第一話 錆びつく赤に緑を見る。
息切れの声、二人分の乾いた土を蹴る軽い音、そして爆撃。緊迫した空気の中で、エフィユは自分の命に変えても守らなければいけない対象の腕を引いて走っていた。
そんな少女二人を追うように、空中から放たれた閃光が世界を真っ二つに裂く。
「きゃっ!」
トエラは地の奥底まで焼くような轟音に、悲鳴を上げた。けれどエフィユは振り返らず、駅に停車している二両編成の機関車をひたすら目指す。無人に変わり、もう使われなくなった煙突からは煙ではなく記号的な水蒸気が昇っている。時刻通りに発車する列車は甲高いベルを鳴らした。
──アンブルド鉄道、アンブルド銀河循環線。まもなく発車します
録音式の音声が辺りに響き渡ると、規則正しく決められた動きを行う列車はゆっくりと動き始める。
エフィユは駅の石畳を踏みしめたところで、やっと振り返った。息を切らしているトエラを扉のない最後尾の乗車口へ勢いよく押し込む。トエラは這い上がるようにしてなんとか列車に乗り込んだ。
列車は徐々に動力を増し加速する。一号車の車輪はすでにレールを外れ、宇宙の虚空へ発とうとしていた。
「エフィユ、手!」
トエラは乗車口の手すりにつかまって、駅に取り残されているエフィユに向かって手を伸ばす。しかしエフィユはトエラの細い腕とまとう裾の長いワンピースを見て、首を横に振った。
「退いてください」
二号車の後輪がレールから離れようというとき、エフィユは小柄な体格と軍人らしい鍛えられた脚力で、駅に敷き詰められた石畳を蹴り上げた。軽い体は宙に浮かび、小さな手は列車の手すりをしかと掴む。そして車内へ転げ入った。
列車はさらに速度を上げ、エフィユの頭のシニヨンから零れた銀髪が風に煽られる。
トエラは驚くべき身体能力を前にさらに数歩後ずさりながらも、その場に膝をつくエフィユへ手を差し出す。
「⋯⋯ありがとう、エフィユ」
エフィユは目の前に伸びた手を見上げ、掴んだ。
「私は任務を遂行したまでです」
これから始まる二人の長い旅路の合図のように、列車が汽笛を鳴らす。
──ご乗車ありがとうございます。この列車はアンブルド銀河循環線です。次の停車駅は……ゾ―ヴィス、ゾ―ヴィスでございます。お立ちのお客様は速やかに座席へご着席ください
エフィユは紺の軍服についた土埃を払うと、車両を区切る扉を開いて列車内へ足を踏み入れた。中は列車が走る音だけが響いており、人は一人としていない。
トエラは臙脂色の短い毛羽の生地が張られた近くの座席へ腰を下ろした。エフィユはその向かいの座席に座る。
トエラはとうに小指の爪ほどの大きさになってしまった母星を静かに見下ろした。エフィユは彼女の顔色の悪い横顔を見、視線の先を追う。緑が美しかったウーシュは他星からの攻撃により土地が荒れ、茶色い星へとすっかり変わり果てていた。
「申し訳ありません。国王様と王妃様は助けられませんでした」
エフィユの謝罪に、トエラはまつ毛をわずかに震わせた。そしてすぐに口角を上げて笑顔をエフィユに見せる。
「いいのよ。あなたが駆けつけた時にはすでに敵の手が回っていた。エフィユのした決断は間違っていないわ」
「任務遂行できたのならよかったです」
エフィユに課せられた任務はウーシュの王女を守ること──トエラ・ウーシュの護衛だ。間に合わなかった国王と王妃は、きっとウーシュの土へと還るだろう。
「ところで、あなたはこのアンブルド鉄道の噂を知ってる?」
トエラは窓の外を一瞥してエフィユに尋ねかけた。エフィユは首を横に振る。
「わたしが知っているのは体術と銃の使い方だけです」
「そうね。国がそう育てたんだもの」
一瞬強張った声色にエフィユは首を傾げる。しかしトエラはすぐに取り繕って口を開いた。
「利用量の多いアンブルド鉄道の停車駅にはいろいろな感情が入り交じりになって記憶の残滓として残っているんですって」
「記憶の残滓ですか?」
「そう」
トエラはエフィユの深海のような色をした瞳を覗き込む。
「あなたの感情、取り戻せるかもしれないわ」
エフィユは軍服の下、腕に十年経っても未だ残っている注射痕を思い出した。エフィユが五歳のころ、孤児院に連れてこられたときにできたものだ。
「感情は大事なものですか? 私にはわかりません」
「少なくとも星間戦争のためにあなたが無理やり失わされたものだもの。わたしは元に戻せるなら戻ってほしいと思う」
「そうですか」
エフィユの手がトエラに握られる。トエラの手は温かかった。
──まもなくゾーヴィス、ゾーヴィスです。停車の際、車体が大きく揺れますのでご注意ください
トエラはエフィユの手を引いて、停車した列車から外へ出た。昼だというのに辺りは暗く、空からの光もわずかなため寒い。トエラは白い息を吐きながら空を見上げた。
「星が見えるわ」
「そうですね」
エフィユも同じように空を見上げて相槌を打つ。
ゾーヴィスはウーシュと同じアンブルド銀河に存在するが、違う恒星を軸に公転を行っている。ウーシュの昼は暉白に照らされていたので、明るく緑も生い茂っていたが、ゾーヴィスはまったく逆と言って過言ではない。赤暒と呼ばれる恒星は名の通り赤く光るため光の量が足りず、ゾーヴィスの気温はぐんと下がるのだ。
「地表に降り注ぐ紫外線の量が少ないから、ソーヴィス人はみんな肌も髪も真っ白らしいわ」
「今は誰かがこの星に住んでいる気配はありませんが」
駅を除いて様々な形をした建物は吹き荒んでおり、とてもここで人が暮らしているとは思えない。
エフィユの感想にトエラが頷く。
「ある時を境に赤暒が一定周期でフレアを起こすようになって、それ以来無人星になってるわ。寂しい星よね」
トエラの情報を聞き流しながら、エフィユは駅の欄干から身を乗り出す。レンガの壁は崩れ、欠片が強い風に推し転がされていた。
そのとき、エフィユは視界にノイズが走ったような気がした。
「……人が」
「どうかした? エフィユ」
見えた気がしたのだ。居ないはずのゾ―ヴィス人が。雪のような肌に、透き通るほどの髪を二つのおさげに編んでいる五歳ほどの少女だった。
エフィユはたたらを踏みながら振り返った。
「トエラ。今ゾーヴィス人が」
しかしトエラはそこにいなかった。エフィユは瞠目する。
「トエラ?」
代わりにそこには、先ほど見かけたのとそっくり容姿を持つ少女が人形を抱えて立っていた。
「やだ」
少女はどこか空を見つめて叫ぶ。
エフィユは目を瞬かせて後ずさった。しかしその瞬間、少女の視線の先に白い赤子を抱いた女性が現れる。女性は少女と同じようにおさげを一つに編んでいた。しかし表情は感情的になっている少女と違って緊張を抱えている。
「お願いよ。今日だけは言うことを聞いてちょうだい」
「いやだ!」
少女は駄々をこね、地団太を踏んだ。
「おうちをはなれるなんていや!」
「お願い、そうしないと私たちは死んでしまうのよ」
女性は疲れた素振りで少女の手を掴もうとする。しかし少女は伸ばされた手を避けた。
「それでもいや!」
エフィユの視界の端からぬっと、もう一つの影が姿を見せる。今度は男性のようだった。やはり真っ白な肌に白い髪をした男性が小さな少女を後ろから抱えあげると、少女は足をばたつかせてもがいた。
「やだやだ!」
「ごめんなあ。父さんたちも嫌なんだよ。でも大切なイナが死んでしまうのはもっと悲しい。イナもみんなが死んじゃうと嫌だろう?」
少女は「みんなが死ぬ」という単語に顔色を変えた。そして目の端に涙を溜めるとぐっと黙り込む。父親の腕の中で唇を噛んで、首に顔をうずめた。
四人の家族はアンブルド鉄道に乗り込む。名残惜しそうに、美しいレンガで彩られた街並みを眺めて。
エフィユは空を見上げた。通常は暗く光る赤暒が光を増して、丸いシルエットがフレアでぼやけていく。そして空はエフィユが見たことがないほど明るく輝いた。
「エフィユ!」
それは聞き慣れたトエラの声だった。我に返ったエフィユは瞬きを繰り返し、ぼやけた視界から脱した。
両手はしかと欄干を握り締めており、目の前に広がるのは寂びれた風景に戻っている。
「大丈夫?」
トエラの問いかけにエフィユはすぐに頷けなかった。
鼓動は戦闘の模擬練習を行ったときのように早く、手は銃を強く握りしめ続けた後のように震えている。何よりも、ただ立っていただけのはずなのに体の内側が熱く、表面は冷めきっていた。
トエラへ無意識に手が伸びる。そしてエフィユは彼女の袖をそっと掴んでいた。
「……エフィユ」
トエラの目はエフィユをそっくり映す。
「わたしが隣にいてあげる」
エフィユは口を開きかけた。しかし言うべき言葉も見つからず、再び唇を噤む。
「だから、あなたもついてきて」
列車のベルが鳴る。二人は飾りの水蒸気が昇っている飾りの煙突を見上げ、顔を見合わせた。
臙脂色の座席に二人が腰かけたころ、列車は見計らったように動き出す。エフィユはゆっくりと離れていくゾーヴィスをじっと眺め下ろした。暗く寂しい星が遠ざかっていく。
その表情は、母星ウーシュを見下ろしていたトエラと同じものだった。




