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第3話 波導

 そうして俺は、佳紬由という女性に手を引かれて協会の門の外に連れていかれた。

 そこには今までで見たことのない、黒光りしている車が停まっている。


「さあ、凪人君。この車で私の家まで行くわよ」

「あと、これ。凪人君のスマートフォン」


 そういわれながら、車に乗り込んだ。

 乗り心地の良いシート。高級感ある車内。こんな高級な車には初めて乗った。

 そうして、渡されたスマートフォンに目をやる。


 5月28日。


(ん? 28日?)


「佳紬由さん、俺2週間も眠っていたのですか」


「そうよ。穂波から説明なかった?」

「あなたが目覚める1週間前に、彼女は目が覚めたわ」


 世界は、俺が眠っている間にも、無慈悲に動き続けていた。

 自分が全てを懸けたつもりの二週間は、世間にとっては瞬きのような時間で、あいつにとっては忘却されるべき悪夢だった。

 そうして俺は、心地よい揺れに身を任せ、うたた寝をする。


「さ、着いたわよ」


 目が覚めて車の外へ出る。

 ここは大阪か。同じ大阪でも、俺の住んでる町からは離れた場所にある。

 そして、目の前には大きな門と、さらに大きな屋敷があった。


「……ここが、俺の新しい『家』?」


 呆然と呟くしかなかった。

 家、というより城だ。

 どこまで続いているのか分からない高い塀。歴史的な建造物として指定されていそうな、威厳に満ちた瓦屋根の屋敷が、夕闇に沈みかけている。


「ここが波導五大家が一つ、『宮家』の本家。今日からあなたが修行し、生活する場所。あなたの新しい家だよ」


 そうして、玄関を抜ける。使用人が深々と頭を下げて佳紬由さんを出迎える。

 えっと……こんなの漫画の世界だよ。今の日本でこんな家があるなんて。


 中は、外観以上の迷宮だった。

 磨き上げられた長い廊下は、人の歩く音を異様に反響させる。いくつも分岐する角。手入れされすぎた中庭は、美しすぎて逆に生命感がなかった。


(覚えられねえ……)


 右に曲がり、階段を上り、また長い廊下を左へ。

 必死に入口までの道を記憶しようとしたが、五つ目の角を曲がった時点ですでに諦めた。


「ここが、あなたの部屋」


 案内されたのは、簡素だが上質な、しかし窓の外には高い塀しか見えない六畳の和室だった。

 そして、これは俺の荷物だ。なんで、佳紬由さんは俺の家の場所を知っているんだ?


 着替えに、枕。布団は新調してくれている。さらにゲームにテレビ、本棚に入っていた小説や漫画もすべて運び込まれている。

 必要そうなものは新調してくれていて、大切なものは運んでくれている。


「じゃあ、夕食は18時からだから。それまでは好きにしてね」

「はい」

「18時に大広間おおひろまに来て。分からなかったら、そこらへんにいる人に聞いてね」

「え?」


 言うだけ言って、彼女は去っていった。


            ***


 午後5時50分。

 俺は意を決して部屋の襖を開けた。


(大広間……どっちだ?)


 案の定だった。

 右も左も、寸分違わぬ、磨き上げられた廊下にしか見えない。

 あの人、絶対分かってて教えなかっただろ……!


 当てずっぽうに右へ進み、角を曲がる。行き止まり。

 引き返し、左へ。また分岐。

 人の気配が全くない。静まり返った屋敷に、自分の焦る足音だけが響く。


(やばい、完全に迷った……! 部屋にも戻れねえよ)


「うわっ!?」

「きゃっ!」


 曲がり角を曲がると、ドン、という鈍い音。

 誰かと、正面からぶつかった。


「い、痛たた……」

「ご、ごめん!  大丈夫か!?」


 俺が慌てて手を差し出すと、床に尻餅をついた少女が顔を上げた。

 自分とさほど変わらない歳だろうか。

 陽だまりのような、柔らかな佳紬由とは違い明るめの黄色の髪。

 少し垂れた目が、庇護欲をそそる。いかにもお淑やかそうな、儚げな女の子だ。


(やべえ、宮家のお嬢様とかだったら、ぶっ飛ばされるんじゃ……)


「本当にごめん、怪我は――」

「あーーー!!」


 少女は、俺の顔を見るなり、突然目を輝かせた。


「君、佳紬由さんの言っていた凪人君でしょ!?」

「へ!?」


 予想外の反応に、思考が停止する。

 少女は、俺の手も借りずにヒョイと立ち上がり、パンパンと服の埃を払った。

 その動きは、見た目とは裏腹にやけに活発だった。


「はじめまして!  私は宮すもも!  君が来るって、佳紬由姉様からずーっと前から聞いててさ、すっごく楽しみにしてたんだ!」

「あ、え、ども……木場凪人です」


 ずっと前からって、もし俺が死ぬことを選んだらどうしてたんだよ。


 意気揚々と、まるで旧友に再会したかのように話す彼女に、俺は完全に気圧されていた。

 この陰気な屋敷の中で、彼女だけが発光しているみたいだ。


「同い年なんだよね?  よろしく、凪人くん!」

「う、うん。よろしく、宮さん」

「すももでいいよ! この家の人はほとんど宮だからね」

「こっちこっち!  大広間おおひろま、分かりにくかったでしょ?」


 すももは、俺が迷っていたのが嘘のように、慣れた足取りで複雑な廊下を進んでいく。


「あ、うん。完全に迷子だった」

「あはは、だと思った!  私も小さい頃はよく迷って、半べそかいてたよ」


 すももに案内されてたどり着いた大広間は、想像を絶する場所だった。

 体育館ほどもある畳の間に、何十人という人間がすでに集まっている。だが、その雰囲気は、俺が想像した「食卓」とはかけ離れていた。


 シーン、と静まり返っている。

 上座に座る、いかにも厳格そうな老人に、全員が意識を集中させているかのようだ。


 俺とすももが入ってきたことで、その視線が一斉に俺に突き刺さった。

 値踏みするような目。

 好奇の目。

 そして、明らかに「異物」を見る、冷たい目。


「あ、凪人くん、すももと会えたんだ?」

「……ほう。佳紬由、それが例の『爆弾』かね」


 上座の老人―宮家当主、宮源三郎みや げんざぶろうが、地を這うような低い声で言った。


「そうよ、あの子が木場凪人くん。すももと同じ年齢よ」


 すでに着席していた佳紬由さんが、俺を手招きする。


「凪人くん。この人が宮家当主の源三郎のじいさん。すももの祖父でもあるね。その隣が、すももの両親」


 佳紬由さんは慣れた様子で説明を続ける。

 上座に近い場所には、源三郎を筆頭に、屈強な男たちが並んでいる。

 対して、末席に近い場所には女性たちが静かに座っていた。

 明らかに、この家には「序列」がある。


「凪人くんは好きなとこに座りなさい」


 食事が始まっても、広間は息苦しい空気に満ちていた。

 特に会話もなく、淡々と食事が進む。すももも、ここでは借りてきた猫のように大人しく、両親とは離れて俺の隣で食事をしている。


「そうだ、佳紬由」


 源三郎が不意に口を開いた。


「その小僧には、宮家について説明したのか?」

「あ、ぜんぜんしてない」

「ふむ。ならば、わしが教えてやらねばなるまい」


 源三郎が箸を置き、鋭い眼光を俺に向けた。

 その目が語っていた。「心して聞け」と。


「よいか、小僧。我ら宮家は、波導五大家の一つであり、協会設立より前より波導の番人として司法を司り、道を踏み外した波導士、すなわち禍導士を裁く『処刑人』の一族だ」


「処刑……人?」


 喉が鳴る。

 その言葉が、俺に向けられているような気がしたからだ。


「わしらは『波導十景はどうじゅっけい』と呼ばれる、一子相伝の強力な術式を受け継ぐ。もとは、悪を裁くためだけに使用されていたが、今はそれだけでなくその力をもって、世に仇なす導魔、あるいは――制御を失った波導士を葬るのが役目」

「まあ、なんの因果か貴様はそういう家に導かれたというわけだな」


 俺は、彼らにとって守るべき「家族」とではなく、いつ爆発するか分からない「処刑対象(爆弾)」としても見られているのか。


「さ、話は終わり。冷めるわよ」


 佳紬由さんの平然とした声が、凍りついた空気を切った。

 彼女だけが、この異常な空間で、源三郎の威圧などどこ吹く風で箸を進めている。


 俺は乾いた唾を飲み込み、味のしない夕食を喉に流し込んだ。


 人生で初めて、こんなに大勢の人間と食卓を囲んだ。

 なのに、感じたのは温かさではなく、強烈な疎外感だった。


「凪人くん」


 食事も終盤、その重苦しい空気を破るように、佳紬由さんが声をかけてきた。


「明日は朝5時に起きて、庭先にいてね。明日から早速、特訓を始めるよ」

「ご、5時!?」

「そうよ、凪人くんには教えること沢山あるから、最初の一か月は朝早くか夜遅くになるわよ。私も、毎日付きっ切り凪人くんに教えることはできないからね」


 佳紬由さんは、美しい顔で、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


            ***


 翌朝。午前5時。

 眠い目をこすりながら訓練場に集まると、すでに佳紬由さんと、俺と同じ訓練着に着替えたすももが立っていた。早朝の空気は、肌を刺すように冷たい。


「さて、と」


 黄色い髪をポニーテールにまとめた佳紬由さんが、手を叩く。


「すももはもう知ってるけど、凪人くんのために基礎から説明するわね。……『波導』って、何だと思う?」

「え……なんか、力、とか……」

「雑ねえ」


 佳紬由さんは苦笑いし、説明を始めた。


「波導っていうのは、一言でいえば『魂の力』よ。生命そのものが放つオーラ、と言ってもいいわ」


 佳紬由さんは自分の手のひらを見つめる。


「この力は、人間全員が持ってる。でも、普段は眠ってるの。それが、死ぬ間際とか、いわゆる『火事場の馬鹿力』みたいな極限状態になった時、稀に覚醒する」

「この波導を使えば、身体能力を飛躍的に強化したり、波導そのものを放出して攻撃したり、空を飛んだり……まあ、戦闘における大抵のことはできるわ。それゆえに、扱いはとてつもなく難しい。なんせ、人間の奥底に眠ってる、制御不能な力だからね」


 佳紬由さんは、俺を値踏みするように見つめる。


「だから、その最初の一歩として、凪人くんにはまず、波導を『見えて』もらうわ」

「見る?」

「そう。私の目には今、すももの周りにもうっすらと、純粋な白いオーラが見えてる」


 佳紬由さんはすももを指差す。

 俺は目を凝らしたが、すももの周りには朝靄以外、何も見えない。


「……何も、見えません」

「でしょうね。じゃあ、すもも。凪人くんはどう?」


 すももは、俺をじっと見つめると、少し顔を曇らせた。


「うん……見える。すごく……濃い黒。なんだか、光を全部吸い込んじゃいそうな、初めて見るよ。黒なんて」

「なっ!?」


 自分には見えないものが、彼女には見えている。

 そして、それが「黒」という不吉な色であることに、俺はショックを受けた。


「見えるようになるコツは、ないわ」


 佳紬由さんは、あっさりと突き放した。


「ひたすら意識し続けること。集中すること。それだけ」

「え、それだけ!? コツとか……」

「ない。……と言いたいところだけど」


 佳紬由さんは付け加えた。


「あなたの中には、あの“波導の女王”の馬鹿げた力が常に流れ込んでる。普通の人より、その『波導』という感覚自体に『慣れる』のは早いはずよ。だから、コツをつかんでさっさと見なさい。それがスタートライン」


 そう言うと、彼女は「朝ごはんの要望出してくるから、パンでいいよね?」と、さっさと訓練場を後にしてしまった。


「えええ!?  行っちゃうのかよ!?」

「頑張ってね、凪人くん!  私、そばで見てるから!」


 二人きりになり、すももがにこやかに笑いかける。


「……なあ、すももちゃん。佳紬由さんって、いつもあんな感じなの?」


 俺は、途方に暮れながら尋ねた。


「うん!  でもね」


 すももの目が、急に尊敬の色に変わった。


「佳紬由さんね、すっっっごく強いんだよ!」

「強い?」

「そう!  この宮家だけでなくてね、波導士の中でも円城寺さんと並ぶぐらい強いんだよ。だから波導士の中で今最も強い二人なんだよ。私のあこがれの人なんだ。佳紬由さんと、私のお兄様は」


(あの人が……一番……)


「お兄ちゃんもいるんだ?」

「うん、そう。今は家にいないけどね」


 俺は、家の歪みに真っ向から異を唱える、佳紬由さんの厳しくも美しい横顔を思い出した。そして、すももが憧れるもう一人の存在――「お兄様」という人物にも、少しだけ興味が湧いた。


「佳紬由さんに認められたら、すっごいことだよ! だから、頑張ろうね!」

「……お、おう」


 無邪気に励ましてくれるすももの隣で、俺は目を閉じ、意識を集中させ始めた。

 見えないオーラを、ただひたすらに「見よう」とする、地道で孤独な第一歩が始まった。

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