第3章4 更新されなかった契約
私は食堂で水を汲み、椅子に腰掛けて窓の外に浮かぶ赤い月を見上げていた。
あの吟遊詩人の言葉が、心の中で、澱のように残っている。
それが過去のある出来事を思い起こさせた。
「佐々木香織さま、派遣先企業さまの意向で、契約は今回で満了ということになりました」
――私は絶句した。
満了、それは派遣の言葉で契約の終了を意味している。
まだ働き始めて四ヶ月、ようやく仕事にも慣れてきた頃だ。
たくさんの仕事を教え込まれ、慣れないながらも頑張って、多くの仕事をこなしてきた。
社員にあなたが来てくれて助かったと言われて、この歳でまた一から覚えることができたと、少しだけ誇らしく思っていた矢先だった。
「ど、どうしてですか。私に至らない点があったのですか」
「そうではありません。先方も佐々木さまのことは評価しています。しかし仕事量の関係で、今の人数は多過ぎる、とのことでした」
それは、違うと思った。今でも仕事は回っておらず、残業が続いている。
なのに私を切るということは、なにか事情があるのだろう。
「ご安心ください。私どもと致しましても、しっかりサポートさせていただきます」
申し訳なさを滲ませながら、派遣元の営業担当はそう続ける。
先方が決断した以上、私にこの仕事を続けるという選択肢はない。
ただ言葉を飲み込んで、わかりましたと頷くしかなかった。
帰りの電車で、呆然としたまま仕事の検索サイトを眺めていた。
まだ条件に合う求人は出ていない。今が更新確認の時期なので、新しい仕事が載るまであと一週間は掛かるはずだ。
けれど、今の派遣会社はもう使えないだろう。
たった半年で切られた者より、派遣先企業の評価が高い人、若い人が優先される。
その人たちを押しのけて、社内選考を勝ち上がるのは難しい。
紹介されるのは、誰も続けられなかった仕事ばかりになるだろう。
ため息をつきながら、電車を降りた。
料理をする気力も今はない。
惣菜屋で鯖の煮付けとインスタントのお吸い物を買って、とぼとぼと部屋へ戻った。
濃い味付けだったのに、まるで砂を噛んでいるように何の味もしなかった。
それから通帳を取り出し残高を確認して、家賃や生活費で毎月出て行く金額と見比べる。
傷む胃を抱えながら机の上に突っ伏した。
――またあのような日々に戻りたくない。
ここでの暮らしを続けていくためにも、できることを少しずつやっていこう。
気づくと赤い月は見えなくなり、代わりに白く輝く三日月が顔を覗かせている。
私は水を一口飲んだ。
月の光は頭を撫でているかのように優しい。
そっと背中を押された気がして、私は立ち上がり、食堂を後にした。
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