閑話 それぞれの結果発表 後編
王城の朝は、いつもと何一つ変わりませんでした。
規則正しく鳴る鐘の音。
塵一つない清潔に保たれた廊下。
足早に静かに行き交う使用人達。
その全てが、昨日と同じ。
今日が特別な日だとは、誰一人として知らないかのように。
今日は、王立学園の合格発表の日。
本当なら今すぐ城を飛び出して、この目で確かめに行きたい。
けれど――それは叶わない。
公爵令嬢である私が、ただの結果を見るためだけに城下へ降りることなど、到底許されるはずもなかった。
だから私は、何も知らないふりをしていつも通りの朝を過ごしている。
メアリーが淹れてくれたばかりの湯気を立てる紅茶の香りも、窓から差し込む光も、すべてが遠く感じられた。
(……ミリアちゃん)
名前を心の中で呼ぶだけで、切なさで胸がきゅっと締めつけられる。
今、あの子は――
どんな顔で掲示板を見上げているのでしょう。
震えているだろうか。
それとも、もう――
そこまで考えて、私はそっと目を伏せた。
――信じなきゃ。
あの子がどれだけ努力してきたのかを、私は一番よく知っているのだから。
それからの時間は、まるで嫌がらせされているかのように、ひどくゆっくりと流れているように感じられました。
結果を見に行った使用人が戻る時刻は、もう過ぎているはずでした。
(……まだかしら)
それでも焦ってはいけない。
問いただしてはいけない。
ただ静かに堂々と待つことだけが許された振る舞い。
――それが、貴族というものなのだから。
* * *
午後。
そう、あろうことかもう午後です。
とうの昔に使用人は結果を見てきているはず。なのに誰も私へ報告してくれない。
モヤモヤしながらも座学へ取り組んでいると、扉を叩く控えめな音が響き、ドキッと鼓動が跳ねました。
「……失礼いたします」
入ってきた使用人の手には、王立学園の紋章が押された封書。
その一通だけで、すべてを理解してしまう。
大丈夫だと落ち着いているはずなのに、喉が、ひどく渇いていました。
「……結果は?」
できるだけ平静を装って問いかけるも、声はわずかに揺れてしまいました。
使用人は深く一礼して、静かに告げる。
「アレクシス殿下、ルイス殿下、そしてクラリス様――
皆様、合格でございます」
その言葉に、胸の奥の緊張がふっとほどけ、知らぬうちに握り締めていた手を緩めました。
――よかった。
でも、本当に知りたいのはそこではない。
私は、そっと息を吸い直した。
「……掲示板に、他に特記事項は?」
使用人は僅かに考えるように目を伏せ、やがて静かに首を横に振りました。
「いえ……特に合格者番号以外見当たりませんでした」
「――そう、ありがとう」
それ以上の情報は、何一つ得られない。
折角晴れた胸の奥に、再び言葉にならない感情が広がっていく。
安心。
不安。
焦り。
どれもが混ざり合って、形を持たないまま沈んでいく。
(……ミリアちゃん)
城へ呼ぶこともできない。
気軽に手紙を書くこともできない。
彼女の安否はただ――入学の時を待つしかないのです。
「……ご苦労様」
私は微笑み、何事もなかったかのように頷いた。
それが、今の私にできる唯一の振る舞いでした。
* * *
――同じ頃。
王城の一角、陽の差し込む回廊。
「……おかしいな」
ぽつりと呟いたのは、ルイスだった。
「何がだ?」
隣を歩くアレクシスが問い返す。
ルイスは少しだけ目を細め、遠くを見るように視線を向けた。
「クラリスも兄さんも、結果を聞いたはずなのに――どこか、安心しきっていない顔をしてる」
その言葉に、アレクシスは黙り込んだ。
図星だったのだ。
「……当然だろう」
やがて、静かに答える。
「本当に知りたい結果は、まだ分かっていないんだから」
その声は落ち着いていたが、わずかに硬さを含んでいた。
ルイスは何も言わず、ただ小さく息を吐く。
――なるほど。
すべてを理解したわけではない。
ただ、浮かれるにはまだ早い。それだけは、はっきり分かった。
* * *
翌日の午後、庭園で王子達とクラリスでいつものお茶会をしている時の事。
他愛もない話をしていたアレクが、急に真剣な顔をして切り出したのだ。
「……クラリス。ミリアの結果……分かったか?」
「……ううん」
それだけで、アレクの表情が曇った。
きっと大丈夫。
そう言いかけて、彼は言葉を飲み込んだ。
希望を口にして、それが違っていた時の怖さを、彼も分かっているのだ。
「……入学式を待つしか、ないわね」
クラリスがそう言うと、アレクは悔しそうに唇を噛んだ。
「結果を聞くことも、手紙を出すことも出来ないなんて……」
「身分があるからこそ、できない事もあるって……辛いわね」
自分で言っておきながら、その事実がこんなにも重く感じるなんて。
どんよりとしていた二人の様子を黙って見ていたルイスが、静かに口を開いた。
「……大丈夫だよ」
いつもより落ち着いた声だった。
「二人がそこまで心配する相手なんだ。きっと自分の足で立ってるさ」
その言葉に、クラリスははっとした。
(そうよ、ミリアちゃんは、守られるだけの子じゃない)
アレクを見ると、同様に彼もクラリスを見つめ、小さく頷いた。
(……信じなきゃ)
結果がどうであれ、入学式の日には、また同じ場所に立てると。
クラリスは胸の前で祈るようにそっと手を組んだ。
春は、もうすぐそこまで来ている。




