王子が婚約破棄してきたので全力で殴りました
※本作品には暴力を肯定するような描写があります。
「アンナ・ヘルベルク。私はお前との婚約を破棄する!」
そう、記念すべき成人の誕生パーティーで、高らかに宣言したのは、他ならぬ本日の主役。この国の第一王子である、ライアン殿下でありました。
その横には可憐な少女が侍らされていました。名をユリナ。隣国の貴族の令嬢でしたが、彼に取り入り、あっという間に彼を骨抜きにしてしまいました。
ユリナ嬢は赤らんだ頬と潤ませた瞳でじっとライアン殿下を見つめていました。
彼は愛おしそうに彼女を見つめた後で、再び、件の婚約者。つまりは私を睨みつけてきました。
私は、ライアン殿下より五つ上の年齢でした。父である宰相と王の約束で、赤子の時より、第一王子の婚約者と決められ、彼が生まれる前からすでに妃教育を受けていました。
彼の成人を待ち、今日この場は、彼の誕生パーティーと二人が正式に夫婦となる儀が行われるはずでした。そのため、会場には王をはじめ、各国の要人もいるのですが、とんだ国の恥をみせてしまいましたね。
誰もがこの色恋にかまけた王子に頭を抱え、私を憐れむような目で見つめていました。
「理由をお聞かせいただいても?」
「理由など、一つだ。俺は、ユリナを愛している。ユリナは冷血人間のお前と違い、優しい。俺を暖かな眼差しで見つめてくれるんだ。妻にするならそんな女がいいに決まっているだろう」
ユリナ嬢は勝ち誇ったようにクスリと笑い、ライアン殿下の腕に絡みつきます。殿下はただそれに鼻の下を伸ばしていました。
「なんて、身勝手な……。私は貴方をそんな風に育てた覚えは……」
「お前のそういうところが嫌なのだ!たかが五つ年上というだけで、昔から母親か姉のように振る舞ってきていちいち俺の言うことに口出してくる……この年増女めが!!」
ざわざわとざわめいていた会場がライアン殿下のその言葉にピシャリと静まりかえりました。
今の今まで、その場を支配していたのは主張の内容はどうであれ、ライアン殿下でした。しかしそれが波を引いていくように変わっていきました。特に、妙齢の女性たちの目が怖い怖い。賢い男性方は、押し黙りました。賢明ですね。
私はため息をつくと一歩、前に歩みでました。カツンとハイヒールのピンが静まり返った会場に音を立てます。
「幼い頃より、教えてましたよね」
「……は?何をだ」
「性別、年齢、出身、身体的特徴……、本人がどうにもできないこと。悪口にしてはいけないと」
私はチラリとある場所に目配せする。その先にいた人物は目を瞑ると、そっとうなずいた。
ヒールの音は、威嚇です。私は確かにそれを響かせながら一歩一歩。ゆっくりと王子の元まで歩み寄りました。
「な……。なんだよ」
「ユリナ嬢。申し訳ないのですが、少し離れていてください」
「嫌です!私はライアン様から離れません」
ぎゅっと、腕に絡みつくユリナに、私はにっこりと微笑んで差し上げました。
「忠告はしましたから。上手に受け身をとってくださいね」
しっかりと地面を踏み締め、私は手を大きく振り上げました。
「え?」
そう、ライアン殿下がつぶやいた時には時すでに遅し、バチン!という破裂音にも似た音を立てて、彼はユリナ嬢ごと横に吹っ飛びました。
「は……え……?」
それは、ライアン殿下の頬を、私が思いっきり叩いた音でした。腫れ上がった頬を抑え、彼は信じられないものを見るような目でこちらを見つめてきます。
「ユリナ嬢。もう一度言いますわ。少し離れた方がよろしいですよ」
呆けたままのライアンの前に、ゆらりと私が立つ。
ユリナ嬢は賢いですね。青い顔をしてさっとその場から離れてくれました。
「えっ……待っ……ユリナ?!」
狼狽えたままのライアン殿下の頭に私は拳を落としました。再びに鈍い音が、響き渡ります。
ライアン殿下はぐわんぐわんと揺れる頭を押さえて、這うようにして私から離れました。彼は、衛兵たちのところまで這うと、その下履きを引っ張って、信じられないものでも見るかのように震えた指で私を指差しました。
「何をしてる……衛兵ども……あいつを取り押さえろ!俺を、俺を!殴ったんだぞ!!」
しかし衛兵たちはそこに何もないとでもいうように、私たちを視界に入れません。
唖然とするライアンのもとに、私はゆっくり歩み寄ります。
「うわ!来るなッ……お前なにをしてる!」
「あと何発入れたら、貴方は自分の愚かさを認めることができるのでしょうか」
手のひらをぶらぶらと振りながら私はため息をつきます。
私が手を再び振り上げた瞬間でした。
「今日はそのくらいにしましょう。アンナ」
凛とした声が会場に響き渡りました。
顔を覆った腕の隙間から、ライアン殿下はその聞き慣れた声の主を見上げました。
「は、母上……!?」
王妃様は情けない息子に頭を抱えておりました。その横には肩をすぼめて小さくなった。国王がいました。
「父上、母上!やはり私はこの暴力女と婚約破棄をします。見ましたか!?この女は私を殴りつけたのですよ!!」
「お前が不貞を働いた上に、先に暴言を吐いたのではないか。それに、お前が妻とするといった女は、そそくさと出ていったぞ?倒れたお前を抱き起こしもせず、とんだ優しい女だ。骨があるようなら側室に迎えるよう進言するつもりたっだが、そんな資質もないようだ」
王妃は吐き捨てるように言うと、肘で王を小突いた。
「おお……息子よ……。成人したお前には話さねばならない。今まで秘密にしていたが、この王室には一つ、大きな決まりがある。この国はかつて、とある愚王によって滅びかけた。圧政を咎められる者が誰もいなかった。結局、その王を討ったのはその息子であった私の祖父。つまりはお前のひいお爺様となる人物だった」
「秘密……?!きまり……!?そ、その方がなんだというのですか父上……!」
「その、そのな……」
声を上げるライアン殿下に、王はもごもごと言い淀む。その時だった。会場にスパーンという高い音が響きました。
会場が静まり返り、全ての者がその音の発生源に釘付けになっていました。
王妃が、王の頭を平手で叩いていたからです。
「わかりにくいです。説明は端的に、あとモゴモゴ喋らない。あと、背筋を正してしっかり立ちなさい」
国王は背筋を伸ばすと、声を張った。
「……はぃ!お前のひいお祖父様は、二度と王の圧政が起こらぬようにと、一つのきまりを王室に設けたのだ。それが……」
「王妃となるものは国王の愚行を、引っ叩いて止めても罪には問わない、という法律だ」
ライアン殿下の顔が一気に引き攣る。
「私、幼い頃から、厳しい妃教育を受けてきました。柔術 、拳法 、ムエタイ 、ボクシング 、サバット 、カポエイラ ……。大抵の格闘技の心得はあります。好きなものはどれですか?」
「えっ……え?」
「だって殿下、まだ謝らないんですもの。だから、お好きな方法で殴って差し上げますわ」
冷や汗をだらだらかいてライアン様ったら。お可愛いんだから。そういうところ私、大好きですよ。なんだかとってもゾクゾクして、もっといじめたくなってしまう。
こんな素敵なサンドバッグ……ああ、間違えた旦那様。浮気ごときで私が離すはずありませんわ。
会場に、素敵なスパーリング音と、「ごめんなさい」の絶叫が響き渡りました。
(fin)