亀に跨がる幼女⑤
「少し、心を乱しました。申し訳ありません」
少しどころじゃなかったけどな。ピリついた魔力がアホほど漏れて、タマが竦んじまったぞ。
「忘れろとは言わねぇが、そいつぁ昔の話で、いま考えるべきはイエーロのことだ」
「イエーロくんがなにか? 今回はお国からの招集ですよね。でしたら、あなたと数名が出向けば義務は果たせるのではありませんか」
「義務だけならな」
俺ら領主は、王によって貴族と認められて所領を許されてる。
早い話が子分みてぇなもんで、子分同士がバチバチやり合うのは自由にさせてもらえてる。だから小競り合いが国内あちこちで起きてて、うちみたいに傭兵稼業が成り立つってわけだ。
でだ、そんな自由気ままな領主たちにも果たさなきゃならん義務が二つある。一つは納税。もう一つは有事の際の出兵だ。
ただ、俺は此度の侵略を好機とみて、いくつか欲張りをしてみることにした。
「かねてからの亀装備を宣伝するって計画もあるからよ、今回は出兵数を増やして免税を掛け合ってみることにした。上手くいきゃあ増員をよこせって、傭兵働きの依頼をくれるかもしれねぇ」
「そこでチカラを見せつけるついでに、イエーロくんの初陣も済ませてしまうおつもりなのですか?」
「反対か?」
「…………」
いくらヒスイが二つ名持ちの凄腕でも、母親としちゃあ息子の初陣が本格的な戦争ってのは受け入れ難いよな。
しかも相手が相手だ。猪豚種には捕虜って選択肢がねぇ。捕まっちまえば奴隷として使い潰される。身代金で助けられる可能性もねぇんだからそりゃあ心配で心配しかたないだろうさ。
「いくらでもヒスイを納得させる言葉はかけてやれる。だがオメェがイヤだってんなら、この話は無しにするつもりだ」
「イエーロくんはなんと言うでしょう?」
「聞くまでもねぇ。小躍りして喜ぶに決まってるさ。最近は道具作りばっかりで鬱憤も溜まってるんだろうしな」
まず、うちの連中に大動員かけるんなら、領主としても出せるだけ出さなきゃなんねぇ。普通の貴族なら大事に後方へまわすもんだが、テメェんとこだけ跡取り息子を隠しておくなんてマネは傭兵稼業やってる以上許されねぇ。
俺が侮られるだけならまだしも、イエーロが臆病者なんて嘗められでもしたら取り返しがつかないくらい今後に響く。
あとは、傭兵が捕虜になることはまずないってのもある。
身代金が払えるくらい裕福ならそもそも傭兵なんてやってないからな。だから今回においても捕まれば死ぬか奴隷って結果は変わらねぇ。
それに相手が異種族んなかでも極めつけに悪名高い連中ってのも、肝が小せえイエーロが迷いを覚えなくて好都合ってもんだ。
これが同じヒト種か混血と対したとして、あの小心者は躊躇したり手加減しようとするだろう。そのあいだに怪我させられる可能性が増えちまう。
あいつはなんだかんだで甘い。なんなら五歳児のベリルの方がよっぽど割り切れてるって思うくらいに。
他にも、いくつでも理由は挙げられる。
だが、それでも俺はヒスイの意見を尊重したい。
女房だからってだけじゃなく、オーク相手になんかあった場合、ヒスイが手がつけられねぇほど大暴れしかねないからだ。
我ながら情けねぇこと考えてるとは思うけどよ。事実なんだから受け入れるよりしかたねぇ。
「あなたの心配は理解しています。ごめんなさい、大事を前に煩わせてしまって……」
「わかってておまえを口説いたんだ。んなこたぁいまさらだ」
「うふふっ。そこまで仰っていただけるのなら、一つだけワガママを言ってもいいでしょうか?」
「なんでも言ってみろ」
絶対に死なせるな、とかだろ。そのつもりがなきゃ連れてくなんて言わねぇよ。
なんていう俺の想像とはまったく違うことを、ヒスイは要求してきた。
それはワガママというより——
「条件、というべきかしら」
だよな。
「これから半年間は毎日、朝からお昼すぎまでベリルちゃんが考えた素敵な訓練をしていただきます。そして日が暮れてからは、私が軽く魔法の手解きをしてさしあげましょう」
「それってイエーロだけか?」
「いいえ」
「……俺もか」
「いいえ」
「ま、まさか全員か?」
「せっかくですので、出兵予定の方みなさんに参加していただきましょう」
俺は遠慮なしに、ため息をついてやった。
それを聞きつけたヒスイは口の端を吊り上げて、喉も鳴らさず、最近よく見る意地の悪そうな笑みだけを浮かべた。
どっかの悪童そっくりだ。逆か、ベリルがヒスイに似たんだな。美形なとこはちっとも似てねぇのによ。
ヒスイがパンッと柏手を打つ。ここで俺の現実逃避は打ち切られた。
「そうと決まれば、さっそくベリルちゃんと打ち合わせをしなくてはいけませんね。あなたは、みなさんに説明をお願いします。出張帰りの方ばかりでしょうから明日は身体を休めていただいて、痛めつけるのは明後日からにしましょう」
「お、おう」
痛めつけるってなぁ……、ハァ〜。
ヒスイが凄腕ってぇのは知ってる者も多いから喜ぶヤツはいるだろう。
だが、ベリルの方は……問題しかねぇ気がする。上手いこと意図を伝えてやらないと脱落者と反逆者が続出しかねないぞ。
「アセーロさん。私の代わりに豚共を屠り殺しにいくのですから、当然、厳しくさせてもらいますよ。イエーロくんも例外ではありません」
やっぱりイエーロ連れてくの、やめようかな。
◇
久しぶりに作りたてで熱々のメシ。しかも女房が手ずから用意してくれたご馳走様だってのに、ちっとも喉を通らねぇ。
なぜなら、聞くだけで筋肉痛になりそうな物騒な訓練計画について、ヒスイとベリルがケタケタ楽しそうに話してやがるからだ。
「つまり筋肉が増えるのは鍛えられたからではなく、壊れた部分が余計に治ったから、という理解であってるかな?」
「そーそーそんな感じー。超回復ってゆーの」
「超回復……。面白い考え方ね。なら、ママも協力させてもらうわ」
「ん?」
「鍛錬をして限界ギリギリまで身体に負荷をかけたあとに、目一杯の治癒魔法で癒してあげるなんて、どうかしら?」
「うんうんうん! それあり!」
——ねぇわ!
とは思うだけで口には出せず、俺はもちゃもちゃメシを食うだけ。くぅうう、塩味が効いてやがらぁ。
「なら、もーちょいキツめにしないと時間が勿体ないかもー」
「ええ。最短最速で怪我寸前まで身体を追い込んでしまいましょう。もしどこか悪くしても、たいていの故障ならママがあっという間に治してみせるわ」
「ママ、めっちゃ心づよーい。これで安心してムキムキ筋トレできるしー」
…………。
こっちは不安で不安でしかたねぇんだが。




