表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵令嬢は親友の為に悪役令嬢を演じますっ!  作者: 濃厚圧縮珈琲
第二章 10歳の王子と公爵令嬢
20/35

楽しい時間はすぐ過ぎて

 「……あらあら~??」


 奥の工房の扉が、きぃ、と小さく音を立てて開いた。


 最初に姿を現したのは——

 ニヤニヤを隠す気ゼロのクララだった。


 両手を後ろに組み、わざとらしく首を傾げながら、僕とミリアを交互に見比べている。


 「なぁに、この空気?」


 声に出した瞬間、もう完全に楽しんでいる。


 (……っ、この……!)


 思わず睨みつけるが、彼女は楽し気に肩をすくめるだけだった。


 そのすぐ後ろから、もう一人。


 ――剣術の師範にも匹敵するほどの大柄な体躯。

 エプロン越しでも分かる、鍛え抜かれた職人の身体。


 クララが言う『ガイおじさん』。……ミリアの父だろう。


 彼は僕の様子を見て、次に少し頬を赤くするミリアの顔を見て。

 最後に、クララのニヤついた表情を見て——


 ほんの一瞬。


 本当に一瞬だけ、名状し難い顔をした。

 花束を持ち、嬉しそうに口元が緩んでいる娘と、その前にいる少年。

 父として、察したのだと思う。



 だが、それら全てを飲み込み――


 「——いらっしゃい」


 低く落ち着いた声で、パン屋の店主としての歓迎の言葉を受けた。

 腕まくりをしながら背筋を伸ばし、ゆっくりとこちらへ歩み寄り、穏やかな目で僕を見る。


 ……視線が、妙に鋭い。


 「クララちゃんのお友達かい?」


 「そうなの!ね、ガイおじさん。今日遊びに来たの……お父様達には内緒にしてね?」


 「もちろんだとも。また兵隊さんにドアを蹴り壊されちゃたまらねぇからな」

 

 くつくつと笑う店主の隣から、クララが片目を閉じながら僕をにんまりと見つめた。


 「ねー?ジャック?」


 (余計なことを……!)



 喉が詰まりながらも、僕は小さく頷いた。


 「……ああ、そうだね」


 店主は、ふっと小さく笑った。


 その笑みは、職人のものだ。

 余計な詮索をしない、大人の笑顔。


 「そうか。じゃあ、ゆっくりしていくといい」


 そう言ってから、ミリアの方へ目を向ける。


 「ミリア。いくらクララちゃんが良いと言っても、二人はお客さんだ、ちゃんと案内してやれ」


 「は、はい!」


 少し慌てた様子で返事をするミリア。


 そしてクララと僕へ視線を走らせると、店主は少し目を細めた。


 ——やっぱり、全部分かっているのだ。


 でも、何も言わない。

 今は彼がわざわざ何かを言う必要がないと理解しているからだ。


 「……じゃあ、私は奥に戻る」


 そう言って、再び工房の方へ歩き出す。


 扉の奥へ消えゆくその寸前に立ち止まり、顔だけ振り向いた店主は、僕の目を見て口の動きだけで伝えてきた。


 『……急ぐなよ』


 その言葉に、胸がきゅっと締め付けられた。


 返事は、出来なかった。


 店主の背中が、扉の向こうに消える。


 残された空間に、沈黙が落ちた。


 その沈黙を——


 「ふふ」


 壊したのは、やっぱりクララだった。


 「いやぁ……いいもの見たわ」


 肩を揺らしながら、完全に楽しそう。


 「クララ……!」


 抗議の声を出すより先に、彼女は僕の胸元へ片手を付け、耳元へ顔を寄せた。


 「ね、ジャック」


 囁く声。


 「……恋って、こういう音がするのね」


 ——バレている。


 顔がカッと熱くなるのが分かった。


 ミリアはそんなやり取りを、少し離れた場所で不思議そうに眺めていた。


 その姿を見て——


 胸が、また鳴った。


 訳もなく。

 理由もなく。


 ただ。


 この場所に、この同じ時間を過ごす中に彼女がいることが、どうしようもなく嬉しかった。


 (……僕は、本当に)


 自覚と共に、苦笑が浮かぶ。


 クララはそんな僕を、満足そうにニヤニヤと眺めていたが、ぽんっと両手を打った。


 「ね、ミリアちゃん!今日はどのパンを焼いたの?」


 「えっとね、今日はこのブールっていう基本的なパンと、エピってパンを焼いてみたの!」



 ミリアは花束を大切そうにカウンターに置くと、試食用なのか、木のトレーに乗せられた小さなパンを取り出してきた。


 きゅっとクララがミリアの腕に飛びつくように寄り添い、ミリアも嬉しそうに僅かにクララに身を寄せる。

 傍から見ていても、二人は親友なのだとひしひしと伝わってきている。

 

 二人で楽しげに笑みを交わし、言葉を交わしているのを、じっと眺めていると――

 

 「……あの、ジャックさん」


 ミリアが、少しだけ照れたようにこちらを見る。


 「……な、なに?」


 

 「良ければ、ジャックさんも……試食されますか?」


 見れば、もう既にパンを頬張っているクララと、もう一つトレーに残るパン。


 鼓動がうるさい。

 でも今度は……逃げたくなかった。


 「ジャックが食べないなら、私食べちゃうわよ?」


 「ば、バカ!食べる!食べたいよ!!」


 そう答えると、ミリアはまた花が咲くみたいに笑った。



*   *   *



 試食用のパンは、思っていた以上に温かくて、柔らかかった。


 噛むたびに、小麦の甘さがじんわりと広がる。


 ――それ以上に、胸の奥がじんわりしていた。


 「……どう?」


 ミリアが、少し緊張したようにこちらを見る。


 その視線だけで、味の感想なんてどうでもよくなってしまいそうだったが、僕はちゃんと頷いた。


 「……美味しい。すごく」


 それは嘘じゃなかった。


 彼女は、ぱっと顔を明るくして微笑んだ。


 「よかった……!」


 その笑顔が、また胸を締め付ける。


 (……ああ、もう)


 この時間が、ずっと続けばいいのに。


 でも――そうはいかない。


 「……あ」


 ふと、クララがパンを頬張りながら声を上げた。


 「そうだ。ルイスにお土産、忘れたら怒られるわよ?」


 わざとらしく、でもちゃんと現実を突きつける声。


 ――そうだ。

 今日はただ、遊びに来た日じゃない。

 隠し通さなければならない日だ。


 「……お願い、ミリアちゃん。いくつか包んでもらえる?」


 「もちろん!」


 ミリアは嬉しそうに頷き、すぐに店の奥へ向かった。


 包み紙を広げ、丁寧にパンを選ぶ後ろ姿。

 手際のよい慣れた手つき。

 当たり前に見られる景色なのだろう。


 (……ここが、彼女の世界なんだ)


 そう思った瞬間、胸がきゅっと締め付けられた。


 ミリアが包み終えた紙袋を両手で差し出す。


 「今日焼いた中で、日持ちのするものを選びました!」


 「……ありがとう」


 受け取ると、紙袋越しにほんのり温もりが残っている。


 ――この温もりを、城まで持ち帰らなければならない。

 何事もなかった顔で。


 「……ジャックさん」


 名前を呼ばれて、顔を上げる。


 ミリアは、少しだけ躊躇うように視線を揺らしてから、柔らかく笑った。


 「また……来てくださいね」


 胸が、強く鳴った。


 「……ああ、必ず」


 返事は、それだけ。

 それ以上言えば、きっと――戻れなくなる。


 隣でクララが、何も言わずにそっと背中を押した。


 「行こっか」


 小さな声。

 名残惜しいが、行かなきゃいけない。


 「……うん」


 店の扉を開けると、午後の光が差し込む。


 僕は振り返りたい衝動を必死で抑えた。


 もしここで立ち止まれば。

 もし、もっとここに居たいと願えば。


 今日のこの脱走劇は――

 楽しい思い出だけでは終われなくなる。


 

 だから、振り返らない。




 扉が閉まる直前。

 扉に隔てられていくその隙間から、ミリアが小さく手を振るのが見えた。


 その姿を、心の奥に深く刻みつけてから――

 僕は、クララと並んで歩き出した。

 

 来た時と変わらぬ喧騒を保つ大通りへ向けて。

 また、元の居場所へ戻るために。





 楽しい時間は、驚くほど速く過ぎ去っていく。


 それでもこの胸に残った、この想いだけは……簡単には消えてくれそうになかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ