退屈な祝宴と少年の本音
日が落ち、ようやく訪れた夜。
王城の大広間は、昼とはまるで別の顔をしていた。
高い天井から吊るされた無数の灯り。
磨き上げられた床に映る光。
楽団の音合わせが、低く華やかに響いている。
集まったのは国内の貴族達。
――正確には、王家の誕生日に呼ばれる資格を持つ者達だ。
それぞれが煌びやかな衣装に身を包み、料理や酒を手に歓談を楽しんでいると、オーケストラの奏でる音楽が止んだ。
「国王陛下、王妃殿下、第一、第二王子殿下のお出ましでございます!」
高い階段の上にある大扉が開き、来賓客からの割れんばかりの拍手に迎えられるように国王を先頭に王妃、二人の王子が姿を現した。
暫しの間、鳴りやまぬ拍手や万歳の声に王は視線で応え、片手を上げて静止させた。
「本日は、我が第一王子アレクシス、第二王子ルイスの誕生祝賀会に際し、
かくも多くの方々にお集まりいただいたこと、心より感謝する!」
再び湧き上がる歓声と拍手が収まるのを待ち、王は言葉を続けた。
「二人は本日をもって十歳となった。
まだ幼き身ではあるが、それぞれが王家の血を引く者として。
学び、悩み、そして成長していくことだろう。
本日はどうか、未来を担う子供達を祝う場として、
心ゆくまで宴を楽しんでほしい!」
王のスピーチが終わると同時に、王子達は一歩前へ進み出て、二人揃って一礼した。
三度の拍手が起こり、祝福の声が重なっていく。
声に応えるように、にこやかに手を振るアレクシスとルイスの姿に歓声は更に大きくなっていった。
* * *
挨拶は、エルフォード公爵家から始まった。
「改めまして、お誕生日おめでとうございます、アレクシス殿下、ルイス殿下」
フレデリック卿の声は、昼よりも一層公的なものだった。
隣のアンリエッタ夫人も、優雅に礼をする。
そして――。
「……おめでとうございます。アレクシス殿下、ルイス殿下」
クラリスが、ドレスの裾を軽く摘んで、綺麗に礼をした。
昼間とは別人みたいだ。
いや、これも彼女なのだろうけど。
「ありがとう、クラリス。今日は楽しんでいってくれ」
言葉を交わせたのは、それだけだ。
すぐ後ろには、次の貴族が待ち受けている。
挨拶待ちの行列を時間内に処理するには、一組一組を短くするしかない。
次から次へと現れる笑顔の群れ。
内心では、何度目か分からない溜息を飲み込んでいた。
* * *
やがて、大人達が楽団の演奏に合わせて踊り始めた。
その隙に、ようやく僕達は食事にありつく。
豪華な料理。
丁寧に盛り付けられた皿。
——でも。
「……食べる気、しないな」
ぽつりと呟くと、隣のルイスが小さく笑った。
「奇遇ですね。僕もです」
二人で視線を合わせ、疲れたように肩をすくめた。
やがて、子供達のダンスの時間が告げられる。
(よし……)
僕は、クラリスの姿を探した。
――いた。
テーブルの向こう。
……料理に夢中だ。
(相変わらずだな)
苦笑しつつ、声をかけようと一歩踏み出した――その瞬間。
「アレクシス殿下!よろしければわたくしと一曲……」
「殿下、ぜひ私とも……!」
「ぜひご一緒して下さいまし、殿下!」
……ギラギラした目の少女から少し年上の御令嬢達に囲まれた。
次々と差し出される手。
期待に満ちた視線。
こうなってしまえば、彼女達を押しのけてまでクラリスの元へ行くのは難しいだろう。
僕は、笑顔の仮面を付け直し、少し困ったように笑みを見せた。
「全員とは難しいが、順に躍らせてもらうよ。お誘いありがとう」
笑顔を崩さず、一人、また一人と応じていく。
横目でルイスを伺えば、彼も同じように令嬢達に囲まれ、こまったようにクラリスと令嬢達の間で視線を彷徨わせていた。
(諦めよう、ルイス)
胸の中でそう呟き、一番近くの令嬢の手を取った。
「アレクシス殿下……私、とても光栄ですわ……!」
「ああ、うん……。僕もあなたと踊れて嬉しいです」
「殿下……っ!」
くるくると踊る視線の先で、クラリスがこちらを見ているのが映った。
皆がダンスに夢中で、視線が僕達へ向いている隙に、口いっぱいに料理を頬張っている。
(まるでリスみたいだ)
時折、人々の目が彼女へ視線が戻りそうになると、サっと令嬢らしく優雅にお茶で唇を湿らせる。
(何をしてるんだ、クラリス……)
ダンスの合間に目が合う度、彼女の目がこう告げていた。
『がんばれ~』
おまけに小さく手を振っている。
(クラリス……君は本当に――)
仮面ではない、笑みが零れてしまう。
「まぁ……殿下……!」
今日一番、気が楽になる瞬間は――
彼女と目が合った時なのだと、はっきり分かった。
オーケストラの奏でる音楽は、まだ続いている。
この長い夜のどこかで、
きっと――クラリスは何かを企んでいるのだろう。
(次は何をしてくれるのだろう?)
内心楽しみにしながら、次の令嬢の手を取った。
* * *
一方、クラリスはというと……。
(これ美味しい……!これもこれも、我が家のシェフとは違うアプローチがあって美味しい……!)
立食式で提供されている食事に、クラリスは密かに舌鼓を打っていた。
伯爵子息や男爵子息からダンスのお誘いもあったが、「足首を少し痛めてしまって」とやんわり断り、壁の花に徹している。
別に踊りたくない訳ではなかった。
ただ単純に――お腹が空いていたのだ。
(ん~……っ!このパンも美味しいけれど……やっぱりガイさんのパンが一番好きかなぁ。……ミリアもこの場に呼べたら楽しかったのに)
もちろん人目がある時は、お淑やかに華やかに。
アレクとルイスが笑みを浮かべる度、ざわりと会場の視線が彼等へ向く。
そのチャンスを逃さず、しっかりと食べ進めていたのだ。
時々アレク達と目が合うが、その度に笑顔で小さく手を振っている。
(頑張って……!)
この意図が伝わっているのかいないのか、確信は持てないけれど、アレクの纏う雰囲気が僅かに穏やかになったのを見て、クラリスも安心して食事に意識を割けるのだ。
だが、クラリスは気付いていなかった。
遠くから、しっかりと彼女の動向の一部始終を見届けていた、両親からの視線に。
* * *
やがて、最後の曲が終わり、
楽団が音を収めると同時に、会場に穏やかな静けさが戻った。
王が一歩前に出る。
その姿に、自然と人々の視線が集まり、
ざわめきはゆっくりと鎮まっていった。
「皆、本日は我が二人の息子の誕生日を祝うため、
かくも華やかな宴を開くことができた」
低く、よく通る声。
それだけで、広間の空気が引き締まる。
「集ってくれた諸卿の心遣い、そして王子達へ向けられた温かな祝福に、王として深く感謝する」
王は、ゆっくりと広間を見渡した。
笑顔の貴族達。
名残惜しそうに談笑する人々。
今日という日を、確かに楽しんだ者達の表情。
「さて——」
その一言で、空気が変わる。
「この祝宴を締める前に、
ひとつ、皆に伝えておきたいことがある」
人々が息を呑むのが分かった。
王は、視線を一箇所に向ける。
「——クラリス・フォン・エルフォード嬢。前へ」
その名が呼ばれた瞬間、
広間に、わずかなざわめきが走った。
その声に、クラリスは一瞬だけきょとんと目を瞬かせた。
けれど、すぐに背筋を伸ばし、
教え込まれた通りの所作で一歩、また一歩と前へ進む。
さっと彼女の為に人々が道を開け、優雅に広間の中央へと進み出ると、王の前で彼女は静かに一礼した。
「顔を上げよ、クラリス嬢」
そう言われ、顔を上げた瞬間。
数百の視線が、彼女に注がれているのが分かった。
全てが好意的な視線ではない
嫉妬・羨望・好奇。
並の令嬢であれば、震えてしまうであろう重圧を、彼女は全く感じさせない。
それだけで、彼女の器を図るには十分であった。
王は、ゆっくりと口を開いた。
「本日、皆の前でひとつ、正式に告げる」
その言葉に、僕の背中に静かな緊張が走る。
背をピンと張り、真っ直ぐクラリスへと視線を向けた。
「クラリス・フォン・エルフォード嬢は」
一拍。
「我が第一王子、アレクシスと——」
ほんの一瞬、時間が止まったように感じた。
「——正式に婚約を結んだ事を、ここに宣言する!!」
言葉が、大広間へと放たれた。
漂い反響する言葉を飲み込み、理解するまでの僅かな沈黙。
そして――
どっと抑えられていたざわめきが、一斉に溢れ出した。
驚き。
納得。
歓声。
囁き。
それら混沌とした多くの感情すべてを受け止めるように、王は続ける。
「既に両家の合意のもと、この婚約はすでに結ばれている」
ざわつきは残るが、王は更に続けた。
「本日は、二人が十歳という節目を迎えた日でもあるが故に——この場をもって、皆に伝えることとした。
この決定に異を唱える者はいるか??」
再びの沈黙。
父は、僕とクラリスを見て、柔らかく微笑んだ。
「異を唱える者はおらぬようだ。クラリス嬢、アレクをよろしく頼む」
「はい……国王陛下」
クラリスは十歳とは思えぬような、洗練された美しき礼を以て王の言葉に答えた。
パチパチと拍手が鳴り始め、それはすぐに割れんばかりの喝采へと変わった。
エルフォード公爵令嬢が相手ならば仕方ない、認めざるを得ないといった拍手も混ざっていた。
だが年の近い令嬢からは刺すような視線がクラリスへと向けられていた。
僕は一歩前に出て、王子として、婚約者の隣に立つ。
視線を向けると、クラリスは……いつも通りだった。
少し緊張しているけれど、
それでも堂々と、前を見ている。
そして、小さな声で、僕にだけ聞こえるように言った。
「……ね、アレク」
「なんだ?」
「これって、終わったら……」
ちらり、と料理の並ぶテーブルを見て。
「デザート、食べていいのよね?」
「ッ……!」
……本当に。
この場で、こんな時に。
そんなことを言うのは——
「……ああ。好きなだけ食べるといい」
「……流石に嘘。でもアレクが笑ってくれてよかった」
そう答えると、彼女はいたずらっぽく笑った。
その笑顔を見て、思う。
重い責任も、避けられない未来もきっとある。
だとしても。
(悪くない)
今はそう思えた。
この日、僕達の十歳の誕生日は、第一王子婚約の日としても、静かに歴史に刻まれたのだった。




