第8話 一回戦
場所は京都。波導協会本部。
木場凪人はここに来たのは2回目だった。あの日、5月の空っぽだった時から少しだけ変わって帰ってきた。
(なんか、あの時がずいぶん昔のようだな)
凪人は、佳紬由から贈られたばかりの、体に吸い付くような黒い戦闘服の感触を確かめ、震える指先を握りしめた。
「はい、注目」
佳紬由が、一枚のタブレット端末を無造作に凪人とすももに見せる。
「トーナメント表よ。この子たちが今日の敵だよ」
そこに映し出された参加者一覧は、たったの六名。
木場 凪人
宮 すもも
藤原 真
東堂 杞憂
波動 伊織
波動 伊音
「うわ……私、シードだ。ラッキー」
すももが安堵の息を吐く。
「凪人くんは……」
佳紬由が、画面の一点を指差した。
「凪人くんは一回戦、第二試合。相手は、東堂 杞憂」
「東堂……?」
「そう、名門東堂家の子ね。頑張ってね。すももの同級生よね?」
「そうです。杞憂君は……」
「ストーップ!!!!」
佳紬由さんが焦って止める。
「すもも、教えちゃダメ。もちろん凪人くんに勝ってもらいたいけど、相手の能力を実践で知る。これも訓練よ」
「それに、すももは2回戦で、その二人の勝者と当たるんだからね」
すももが見た先、そこには凪人と東堂 杞憂の名前がある。
「……凪人くん、頑張ってね。勝って、私と戦おうね!」
すももが少しやりづらそうな顔をしている。
「ああ……その前に、俺が『一勝』しなきゃな」
凪人は、トーナメント表のもう一つの山に目をやった。
一回戦、第一試合。「藤原 真VS 波動 伊織」
「宮家、藤原家、波動家……。まあ、いつものメンツってところね」
そういい、佳紬由は、心底どうでもよさそうに呟き、立ち上がった。
「行くわよ。第一試合が始まる。……凪人くん、今年のスーパールーキーの試合よ。ちゃんと観察していなさい」
***
闘技場はドーム型のアリーナだった。
観客席はまばらだ。だが、そのほとんどが各一族の重鎮か、協会の上層部たちだ。彼らは品評会に臨むバイヤーのように、冷たい目で武舞台を見下ろしている。
凪人たちが観客席の最前列に近いブロックに座ると、不意に、軽薄なほど明るい声が響いた。
「やっほー、佳紬由! 相変わらずだなー!」
「……」
佳紬由の眉間に、分かりやすく深いシワが寄る。
そこには、スーツをラフに着こなし、ヘラヘラと笑う男――円城寺 晃が立っていた。
「なんで、あんたがこっちに来るのよ……。あっちの協会席で、見てなさいよ」
「いーじゃん、減るもんじゃないし。弟子のかわいい晴れ舞台なんだからさ」
「あっ、お久しぶりです!」
すももが嬉しそうに頭を下げる。凪人は、この男が放つ「軽さ」と、佳紬由が放つ「険悪さ」のアンバランスな状況に戸惑っていた。
(……誰だ、この人)
「あ! 初めまして? 久しぶり? 君が、木場 凪人くんだね?」
円城寺は凪人の顔を覗き込み、ニカッと笑った。
「いやー、無事にここまで来れて良かった良かった。宮家での地獄の特訓、元気だった?」
「……はい」
凪人は警戒しながら短く答える。円城寺はそれをおおらかに受け流した。
「まあ、無理もないか。……知ってる? 僕は、凪人くんの『命の恩人』なんだよ」
「……え?」
凪人は思い出した、協会の医務室で佳紬由から、円城寺 晃という男のおかげで処刑が取り消しになった話を。
「佳紬由、まさか教えてなかったの?」
「……別に、あんたの手柄話をわざわざ教える必要ないでしょ」
「別に手柄とかじゃなくてさ、僕のこと少しは紹介してくれよ」
「……!」
次の瞬間、凪人は観客席の床に勢いよく頭をつけていた。土下座だった。
「え、ちょ、凪人くん!?」
佳紬由たち3人はあまりの光景に、驚く。
「ありがとうございます……!」
心の底から絞り出した声だった。
空っぽだった凪人に生きる「意味」を与えてくれた恩人への、全身全霊の感謝。
「……はは、マジか」
円城寺は一瞬驚いたが、すぐに優しく凪人の肩を叩いた。
「顔を上げて、凪人くん。佳紬由はああ言ってるけど、僕はあんたが女の子(静香)のために命を懸けた、その『心』に賭けたんだ」
「……!」
「だからさ、今日ここでいい活躍してよ。期待しているよ」
その時、武舞台に二人の少年が上がった。空気が変わる。
「さあ、始まるわよ」
佳紬由が顎でしゃくった。
「第一試合。藤原 真 対 波動 伊織」
武舞台の片方に立つのは、凪人と同じ黒い戦闘服を纏う少年、藤原 真。
クールで冷静、一切の隙がない。
対するは、小動物のように怯えた目の少年、波動 伊織。
(……こいつ、戦えるのか?)
凪人がそう思うほど、伊織は観客席の重圧に押し潰されそうになっていた。
「おい伊織ィ!! 何ビビってんだ、しっかり立て!!」
観客席から野太い怒声が飛ぶ。伊織の双子の兄、波動 伊音だ。
「ひぃっ!?」
伊織の体がビクッと跳ね、会場から失笑が漏れる。
『――はじめ!』
非情なブザーと共に試合が開始された。
伊織は恐怖で動けない。対する真は、ゆっくりと、しかし一切の油断なく距離を詰めていく。
「……真は、僕の弟子なんだ」
円城寺がポツリと呟いた。
「誰よりも真面目で、努力家だ。……あの子、才能だけでやってるように見えて、その実、誰よりも『基礎』を信じてる」
その言葉通り、真は派手な技を使わない。ただ歩く。一歩一歩伊織に距離を詰める。
だが、その一歩一歩が波導を纏い、循環させ、完璧な構えを維持している。
(……俺とは、レベルが違う)
まるで、佳紬由さんのような佇まい。きれいで、まっすぐお手本のようだ。
自分は佳紬由に言われてようやく覚えた技術を、真は呼吸するように使いこなしている。
「う……あ……!(来るな……! 来るな!)」
伊織がやけくそになりながら、真に向かって突撃する。
だが真は、スッと横に一歩ずれるだけで完全回避。
そして、伊織が次の攻撃を放つ「兆候」――その0.1秒手前を捉え、
ドンッ!
真の姿が消え、がら空きになった伊織の懐に重い一撃が叩き込まれた。
「――がっ!」
伊織がくの字に折れる。
「立てやウジ虫ィ!! 俺がいないと価値がねえのか! 動け! そんな負け方でいいのかよ?」
伊音が観客席から叫び散らかした。
「……あ」
兄の歪んだ激励を受け、伊織の目が変わった。
「う、うおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
伊織の波導が、怯えを食い破るように膨れ上がった。それはあの日の凪人と同じ、無防備な「垂れ流し」。だが、その「量」は莫大だ。
「(重い!)」
真はその突進を受け止めず、うまく波導を利用していなした。
拳を紙一重でかわし、その勢いを利用して背中に手を添え、自分の波導を流し込む。
「なっ!?」
伊織は止まれない。真によって、力のみを「武舞台の外」へと誘導されたのだ。
ズドオオオォォン!!!
すかさず真の膝蹴りが伊織の背中へ入り込む。
『――勝者、藤原 真!』
真は倒れた伊織を一瞥することもなく、武舞台を降りた。
(あれが……同級生なのかよ)
凪人の手に汗が滲む。才能だけじゃ勝てない。基礎と覚悟がなければ、一瞬で終わる。
「凪人くん。次はあなたの番よ」
佳紬由の声に、凪人は席を立った。
すれ違いざま、真は凪人を「視て」すらいなかった。まるで道端の石のように通り過ぎていく。
(眼中にないか?)
***
地下通路の暗闇を抜けた瞬間、暴力的なまでの光が降り注いだ。
『――木場 凪人ォ!!』 『――東堂 杞憂ゥ!!』
アナウンスが反響する。
「いやー、アウェーやねぇ!凪人くん、みぃーんなあんたのことに夢中やで」
向かい側に立つ東堂 杞憂は、場違いなほど明るく笑っていた。
「第一試合も暗かったし! なぁ、凪人くん! 俺らはパーッと楽しくやろや!」
だが、凪人は気づいていた。杞憂の目が笑っていないことに。
それは凪人の立ち姿から筋肉の強ばりまで、全てを冷徹に「分析」する蛇の目だ。
(……こいつ、馬鹿じゃない。初心者の俺からしたら一番相性が悪いんじゃないのか?)
『――はじめ!』
ブザーと同時に、凪人は構えを取った。今まで通りの波導操作。
「おっ、基礎はバッチリやね」
杞憂は感心したように呟くと、武舞台の縁を大回りに走り始めた。
(……何をしてる?)
凪人が訝しんだ瞬間、杞憂は「ほな、さいなら」と告げ、自身の足元の影にズズ……と溶けて消えた。
「――!?」
気配が消えた。
「佳紬由さん!」
とすももが叫ぶ。
「あれ、東堂家の相伝の影の術式!?」
凪人が全方位を警戒した、その時。
「――みーつけた!」
後ろの観客席の影から無数の黒い手が伸び、凪人の全身を瞬時に拘束した。
「なっ……!?」
「どうや? ちょっと大人げないけど、初手から本気でいかしてもらうで」
武舞台の隅の影から顔を出した杞憂が、ニヤリと笑う。
「すももちゃんから聞いたで、『一勝』がかかっとるんやろ? 悪く思わんといてな」
杞憂がトドメの一撃を放とうとした、その瞬間。
凪人は抑制していた莫大な波導を一気に爆発させる。
ゴアアァァァァァッ!!!!
物理的な「圧力」となった波導が、影の鎖を紙屑のように引き千切った。
「なっ、うわっ!」
杞憂が驚愕し、後方へ跳ぶ。
「舐めんなよ! 俺だって3か月間修行してきたんだよ。こんな程度で終わってたまるか」
黒いオーラを噴き上げながら、凪人が立ち上がる。
「……マジか。力技でブチ破るとか初めてやわ」
杞憂の顔から仮面が剥がれ落ちた。
「ええわ。最高や、凪人くん! こっからが本番や! 凪人くんのこと初心者やと侮ってたわ」
(望むところだ……!)
凪人は突進する。だが、杞憂はもう真っ向勝負を選ばなかった。
(アカンな。パワー勝負は勝てへん。……持久戦や! このペースどれだけ波導量が多いと言えどすぐ燃料切れするやろ)
杞憂は影から影へと移動し、凪人を翻弄する。
「こっちや!」
「おっと、そっちは影の人形や!」
凪人の拳は空を切るばかり。凪人は、まだまだ精密な波導操作ができない。ましになったとはいえ、全身纏い状態の燃費の悪さが、刻一刻と凪人の体力を削っていく。
反対に杞憂は波導の精度はピカイチ。これだけの連続の術式使用でも波導が切れない。
(やばい……時間が……!)
凪人の波導が一瞬崩れる。
その瞬間杞憂が動く。
「見えたで、あんたの限界!」
全方位の影から無数の刃が襲いかかる。凪人は胸などの急所を守るが、手薄になった肩と太腿を深々と貫かれた。今までの全身纏いでは、持久戦になった場合、穴ができてしまう。
「ぐっ……!」
オーラが霧散し、凪人は膝をついた。
「あーあ、バレバレや。あんたが『胸』を守るんは読んでたで。凪人くん、波導量で全身纏いしてるんはすごいけど燃費が悪すぎや。すぐ電池切れてんで。付け焼き刃の波導操作じゃ、俺の攻撃防げへんで」
杞憂は動けない凪人の腹を容赦なく蹴り上げた。
ドゴッ!
「じゃあこれで終わりや」
一方的な蹂躙。
「佳紬由さん! 止めて!」
すももが悲鳴を上げるが、佳紬由は首を振った。
「あの子が負けを認めない限り、終わらない」
「じゃあこれで最後や」
杞憂が自身の身体を影に変えて凪人の影に溶け込んだ。
影の内部から杞憂が凪人を引きずり込む。
観客席から見れば凪人が自身の影に入ったように見えた。
(なんだ……息ができない)
凪人は影の中でもがく。
「影の中初めて入ったやろ? 酸素もないから直に動けんくなるで」
凪人の身体は動かない。もう限界だ。
(……ここまで、か)
影という名の深淵。酸素はなく、感覚すら溶けていく。
凪人は諦め、目を閉じた。
「ほな、おやすみ」
杞憂が勝利を確信し、影の圧縮を強めようとした、その時。
「――あ?」
影の中で、凪人を拘束していた杞憂の声が、不意に、困惑に変わった。
「……なんやこれ。影の中に、もう一人」
直後。
ゴアアアァァァァァッ!!!!
「――っ!?」
凪人が目を開けると影の底からありえない量の波導が逆流し、爆発した。
ドォォォォン!!
武舞台の床に、二つの影が吐き出される。
一つは、波導が尽きかけ、肩で息をする凪人。
そしてもう一つは。
「がっ……あ゛……!?」
右腕から肩にかけてを、何か巨大な獣に「食いちぎられた」かのような深手を負い、苦悶に喘ぐ杞憂だった。
杞憂は、何が起きたか分からず、自分の右腕を見て、絶句していた。
今まで、人の影に潜り、攻撃されたことなど、一度もなかった。
影の中は、自分の聖域だったはずだ。
それなのに、今。
影の奥底で、自分以外の『何か』と目が合った。
そして、触れた瞬間に、腕ごと空間をねじ切られたのだ。
(今、俺は、影の中で……『何か』に……)
凪人は波導を知っている。
「……!」
観客席が、凍りついた。
ただならぬ気配。審判すら、判定を下せずに立ち尽くしている。
「……ねえ、円城寺」
佳紬由の声が、震えていた。
「今の……」
「……ああ。間違いない」
円城寺 晃の顔から、ヘラヘラした笑みが消えていた。鋭い眼光が武舞台を射抜いていた。
「女王……」
(杞憂の傷口……)
凪人の脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックした。
ショッピングモール。
血の匂い。
返り血を浴び、冷たい瞳で自分を見下ろしていた、あの銀色の、長い髪。
凪人の影の最奥。
「人間がわしに触れるでないぞ」
冷たい声が響き渡る。
(あいつが……)
「う……くそ……」
杞憂が、片腕を押さえながら、必死に立ち上がろうとする。
「……まだ、やれる……!」
杞憂は執念で立ち上がる。残った左手で影を操ろうとする。
だが、その顔色は真っ青で、足元はふらついている。
「やめろ!」
凪人が、叫んだ。
「……は?」
「もう、やめろ! ……これは、俺の力じゃない!」
凪人は、立ち上がれないまま、武舞台の床を拳で叩いた。悔しさと、恐怖。
「俺の勝ちじゃない……! 俺の負けだ!」
「……何、言うてんねん」
杞憂は、傷の痛みで、意識が朦朧としている。
「俺は、まだ……」
だが、その言葉を最後に、杞憂は糸が切れたように、武舞台に崩れ落ちた。
『――東堂 杞憂、戦闘不能! よって、勝者、木場 凪人!』
非情なアナウンスが響く。
凪人は、戸惑い、混乱し、そして、自分の中の「異物」への恐怖に、ただ、呆然として立ち尽くしていた。
拍手はない。
会場を包んでいたのは、勝利への称賛ではなく、得体の知れない「化け物」を見るような、沈黙と畏怖だけだった。




