街のレトリック屋さん
東京から少し外れた場所に位置する港町。堤防から細い路地を抜けた先にある小さな洋館に「町のレトリック屋さん」は店を構えていた。「町のレトリック屋さん」の店主は、20代後半の青年であった。大学教育に疑問を感じた彼は、在籍していた国立大学を中退した後、持ち前のレトリックを生かしてこの店を開業したのだった。彼は、その浮浪人めいた姿と偏屈な性格から、町の人々に好かれてはいなかったが、そのレトリックの腕は本物だと店の評判は良かったため、連日依頼が絶えることはなかった。
八月も終わりに近づくころ、おそらくは小学生であろうという風貌をした少年が洋館のドアを開けた。彼の眼には、いくらかの不安とそれ以上の好奇心が混じっているようだった。控えめな歩調で中に入り、来客用の椅子に浅く腰かけたその少年は、おどおどした口調で
「夏休みの読書感想文を書いてほしいです。」
と依頼の内容を伝えた。話を聞くと、彼は相当な文学好きであることが分かった。どうやら、10歳という年齢にして、戯曲や純文学の類にも手を出しているらしい。
「そこまで文学が好きなのであれば、自分で思う存分に文章を書けばいいじゃないか。」
店主が、少年を鼻で笑う気持ちを抑えて尋ねると、少年は
「どうしても自分の読む文章と比べてしまって、自分が書く文章に納得できないんです。」
と答えた。店主は、少年の間違いを正そうとかとも考えたが、少年が相応の対価をしっかりと持ち合わせていたため、特に言及することなく依頼を受け入れた。少年が帰ると、彼はすぐに筆を執った。少年の依頼は、要するに「いかにも文学通らしい賢ぶった文章を書いてほしい」というものであり、それは彼の得意とするところであった。彼は、完璧な文を作ることもできたが、少年がいかに「人に文を書かせ、それを自分のものにする。」という文学家から最も離れた発想を持つ人間であるかを示すために、わざと文章に稚拙さを残した。また、少年がこの真意に気づくような能力を持ち合わせているはずがない、という意識も彼にはあった。何日か経ち少年がこの原稿を受け取ると、彼はその皮肉に気づくことなく、店主に賞賛の声をあげた。少年はその後、内容をそっくりそのまま担任に提出し、褒められたことで、一応の満足は得たようだった。
夏が終わり少し秋めいた雰囲気が現れ始めたある日には、力強いノックの音が洋館に響き渡った。店主がドアを開けると、赤いヘルメットを目深にかぶった青年が「インターナショナル」を熱唱していた。彼はどうやら私立大学に通う学生らしい。普段は客と不必要なコミュニケーションを取らない店主も、ずいぶんと時代ちがいな彼の風貌には少し興味を持った。
「君は、学生運動かなにかに影響を受けているのかい?」
「そうであります。」
どうやら、彼はその口調までもが前時代的らしい。
「好きな作家とかはいるの?」
「小林多喜二であります。」
このたった数回のやり取りで、店主はこの青年がろくに勉強もせずに、学生運動の外面だけに影響を受けている軽薄な人間だということを見抜いてしまった。青年は、世間話を早々に切り上げると、依頼内容を話した。
「この令和の時代に学生運動を再興させる旨を声明として書いていただきたい。」
自分の思想を伴う文章を他人に書かせるナンセンスさに、店主はすっかりあきれ返ってしまったが、依頼に見合う報酬を提示された以上、特に断る理由もない。店主は、60年代後半のテンプレートそのままの彼の姿にお似合いな、いかにも学生運動らしい古臭い声明をものの数時間で書き上げた。学生が出来上がった文章を見ると、彼はその内容以上に、店主がサービスとして書いたゲバ文字のほうに大喜びの様子であった。店主の学生への興味はとうに薄れていたため、その彼の態度に改めてあきれることすらする気にはならなかった。
月日が流れ、順調に依頼をこなしていた彼だったが、ある日亜急性硬化性全脳炎に罹っていることが発覚した。医者によるとこの病気は難病であり、余命も幾ばくも無いようであった。普段から冷笑的である彼にとって、この世に対する未練などは無いに等しかったが、一つあるとすれば、それは彼の恋人のことであった。自分の醜い部分まで受け入れてくれた彼女のために、彼は自分のレトリックを最大限使って手紙を残すことを決めた。それから彼は、死に至るまで、文章を書いては捨て書いては捨てを繰り返す日々を続けた。彼は、自分のレトリックに強い地震を持っていたが、その技術も彼女への大きな愛情を示すには足らないことを理解した。それでも彼は文を書き続け、死に瀕する病床の上でその手紙は完成した。
彼の死後、店主の恋人であった女性は店主の親族から分厚い手紙を渡された。店主の熱い思いとその労力とは裏腹に、彼の手紙を一枚一枚読み続ける彼女の表情には、一切の感慨が見られなかった。
店主は今まで、依頼された文章の中に、必ず依頼主への皮肉を含めていた。そんな彼が、無自覚に自分の手紙に込めていたのは、「この青年は、他人から借りてきたレトリックしか持ち合わせていない、文章家として凡庸な人間である。」という清々しいほどに残酷な皮肉であった。