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第3章3 吟遊詩人

 とまり木亭の厨房で、私はお皿を洗っていた。

 ソースは客が一滴残らずパンできれいに拭き取ってくれている。なので濡れた布で拭いてから、熱い湯で流してしまうだけだった。


 その時ホールからポロロンという音がした。

「かおりさん、吟遊詩人が来ているよ。初めてだろ? 一緒に聞こうよ」

 シドがひょいと顔を出し、私を呼ぶ。

 お皿を置いて覗いてみると、ギターに似た楽器を手にした老人が座っていた。


 ゆったりとした上着は着慣れてはいるが、細かい刺繍が美しい。

 物腰もどことなく上品だ。


「あたし、いろいろな国の歌が聞きたい!」

 無邪気にはしゃぐ声がした。

 リサが目を輝かせて、いちばん前に座っている。

 老人はリクエストに応えるように頷くと、弦を調整しコホンと咳払いをしてから歌い出した。


『エアルゼルト大陸には五つの大きな国がある

 北の果て雪に閉ざされたフロスケイルには

 巨大なクレバスの下に虹色に輝く氷の宮殿がある』


 朗々とした歌声だ。

 食堂に響き渡り、食事を終えた冒険者も聞き入っている。


『西の国のルリアはどこまでも広がる青い海

 白い砂浜に波が打ち寄せ

 大きな椰子の実を届けている』


「海か、見てみたいなぁ」

 シドが小さくつぶやく。


『南にあるオルグレインでは夕日が畑を照らしている

 風に揺れる麦の穂が

 黄金の海のようにさざめいた』


「ね、ね! いつかあたしも行ってみたい」

 うっとりとした表情でリサが言う。

 アルティア国で生まれ、メルナドで育った彼女は他の国を知らないのだろう。


「いい歌だねぇ。旅に出たくなっちまうよ」

 サラがニコニコとしながら、手にしたジョッキをテーブルに置く。

「ありがとうね。これ飲んでおくれ」

 そう言って吟遊詩人に差し出した。


「他の歌はない? 魔物と戦う歌!」

 シドが尋ねると、「あるさ」と言って老人は皺だらけの顔で笑い、また歌を紡ぎ出す。


『凍りついた鉱山には一つ目の巨人

 宝をごっそり隠してる


 吟遊詩人の歌声に励まされて

 剣士は勇敢に剣を振り下ろす』


「怖っそんなのいるの?」

 リサが小さく悲鳴を上げてシドの袖を握った。


『海に潜む海獣は

 船を一飲みにする大きさだ


 奴に出会ったら入り江に逃げこみなさい

 複雑な場所には入れない』


「そんなのがいるなら乗りたくないな、船」

 シドが眉をひそめ、腕組みする。


『炎の息で森も木々も焼き尽くされる

 燃えるよ燃えるよどこまでも


 槍の名手は火トカゲの喉を狙え

 喉の赤い石を正確に』


 どこまでも燃える火――。

 私は一瞬、現実世界で見た大地を焼け尽くす山火事のニュースを思い出して、身を震わせた。


 拍手が沸き起こった。

 シドもリサも頬を赤くして、興奮している。


「こどもたちも、楽しみが少ないから、あんたみたいなお客は助かるよ。たくさん歌ってやって」

 サラが満足そうに頷いている。


「いろいろな国を渡り歩いているようだが、今はこの街の吟遊詩人か」

 普段は寡黙な主人ダンが、口を挟んだ。

「そうとも言える」

 老人は厳かにそう言った。


「この年になると、とても諸国を回るというわけにはいかない。街の酒場で歌って、日銭を稼ぐ毎日だ。今は――」

 声がかすれ、最後の方は聞き取れなかった。


 賑やかな酒場では美しい歌姫が歌っている。

 歌だけを友にしてきた吟遊詩人も、頼れるものがそれしかなければ、若い歌い手にはかなわなかった。


「あの、ハーブティーをどうぞ」

 喉に手を当てる吟遊詩人に、カモミールとミントのお茶をそっと出す。


「おい爺さん。俺たちにも聞かせてくれよ。色っぽいねぇちゃんが出る歌がいい」

「そうだな。それで冒険者といい感じになるのはねぇか」

 テーブルの上に銅貨が2枚置かれる。

 吟遊詩人は楽器を取り直し、踊り子がクルクルと回り冒険者と戯れる、陽気な歌を歌い出した。


 賑やかな時間が過ぎ、とまり木亭もしんと静まり返った。私はテーブルを拭いて椅子を片付け、ランタンを手に食堂を後にする。 

 狭い廊下を歩いていると、影が横切った。あの吟遊詩人の老人だ。


「やぁ。先ほどは歌を聞いてくれてありがとう」

「こちらこそ。いい歌でした」

 ひとつ頭を下げ、柔らかく微笑む。

 久し振りに歌を聞いた。この世界にも娯楽があるのだと気がついた。


 老人はじっと私の瞳を見つめている。それから髪を眺め、頬の輪郭を辿り、足元へと移す。

 その視線はもの言いたげだ。

 他の世界から来た、異邦人だと気づいたのかもしれない。


「あんたは――」

 言いよどむように口を開いた。

「はい」

「あんたは、儂みたいにならんようにな」


 芸術の国セリオンの宮廷舞台から

 流れ流れてこの街へ

 時は流れ星は巡り

 小さな酒場で歌ってる――。


 そう、歌っていた。


 ――儂みたいに、ならんようにな――。


 老人は黙って背を向け、自室へと戻っていく。

 背中には、寂しそうな影が落ちていた。


 ここ『風の宿 とまり木亭』はサラたち一家の住まう場所だ。

 この街に根を張り、大きく枝を広げている。


 私は――。

 とまり木で翼を休める小さな鳥だ。

 身を震わせ、飛ばされまいとしがみついている、鳥なのだ。


 不意に立っている場所が、薄い氷の上だと気がついた。

 亀裂が入り割れてしまえば、下は深い深い湖だ。

 ぎゅっと結んだ手から温度が消えていく。

 冷たい水底にゆっくりと沈んでいく気が、した。


 現実世界で、一人暮らしをしていた部屋。誰にも気遣うこともない、小さな私の城だった。


 ゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 そのために、あの時のように、お金を育てていこう。

 ――そう、決意した。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


よろしければ、続きを読んでいただけると嬉しいです。

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