第5話 量こそ質
自身の波導に触れ、自身の波導の源を知ることができ、行くべき道が分かった俺は、その日中鍛錬に励んだ。
そして翌日。
俺は、朝靄の立ち込める訓練場で、一人、自分の手のひらを見つめていた。
(人として生きるか、導魔として生きるかか……)
佳紬由さんの言葉が、頭の中で反響する。
怖かった。
自分の内側にある波導は、昨日までただの人間だった俺を、拒絶している。それ以上力を出すことはたまらなく怖い。
「……でも」
俺は、震える手のひらを、強く握りしめた。
「逃げたら、あいつに謝ることもできねえんだろ」
覚悟を決める。
もう一度、意識を内側へ沈めた。
昨日よりも深く、意図的に。
あの冷たく、光を吸い込むような重い感覚へ。
あの日の絶望へ。
(ああ、そうだ。俺は無力で、クズで、何も守れなかった)
だが、今回は「声」も「フラッシュバック」も起きなかった。
ただ、そこにある。
俺の魂にこびりついた「傷」そのものであるかのように、その「重さ」は、ただ静かにそこにあった。
それが、木場凪人という人間の、魂の形だった。
(……これが、俺か)
俺がそれを受け入れ、ゆっくりと触れる。冷たい、あの日の女王の目線のように暗く冷たかった。
その瞬間。自身の魂は黒くブラックホールのように渦巻き、俺の半身を闇へと引きずり込む。
俺は拒絶する。
(違う、俺はこの力を受け入れるんだ。納得しなくてもいい。あの女王を許さなくてもいい。でも、これは俺の力なんだ。俺は、あの日のように自身の弱さから逃げない)
そして、俺の魂が俺の身体を上へと押し上げた。
そして、ゆっくりと目を開けた。
「――これは」
世界が、変わっていた。
空気が、陽炎のように揺らいで見える。
朝靄の一粒一粒が、淡い光を帯びて漂っている。
訓練場の柱や、自分が握るこぶしにすら、「熱」のようなものが、うっすらと纏わりついている。
「そうか、世界はこんなに広がっていたんだ」
「すごい……! 見えてる、凪人くん!」
そばで心配そうに見守っていたすももが、声を上げた。
彼女のことも、もう「オーラ」として視えた。
「すももちゃん、これが波導なんだ。すっごくきれいだよ。俺にこんな力があるんだ」
「そうでしょ。凪人くん、これが波導士への道の一歩だよ!」
いつの間にか、佳紬由さんが訓練場の入り口に立っていた。彼女のオーラは、俺やすももちゃんとは違う。同じ白色だったが、あふれ出ているオーラが少なすぎる。ただそっと体を覆うように薄い波導。
「たった一日で『視る』なんて、女王の力があるとはいえ驚いたわ」
佳紬由さんは、感心したように俺に近づいてくる。
「まずは、波導士の適正はあったようね。さて、次のステップといきましょうか」
「『視る』のは、スタートラインに立っただけ。今度は、その波導を『体の一部として使う』」
「体の一部……?」
「そう。今のあなたは、波導をただ見ているだけ。それじゃあ、波導を使えるとは言えないわ。魂の力を、自分の肉体に行き渡らせ、制御する。こうすることで、あなたの力は人間離れし、導魔とも渡り合うことができるようになるわ」
佳紬由さんは、木刀を軽く、だらりと垂らすように構えた。
力みは一切ない。だが、彼女の波導が、まるで血液のように、その木刀の先端まで淀みなく流れていくのが、俺には「視えた」。
「課題は簡単。これから毎日、その日中……日没までに、私に一撃でも喰わせたら合格よ」
「一撃……?」
「ええ。掠っただけじゃ駄目。私に『痛い』と思わせる、クリーンヒット。あなたは刀を使わないそうだから、その拳で、ね」
俺は、自分の内側にある「重い波導」を感じた。
(やれる……!)
視えるようになったことで、根拠のない全能感が湧き上がっていた。佳紬由さんが最強だという話などとうに忘れていた。
「はい……! 一撃、入れさせてもらいます!」
「……凪人くん、あのね」
すももが、何かを言いかけたが、俺の耳には届かなかった。
「いいよ、その目」
佳紬由さんが、ニッコリと笑う。
「じゃあ――はじめ」
ゴッ!!
佳紬由さんが言い終わるか、終わらないか。
俺は、自分が何をされたのか理解できなかった。
気づいた時には、腹部に焼けるような衝撃を受け、訓練場の床を転がっていた。
「……がっ……!?」
息が、できない。
さっきまで目の前にいたはずの佳紬由さんが、いつの間にか俺が倒れた先、数メートル向こうに立っていた。
木刀を、振り抜いた体勢のまま。
「どう? 波導士の力は? 視えた?」
佳紬由さんは冷徹に見下ろす。
「あなたは『視えた』だけ。私やすもも、波導士たちは、波導を纏い、循環させ、肉体を強化するわ。だから、足に流せば、今のあなたの数倍の速度で動ける。腕や得物に流せば数倍のパワーで攻撃ができる」
「……立てる? ということで、今日は一日中私と組手をしましょう。勝てなくてもしばらくは一日中ボコボコになってもらうわよ。まあ不意打ちでもなんでもいいから、私に攻撃をいれればいいからね。いつでも来なさい」
*
地獄が、そこから始まった。
「う、おおおおぉぉっ!!」
俺は、見えるようになった「佳紬由さん」という圧倒的なオーラに向かって、無我夢中に突進した。
波導を纏う。
(当てる! 当てるんだ!)
だが、佳紬由さんのオーラは、俺の拳が届く寸前に、ふっと消える。
違う。消えたんじゃない。俺が攻撃する瞬間に、彼女は波導を「消して」気配をずらし、俺が拳を振り抜いた瞬間に、別の場所に波導を「出現」させている。
次の瞬間、背中に、足に、腕に、容赦ない木刀の一撃が叩き込まれた。
バキッ! ドゴォッ!
一日中、俺は佳紬由さんに挑み続けた。
だが、結果は変わらない。
彼女の服の袖にすら、触れることができない。
夕暮れ時、俺は文字通り「ボコボコ」になり、仰向けに倒れていた。
全身が痛み、動けない。
「……はい、日没。今日はそこまで」
佳紬由さんは、汗一つかかず、涼しい顔で空を見上げていた。
(どうやって自分の波導で体を強化するんだよ。大体それのやり方を教えてくれないと、課題もクリアできないだろう……)
「どうやってそんなスピードを出せるんですか? 佳紬由さんが消えたように見えます。それに、俺の攻撃を出す前から防いでるように見えますし」
「そうよ、私は凪人くんに攻撃を出させないように攻撃をしているわ。なんで、波導を視認させた後に、このステップを踏んだか分かるかしら?」
「それを知ってもらうためにもそうね。相手を変えましょう。すもも」
「へ?」
「はいっ!」
ずっと訓練の端で正座して見学していたすももが、慌てて立ち上がる。
「凪人くんの相手をお願いするわ」
「はい! わかりました!」
「すもも、本気でやっていいわよ」
そう言って佳紬由さんは訓練場を去っていった。
(佳紬由さんの動きは見えなかった。もっと集中するんだ。相手の動きを見るんだ)
すももが、木刀を構える。
俺は、床を蹴った。
佳紬由さんの時とは違う。すももの動きは、はっきりと「視える」!
(もらった!)
右ストレートを、すももの胴体に叩き込む。
「……へ?」
俺の拳は、空を切っていた。
そして、自分が振り抜いた右腕の肘に、すももの木刀が、まるで吸い付くように、軽く、的確に当てられていた。
「いっ……!?」
(俺は見ていた。最後まで、でも)
痛みはない。
だが、肘の関節、一番力の入る急所を正確に突かれ、腕の力が抜けていく。
「あ、ご、ごめん!」
すももは謝りながらも、俺が体勢を立て直す前に、バックステップで距離を取っている。
その動きは、まるで羽のようだった。
俺が力任せに波導を纏い、突進する。
すももは、それをヒラリとかわす。
俺が大振りのフックを放つ。
すももは、その懐に潜り込み、俺の体勢が崩れた「軸足」のくるぶしを、木刀でコツンと突く。
「ぐわっ!?」
大げさに転ぶ俺。
痛みはない。だが、確実に動きを止められる。
「何が違うんだ? 俺にもすももちゃんの波導は見えているのに」
「うーん……佳紬由さんがさ、さっき言ってた言葉の意味わかる?」
「訓練の順番のこと?」
「そう、凪人くんはまず波導を見れるようになった。これは波導という概念を知るため、自分や相手の波導を知るため」
「でもね、私たちはね戦闘中波導を見ていないの」
「え? どういうこと?」
「多分佳紬由さんはそれを自分自身で、知ってもらうために何も教えずに戦闘訓練に入ったんだと思うよ」
「まずなんで、凪人くんの攻撃が私たちに当たらないか分かる?」
「遅いから?」
「んーそれもあるんだけど、凪人くんのは波導がね、私たちに教えてくれているんだよ」
「凪人くん、いつもみたいに私に攻撃してみて」
そういいすももは目を閉じる。
俺はまっすぐすももに攻撃をする。
だが、すももは目を閉じたまま俺の拳を左手で受け止めた。
「凪人くんの波導はすごく多いの。でもそれが、今はデメリットになっている。波導を体内に抑え込めることができていない。多分、攻撃するときに波導を纏おうとしすぎている。そうするとね、目を閉じていても見えるんだ。凪人くんがどこに攻撃しようとしているかとか」
「じゃあ、今度は私が凪人くんのように波導を纏って攻撃するね」
そうして、お互い構えをとる。
「じゃあ行くよ。凪人くんは目を開けてていいからね」
(見える、すももちゃんの波導が。俺も同じように)
だが、俺はすももの攻撃に反応できなかった。
確かにすももの攻撃は右手側に多く溜められていた。
だが、増幅した瞬間には遅かったのか防御できなかった。
「これが、波導を見ているか、見ていないかの違い」
「凪人くんは、見ることに波導を集中させすぎているから、私が右手に波導を溜めたのが分かっても反応できない。体に波導を送れていないの」
「じゃあ、佳紬由さんとかすももちゃんはどうしてるの?」
「波導を感じて見ているの。自身の波導を纏うだけじゃなくて循環させるの。そうすることで波導を見るだけじゃないの。自分で波導を見るんじゃなくて波導で波導をみるみたいなイメージで、波導を使うと波導を感じるといいと思うよ。波導も手足と同じ、波導も体の一部だからね」
「明日からはそういうイメージで佳紬由さんと組手をしてみて、そうしていったらいつか倒せると思うよ」
(波導を纏って循環させるか)
次の日。
俺はまた佳紬由さんに挑んだ。
確かに、よく観察すると佳紬由さんは波導を纏いながら循環させることで、攻撃の予測ができない。
さらに消えるように感じたのも波導を見ていたから、波導を感じていればもしかしたら見えるようになるかもしれない。
それがわかったところで身体能力は向上しないし、動きも早くならない。
そうして今日も、そして明日もボコボコにされた。
俺はそれから2週間、観察だけに集中した。
佳紬由さんとすももの動きを観察する。
目だけじゃなくて自分の波導でも感じる。
*
その日の夜。全身の激痛に耐えながら空を見上げていたら佳紬由さんがやってきた。
「こんな時間まで修行しているの?」
「佳紬由さん……」
「体もずいぶん痛そうね」
佳紬由さんはそういい、俺の隣に座った。
「……すももも、昔は毎晩泣いてたわよ」
「え?」
「あの子の修行相手は、私じゃなくて、源三郎のじいさん……あの宮家の当主だったからね」
源三郎は毎日食卓でも厳格な面持ちで食事をしている。
「あのじいさんの鍛錬は、『宮家』の血を残すためのもの。手加減なんて、一切ない。すももは、本当に何度も死にかけたわ」
「……!」
「すももから循環と纏いについては学んだかしら?」
「痛みのない修行と、痛みのある修行じゃ、成長スピードが段違いなのよ。特に、波導は『魂の力』。魂が『死ぬ』と感じるほどの痛みを経験しないと」
佳紬由さんは、俺の目を見た。
「私があなたを殴るのは、あなたに才能があるからよ。あなたに重いものを背負わせているのも分かっているわ。それでもあなたにも頑張ってほしいわ」
「……ありがとうございます」
そういい佳紬由さんは去っていった。
「すもも! 毎晩、俺と組手してくれ!」
「え!? よ、夜に?」
「頼む。このままじゃ俺は一生追いつけない」
すももは俺の真剣さに頷いてくれた。
それから毎晩、月明かりの下で打ち合いが始まった。だがいつまでも波導は上達もしない。このまま俺は勝てないのか。
そして、七日目の夜。
俺は限界に達していた。
「終わり!? 凪人くん!」
すももの木刀が、がら空きの脇腹に迫る。
防御も回避も間に合わない。
(ああ、クソ……! なんでだ!)
波導は見るんじゃない感じる。波導を循環させる?
俺の波導でそんなことできるのか?
(――待てよ?)
その瞬間、思考が冷たく静止した。
俺はなんで循環させている?
あの二人は、気配を消すためと、効率よく波導を回してスタミナを持たせるためだ。
だが、俺は?
俺の中にあるのは、千年の女王から溢れ出る、尽きることのない波導だ。女王の波導は俺の力なんだろ。
(そうだ簡単なことじゃないか)
「う、おおおおおおっ!!」
俺は意識的に波導を増幅させる。限界など考えずに。
全身から波導があふれだす。巨大な荒波のように。
そうして俺はすももに攻撃をする。
すももはその波導の多さに驚きながら刀で構える。
ドプンッ!
「え……?」
すももが驚愕し、咄嗟に木刀でガードする。
俺の波導の量が多すぎるためどういう攻撃に行くかわからない。さらに常時全身に波導を纏っているため、なにも意識せずに身体能力の強化に成功した。
俺は、自分の体を見下ろした。
全身が、真っ黒な陽炎に包まれている。
「循環」などしていない。常に全力で放出し、常に全力で俺を守っている。
燃費は最悪だろう。
だが、俺にはそれを維持できる「量」がある。
(これだ……これが、俺の『戦り方』だ!)
繊細な技術はいらない。
圧倒的な「量」による、絶対的な「暴力」。
「すももこれでどうだ?」
「うん! いいよ行けるよ凪人くん。それが凪人くんのやり方だったんだね」
俺はもしかしたらこれが人生で初めて、成長というものを感じた瞬間なのかもしれない。




