閑話 六年という時間
六年。
日々新しい物を学び、経験する僕達……いや、俺達にとってはとても果てしなく感じる長い年月。
でも数字にしてみれば、人の寿命は平均八十年。そのうちのたった六年だ。
だとしても、振り返ってみればこの年月は確かに子供である時間を終わらせるには十分すぎる時間だった。
城の廊下を歩きながら、ふとそんなことを思う。
窓に映る自分の姿は、もう十歳の頃の面影をほとんど残していない。
背は伸び、声は低くなり、纏う空気も変わった。
まぁ……望んで変えたのだけれど。
兄さん――アレクシスは、俺から見ても立派な王子になった。
昔から聡明だったが、今はそこに揺るがなさが加わっている。
多少の出来事では動じず、的確な指示を飛ばす。
人前に立てば、自然と周囲の視線を集める。
言葉一つで、人を安心させることができる。
あれは、きっと……生まれ持った資質だ。
努力で近付くことはできても、同じものには決してなれない。
悔しいが――それが事実だった。
クラリスもまた、大きく変わった。
十歳の頃、秘密の脱走に目を輝かせていた少女は、もうどこにもいない。
立ち居振る舞いは完璧で、紡がれる鈴の音のような言葉は柔らかく、ふと浮かぶ微笑みは誰よりも美しい。
誰が見ても、理想的な未来の王妃だろう。
それでも、俺達の前でだけは……あの頃と同じ顔をする。
兄さんや俺と話している時。
昔の思い出に触れた時の、ごく僅かな瞬間。
その度に、見てる事しか出来ない俺は、胸の奥がズキズキと痛んだ。
無論、六年の間俺もただ立ち止まっていたわけじゃない。
剣も、魔法も、学問もすべて磨いた。
兄さんに勝てるものと、勝てないもの。
それを冷静に見極めて、自分の長所を伸ばすことにした。
比べ続けても……意味なんてない。
王になるのは兄上だし、俺もそれに異論はない。
だからこそ第二王子の俺は、別の形で価値を持てばいいと思った。
人の心を読むこと。
場の空気を操ること。
言葉で距離を縮めること。
脱走計画の際身に着けた技術が、それが皮肉にも俺の武器になっていた。
使用人侍女達は良く慕ってくれるし、舞踏会や茶会で招かれる令嬢達は皆頬を染めて俺に熱い視線を送ってくる。
……正直に言えば、努力が形になるのは、悪くない。
だから――色々と試してみたこともある。
女性への距離の詰め方。
視線の送り方。
好まれる言葉と声の囁き方。
……いわゆる、口説き方だ。
自分を客観的に見れば、笑ってしまう。
十歳の頃の僕が聞いたらきっと顔を真っ赤にするだろう。
それでも、役に立つのならと技術を磨き続けた。
それに伴って纏う雰囲気も、色気も変わっていった。
少しでも――クラリスが、俺を男として見てくれるように。
……分かっていた。分かってはいたが……結果は変わらなかった。
彼女は変わらず優しくて、自然で。
そして変わらず――特別な何かは向けてこない。
それでもあの魅力的な明るい弾んだ声で、俺を少し見上げながら笑顔を見せてくれる。
そんなクラリスに少しだけ……、本当に少しだけ……負けた気分になる。
その代わりに、多くの令嬢がもっと僕を見るようになった。
熱を帯びた視線。
期待に満ちた声。
甘い未来を夢見る瞳。
……だが、彼女らの願いも欲望も俺に届く事はない。
俺が見ているのは、十年以上前からただ一人だけだ。
予備としか価値のない第二王子である俺にも、兄と変わらぬ笑顔で笑ってくれた少女。
あの光景だけが、今も胸の奥に残っている。
窓から冬の光が差し込んでいた。
もうすぐ春がやって来る。
そして――学園の入学試験ももう間もなくだ。
すべてが動き出す、始まりの季節。
俺はきっと、また何事もない顔をして彼女の隣に立つ。
未来の義弟として。
第二王子として。
――完璧な笑顔の仮面をかぶったまま。
それでもいい。それでいいんだ。
例え彼女が、このまま兄と結ばれたとしても。
俺は……彼女の事だけを想い続ける。




