第2章1 市場に潜むもの
「おはようございます」
朝日が昇り、窓の隙間から部屋の中を照らし出す。目が覚めて、私は食堂に顔を出した。
「なにかお手伝いできることはありますか」
既に宿泊客が何名かテーブルに着き、パンをかじっている。
「おはよう。今はいいよ。朝はそれほど忙しくない」
サラが答え、カウンターに目をやった。
大皿にパンが山盛りになっている。そこからひとつ皿に取り、牛乳とともに自分で席まで運ぶスタイルだ。
おかずはない。日本のホテルのように競い合うこともないのだろう。
「あんたもお食べ」
母親のような言葉をありがたく受け取り、椅子に腰を落ち着けた。
昨日とは違う丸いパンだ。どっしりと重く噛み応えがあり、これひとつでお腹いっぱいになるだろう。
牛乳もとても新鮮で、牧場で飲む絞りたてのようだった。パンを口に運びながら食堂を見回す。
口髭をたくわえた商人風の男性は、同じテーブルの仲間と話をしている。
「今日は織物の買い付けに行く。近く祭りがあるから華やかな物を」
がっしりとした体つきの若者たちは、腰に剣を帯びている。
「いいなぁお前は。商会の護衛だって? 俺は下水でドブ掃除だ」
「そう言うな。スライムが凶暴化したら街の人々が危険にさらされる。それに、魔石が獲れるかもしれないぜ」
スライムというのはゼリー状の生き物だろうか。
魔石は、真珠のようにスライムから獲れる価値のある物かもしれない。
食堂にいる客は、全員といっていいほど男性ばかりだ。
皆仕事のために泊まっているようで、日本のホテルのように浮かれた観光客は見当たらない。
「ごちそうさまでした」
空になったお皿をカウンターに戻すと、サラが声を掛けてくる。
「今日は市場を通って商業ギルドへ売り上げを預けに行くよ。よかったら一緒に行こう」
――商業ギルド。
耳慣れない言葉だ。
商売の相談に乗り、融資の斡旋なども行う商工会議所のようなものだろうか。銀行のような機能があるらしい。
まずはお金を作り、身の回りのものを購入したい。服に下着、目立たないバッグもいるだろう。
商業ギルドでできるだろうか。
「もちろん。ぜひご一緒させてください」
「その前に、服を貸そうかね。あんたの格好じゃ目立ちすぎる」
サラは私の格好を頭の上から足の先まで眺めてそう言った。
昨日は下着姿で休んだけれど、まだ通勤着のままだった。
「じゃあ後で二・三着見つくろって部屋に持っていくよ」
そう言ってニカリと笑う。
私はサイズの合いそうな、焦げ茶色の足元が隠れるワンピースを借りて、サラと共に宿を出た。
石畳の道を真っ直ぐ行くと、賑やかな広場に出た。
露店がずらりと並んでいる。
敷物を敷いてそこに直接商品を並べる人、箱を積んでまとめて売る店、キッチンカーのような移動式の屋台まである。
色とりどりの野菜や果物があふれんばかりに並んでいて、眺めるだけで楽しい。塊の肉や魚まで吊るされていた。朝食に食べたパンも売られている。ひとつ3G、大きさからいっても納得の値段だ。
「今日は葉物が安いようだね。肉もいい物が揃ってる」
サラは店主に声を掛けると値段を交渉し、お金を渡して手を振った。
「毎度あり。後で届けておくぜ」
どうやら配達をしてもらえるらしい。宿泊客が食べるのだから、相当量があるのだろう。
「服もあっちで売ってるよ」
指さす先に視線を伸ばすと、女性ものの服を売る店がある。移動式のハンガーラックにワンピースが吊るされて、ゆらゆらと風に揺れていた。
素材は木綿だ。
胸に刺繍で飾られているもの、エプロンドレスのように大きなポケットがあるものなどがある。
値段は――意外に高い。
ピンクグレーの羽織とセットになったアンサンブルは、100Gを超えていた。
「二枚はいるかな」
私はうぅんといいながら、縫い目に見入った。
さすがに洗い替えは必要だろう。借りている服はぶかぶかだ。日頃ろくに運動もしない私の体に、サラの服は大きすぎる。
と、その時、バッグの底で何かがブルブルと震え、露店の一角で悲鳴が上がった。
「キャー!」
「おい、気をつけろ! 何か出たぞ!」
叫び声のする方を見ると、倒れた箱から野菜が散らばり、人々が恐怖に顔を引きつらせている。
「え、何――」
「伏せて!」
サラが私の肩を抱き寄せ、覆い被さるようにしてしゃがみ込む。
次の瞬間、目の前の露店の支柱が砕け散り、破片がバラバラと降り注ぐ。
屋根代わりの布が引き裂かれ、嫌な音を立てた。
「危ない!」
低い声とともにヒュンと空気が切り裂かれた。光が一閃し、何かが地面に叩きつけられる。それが跳ねた拍子に木箱が吹き飛んだ。
「ケイン! まだいるぞ!」
瞬間、視界に影が現れしなやかに跳ねる。革鎧の青年――ケインが刀身を真っ直ぐに振り下ろす。飛びかかってきた凶暴な野犬を、ただ一撃で切り捨てた。
「これで終わりか」
「辺りに気配はない。大丈夫だ」
仲間の声が発せられる。
ようやくそこで頭を覆っていた手を外す事ができた。
立っているのは黒髪の屈強な青年だ。朝、食堂で穏やかに食事をしていた者と同一人物とは思えない、精悍な顔つきだった。
ケインは血にまみれた剣を握り、油断なく周囲に目を光らせている。左腕に巻かれた包帯は鮮血がにじみ出していて、戦いの激しさを物語っていた。
「あ、ありがとうございます」
「気をつけろ。サラが庇わなければ怪我だけじゃ済まないぜ」
厳しい言葉にも、こどもに諭すような穏やかさが混じる。
フッと和らげた表情の中に、思いやりが感じられた。
「まさか、こんな街中まで魔物が出るとは――大丈夫か」
「肉を狙ったんだろう。こいつらはただの野犬じゃねぇ。魔物化してるぜ」
ケインは倒した獣を持ち上げ、むき出しになった鋭い牙や、鉄の塊のような鉤爪を仲間に見せた。
こんなものが人混みに紛れ込んでいる――。
思った以上にこの世界は危険なのかもしれない。
「ケイン、あんた、傷が開いてるよ。それに防具も壊れちまってる」
サラが血の滲んだ包帯を指摘する。
「へっ、大したことねぇよ。こんなもの傷薬を塗っておけばそのうち塞がるさ」
「その程度の怪我で休んでいたら、食っていけねぇしな。全く命を張っても、割に合わない稼業だ」
仲間が仕方ないと言うように肩をすくめる。
彼もケインと同じその日暮らしで、危険と隣り合わせの生活なのだろう。
「こいつは傷物になっちまったが、まぁ、酒代ぐらいにはなるさ」
ケインは剣を収め、死骸を担いだ。仲間とともに歩き去って行く背中は、とても頼もしい。
けれどどこか危うく、寂しげだった。
――あんなに危険な仕事なのに、何の補償もないなんて。
不意に足元がぐらつく。
サラたちの優しさに触れて安心していたけれど、今の私には帰る家どころかお金もない。
これからどうやって生活していけばいいのだろうか。
「さて、あっちが商業ギルドだ。とんだハプニングがあったけど、まずは用事を済ませてしまおう」
サラが向き直り、安心させるように笑顔を向ける。
それから真っ直ぐ石造りの建物に向かって進んで行った。
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