黄金色の天使
大通りに出ると、世界の色が一気に増えた。
縦横無尽に行き交う人々。
馬が引く荷車の軋む音。
露店から響く元気な呼び声。
真新しい布、新品の革、香辛料、食べ物——様々な匂いが混ざり合い、風に乗って流れてくる。
僕は、思わずきょろきょろと辺りを見回していた。
「……落ち着きがないわね、ジャック」
前を歩くクララが、振り返ってくすりと笑う。
「仕方ないだろ。城の中とは、何もかも違う」
そう答えながらも、視線はあちこちへと引っ張られる。
手作りの看板、無造作に置かれた道具、所せましと並ぶ商品。
すべてが新鮮で、どこか眩しかった。
そんな僕を置いていくように、クララは人混みを縫うように歩き、ある店の前でふいに足を止めた。
——花屋だった。
小さな店先に、所狭しと並べられた花々。
赤、白、黄色、紫。
見慣れない形の花もあれば、どこか素朴で可愛らしいものもある。
「……わぁ」
クララが、思わずといった様子で声を漏らす。
その横顔を見て、僕は足を止めた。
彼女は一つ一つの花を真剣に見つめ、時折首を傾げ、指先でそっと触れながら悩んでいる。
どれも同じように見えて、どれも違う。
そんな花達の前で、彼女の表情はいつになく柔らかかった。
(……本当に、楽しそうだな)
微笑ましい気持ちで見守っていた、その感情が——
ふと、別のものに変わる。
(……ここまで真剣に花を選ぶ相手、か)
考えてみて、小さく苦笑が零れた。
嫉妬――そんな感情は、不思議と浮かばなかった事に自分自身少し驚いていた。
だがこれがルイスなら……きっと涙目になるだろう。
やはり、僕にとってクラリスは――
「……これと、これ……ううん……」
クララは何度か花を組み替え、ようやく一つの束を作り上げた。
淡い色合いの、華美ではないが温かさを感じさせる花束。
「……うん。これにする」
満足そうに頷くその姿を見て、僕は自然と店の中へ足を踏み入れていた。
「それと、これを」
僕は出来合いの花束の中から、一つを選ぶ。
これも派手ではないが、整っていて万人受けするだろうもの。
「二つ分、まとめて頼む」
そう言って代金を差し出すと、店主は一瞬目を丸くしてから、にこやかに頷いた。
「ありがとうございます。お連れ様の分もですね」
「ああ」
クララが、少し驚いた顔でこちらを見る。
「……いいの?」
「ここは僕が持つ。気にするな」
そう答えると、彼女は一瞬だけ唇を尖らせてから、すぐに笑った。
「……ありがとう、ジャック」
花束を抱えた彼女は、どこか嬉しそうだった。
店を出ると、再び大通りの喧騒が二人を包み込む。
「じゃあ……次は、あっち!ついてきて!」
クララが先導し歩いていく先は、大通りから外れた小道だった。
その通りに入ると、どこからか……ふわりと覚えのある、温かな香りが漂ってきた。
小麦の香ばしさと、どこか甘さの混じった匂い。
……パンの香りだ。
この香りの先に、目的地はある。
僕とクララは自然と歩調を揃え、ぐんと人通りの減った静かな通りを歩き、とあるお店の前で立ち止まる。
『小麦色の天使』
ここ?と声をかけようとして……言葉を飲み込んだ。
隣に立つクララは、ぱぁぁっと音が出そうなほど目も顔も輝かせ、喜びを露わにしていたのだ。
その直後、体当たりする勢いでドアを開け放つと、クララは店内へ飛び込んでいった。
「なっ……!?」
慌てて彼女の後を追い、僕も店の中へ足を踏み入れた。
外の喧騒が、扉一枚でふっと遠のく。
代わりに満ちていたのは、焼きたてのパンの温もりと、甘く香ばしい空気だった。
小さな店内の木製の棚に並ぶのは、丸いパン、細長いパン、砂糖をまぶしたもの。
店の奥から聞こえてくる、かすかな火の音と、作業の気配。
「こんにちはーっ!」
クララの元気な声が、店の奥から響いてくる。
勝手に住居の方へと入り込んでいるあたり、知り合いではあるのだろうが……。
(この小さなパン屋と、エルフォード公爵家に何の関わりが……?)
——その次の瞬間だった。
「クララちゃん、私はこっち……ひゃっ!いらっしゃいませ~!」
クララが入っていった扉とは違う、工房がある部屋から、少し高めで柔らかな声が聞こえた。
店員か。
その声に僕は立ち止まり、視線を声のする方へ向け……時が止まった。
カウンターの向こう。
エプロンを身に着けた少女が、こちらを見ていた。
健康的にやや焼けた肌。
後ろで一つに束ねられた、小麦色の少し癖のある髪。
エプロンを着けた服装に飾り気はなく、素朴で……でも——不思議と目を引く。
笑顔、だったと思う。
でも、その瞬間。
それがどういう笑顔だったのか、うまく思い出せない。
——胸が、どくん……と音を立てた。
理由は分からない。
魅了魔法でも、惚れ薬による刷り込みでもない。
何か理由があるはずなのに、思い当たらなかった。
ただ、彼女を見た――それだけで。
(……あれ?)
自分の体の変化に、少し遅れて気付く。
鼓動が、早い。
さっきまで歩いていたから、ではない。
息が、わずかに浅くて苦しい。
そんな僕を置いてけぼりにするかのように、クララが店の奥から足音を立てて戻ってきた。
「ミリアちゃんっ!久しぶり!」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥で……何かが小さく跳ねた。
「クララちゃん……!?え、なんで……?公爵様は当分来れないって……!」
――ミリアと呼ばれた少女は、ぱっと表情を明るくし、胸に飛び込んで来たクララを愛おしげに抱き締めた。
涙を浮かべつつも幸せそうなその笑顔を見て——また、胸が鳴った。
(……なんだ、これ)
戸惑いのまま立ち尽くす僕に、クララが振り返る。
「ほら、ジャック。ぼーっとしてないで」
「……あ、ああ」
返事をしながら、視線が——どうしても、彼女から離れなかった。
この瞬間、まだ僕は知らない。
これが、
初めて恋というものに、足を踏み入れた瞬間だということを。
ただ一つ確かなのは——
胸がときめき、鼓動が早くなり、世界の色が、ほんの僅かに色付いて見え始めた。
その中心にいたのが、小麦色の天使――ミリアだった、という事実だけだった。




