第29話 解け行く氷
「久しいのう、我が従僕」
その女の子の目は静かに俺を見つめている。
「お前は、女王なのか?」
残血を吐きながら問う。
女王のはずだ。この声も影から出てきたのも。
でも姿が変わっている。なんでだ。
「女王か。そうじゃな……。わしはもう女王と呼ばれるほどの存在ではない。わしは自分の名前も捨てたただの導魔じゃ」
「名前を捨てた? どういうことだ?」
「詳しいことはまた話してやる」
俺の胸の傷は完全に癒えた。少女から流れた波導が俺の体を癒した。
あの宮島の時と同じように。
「なんでじゃあ、出てきたんだ?」
「ただの気まぐれじゃ。今は夜じゃしな」
少女がナイフ男を一瞥した。
「どうじゃ、我が従僕よ。ここは一つわしと取引をせんか?」
「わしがあのツンツン頭(ナイフ男)を殺してやる」
淡々と言う。
「その代わりうぬはわしに名前を付けろ。うぬじゃあの男には勝てん」
「何が目的なんだよ。名前? なぜ俺を助けるんだよ」
「別に助けるわけじゃ無いわ。ただわしもやつが気に食わんだけじゃ」
「なんで今出てきたんだ。宮島の時はあんな形だったのに」
「ただ力を取り戻しただけじゃ。断る理由も無かろう」
それもそうだ。俺じゃあ、あいつを倒せない。
でも俺はここでこいつの力を借りるのか?
「うぬがわしを嫌っているのも分かる。じゃが、あの娘が死ぬことに比べたら名前を付けるぐらいは簡単なことじゃろう?それ以上はわしは何も求めんし、うぬらに不利益になることはやらん」
「絶対にだぞ。俺はまだ信用できない」
「ふん、そんなことで嘘をつくか。わしを舐めるなよ」
彼女の眼光は冷たく俺を見下ろした。
「わかった。名前だけでいいんだな」
「ただの名付けでも、元女王の真名となるんじゃぞ。生半可な名前は許されんぞ」
名前? いきなり言われてもそんなこと。
こいつの名前? 元の名前ってなんだったけ?
(ーーシオンという名前、私が1番好きな名前なんだよ)
誰の声だ? 佳紬由さん? すももちゃん?
「シオン……」
「そうだ、お前の名前はシオンだ」
吸い込まれるように名前を口にした。
彼女の銀色のまつ毛が震えた。
「ふっ……良い名前じゃ。これで契約完了じゃな」
「娘と二人でこの蔵から出ていけ。近すぎると巻き込まれるからな」
「頼んだぞ、シオン」
「誰に言っておるのか」
俺は静香の方に走って静香を抱き抱えて倉庫の外に走った。
***
「さて、人間よ。我が主人様を傷つけたこと今から後悔させてやるからな。」
シオンがそう言った瞬間、倉庫内の空気が凍りつく。
(なんやこいつ。ガキからガキが出てきたと思えばただの式神じゃ無い。こいつは導魔なのか?)
「どうした? わしがうぬの探していた波導の女王じゃぞ」
「そうか、お前が女王か」
男は先ほど千切れた右手を押さえながら目をかっ開く。
男が左ポケットから注射器を出し、首元に刺した。
男の右手が再生し、波導が今まで以上に溢れ出した。
そして男の体が瞬く間に消えた。先ほどのスピードを上回る速度。
グシャリっ!
男がシオンの後ろに回り込んだ次の瞬間、再生した右腕が再度潰された。
「遅い、その程度か人間。うぬよ、よほどスピードに自信があるようじゃな。先ほどと攻め手が変わっておらんぞ」
シオンがそう小さく冷たく呟いた。
「ーー!!」
そして男は即座に距離を取ろうと後ろに跳んだ。
だが、
「逃げれると?」
シオンが自身の銀色の髪の毛を一本、指で弾き飛ばした。
「……ただのハッタリかと思ったが」
「ふ、セリフも雑魚のそれじゃな」
男がナイフで髪の毛を止めようとした。
だが、銀の髪の毛はナイフを貫通し男の心臓を貫いた。
「がはっ!」
「我が主人様のデータはあるが、わしのデータはなかったか」
「……な……にをした? 一体何が」
「うぬを殺した」
「ではさらばじゃ」
グチャリッ
***
ここら辺だったら大丈夫だろう。
俺はどこかまだ女王、いやシオンのことを頭から忘れようとしている。
「静香、ここで待っていてくれ。絶対に動くなよ」
「それと、俺一人じゃやっぱり何もできなかった。だからその分も俺は……」
誰かを守りたいという気持ちは俺を強くすることなんてなかった。
そして俺は倉庫へまた向かった。女王を手助けするために。そんなことしない方が幸せだったのかもな。
***
バリバリ……ゴリッ……
倉庫中に充満した鉄の匂い。
そして聞きたくもなかった咀嚼音。
「おー、我が主人様よ、来たかー。やつならもう終わったぞ。うぬもさあ喰え、祝杯じゃ」
シオンは口の周りをべっとりと赤く染め、無邪気に振り返った。
分かってる。俺はこれを否定できない。否定しない。
そんなこと頭で分かってる。だけどだめだ俺はこの空間を許せない。
真にもああ言ったんだ。俺は、俺は……。
おかしいよ、なんで一度でもこいつに信頼を……。
そんなこと、頭では分かってる。
覚悟した。
つもりだった。
「……っ、うぇ……」
「なんじゃ、その吐瀉物は。うぬよ、まさか否定するのか。いつだかの時は仰々しく語っておったのでは無いか」
そうだ、シオンの言うとおりじゃ無いか。
俺は頭では分かっていた。でも今それを敵だと言えど同じ人間を喰った。俺は殺すつもりがなかったのに。
シオンが人を殺した。俺は静香を傷つけるやつを許さない。
だからって死んでほしいなんて幼稚なことも思わない。
俺はどうしたらいいんだよ。
「どうした喰わんのか?」
「なあ、シオン。人間を食うってどんな気分だ?」
「人間か? うぬならわかるじゃろ、ただの食料じゃよ。それ以上も以下もない。もうわしは喰い物の味など忘れてしもうたのう」
「そうかそうだよな。俺もそれは分かってるんだ。なあ、お前は今俺の主人なんだろ? じゃあそれを辞めることはできないか?」
「人を喰うことをか? なぜじゃ?」
シオンは心底不思議そうに、紅い瞳を瞬かせた。そこに悪意や煽りは一切ない。彼女は本当に、俺がなぜこんなことを言っているのか「理解」できていないのだ。
「あの頃の俺は空っぽだった。静香やトウジとケンゴしか友達はいなかった。人間との繋がりが薄かった」
「でも俺の心には今、沢山の人で埋まっている。お前のおかげで俺の心は埋められたよ。すももちゃんとか佳紬由さんと会えてさ、初めて家族っていうのもできた。だから俺はお前を嫌いになりたくないんだ」
「ふん、つまらん。わしは生きるために喰っているだけじゃ。わしは誰の指図も受けぬ」
「佳紬由さんに聞いてみたら分かるかもしれないじゃないか。もしかしたら人間を食わずとも生きれるかもしれないだろ」
「無いな。大体、うぬ如きが指図するな。わしの主人だとしてもな」
「主人? どういうことだよ」
「そんなことも知らぬか……。まあいい機会じゃ」
空気が冷える。
呼吸も遠くなる。
シュッーー
刹那。俺の目の前には、シオンの透き通るような美しい顔が近づいていた。
そして彼女の白く細い腕は、俺の胸のド真ん中を、深く、深く貫いていた。
ドクッ、ドクドクッ……。
開いた穴から、俺の血が止めどなく溢れ出し、彼女のドレスをさらに赤く染めていく。
「うぬを殺し、この主従関係も破棄としようかのう。うぬが人喰いを認めれないのなら仕方ないじゃろう」
「やはりこうなってしまうのか、うぬとなら共に歩めると思ったのにのう」




