王都へ!初めての花祭り!
花祭りを三日後に控えた日の朝。
わたしたちエルフォード公爵家一行は、王都へ向けて旅立ちました。
王都には公爵家の別邸があって、毎年のお務めや大きな式典のときはそこに泊まるのです。
けれど……わたしはまだ一度しか行ったことがありません。
だから今日は、朝からるんるんなのです!
「クラリス、馬車に揺られても酔わないように、姿勢を正しくね?」
「はい、お母さま!」
エルフォード公爵領は王都のすぐ隣にあり、馬車に乗れば数時間もあれば王都まで到着する。
ちょっぴりお尻も痛くなるけれど、わたしを待つ新しい景色がそんな事を忘れさせてくれた。
お母さまの隣に座って、王都へ続く大通りを走る馬車の窓から外を眺めると——。
「わぁ……!」
胸が高鳴って、息をするのも忘れそうになりました。
だって……もう遠くに見えるのです。王都の城壁が!
白い大きな壁が、朝の光を受けてきらきらしていて……。
「お母さま!!見えます! 見えますわ!!」
「ふふ、そんなに身を乗り出しては危ないわよ」
でも、止められても止まらないくらい、心が躍ってしまうのです。
王都が近付くほど、旅の道には花飾りを売る露店が増えていて、お花を編んだ冠や、花びらの飾り紐を抱えた人たちが行き交っています。
「見てくださいまし!あの人の荷車、お花でいっぱいですわ!」
「花祭りのために、王都中から花職人が集まるのよ」
わたしの目はずっと窓の外に釘付けでした。
初めて見る王都の景色。
初めて見る花祭りの準備風景。
まだ祭りは始まっていないのに、世界がきらきらし始めているみたい。
「お父さま、あれはなんですの!?」
「うん?……ああ、あれは祭りの花灯台だ。夜になると灯りが点いて綺麗なんだ」
「灯りが……お花が光るのですか!?」
「ああ、そうだとも!」
街道から城下町へ近付くほど、道の両脇には無数の花飾りが並び、街路樹には色とりどりの布がかけられています。
花祭りは、春の訪れと一年の幸せを祝うお祭り。
王都に住む人たちは、みんな笑顔で準備をしていました。
「お母さま、あのお姉さん、屋台を作っていますわ!」
「ええ。屋台は朝から晩までたくさん並ぶの。
人もたくさん来るから、迷子にならないよう気をつけないとね?」
「……は、はい!」
また胸がきゅっとしました。
でも、それ以上に楽しみが勝って、
わたしは思わず胸の前で手をぎゅっと握りしめました。
「クラリスは、本当に楽しそうだね」
「もちろんですわ! わたし……今日をずっと待っていましたもの!」
しばらくして、馬車は王都の城門をくぐりました。
門兵さんたちが敬礼し、お父さまが軽く頷き返します。
わたしはひときわ大きな声で「こんにちは!!」と言ってみました。
門兵さんはびっくりした顔をして、それからとても優しく笑いました。
「ふふ……クララは今日も元気ね」
「だって王都ですもの!!」
城下町は街道に比べ、もっと多くの人が行き交っていました。
同い年くらいの子供達は笑顔で駆け回り、素敵なカップルが花に負けない笑顔を咲かせ、お祭りの準備に専念する男の人達の顔にも、汗をかきながら輝く笑顔が浮かんでいました。
「あ……美味しそうな匂い……!パン屋さんですわ!」
「クララ、はしたないですよ」
「はぁい、お母さま……」
やがて馬車は、公爵家の別邸へと到着しました。
真っ白な石造りの三階建ての建物で、庭には早咲きの花が咲いていました。
別邸の扉が開き、屋敷の人たちが一斉に頭を下げます。
「お帰りなさいませ、公爵様、奥様、そして……クラリスお嬢様」
「まぁ……クラリスお嬢様、大きくなられましたねぇ」
「花祭りの飾りも、もうすぐ完成いたしますよ」
みんなが優しく迎えてくれて、
胸の中がまたぽかぽかしました。
「クララ、今日はゆっくり休んで、明日街へ行く準備をしましょうね」
「はいっ!!」
王都の空は、公爵領よりずっと明るい気がしました!
わたしは胸を高鳴らせながら、
小さな靴音を弾ませて別邸の中へ入ったのでした。
この時、わたしはまだ知りませんでした。
この街で、人生で一番大切な出会いが待っていることを……!
* * *
別邸での荷ほどきが終わると、お父さまとお母さまは大人のお話があるらしく、侍女のメアリーがわたしの側についてくれることになりました。
……でも。
わたしの目は、もうそれどころではありませんでした。
だって、このお屋敷——
とっても、とっても広いのです!
白い廊下はどこまでも続いているみたいで、壁には綺麗な絵がたくさん飾られていて、天井の飾りまできらきらしています。
「まぁ……素敵ですわね……」
そう言って、わたしは小さく微笑み、歩幅もきちんと揃えて歩きました。
だって今は、ちゃんと見られているのですから。
公爵令嬢は、走ったりしてはいけません。
……いけません、よね?
角を一つ曲がったところで、メアリーが別の侍女さんに呼ばれました。
僅かに注意がわたしから逸れた。
にこり。
完璧な笑顔。
——そして。
「……いまですわ!」
わたしは、ドレスの裾をきゅっと少しだけ持ち上げて、ぱたぱたっと駆け出しました!
「なッ!お嬢様!!走ってはいけません!!お待ちください!」
「お屋敷からは出ませんから、心配しないでー!」
ぱたぱた、ぱたぱた。
小さな靴音を響かせながら廊下を抜けると、
大きなガラス扉が目に飛び込んできました。
取っ手に手をかけて、えいっと押すと——
「わぁ……!」
そこには、広々としたお庭が広がっていました。
王都の別邸のお庭は、公爵領のお屋敷とは少し違っていて……。
魚と鳥を模した噴水からは水音がさらさらと心地よく響いています。
花壇には、まだ蕾の多い春の花たち。
けれど、その間に混じって、色とりどりの花飾りがすでに飾られていました。
リボンで飾られた花、花を編んだ輪。
風に揺れる飾り布。
お庭でも、静かにお祭りを待っているみたいでした。
噴水の縁にそっと近づいて、腰掛けながら水面を覗き込みます。
きらきら光る水の中に、小さなわたしが映っていました。
「……ふふ」
少しだけ背伸びをして、噴水の水に指先を触れてみると、
ひんやりして、くすぐったくて。
「つめたい……!」
思わず小さな声がこぼれました。
その時。
「クラリスお嬢様——!?」
遠くから、メアリーの慌てた声が聞こえてきました。
——まずいですわ。
わたしは、すっと背筋を伸ばして、
座っていた噴水の縁から立ち上がりました。
ドレスの裾を整えて、手を胸の前で重ねます。
「……あっ!」
ちょうどその瞬間、メアリーが庭に姿を現しました。
「お嬢様! 走ってはいけませんとあれほど……!」
心配してくれていたのか、息を切らしながらほっと息を付きました。
「まぁ、メアリー。わたし、少しお庭を歩いていただけですわ?」
にこり。
完璧なお嬢様の笑顔。
メアリーは一瞬、言葉に詰まりました。
「……も、もう。お嬢様ったら……」
その声は、呆れたようで、でもどこか安心したようで。
わたしは心の中で、そっと小さくガッツポーズをしました。
だって——
こんなに素敵なお庭、見ないなんてできませんもの!
「ごめんなさいね、メアリー?」
ペロっと舌を出して謝る。お母さまやバートランドが相手なら雷が落ちていたかもしれない。
でも、メアリーだから……!
キラキラした目を向けるわたしに、メアリーは小さくため息をついて、周囲を見回しました。
「……お嬢様。では、お庭のこちら側だけですよ?……奥の方は今庭師の方が整備中ですし、迷いやすいのですから」
「はい、わかりましたわ!」
元気よく返事をして、わたしは素直に頷きました。
……表向きは。
メアリーは噴水の近くに腰掛け、
刺繍の入った布袋から何かを取り出し始めました。
どうやら、わたしのための上着を準備してくれているみたいです。
でも、わたしはまたこっそりと忍び足でメアリーから逃げ出したのです。
「あはははっ!」
「あっ!!お嬢様っ!もうっ!!」
わたしは笑いながら、庭の奥へと駆け出しました。
迷路のようになっている背の高い花壇を駆け抜けていくその瞬間——
「おっと!」
目の前から、低くて驚いた声がして、わたしは思わず足を止めました。
危うくぶつかりそうになったのは、腰の曲がったお爺さんでした。
手には、庭仕事に使う大きな剪定ばさみ。
「危ない、危ない。お嬢ちゃん、走っちゃいかんよ」
優しいけれど、少しだけ心配そうな声。
わたしは、はっとして背筋を伸ばしました。
「ご、ごめんなさい……! わたし、前をよく見ていませんでしたわ」
両手を胸の前で重ねて、ぺこりと頭を下げます。
お爺さんは目をぱちくりさせて、それからふふっと笑いました。
「こりゃご丁寧に。えらいお嬢ちゃんだな」
そう言って、剪定ばさみを近くの花壇へと立てかけました。
お爺さんは、このお庭を手入れしている庭師さんなのだそうです。
花壇の前でしゃがみ込み、傷んだ枝を切ったり、土を整えたり……
その手つきは、とても丁寧で、見ているだけで楽しくなってきました。
「……あの。お仕事、もっと見ていてもよろしいですか?」
気が付くと、そんなことを口にしていました。
庭師のお爺さんは少し驚いた顔をして、それからにこっと笑います。
「いいとも、いいとも。花はな、見てくれる人がいる方が元気に咲くんだ」
わたしは、ぱぁっと顔が明るくなりました。
その時です。
「クラリスお嬢様ーーっ!!」
背後から、聞き慣れた声。
——ま、まずいですわ。
振り返ると、そこには少し怖い顔をしたメアリーが立っていました。
「……お嬢様。何度言ったら……」
しゅん、と肩が落ちます。
でも、わたしが何か言うより先に、庭師のお爺さんが口を開きました。
「まぁまぁ。元気があるのはいいことですじゃ。
この子、花にとても興味を持ってくれておりましてな」
そう言いながら、お爺さんは作業台の上にあった小さな花の輪を手に取りました。
白や淡い色の花を編んだ、やさしい香りの花冠。
「これをな、さっき作ったんだ。
よかったら、お嬢ちゃんにあげよう」
「……え?」
次の瞬間。
ふわり、と頭に乗せられた花冠から、春の匂いがしました。
「わぁ……!」
さっきまでしょぼんとしていた胸の中が、
一気にぱぁっと明るくなった気がしました。
「ありがとうございます! とっても素敵ですわ!」
思わず満面の笑みでお礼を言うと、
庭師のお爺さんは満足そうに頷きました。
メアリーはそんなわたしを見て、困ったように微笑みます。
「……もう。本当にお嬢様は……」
その声は、やっぱり優しかったのでした。
花祭りを待つ王都の庭で、
わたしはまた一つ、あたたかい気持ちを胸にしまったのです。




