運動すっし……。②
「つーか父ちゃんマジありえねーしー」
ベリルのやつめ、ヒスイにチクりやがって。
「まあアセーロさんったら。せっかくベリルちゃんがガンバっているのに、揶揄うだなんていけませんよ」
「そーだそーだー」
「……お、おう。すまん」
まったくもって正論だ。
「まーあー、あーしも仕返ししたしもーいーんだけどー」
「ふふっ。とっても心が広いのね」
どこがだ。仕返ししたうえで母ちゃんといっしょになって吊し上げまでするなんて、かなりの狭量だろ。
「ママは、近ごろのベリルちゃんは健康的になってきていると思うわよ」
「マジ〜。いえーい、やったぜーい。最近けっこーガンバってたかんねー。結果出てきてんのかもっ。そろそろチートデーしちゃってもいーかなってレベルじゃね」
チートデイ?
「いっつも我慢してるぶん、たまに思いっきり好きなもの食べてもヘーキな日のことー」
「減らしたぶん以上に増えちまいそうだな」
「——むっかー! 父ちゃんはまたそーやってイジワルゆーしー。むしろたまにチートデーした方がダイエットの効果高いんだかんねっ」
ホントかよ。食ったぶんだけ絶対デブるだろ。
でもまっ、好きにしてくれ。菓子の食いすぎでメシ食えんとか言いださなけりゃあ、なんでもいいや。
「本当にベリルちゃんは努力家なのね」
「まーねー」
コイツが言ってんのは努力とは違うと思うがな。そこんとこ知ってか知らずか、ヒスイはさらに提案した。
「ママは応援するわよ」
「ってゆーと?」
「そうねえ……、疲れたらすぐに回復魔法で癒して休まず運動できるようにしてあげましょう。他にも——」
「いやいやいやいやっ、ママ忙しーっしょ。悪いし。だからヘーキ! だいじょぶっ。つーかマジいらねっ」
ベリルのやつ、必死だな。
その気持ちもわからんではねぇけどよ。でもヒスイはやる気になっちまってるから、もう遅ぇぞ。
「あらあら。遠慮しなくってもいいのよ。ママといっしょにガンバりましょう」
「——と、父ちゃん!」
「よかったじゃねぇか。俺の体験から言わせてもらえば、ありゃあ限界超えた先から快感になんぞ」
「え……。その途中は……?」
「まっ、ガンバれとだけ言っておこう」
「——マッ⁉︎」
「せっかくの運動ですもの、たくさん身体の使い方を学びましょうねえ」
「ほどほど! ママほどほどねっ。あーしまだ六歳児っ。三歳幼女ボディっ。オッケーイ?」
「うふふっ。おっけいよ」
「ひ〜ん。ぜんぜんオッケーじゃなさそーだしぃ〜……」
この機会にヒスイはダークエルフの技を仕込むつもりなんだろうな。
それについちゃあ俺としても、ほどほどにしといてもらいてぇところ。
◇
ヒスイもベリルも出掛けてる。ここしばらくずっとだ。
だから家んなかはシーンっつう音が聞こえそうなほどに静まりかえってた。いまも広場で学んでるチビたちの元気な声がよく届く。
そんな状況なのもあって、俺は机仕事に集中できていた。
以前よりか細かいカネの出入りや契約云々の書類は減った。逆にそのぶん、これからはますます客が増えていく。
その滞在場所の確保や持て成しの段取りしたり、新たにはじめる予定の船での貿易やらバンブー素材の販売案なんかをまとめたり……。
手ぇ動かすよりも、考えを巡らせることが多かったのもあるんだろう。だからか、
「……動くな」
勘が鈍ってたらしい。
まったく気配を察せずに後ろを取られちまった。いまだって、くぐもった声がした以外は存在を感じられん。
誰だ? と声をあげるのも躊躇われるほどの見事な隠形。そこまでの手練れに脇腹を突っつかれたのもあって、つい俺は反応しちまう。
突っつかれた方と反対に胴を回し、肘から入れて——
「ひえっ!」
こっちの方がびっくりしたわ、ボケ!
俺の肘鉄は、ちんまい影の頭上を余裕もって通りすぎた。
そう。忍びよった不審者はベリル。ご丁寧にも口許を布で覆ってやがったんだ。
「ちょ! いきなりなにさっ。めっちゃビビったし!」
「——こっちのセリフだ、アホタレ! いまのはなんのマネだ」
ホントあっぶねぇな。当たってたらと思うと……。背中に冷てぇヘンな汗かいちまったぜ。
それはベリルも同じようで、口布を取ると額を拭きふき。
「ママに教えてもらったー」
「んで、俺で試してみたと?」
「そー。いや、つーかそんなんあとあとっ。肘びゅんってきてマジ怖かったんだかんねっ。めっちゃ髪ぶわってなったし。ゾワッてしたし。あんなん当たったら首ぽーんなるしっ」
しーしー文句つけながら、ベリルはくりんくりんな癖毛を整えてる。お気楽にしやがって。
「……俺に娘のイタズラと気づかせんあたり、スゲェ出来だ」
「おおーう! 父ちゃんに褒められちった〜。マジ珍しくなーい」
「——だが言っておく」
「な、なにさ」
「心して聞け。今後は絶対に同じことすんな。オメェに手ぇ出させるようなマネ……、ホントやめてくれ」
ここまで言ってようやくベリルは、いまの反撃が脅しじゃあなく本気だったと気づいたようだ。
急に怖くなったのかクリックリな目ぇ潤ませてらぁ。まだ反省の言葉も紡げんらしい。
そこへ慌てた様子の女房が。
「アセーロさんもベリルちゃんも大きな声を出して。なにかあったのですか?」
口を開く前に、一つ呼吸を挟む。
このまんま喋ったら頭ごなしに叱りつけちまいそうだしな。
「ヒスイ、もう少し娘の頭の巡らなさを考えにいれてくんねぇか」
「……あっ。いま父ちゃん、あーしがおバカみたいに言ったー」
「うっせ。テメェはまだしょげてろ」
「ええと……、いったいなにが⁇」
おっといかんいかん。ベリルのやらかしっぷりをスッ飛ばしちまったな。
「まずヒスイ、そこの問題児を捕まえておけ」
懲りんやつめ。ベリルのやつ、母ちゃんにも叱られると察して、気配消して逃げようとしやがった。
せっかく気を鎮めたのにまたイラついちまうだろ。ったく。
なんとなく事態に当たりをつけたヒスイがベリルを確保。そっから隠形を使っての危ねぇイタズラについて女房に話していった。
途中、ピクリとヒスイの眉が動くたび、やらかし娘はビクリと小さくなる。
「それはさぞ肝を冷やされたことでしょう。アセーロさん、申し訳ありませんでした。ほら、ベリルちゃんも」
「父ちゃん、ごめなさーい」
「おう」
娘のイタズラと気づけんかったのは俺の至らなさでもある。
が、いまはまだそれを告げる時分じゃあねぇ。親父として、テメェの未熟さを棚にあげてでも叱らなきゃあならん。
「ではベリルちゃん。もう一度、ママが注意したことを思い出してごらんなさい」
「——ひっ! ひ、人を驚かすイタズラとかに使っちゃメッ」
「それだけだったかしら?」
「あ、あああとは練習のとき以外は身を守るためだけに使いなさい……だったしっ。サーイェッサー!」
ベリルはビシッと直立不動、敬礼擬きで答えた。
「どうして約束を守れなかったのか、ママは不思議だわ」
「ね、ねー。マジ不思議ぃ〜」
「そういえばベリルちゃんに教えてもらったわよね。指導の際に体罰を与えるのはよくないと」
「そーそーそー、マジそー。だからダメ、ダメくすぐりの刑ダメゼッタイ!」
「あれは可愛い可愛いとしているだけなのだけれど……。いいでしょう。今回は運動をガンバるという方向で反省してもらいます」
「——ふぇ⁉︎ ヤッ、ヤダヤダヤダあれ以上走ったら、あーしバターになっちゃーう!」
「ふふっ、面白い例えねえ。グルグルと回って溶けてしまうのかしら? けれど大丈夫よ。もしそうなってもママが魔法で治してあげるもの。それではさっそく」
ベリルはヒスイに抱っこされ、どこぞへ連行。
「——ひゃ! と、とと父ちゃん助けて〜! 疲れたのに走れちゃうの、もーいやぁあああああ〜ん!」
悲痛な叫びを残して。
とりあえず俺は「なんまいだー」と手を合わせ、チーンとインク壺をペンで鳴らしてやった。




