クラリスの誘い
婚約が公に発表されてから、クラリスの立場は一変した。
王妃教育の為に王城で過ごす時間が増え、専属教師が付き、言葉遣いから所作に至るまで厳しく叩き込まれていく。
それは「未来の妃」としての務めを学ぶ時間であり、同時に彼女の自由を少しずつ削っていく時間でもあった。
でも、それは僕も……僕達も同じだ。
次期王として、ルイスも可能性は0ではない為同様の教育が施された。
剣術・魔術・座学・芸術、その全てが完璧である事が求められた。
何故なら、16歳になれば学園に入学し、皆と同じ試験を受けなければいけないからだ。
民より劣る王子など、あってはならない。
王の権力を使って不正を行おうものなら、誰もこの先心から王家に仕えてはくれないだろう。
だからこそ、今は研鑽を重ねるしかない。
* * *
「……うーん」
ある日の午後。
クラリスは窓辺で腕を組み、小さく唸っていた。
「ねえ、今日のお勉強はここまでよね?」
彼女に付き添う侍女――メアリーが一瞬言葉に詰まり、やんわりと微笑む。
「はい、本日の予定はすべて終了しておりますが……」
その瞬間、クラリスはにっこりと笑った。
「じゃあ、お散歩の時間ね!」
クラリスは軽やかに立ち上がった。
「え、ええ……ですが、王城内で――」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと城内だけ、よ?」
そう言って、意味ありげに笑った。
* * *
「アレク!ルイス!」
その声に、僕達二人は同時に顔を上げた。
王城の回廊。
剣の稽古を終えたばかりの僕とルイスの前に、クラリスが手を振りながら歩み寄ってきていた。
彼女はいつものようにお淑やかな笑みを浮かべていたが、僕達の傍によると、声を潜めた。
「ねえ、二人とも。ちょっとお願いがあるの」
この声色、まさかまた何か企んでいるのか?と苦笑する。
「……嫌な予感しかしないんだが?」
「失礼ね。今回は正当な婚約者のお願いよ?」
胸を張って言う姿に、
僕は思わず吹き出しそうになった。
「それで?内容は?」
僕が尋ねると、
クラリスは、にこっと笑って言った。
「王城から――抜け出したいの」
――沈黙。
風が吹き抜ける音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……はい?」
ルイスが、ゆっくり瞬きをする。
「待て。今、何と言った?」
まさか聞き間違いではないだろうが、念の為聞きなおしておく。
「ここを抜け出したいって言ったの」
さらっとあまりにも自然に彼女は言ってのけた。
「だってね、最近ずっと城の中なのよ?庭園は広いけど、広すぎて逆に退屈だし」
指を折りながら数える。
「街の匂いもしないし、パン屋さんの煙も見えないし、何より――」
少しだけ、声を落として。
「……会いたい人がいるの」
その一言で、僕は表情をふっと和らげた。
「……なるほどな」
そして、若干眉間に皺を寄せていたルイスの方を見た。
「どう思う、ルイス?」
彼は一瞬だけ考えてから、肩をすくめた。
「……外壁を越えないなら、散歩の範囲ですね」
クラリスの目がぱっと輝き、一層明るい笑みを浮かべた。
「さすがルイス!話が分かるっ!」
その公爵令嬢らしからぬ笑みに、僕は思わず短く笑ってしまった。
「本当に……君は変わらないな、クラリス」
「でしょう?」
得意げに胸を張る彼女を見て、小さく息を吐いてから言った。
「……いいだろう。ただし条件がある」
「なに?」
「護衛の目を誤魔化す役は――」
ちらりとルイスを見る。
「ルイス、公平に剣術で決めようか」
公平とは名ばかりに、剣術は僕の方が得意だ。
それを知っているルイスは観念したように微笑んだ。
「承知しました、兄上。手加減してくださいよ?」
「……それは騎士道に反するな」
「ぐぅ……」
「ふふっ、頑張って!ルイス!」
クラリスからの応援に、ルイスは視線を彷徨わせ、それでも最後はしっかりと彼女を見て頷いていた。
(全く……素直じゃないな、ルイスも)
苦笑しながらも手にしていた木剣を肩に担ぎ、広場へと歩を進める。
背後から小走りで追いかけて来る足音を聞きながら、僕は僅かに微笑みを漏らしていた。
やっぱりこの三人でいると、つまらない世界が面白くなる。
せっかくの悪巧み、せっかくのお忍びの城下町。
ルイスには悪いが……負ける訳にはいかない。
しっかりと木剣を握り締めた。
* * *
王城の訓練場は、午後の光を受けて静まり返っていた。
石畳の上に立つのは、僕とルイス。
少し離れた場所で、侍女を連れたクラリスが期待に満ちた目でこちらを見ている。
「では……始めようか」
木剣を構えた瞬間だった。
——踏み込み。
ルイスが、先に動いた。
――速い。
迷いのない踏み込み。
最初から全力で押し切るつもりだ。
(へぇ……そう来るか!)
剣が打ち合わされる度、乾いた音が響き渡る。
連続する斬り込み、意表を突いた突き、ルイスらしからぬ勢いに任せた攻め。
だが、僕は退かない。
刃が当たった瞬間に、力を抜きつつも刃に添わせ滑らせるように軌道を変え、受け流す。
真正面から受け止めてしまえば腕も痺れ、体力の消耗も激しい。
だからこそ、柔を以て制するのだ。
果敢に打ち込まれるルイスの剣は鋭く、重い。
だがそれも最初の内だけだった。
(……疲労が残っているな?)
さっきまで稽古をしていた分、動きの端にわずかな遅れが出始めている。
息も、ほんの少しだけ荒くなっている。
それでも、ルイスは攻め続けた。
歯を食いしばり、踏み込み、振り抜く。
自分より体力の残っている相手だと、分かっていながら。
僕は、まだ余力を残していた。
剣を振りながら、観察する。
ルイスの足運び、打ち合う時の重心、次に来る一手。
——その時。
ルイスの視線が、一瞬だけ逸れた。
向かった先は——クラリス。
(……っ)
次の瞬間。
「はああっ!!」
気合の籠もった一閃。
今までで一番、鋭く、真っ直ぐな斬り。
だが。
「……甘い!」
僕は踏み込み、剣を合わせずに流す。
勢いを殺さず、そのまま円を描くように剣を動かした。
——カンッ!
乾いた音。
ルイスの手から、木剣が弾き飛ばされる。
体勢を崩したルイスは、そのまま——
「くっ……!」
尻餅をついた。
その胸元へ静かに切っ先を突き付けて静止する。
――静寂。
そして、僕は木剣を下ろし、苦笑する。
「……決まりだな」
そう言って、手を差し伸べた。
ルイスは一瞬だけ悔しそうな顔をしたが、すぐに小さく笑ってその手を取る。
このあたりの切り替えの早さは、さすがだと思う。
「……参りました、兄上」
引き起こしながら、僕は小さく肩をすくめた。
「無茶をするからだ。だが……悪くない一太刀だった」
「次は負けませんから」
「ああ、期待してるよ」
そんな短いやり取りのあとで。
ぱちぱち、と軽やかな拍手が響いた。
振り向くと、クラリスが満足そうに手を叩いている。
「お疲れ様! 二人とも、すっごく良い勝負だったわ!」
そう言って笑うクラリスの表情は、完全に満足げだった。
……いや、違う。
その目はもう、次のことを考えている目だ。
にこにこと笑って歩み寄り、そして、両手を合わせて、楽しそうに言った。
「じゃあ――作戦会議よ!」




