別れと、約束
クラリスはしばらく俯いたまま、次の言葉を繋ぐ事が出来なかった。
小さな肩がほんの僅かに揺れている。
そんな彼女の様子を見て、ミリアはいつもの明るい声を出そうとして――やめた。
「……どうしたの?」
優しい声だった。
だからこそ、言わなければならない。
クラリスは、ぎゅっと拳を握りしめてから、顔を上げた。
「ミリアちゃん……。もう……ね」
そこまで言って、クラリスは一度大きく息を吸った。
「……こうやって、ここには来られないかもしれないの」
その言葉を理解した瞬間、ミリアの表情が強張った。
「……え?」
「えっと、クラリスとしては……お父様が許してくれれば一年に二回は会えるはずなの。でも、ジャックは……」
クラリスとミリア、二人の視線が僕へ向けられる。
ミリアからは、悲しげに何かを察してしまった目。
僕は、被っていたハンチング帽のつばを深く掴んだ。
――言わなきゃいけない。
――今しか、ない。
ゆっくりと、変装魔法を解く。
一瞬風が吹き抜けたかのような感覚と共に、視界で揺れる髪の色が元の金色へと変わっていく。
「……ずっと、黙っていてごめん」
発した声が、自分が出そうと思った声よりも低かった。
それでも、声に……言葉にできただけでも十分だ。
「ずっと、言えなかった」
帽子を外し、顔を上げてしっかり正面からミリアを見る。
「僕は……本当はジャックじゃない。アレクシス・フォン・エルディリオン、この国の第一王子なんだ」
その名前を口にした瞬間、空気がぴんと張りつめた。
ミリアは何も言わなかった。
そして、目を伏せてゆっくりと一歩下がる。
「……やっぱり」
小さく深呼吸をして、もう一歩――退いた。
「クララちゃ……クラリス公爵令嬢が親身にされるお知り合いで、それに……城下町を視察されるアレクシス殿下を、遠くからお見掛けした事も……ありましたから……」
そう言ってミリアは、静かにスカートの端を摘まみ、ぎこちなくも深々と頭を下げた。
――臣下の礼だった。
「……お初にお目にかかります。アレクシス王子殿下。これまでの御無礼お許し下さいませ……」
これまでの彼女とは違う、あまりにも他人行儀な臣下の礼に、胸が……痛いほどぎゅっと締めつけられる。
「違う……っ!」
僕は思わず、声を荒げてしまった。
「そうじゃない。僕がしてほしいのは、そんなことじゃないんだ……っ!!」
よろりと一歩、縋るように歩み寄るも――ミリアは顔を上げずに一歩退いた。
「……分かっています」
小さく漏れた声が、震えていた。
「しかし……身分というのは、そう簡単にどうにかなるものでは……ありませんから」
ぽたり、と。
床に、雫が落ちる。
「残酷なものなんです」
言葉と一緒に、再び涙が零れた。
僕は、どうすればいいのか、分からなかった。
何を言っても今は全部薄っぺらい詭弁になり、間違いになってしまう気がして……。
――その時だった。
「……王立学園……」
ぽつりと、クラリスが呟いた。
全員の視線が、彼女に集まる。
「学園に行けば……表向きは、身分に関係なく同じ学生として学べる場所だって、聞いたことがあるの」
クラリスは一歩、前に進み出てミリアを見た。
「先王様の王命が、校則として残っている学園なら……少なくとも、学園の中では」
そっとミリアの手を取り、優しく包むように握る。
「……大手を振って、会える」
それは、現実から目を逸らすための言葉じゃなかった。
未来の話だった。
ミリアが、ゆっくりと顔を上げる。
未だぽろぽろと流れる涙で濡れた瞳に、ほんの微かな光が灯る。
「そうすれば、私達……またこうして会える。……ううん、毎日会えるの!」
「っ……!」
ミリアは強く頷き、そっと身をクララへと寄せた。
「……私、頑張る。今までよりもっと、もっともっと頑張って、絶対学園にいく」
僕も、同じように頷く。
「僕も必ず入学する……。だから学園で、また会おう?」
「もちろん私も行くからね……!だからミリアちゃん、約束……っ!」
「うん……!殿下にも……約束します。必ず、学園でまたお会いするって」
ようやく見せてくれたミリアの笑顔に、僕は内心焦っていた。
(そうだ……もっとだ、もっと……言わなきゃ……)
伝えたい事は、まだまだいっぱいある。
でもまだそれのほんの一部しか言えていない。だから……言うんだ。
「これから城下町の視察があったら、ミリア……絶対に見に来てよ。僕は絶対、どれだけ人々に囲まれていたって、君の姿を見つけ出すから」
ミリアは一瞬、きょとんとした顔をしてから、
涙の残る瞳で、くすっと笑った。
「……もちろんです。私もしっかり、殿下へ手を振りますね」
そう言って、鼻をすする。
「……殿下はどちらに向かわれても、とても目立ちますから」
その言葉に、クラリスが小さく笑った。
「……確かに」
僕も、思わず苦笑いする。
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「……約束、だよ」
クラリスが、もう一度念を押す。
「はい、約束……です」
ミリアが頷く。
「うん……約束だ!」
僕も、はっきりと頷いた。
外では、雪が静かに降り始めていた。
この扉を出たら、もう今までみたいに会うことはできない。
それでも――別れの先に、ちゃんと皆の道が交差する時があると知れただけで、
胸の奥がじんわりと温かくなった。
これは、終わりじゃない。
未来へ続くための……約束なんだ。




