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A組、そして入学式へ

 ミリアが走り去り、呆然と立ち尽くしたままのアレクの元へ、私は静かに歩み寄った。


 周囲の生徒達はほんの数分前の出来事で未だに色めき立っており、好奇の視線を私に注いで来る。

 しかし公爵令嬢として、ここで立ち止まり続けるわけにはいかない。


 私はいつも通りの微笑みを浮かべ、そっと手を差し出した。


 「……参りましょう、殿下」


 その声に、アレクははっとしたようにこちらを見る。

 ――一瞬だけ迷いの色を浮かべ、すぐに王子の顔へ戻って私の手を取った。


 「ああ、すまないクラリス」


 形式通りの完璧なエスコート。


 先程までのざわめきが嘘のように消え、代わりに向けられるのは――ため息混じりの憧憬。


 ……ああ。

 きっと彼らの目には、素敵な「王子」と「未来の王妃」が仲睦まじく並んで歩いているように見えているのでしょうね。




 空気が変わるのを感じながら、ゆっくり優雅に校舎へと歩き始める。

 その途中、私は顔の角度も微笑みも一切変えないまま、僅かに唇だけを動かした。


 「……何をやっているのよ、アレク。さっきのあれは何?」


 アレクにしか聞こえない小さい声。それでも彼を責める響きは隠さない。

 

 アレクもまた、表情を崩さぬまま小さく息を吐いた。


 「……僕も途中で来たんだ。全部は分からない」


 低く、押し殺した声。


 「でも――伯爵令嬢たちがミリアに難癖をつけているのが見えた。

  だから、急いで割って入ったんだ」


 その言葉に、私は小さくため息をついた。

 私は何も返さず、ただ静かに前を向いたまま校舎へと歩みを進めた。


 特進クラス――A組。


 教室の扉をくぐった瞬間、いくつもの視線が一斉に集まり、座っていた生徒達も全員が立ち上がって臣下の礼を取った。

 

 王子と公爵令嬢が同室に現れたのだから、社交界では当然の反応。

 ——でも、ここは学園。皆が平等のはずなのだ。


 私は笑顔のまま、他の生徒らに気付かれぬように僅かにアレクの脇を肘で小突き、言葉を促した。


 「っ……皆、ここは学園だ。僕達は同じ学生であって、今この学園内にいる限りでは同じ立場なんだ。……そんなに畏まらないでくれ」


 「ええ、アレクシス殿下の言う通りです。あまり身構えられてしまうと、私達も悲しいわ?」

 

 息が詰まるような張り詰められた空気はほぐれ、ほっとしたように皆が表情を和らげた。

 A組と言うこともあって、見える顔ぶれも名家の子息や令嬢が多く、大半は名も顔も一致している。

 

 でも――その中にミリアの姿は、どこにもなかった。



 アレクも同じことに気付いたのだろう。

 わずかに眉を寄せて教室を見回し、踵を返しかけた。


 「アレク……?」

 

 「……探してくる」


 決意の滲んだ横顔。

 だが――



 「まあ、殿下。お席はこちらでしてよ!」


 「殿下! 本日もお麗しゅう……」


 「殿下、入学式の後ご一緒にお茶でも――」


 甘い声が幾重にも重なり、アレクの行く手を塞ぐ。

 色とりどりの香水の匂い。笑顔。媚びるような目。

 


 それはまるで――獲物を囲い込む、静かな狩りのようだった。




 アレクの貼り付けている微笑みが、わずかに硬くなる。

 それでも王子として、無下にはできない。



 「クラリス様……! 学園でこうしてまたお会いできて光栄ですわ」

 

 「先程の殿下とのお言葉、とても感銘を受けましたわ! ぜひ、ご学友としてお傍に……」


 「クラリス様!」


 もちろん私にも、媚びの笑顔と取り入ろうとする令嬢達が押し寄せて来る。


 (……なんて、面倒なのかしら)


 ――その時だった。


 「――朝から賑やかだね」



 軽やかな甘い声が、空気を切り替えた。

 その声の主は、振り向いて確認するまでもない。


 「兄さん、先に行くなら言ってくれないと」


 「すまないルイス。つい……ね」


 扉にもたれかかるように立つルイスの姿に、今度は別の黄色い声が上がった。


 「やぁクラリス、今日も幾重にも束ねた白百合の花束よりも美しいよ」


 「ぷふっ……。ん”んっ! ルイス殿下、ごきげんよう」


 思わず笑ってしまうが、何とか誤魔化して笑みを浮かべる。

 

 最近のルイスは……何故か妙に歯が浮くようなお世辞ばかり言うようになっていて、つい可笑しくって笑ってしまうのよね……。

 


 その後も押し寄せる級友の対応に追われ、気が付けば――


 キーンコーン……


 ――無情にも予鈴が鳴り響いた。


 ワイワイとお祭り染みた空気が、鐘の音で強制的に切り替わる。



 それでもミリアは、まだ教室に来ない。

 本鈴まで、あとわずか。



 (……間に合わない?)



 本鈴が鳴り始め、アレクが腰を浮かそうとした瞬間、バンッと音を立てて勢いよく扉が開いた。


 「はぁ……っ、はぁ……っ……」


 息を切らしながら立っていたのは――

 ミリア。


 そして、その隣には見知らぬ男子生徒が一人。



 静まり返る教室に、視線が二人へ一斉に集まる。

  

 ガタンと音を立てて椅子からアレクが立ち上がるも、教室の扉が再び開き、教師が姿を現した。



 「これより入学式を執り行う。全員、講堂へ移動しなさい」




*   *   *






 辿り着いた講堂には、すでに多くの新入生が集められていた。

 

 高い天井。差し込む春の光。

 厳かな空気が、これから始まる時間の重みを静かに告げている。


 指定された席へ腰を下ろすと、ほどなくして拡声魔法によって増幅された教員の声が、講堂全体へと響き渡った。


 「ただいまより、王立学園入学式を開始する」


 その一言で、空気が完全に切り替わる。



 まずは――エルディリオン王陛下の御言葉。


 玉座に座す時とは異なる、学び舎を見守る穏やかな声音。

 それでも一言一言には、国そのものの重みが宿っていた。


 続いて学園長の挨拶。

 長き歴史と誇り、そしてこの場所が身分を越えた学びの園であるという理念が語られる。


 ——そして。


 「それでは、新入生代表による挨拶を行う」


 「首席合格者――ミリア・ブレッドリー!」


 ざわり、と。

 貴族の席を中心に小さな騒めきが広がった。


 「ブレッドリー? どこの家名だ」

 「聞いたことがないな、平民か?」


 

 囁きの一つ一つは、決して大きくはない。

 しかしその数が多ければ無視できぬ響きとなり、耳にした人間がまた隣の人間と囁き合う。 


 ――その中で、ミリアはまっすぐに立ち上がった。


 震えず、視線の重圧に俯きもしない。


 ただ胸を張り、前だけを見つめ、一歩一歩壇上へ向かって歩いていく。


 (ミリアちゃん……強いな)

 

 気付けば、クラリスは息を吸うのも忘れて彼女を見つめていた。


 そして――壇上に上がり、新入生の方へ向きなおったミリアは、拡声魔法を使用して挨拶を始めた。




 「新入生代表、ミリア・ブレッドリーです」


 一度、静かに息を吸う。


 胸の奥で鳴る鼓動は、きっとこの講堂の誰よりも大きい。


 それでも――逃げずに、前を向いた。


 「本日は、このような晴れの日を迎えられたことを、新入生一同……心より光栄に思います」


 言葉はゆっくりと、噛みしめるように紡がれていく。


 「王立学園という歴史ある学び舎に立てたこと。

 ここまで支えてくださった家族や周囲の方々がいたこと。

 そのすべてに、深く感謝しています」



 わずかに視線を上げると、注がれる無数の視線のどれかと目が合ってしまう。

 決して友好的なものばかりではない視線に晒されていても――もう震えてはいなかった。



 「私は、決して恵まれた身分に生まれたわけではありません。この街にあるパン屋の娘です。

 ですが、努力しこの学園で学ぶ機会を与えられ、今日この場所に立つことができました」


 静かに独白するような、それでも力強い確かな声。


 「だからこそ――ここで学べる一日一日を、決して当たり前だとは思いません」


 静寂が、言葉を受け止めていく。


 「身分や立場に関わらず、同じ学び舎に集った仲間として互いを尊重し、切磋琢磨しながら成長していくことを、新入生を代表して誓います」


 最後に、まっすぐ前を見据える。

 その瞳には、迷いがなかった。


 「そしていつか……この学園で得た知識と経験をもって、誰かの役に立てる人間になれるよう――精一杯、学び続けます」


 すぅ……と一呼吸し、微笑みを浮かべながら再び口を開いた。


「以上をもちまして、新入生代表の挨拶とさせていただきます!」


 そして深く、丁寧に頭を下げた。


 澄んだ声で読み上げられた飾らない言葉。

 それは純粋に学びへと未来へ向き合う、確かな決意に満ちた響きであった。


 この場所で学びたいという願い。

 支えてくれた人々への感謝。

 そして未来へ進む覚悟。


 それらすべてが、まっすぐに講堂へ広がっていた。

 ……誰も、声を挟まない。

 先ほどまでの野次染みた囁きすら、いつの間にか消えていた。


 そして……静寂だけが残る。

 

 講堂に満ちているのは、ただ一つ。

 彼女の言葉が残した、まっすぐな余韻だけ。


 その静けさを――


 ぱちり。


 最初に破ったのは、アレクの拍手だった。


 遅れて、クラリスが。

 続いて、ルイスが。


 やがてその音は、波紋のように講堂全体へと広がっていく。


 戸惑いながらも、否定できない何かを胸に抱えながら、新入生たちは次々と手を打ち鳴らした。


 今この瞬間――

 ミリア・ブレッドリーは、この場所に立つ資格を誰よりも堂々と証明してみせたのだった。



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