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第2章4 値段を読む少年

 朝の柔らかな光が差し込んでいる。窓を開けると、緑のにおいを含んだ新鮮な空気が流れ込み、気持ちがいい。

 服を着替え、食堂へと向かう。

 もうサラやダンは起き出して、朝食の準備をしている。


「今日は団体さんが泊まったからね。忙しいよ」

 サラが振り向いて、お皿を取り出す手を休めずにそう言った。


 パンを切って、水で喉に流し込む。

 私は朝の掃除担当だ。箒を持って外に出て、夜の間に溜まった落ち葉をかき集める。

 草を抜き、ゴミを拾い、入り口を掃いていると、食堂に向かう宿泊客の姿が見える。

「おはようございます」

 私は朗らかに声を掛け、再び掃除に戻った。


 それから、畑の手入れも任されているので、裏に回る。

「うーん、ハーブ畑。いいなぁ」

 とまり木亭では自家製の野菜も作っていた。夕食の添え物や賄い分程度なら、育てた方が効率がいい。ドアからひょいと出て摘んでしまえば済むからだ。

 水を撒き、育ち具合をチェックする。

 その時、声が掛かった。


「かおり! ちょっと手伝って」

 宿の看板娘、リサが呼んでいる。

「どうしたの」

「お兄ちゃんが戻ってきたんだけど、牛乳が売り切れていたんだって」

「あら残念」


 牛乳は生ものだ。先客の多さや牛の状態によって、そういうこともあるだろう。水不足や夏バテになれば、乳も出なくなってしまう。


「だから、朝食にはハーブティーを付けるって」

 手にはハサミを持っている。

 こういう場合にも対応できるのは、とても便利だ。


「どれがいいかしら」

 畑をざっと見回すと、ミントとローズマリーが目に入った。

 手早く摘み取り、エプロンを持ち上げて受け止める。

「これも入れよう」

 リサがレモングラスも刈り取った。


「じゃあ作ってくるね」

 そう言って両手いっぱいにハーブを抱え、バタバタと食堂へ走り去った。


 その後は屋内の掃除だ。

 モップで廊下を拭きながら顔を上げると、カウンターの向こうに掲げられた地図が目に入った。

 薄い板に描かれた素朴なものだ。


「ねぇシド」

 ちょうど通りがかったこの家の長男に声を掛ける。

「どうかした? かおりさん」

「この街――というか、この世界のことを、少し教えて欲しくて」


「ああ旅人、なんだっけ。ええとね」

 シドは地図にある、とまり木亭と書かれた赤い字を指さした。


「この街はメルナド。商業や織物なんかの製造業が盛んで、他の街から商人が集まってくる。大陸の主要街道が集まる要衝だから、各地からの荷物や情報が集まるんだ」

「だから色々な格好のお客さんで賑わっているのね」


 商人と言っても、商会の名前の入った帽子を被った人、ゆったりとしたマントを羽織っている人など様々だ。


「そう。うちの宿は街の入り口に近いから便利だって評判なんだ。で、こっちの城の周りが貴族の区画。石造りできれいに整備されてる」

「商業ギルドの近くね」

「うん。貴族や商人、うちだって使うから、皆にとって便利なところ」


 この世界にも格差は存在する。

 現実世界の日本より、ずっとわかりやすい形で。


「その外側は普通の人たちが住んでいる。街の外には畑があって、農業も盛んだ。東側には牧草地帯が広がっていて、酪農が行われてる。――メルナドの乳製品は、大陸でも人気なんだよ」

「確かに、牛乳はすごくおいしい」

「だろ? チーズも肉もお勧めさ」


 シドの誇らしげな顔から、この街を愛しているのが伝わってくる。

 きっといい跡継ぎになるだろう。――そう思えた。



 仕事が一段落したので、お昼からは街へ行ってみた。今日は雑貨市が立っている。面白いものがあるかもしれない。


 客たちの、露店との交渉の声が賑やかだ。

 ペンにノート、財布にバッグ。眺めているだけで楽しくなってくる。

 木でできたお皿に金属製の鍋。キッチン用品が並んでいる一角で、私はふと足を止めた。


 ずらりとかごが並んでいる。

 そういえばさっき、入れる物がなくてハーブをエプロンで受け止めた。リサも手づかみで持って行った。


 私は背伸びをしてひとつ手に取った。肩幅ほどの大きさだ。これなら小ぶりの野菜やハーブを収穫するのに、十分な大きさだろう。


 けれど、顔を上げたところで動きを止めた。小銅貨5枚分ほど値が上がっている。


「……前に見たときより、ちょっと高い?」

 思わずつぶやいてしまったら、横から声がした。

「気のせいじゃないよ。それ、今日から値上げした」


 振り返ると、金髪の痩せた少年が立っている。

 透き通るような青い瞳、そばかすが散った白い肌、少し尖った耳が目を引いた。

 ヒョロリとして汚れた格好だけれども、少しも憶することのない、堂々とした態度だ。


 ――あ。


 この街に初めて来た時、ぶつかってきた少年だ。ひったくりが失敗し、そのまま逃げていった。


 そう気づいたけれど、少年は気にする様子もなく、私の手元のかごに指を向ける。


「ほら、そっちとこっちの小さいのとで編み目が違うだろ」

 そういって、ヒョイと持ち上げた。


「これは下手になったんじゃなくて、素材が変わったんだ」

 指先で藁をそっとなでる。

「編みやすい藁が不足して、蔓になった。見た目は粗いけど、力がいるし時間が掛かるから、たくさんは作れない。だから、高くなる」


「なるほど、そういう理由だったのね」

 思わず感心してしまった。とてもこどもの着眼点じゃない。


「詳しいのね。雑貨が好き?」

「値動きを見るのが楽しいんだ。藁は秋にしか穫れないし、蔓は洗って乾燥させるのに時間が掛かる。職人が変われば仕上がりも違う。値段も出来栄えも、全て関係してくる」


 淡々としているのに、その言葉には熱がこもっていた。


 私は隣の露店で薄い青色の皿を手に取った。


「これも先日より少し高い気がするけど、どう?」

 少年は指の背で皿を弾き、コンと鳴った音に耳を傾けた。


「うん、これは陶器の街から来たものだ。高い温度で焼くからその分薪代が掛かる。丸くて均等な厚さだし、釉薬もきれいに塗られてるから、多分職人の腕もいい。値段は――妥当かな」

「音で分かるんだ」


 まるで昔テレビで見掛けた、焼き物の鑑定士のようだ。

 彼も叩いてその音で価値を確認していた。


「粘り気があって強度も高い。割れにくい皿は人気があるから、値上がりしやすいんだ」


 生活雑貨の値動きを、こんなふうに説明する人を初めて見た。

 けれど、妙に説得力がある。


「あなた、本当に詳しいのね」

 私は思わず舌を巻いた。雑貨をこれほど深く調べる人はそういない。

 尊敬に値するだろう。


「べ、別に……」


 少年は視線を外した。頬がほんのり赤く染まっている。

 大人の女性に面と向かって褒められるのに、慣れていないのだろう。


「――そうじゃないと生きていけねぇ」


 彼は荒れた唇でボソリとつぶやいた。


 私は最初に見たかごをもう一度手に取りながら言う。


「先日の方が安いし軽くてよさそうだったけど、今日のほうが丈夫で長く使えそうね。野菜を入れるから、私はこっちがいいと思う。重さで底が抜けない方が安心だしね」


 少年の目が一瞬だけ丸くなる。


「……そういう見方もあるのか。価値って、数字だけじゃないんだな」


 その言葉が、少し嬉しかった。


 物を買うときはいかに長く使えるか。安く買ってもすぐに壊れてしまったら、安物買いの銭失いだ。日頃からそういう所にも気をつけていた。


「あっ、そういえば、ランプのオイルも欲しかったんだ」


 私は不意に思い出した。


 部屋で手元を照らすランプを使っている。

 部屋用のものは備え付けであるけれど、日記を書くときのものは、個人で買った。

 そのオイルを切らしていた。


「油? それならあっちに――」

 雑貨とは別のコーナーで売られている。

 彼はそこで立ち止まった。

 

「今は買わない方がいい。夕方には値段が一段下がるよ」

「えっ? どうしてそんなことがわかるの」


 私は首をかしげた。まるで未来を見通す予言者だ。腐りやすい肉でもないのに夕方には安くなるなんて。


「理由はいくつかあってさ。まず、少し前に、南方から隊商が来た。あいつらが運んでくる油、質がちょっと悪いんだ。すすが出やすい。でも値段が安いから、商人が仕入れちゃった」


 とまり木亭にも団体客がよく泊まる。裕福そうな商人も多い。そう言った人たちか。


「質が落ちても、安ければ買う人はいるわね」

「そう。で、それが一気に出回れば、他の油も値段を下げないと売れなくなる」

「それは――そうね。でも、それだけ?」


 だからといって、夕方安くなるとは思えない。


「もうひとつ。季節が変わるから。商人たちは新しく採れた新鮮な油を売りたい。香りもいいし、燃え方も安定してる」


 私は思い返してみた。

 日本でも、大豆油や菜種油、オリーブオイル、穫れる季節は決まっている。旬のものは味がいい。


「古い在庫を抱えていたら、邪魔なんだよ。だから今のうちに安くする」


「すごい」

 この少年、本当に先見の明がある。使うだけの油の値段を、そこまで深く知りたがるだろうか。


「店頭に新商品を並べたいから、古いものを値下げするってことね」

「そう。で、最後に商人同士の駆け引き。質の悪い油を大量に仕入れた店が値段を崩し始めて、他の店もつられて下げる。こういうのは、夕方が一番動くんだ」


 確かに、日本のスーパーでも、生鮮食料品と一緒に油や洗剤が安くなることがある。

 その時間が一番客が多いからだ。

 多少安くしても数が売れれば、儲かる。


 この雑貨市の周囲にも、食料品や惣菜を売る店があり、夕方になると仕事帰りの人が覗いていく。


「ちょっとおじさん、高いわよ、これ」

「姐さんにはかなわねぇな。仕入れ値が上がっちまったから勘弁してくれよ。魔物が出るから護衛の経費がかさんでさ」


 あちこちから値段交渉の声が聞こえてきた。

 少年は肩をすくめて笑っている。


 ――この子、市場の全体像が見えている。こどもというより、商人の目線だ。


「おば……お姉さん、なんて名前?」

「かおりよ。あなたは?」


 おばさんと口に出しかけて、慌てて言いかえるところがこどもらしい。まぁ本当におばさんなんだけど、面と向かって言われると少し傷つく。


「オレはアーク。いつもこの辺にいるから、またな」

 そう言って金髪をひるがえして去って行く。


 とりあえず、かごをひとつ買っておいた。

 夕方になったら、散歩がてらランプオイルを買いに来よう。

 彼の言う通り、値が下がっているのも見てみたい。


 それに――。


 アークのことも日記に書きたいしね。


 爽やかな風に吹かれながら、雑貨市を後にした。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。

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