月は満ちる

 天御柱神社を後にした千歳が朝霧村に戻ると、村の入り口ですずが待っていた。


「おねえちゃん、おかえり!」


 すずが小さな体で千歳に飛びつく。千歳は笑ってすずを受け止め、くるりと回った。


「ただいま、すずちゃん」


 その後ろから、村の人々が次々と顔を出す。


「千歳さん、お疲れさまでしたなあ」

「天御柱さんの方はもう大丈夫かい」

「無事で何より。ほれ、汁粉作って待っておったぞ」


 温かい声に迎えられて、千歳の胸がじんと熱くなった。


 ――ああ、帰ってきた。


 たった十日しか暮らしていない村なのに、「帰ってきた」と思えることが、何よりも嬉しかった。


 ◇ ◇ ◇


 天御柱神社での一件は、瞬く間に広まった。


 追放された無能巫女が、名だたる神職すら手に負えなかった御神体の暴走を単身で鎮めた。その噂は近隣の村々を越え、やがて各地の神社にまで届いた。


 千歳のもとに、少しずつ相談が寄せられるようになった。


「裏山の祠から変な音がするんじゃが……」

「うちの井戸の水が急に味が変わって……」

「子どもが夜な夜なうなされて、おかしなことを言うんです……」


 そのどれもが、忘れられた小さな神々にまつわる異変だった。千歳は一つひとつ丁寧に足を運び、祈りを捧げ、神々の声を聴いた。


 荒ぶる神は鎮め、寂しがる神には名を贈り、弱った神には力を分けた。


 いつしか千歳は、こう呼ばれるようになった。


「朝霧の神和(かんなぎ)様」


 颯真の耳にも、当然その評判は届いていた。


「……神和、か」


 社務所の窓から、颯真は曇り空を見上げた。


 千歳が去ってからの天御柱神社は、表面上は平穏を取り戻した。御神体は鎮まり、結界も修復された。倒れていた巫女たちも無事に目を覚ました。


 だが、颯真の胸中は穏やかではなかった。


 ――あの光を見てしまった。


 千歳が本殿から出てきた時の、あの金色の光。千年の歴史を持つ御神体が、千歳の祈り一つで鎮まった光景。それは颯真がこれまで学んできた神職の知識を、根底から覆すものだった。


「俺は何を見ていたのだろうな」


 測定器に出ない力。数値にできない祈り。それを「無」と断じて切り捨てた自分の愚かさが、日を追うごとに重くのしかかる。


 追放したのは自分だ。穢れだと言ったのも自分だ。

 そして千歳は、それでも神社を救いに来てくれた。


「……俺には、あんな真似はできん」


 颯真は机に突っ伏した。積み上げられた書類の山が、がさりと崩れる。


 あの日以来、天御柱には千歳の力添えなしに結界を維持するだけの力が残されている。千歳が最後に張り直した結界は、それほどまでに強固だった。だが颯真は知っている。千歳がいた頃の神社は、結界の強さなど関係なく、もっと根本的に満ちていた。


 御神体に毎朝祈る千歳の姿。境内を丁寧に掃き清める背中。参拝者に向ける柔らかな笑顔。


 あの一つ一つが、この場所を神域たらしめていたのだと、今なら分かる。


「――取り戻せるはずもないか」


 颯真の呟きは、誰にも届かなかった。


 ◇ ◇ ◇


 朝霧村に満月の夜が訪れた。


 千歳は村外れの高台に立っていた。眼下に広がる棚田が、月光を受けて銀色に輝いている。風が稲穂を撫で、さわさわと優しい音を立てた。


「美しい夜だな」


 背後から、月光と共にツクヨミが降り立った。もう十度目の逢瀬になるが、千歳の心臓はいまだに跳ねる。


「ツクヨミ様。今夜のお月様、とても綺麗です」

「月は毎夜同じだ」

「でも、今夜は特別に綺麗に見えます」

「……ならば、お前がそう感じる今夜が特別なのだろう」


 ツクヨミは千歳の隣に立ち、同じ景色を見下ろした。銀の髪が夜風に揺れ、月光を纏ったその姿は、一幅の絵のようだった。


「千歳。天御柱での一件、見事だった」

「ありがとうございます。でも、ツクヨミ様が力を貸してくださったおかげです。昼間なのに、ちゃんと力が届いてきて……」

「昼であろうと夜であろうと、月は常に在る。見えぬだけだ」


 ツクヨミが千歳に向き直った。金の瞳が、いつになく真剣な光を宿している。


「千歳。お前に伝えねばならぬことがある」

「……はい」

「お前の力が目覚め、評判が広まったことで、動き始める者たちがいる」


 千歳は息を呑んだ。


「お前は知っているか。この国には、表の神社の他に『裏神道(うらしんとう)』と呼ばれる者たちがいることを」

「裏、神道……?」

「神の力を己の欲のために利用しようとする者たち。古の時代から影に潜み、神和の力を狙い続けてきた」


 ツクヨミの声に、冷たい怒気が滲んだ。


「千年前の神和は、奴らに殺された」


 千歳の全身から血の気が引いた。


「殺された……?」

「神和の力を奪い取ろうとして、結果的に殺した。あれ以来、我は人の世との関わりを断った。二度と同じ過ちは繰り返させぬと」


 だから千年もの間、月の中で一人待っていたのか。千歳の胸が痛んだ。


「ツクヨミ様……」

「心配するな。千年前とは違う。今の我には、お前を守る十分な力がある。それに……」


 ツクヨミが、珍しく言葉を選ぶように間を置いた。


「お前には仲間がいるだろう」


 千歳は目を瞬いた。それから、ふっと笑った。


「はい。コハクも、すずちゃんも、村の皆さんも。翠嶺の神様も」

「……我もだ」


 ツクヨミが小さく付け加えた。


「え?」

「聞こえなかったか」

「いえ、聞こえました。聞こえましたけど、もう一度言ってほしいなって」

「調子に乗るな」


 ツクヨミが僅かに目を逸らした。月光のせいか、その頬がほんの少し色づいて見える。


 千歳はくすりと笑った。この月の神が、こんな風に人間くさい一面を見せてくれることが、たまらなく嬉しい。


「ツクヨミ様」

「何だ」

「怖い人たちが来ても、私、逃げません」


 千歳は真っ直ぐにツクヨミを見上げた。


「だって、私が逃げたら、小さな神様たちがまた忘れられてしまうから。この村の人たちが困ってしまうから。だから――」


 千歳は胸に手を当てた。


「私は神和として、ここで生きていきます。ツクヨミ様のお力を借りて、コハクやみんなと一緒に」

「……」


 ツクヨミはしばらく無言で千歳を見つめていた。その金の瞳に、複雑な感情が去来する。千年の孤独を経て、ようやく出会えた存在。その存在が、危険を承知で前を向いている。


「――好きにしろ」


 ぶっきらぼうに言い放って、ツクヨミは千歳から目を逸らした。だが、その右手がそっと千歳の頭に乗せられた。


「ただし、無茶はするな。お前が傷つけば、月が翳る」

「翳る、というのは比喩ですか?」

「比喩ではない。文字通りだ」

「ええっ!?」


 千歳が慌てると、ツクヨミの口元が微かに緩んだ。笑った、と気づくのに一瞬かかるほど微かだったが、千歳は見逃さなかった。


「あ、今笑いましたね」

「笑っておらん」

「笑いました」

「黙れ」


 高台に、穏やかな夜風が吹いた。


 高台の草の上で丸くなっていたコハクが、薄目を開けてその光景を見守っている。


「……やれやれ。主人の恋路を見守るのも使い番の務めか」


 ぼそりと呟いて、コハクは尾で顔を隠した。


 ◇ ◇ ◇


 その夜更け。千歳が眠りについた後、ツクヨミは一人、月の高みから地上を見下ろしていた。


 遥か東の空に、不吉な気配が蠢いている。


「動き出したか」


 ツクヨミの金の瞳が、鋭く細められた。


「裏神道が嗅ぎつけたな。神和の復活を」


 闇の中に、複数の気配が蠕動している。一つや二つではない。千歳の力が各地に知れ渡ったことで、長い眠りから目覚めた者たちがいる。


「させぬ」


 ツクヨミの声は、夜の静寂を切り裂くほどに冷たかった。


「千年前と同じ過ちは、繰り返させぬ。この命に代えても――」


 月が、煌々と輝いた。


 朝霧村を守るように、銀の光が降り注ぐ。

 その光の中で、千歳はすずの隣で穏やかな寝息を立てていた。


 神和としての千歳の物語は、まだ始まったばかりだ。


 忘れられた神々を救い、人と神の絆を結び直す旅。

 月の神の庇護の下、白狐を伴い、小さな村を拠点にして。


 やがてその名は、八百万(やおよろず)の神々の間にも広まっていく。


 ――千年に一度の神和、朝霧千歳。


 人の世に、神の世に、その祈りが届かぬ場所はない。

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