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公爵令嬢は親友の為に悪役令嬢を演じますっ!  作者: 濃厚圧縮珈琲
第二章 10歳の王子と公爵令嬢
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訳知らぬ鼓動

 「……あ、あの……」


 声を出そうとして、喉がひっかかる。


 クララに肘で軽く突かれて、僕ははっと我に返った。


 「ほら、ジャック。渡すんでしょう?」


 小声で、でも逃げ道を塞ぐような囁き。


 手の中にあった花束が、急に重く感じられた。


 (……落ち着け。クラリスの友人に花束を渡すだけだ)


 自分にそう言い聞かせて、一歩前に出る。


 ミリアは、不思議そうにこちらを見ていた。


 自分に注がれる、ただ素直な真っ直ぐな視線。

 ――それが、余計に胸を締め付ける。


 「えっと……その……」


 言葉を探す間に、指先がわずかに震えているのが分かった。

 誤魔化そうとしても、どうにもならない。

 結局、僕は無理に取り繕うのを諦め、余計な言葉を捨て、花束を差し出した。


 「……これ」


 喉から絞り出したのは、たったそれだけ。

 彼女に花束を渡す理由も、説明も何もない。



 視界の隅で天を仰ぐクララの姿が見えた気がしたが、今はそれに構っている余裕すらない。



 一瞬の沈黙。


 彼女に聞こえてしまうのではないかというくらい、心臓が鼓動を刻み、差し出した花束の先がぷるぷると震えてしまう。



 「……え?」


 ミリアは目を丸くし、それから、花束と僕の顔を交互に見た。


 「えっと……私に?」


 小さく頷く。


 それだけで精一杯だった。




 次の瞬間——。

 彼女の顔に、ふわりと笑顔が咲いた。

 まるで、本当に花が開くみたいに。


 「わぁ……ありがとう!……ふふ、綺麗なお花……!」


 その声は柔らかくて、温かくて……。

 耳から奥へとすっと入り込み、胸の奥まで染み込み、何かを弾けさせる。



挿絵(By みてみん)


 はっと息を呑んだ。


 世界の音が、一瞬だけ遠のいた気がした。

 視線をどこに置けばいいのか分からず、思わず目を逸らす。


 (……聞こえてないよな?)


 自分の鼓動の音が、やけに大きい。

 ――ばれてしまう。


 そんな意味不明な焦りに突き動かされて、僕は半歩……いや、一歩後ずさった。


 その様子を——


 「へぇ……?」


 横目で見ていたクララが、口元に手を当て、いたずらっぽく笑う。


 「なに、その反応」


 愉快そうに、楽しそうに。


 そして、何かを察したように、わざとらしく声を上げた。


 「あ、そうだ。ガイおじさんに挨拶してくるね~?」


 返事を待つでもなく、ひらひらと手を振り、その場を離れていく。


 ――逃げた。

 完全に逃げた。


 (クラリス……ッ!)


 心の中で抗議するも、今はそれどころじゃない。


 残されたのは、花束を抱えたミリアと、挙動不審な僕。


 沈黙が、少しだけ気まずく、でもどこか心地よかった。


 「……えっと」


 ミリアが、困ったように笑う。


 「あの……ジャック、さん?」


 「……あ、ああ。ジャックだ」


 名乗った瞬間、胸の奥がちくりとした。


 ——今日、彼女に出会ったのは、アレクシスではない。


 今日生まれたばかりの、ただのジャックだ。


 でも、それでいい。


 今は、それでいいんだ。


 ミリアは花束を胸に抱きしめて、少し照れたように言った。



 「ありがとう、ジャックさん。とっても嬉しい……!」


 その一言で、報われた気がした。

 理由なんて、どうでもよくなった。


 ただ——

 この笑顔を、もう一度。

 いや、何度でも見ていたい。


 それだけが、はっきりと胸に刻まれた。


 



 花の香りにうっとりしていたミリアが、はっとしたように姿勢を正した。


 「あ、えっと……ごめんなさい!私、ちゃんと名乗ってなかったですよね」


 そう言って、花束を大事そうに胸に抱え直す。


 「私、ミリア・ブレッドリーって言います。両親と一緒にパン屋をしています」


 少し照れたように、でも誇らしげに言うその声。


 ――名前を聞いただけで、胸がまた跳ねた。


 「……ミリア」


 「はい!」


 即座に返ってくる返事と笑顔に、また心臓が忙しくなる。


 「えっと……ジャック、さんでしたよね?」


 「あ、ああ。ジャックだ」


 それ以上、何も付け足せなかった。

  

 (……何をしているんだ……僕は……)



 するとミリアは、ぱっと表情を明るくして、棚の方を指差した。


 「よかったら、見ていきます? 今日のパン、結構いい出来なんです!」


 そう言って、楽しそうに説明を始める。


 「これは朝一番に焼いた白パンで、こっちは全粒粉。あと、この丸いのは——」


 彼女は身振り手振りを交えながら、次々にパンを指していく。


 焼き加減。

 生地の違い。

 香りの話。


 本来なら、本業の人間から聞ける興味深い話題のはずなのに——


 (……あれ?)


 気付けば、言葉が頭に入ってこない。



 視線は、パンではなく、話すたびに柔らかく動く唇。

 笑うと少し細くなる目。

 肩にかかって、ふわりと揺れる小麦色の髪。


 陽の光を受けて、きらりと光るその色。


 (……まずい)


 自覚した時には、もう遅かった。


 「——だから、このパンは——?」


 ミリアがふと話すのを止めた。


 そして、こちらを振り返る。


 ——目が、合った。


 真正面から、かっちりと。


 「……ジャック、さん?」


 その一言で、全身に熱が走る。


 「も、もしかして……お話、聞いてなかった……ですか?」


 眉尻をそっと下げ、責めるでもなく小さく首を傾げる。


 「い、いや! 聞いてた! ちゃんと……」


 言い訳が、喉の奥で絡まる。

 視線が泳ぎ、手の置き場が分からず、無意味に一歩動いてしまう。


 「……ご、ごめん……」


 絞り出すように謝って。


 そのまま、ぽろりと。


 考えるより先に、言葉が落ちた。


 「その……なんだ。あまりに、君が……綺麗だな……と」


 ——言ってしまった。


 言った瞬間、自分でも信じられなくて、目を見開く。


 (な、何を言ってるんだ僕は!?)


 慌てて口を塞ごうとするが、もう遅い。


 ミリアは、一瞬きょとんとして——

 言われた言葉の意味を飲み込むと、頬をみるみる赤く染めた。


 「え……えっ……!?」


 視線が彷徨い、花束をぎゅっと抱きしめる。


 「そ、そんな……突然……!?」


 照れと戸惑いが混ざったその反応に、今度は僕の方が限界だった。


 「ち、違っ……! いや、違わなくて……でも、その……!」


 言葉が完全に崩壊する。


 この場にいないはずのクララの顔が、脳裏に浮かんだ。


 (……絶対、笑ってる)


 それでもミリアは、少しだけ間を置いてから……恐る恐るこちらを見る。


 そして、小さく——でも、確かに笑った。


 「……へんな人ですね、ジャックさん」


 照れながらも、可笑しそうに笑うその笑顔に。


 胸の奥で、何かが決定的に音を立てて崩れ落ちた。


 ああ、もうだめだ。


 この時点で……いや、違う。

 出会った瞬間から、僕は――彼女から目が離せなかった。


 それだけは、どうしようもなく確かだった。


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