EX. 雫の日記帳04 ~お風呂計画発動1~
今こそあの計画を始動する時よ。
明日はデビュタントボールの日だけど、その準備はもう終わっているし、マナーなんかは今更騒いでもどうしようもないわ。チャンスは今しかないと思うのよ、雫。
今日は午前中に、ママが参加するお茶会に持って行くための美容品を追加で作って、午後は自由時間。
軍資金はばっちり。時間もぽっかり空いている。まさにチャンス。雫は丁度いい使用人に狙いを定める。
「マークさん、午後は空いているかしら?」
「えぇ、シズクお嬢様。何かご用でしょうか?」
「街を案内して欲しいの、行きたいお店があるんだけど、誰も手が空いてる人がいなくって」
「この身でよろしければご案内いたします」
「ありがとう! じゃあ早速行きましょう」
マークさんは、歩きでよろしいので? と雫に聞きながら後ろを付いて来る。
馬車も嫌いじゃないけど、歩くのも好き。この距離だもの、選択肢は一つよ。
雫の今日の服はチュニックにサテンスカート。これなら貴族には見えないでしょう。
家を出て、付いて来たマークさんが肝心な事を聞いてくる。
「シズクお嬢様、探しているお店はどちらでしょうか?」
「それはね、大工さんよ!」
「大工ですか……。何か気に入らない家具でもございましたか?」
マークさんが申し訳なさそうに雫に伺ってくる。雫たちの部屋を整えてくれてたのはマークさんだものね。今の言い方は不安にもなるわね……。
「違うわ。お部屋は素敵だし、快適よ。今日はね、お風呂を作って貰うの」
「お風呂? 当家にもございますが……」
「えっと、雫と蒼ちゃんがストレージを使えるのは知っているでしょう? それにしまって、持ち運び出来るお風呂を作って貰うのよ」
「なるほど。旅の道中もお風呂に入るのですね。どのような物かは全く想像がつきませんが……案内いたします」
察しよく雫がお風呂を作る目的を理解してくれる。ジョセフさんもマークさんも、執事ってすごいのねぇ。
そして大工さんのいる所まで先導して案内してくれる。
工房は平民街の北側区画にあるらしい。広場を西に抜けて、更に大通りを進んで行く。ある程度進んだら右に曲がる。どこで曲がったのか覚えておかないといけないわね。
そのまま真っ直ぐ進んで、細い道を更に何度か曲がると、削れた木のいい匂いがしてきたわ。
工房は玄関先が大きく開けていて、軒先から中まで多くの家具が部屋の端に並んでいた。
真ん中には立派な直方体の柱が横向きに置かれていて、加工中かしら。
「ここが工房?」
「そうです。当家の修繕や家具も頼んでいる大工工房です」
「ありがとう」
雫は意を決して、息を思いっきり吸い込んで工房の中に入る。
「たのもーう!」
今日は蒼ちゃんがいないから止められないわ。スッキリ。
「シズクお嬢様、その挨拶は……?」
「……東方の一部地域の挨拶よ」
「ははぁ。挨拶と『頼む』がセットになっていて効率がいいですね」
素直に肯定されちゃうと、ちょっと調子が狂っちゃうわね。
雫の声を聞きつけて、工房の奥から茶色で短髪で背の高い、筋肉がしっかりと付いたおじさんがやってくる。
マークさんに笑顔を向けて挨拶してくる。
「おう、マーク。久しぶりだな。新しい家具か?」
「久しぶりです。ダン。今日は当家のシズクお嬢様の付き添いで参りました」
ダンと呼ばれたおじさんが、雫を見て陽気な笑顔を向けてお辞儀してくれる。
「これはお嬢様。ダンと申します。狭い所ですがどうぞごゆっくり」
「ありがとう。雫・リインフォースよ。雫でいいわ。今日は依頼に来たのよぅ」
「お嬢様がご依頼ですか。何か気に入らない家具でも?」
ちょっと表情が曇るダンさん。つまりうちの家具は全部この人が作ったって事かしら。
「違うのよ。うちの家具は最高よ。部屋の物もとても気に入っているわ。今日は、作って欲しい物があって来たの。でも、まずはこれを見て欲しいわ」
このままではマークさんにしたのと同じ問答をしなければならなくなると思って、先回りしてストレージを見せる事にする。
雫は堂々と目の前で『ストレージ』を発動して、酒瓶を取り出して作業台に置く。
「よかったらどうぞ」
突然目の前に現れた酒瓶を見て、目を見張るダンさん。
「まさか、空間属性魔術なのか……?」
「あら、知っているのね。ストレージよ。物がしまえてとっても便利なの。秘密よ」
「使える人間を初めて見たな。それで、その中に入れるティーテーブルでもご所望ですか?」
「いいえ、旅でも使えるお風呂部屋が欲しいのよ」
「お風呂……?」
「雫は、妹の蒼ちゃんと冒険者もやっているわ。旅や狩りをしていて、野宿だってするわ。でも、生活魔術で洗浄出来るとはいえ、お風呂に入りたいじゃない?」
ぽかんとして雫を見てくるダンさん。
しばらくして笑顔になって大笑いしてくる。
「はは……! そんなお嬢様がいたとはな!」
引き続き大笑いしながら、雫の背中をバシンバシンと叩いてくる。ちょっと痛いけど、これは心地いい時に出る職人の挨拶だって、雫は知っている。
でも流石に、マークさんがダンさんを止めて厳しくたしなめる。
「いや、申し訳ない。こんな話の面白いお嬢様がいるなんて嬉しくてな」
「気にしてないわ。それで、受けてくれる?」
「あぁ。受ける」
そう言ってさっき取り出した酒瓶を雫に押し返してくる。
「それは単なるお近づきの印よ? 気にしないで貰ってちょうだい」
「いや、これはいらない。代わりにシズクお嬢様が満足いく物を作るから、その時にもっといい酒をくれ」
「……! 分かったわ! 期待していてね!」
職人の感覚は分からないけど、酒飲みの感覚なら分かるわ! これは絶対いい仕事をしてくれる。そう、雫の勘が告げている。
「それで、細かい条件だが……」
「えぇ、話しましょう。お金は最後にちゃんと渡すから安心してね」
「助かるよ。まず希望を教えてくれ」
奥の相談テーブルに案内されて、用意されている丸椅子に座る。これもお手製みたいね。座面が滑らかで、とても座り心地がいいわ。
ダンさんが対面に向かってペンを持って紙を広げる。
「まず絶対条件ね。女性二人、出来れば三人以上でゆったり入れるサイズにしてちょうだい」
「妹と入るのか?」
「そうよ、その条件をクリアしないと一緒に入ってくれないのよぅ」
「広くするだけだから問題ない。ストレージとやらには入るのか?」
「バスルームより大きい魔物をストレージに入れた事があるわ。その時は重さ一トンくらいだったわね。上限が分からないから、これ以上でも大丈夫かもしれないけど……」
「作業台に置いてある柱、ストレージとやらに入るか?」
「試してみるわ」
雫はテーブルを離れて、入口の作業部屋に鎮座している木の傍に立って、魔術陣を展開して『フロート』を唱える。雫の足元が水色に光り、直方体の大きな木の柱を持ち上げ……持ち上がらないわ。
「無理か?」
「いえ、油断しただけよ。もう一度」
雫は多重詠唱を四重に使って、もう一度『フロート』を唱える。先程より空色の輝きが増して、雫の足元を装飾する。
木の柱に向けて魔術を発動すると、それが浮かび上がる。けど、随分と重いわ。何だか木がふらふらしてるわね。雫は魔術陣へ注ぐ魔力を追加して、安定させる。
ダンさんの頭の高さくらいまで木の柱を浮かばせたら、『ストレージ』を発動して木の柱をしまう。木の柱はあっという間に存在が無かったように消え去る。
そして雫のストレージの中では、その代わりに大きな存在感を示している。
「本当に入るとは……。それに、その前に一度持ち上げたな」
「えぇ、フロートよ。これも空間属性魔術ね」
「今の木柱で二トンちょっとある。後は嵩の問題だが」
「中の空間自体は、この建物より遥かに広いわ」
「ふむ。まぁ可能な限り小さくするよ。軽さもな。とりあえず戻してくれるか? 客に怒られちまう」
「えぇ」
雫は再度、『ストレージ』を展開して元の位置に木を戻す。
安心したように息を吐くダンさん。
雫たちは改めてテーブルに戻って話を続ける。
「収納は分かった。他に希望はあるか?」
「魔術具でお湯とお水が供給されるなら便利ねぇ」
「高級宿にあるのな。問題ない。機構は知り合いの魔術具師に頼むからちょっと値が張るぞ」
「問題ないわ。後は無くてもいいんだけど」
「言ってみろ」
「屋外で使うから、外から見えない方がいいわねぇ。でも窓は欲しいわ。それから、頑丈で防音の方がいいわ」
「女性だしな……最近出来た魔術鏡がある。これなら魔力を通すと一方からのみ見る事が出来るが、高い割にとても脆い」
「ならやめておくわ。でもお風呂内の湿気を逃したいのよね」
「湿気に強い材料にしておくし、覗かれないまま湿気を逃すからくり窓を作っておくよ。防音は湿気が逃せないから無理だ」
「分かったわ」
「脱衣所はいるだろう?」
「あ、そうね。外でお洋服は脱げないわ」
「休憩部屋はどうする? 雨の日は外で焚火と行かないだろう」
「そうねぇ、テントよりは休めそうだけど……どうしようかしら」
「浴室、脱衣所、休憩部屋でとりあえず作るか。後、増築出来るようにしておくから、希望があれば家に出来る」
「えぇ、助かるわ」
「こんなところか?」
「そうね。十分だわ」
メモを取るために、話しながらささっと動いていたペンの動きが止まり、手と共に頭の上へ移動する。
少し悩んでいるみたいね。そんなそぶりは見えなかったけど、難しかったのかしら。
「後金額だが……前金でいくら貰える?」
「今、前金で小金貨十五枚だけしか出せないわ。ただ、製作費自体は言い値でいいわよ。必ず支払うわ。お酒は別でね」
「あぁ、貴族だったな……。前金でそれなら十分だ。足りなかったらマークに伝えればいいか?」
「かしこまりました」
「ダン、シズクお嬢様は言い値でいいとおっしゃいましたが、分かっていますね?」
マークさんが釘を刺す。マークさんも、ダンさんを言い値だからって値段を釣り上げるような人間とは思ってないみたいだけど、念のためにって感じね。それに頷き返すダンさん。
「勿論だ。適正な仕事と会計を心掛けるよ。ただ、面白い仕事だからやり過ぎてしまうかもしれない」
「それは願ってもない事だわ」
「……貴族は俺たちを蔑んでるかと思ったが、そうじゃないんだな」
「確かな技術を持つ職人には敬意を払うべきよ。雫はそう教えられたわ」
「いい教えだ、父親か?」
「遠い故郷の叔父よ。生みの親はもういないわ」
「そうか、すまない」
「気にしないで」
「それから製作期間だが、分かっていると思うが一日、二日じゃ無理だ。社交シーズン中はこっちにいるだろう? 急ぎの仕事もないし、その間に終わらせてリインフォース家に連絡する、でいいか?」
「勿論よ、期待しているわ」
「後、契約書はいるか?」
「必要なら書くけど」
「なら不要だ。引き換え証だけ渡しておく。これで弟子でも対応出来る」
「分かったわ」
ダンさんから、一辺がアトランダムな凹凸に加工された木片を渡される。嵌合符ね。
話はまとまったわ。ダンさんと握手をして、もう一度しっかり挨拶して、工房を後にする。
マークさんに先導されて、来た道を戻る。
「受けてくれてよかったわぁ。楽しみね」
「シズクお嬢様、危ない真似はおやめください」
「……何か、危なかったかしら?」
「ダンは知った仲とはいえ、男性で平民です。それをあそこまで近付ける事や、秘匿すべきであるご自身の魔術属性を教えるなどと!」
「大丈夫よマークさん。秘密って言ったし、それに雫はあなたより強いわ」
「……失礼しました」
「いいのよ。ありがとう」
ハッとした顔をして頭を下げるマークさん。ちょっと空気が悪くなっちゃったわね。こんな時は食べるに限るわ。
「じゃあ仲直りに露店に行きましょう。今日のお礼とお詫びにおごるわ」
「いえ、滅相もない。執事として当然の仕事ですから」
「突然来た小娘がいきなり、あなたの主人のお嬢様よって言われて納得出来る訳ないわ。ジョセフさんもそうだったし、串焼きでも食べながらお話ししましょう?」
「……ジョセフがですか?」
「聞きたい? じゃあ雫と、雫のおごりで串焼きを食べるしかないわね」
まだ何やら葛藤しながら戸惑っているマークさんを、無理やり広場の露店まで連れて行く。
串焼きは、あったわ。お肉が焼ける香ばしい匂いがしてくる。おいしそう。メニューは何々……牛、羊、一角ウサギ。タルトちゃんの頑張りで肉を全戸に配ったリインフォース領の方が贅沢かもしれないわねぇ。
ところで家で作るなら、タルトちゃんの狩った魔物が大量にある我が家以上にお肉に贅沢な家なんて、この国であるのかしら。王宮くらい?
しかしそこは王都。きっと質はいいに違いないでしょう!
「おじさーん! 一角ウサギ二本ちょうだい」
「はいよ! 銀貨一枚だ」
「はい」
「焼けるまで待っててくれな!」
一角ウサギで銀貨一枚って意外と高いのねぇ。リインフォース領で銀貨一枚あれば、雫一人お腹一杯一角ウサギが食べられるのに。
おじさんに焼けた串を二本渡される。大きさは、リインフォース領より少し大きいくらい。なるほど、これが売りって訳ね!
「はい、マークさん」
「ありがとうございます。よろしいのですか?」
「勿論よ。一緒に食べた方がおいしいわ。マリーちゃんとリリムちゃんとも、いつもそうしてるし」
二人でベンチに……座らないマークさんを強引に座らせて、一緒に食べ始める。いただきます。
味は、まぁ、普通ね……あれ、ぼったくりだったかしら……。
「おいしいけど、リインフォース領で食べ慣れちゃったみたい」
「王都の魔物は数が少なくて高級品ですからね。それにすぐに討伐されるので育ちませんから、質は強かな地方領の方がいいかも知れませんね」
「これは不覚だったわ。後でビルさんに頼んで使用人の料理は魔物肉にするわね。マークさんにおいしいお肉を食べて貰いたいわ」
「ありがとうございます。しかし、私は十分よくしていただいてますから」
「雫がしたいからするのよ。だから気にしないで」
うちに来る事になったっていうその話も聞いてみたいけれど、雫はさっき話題に出したジョセフさんとの逸話を面白おかしく話す。
「……ジョセフさん、しっかりとワインを飲んでおいしいって言ってくれたわぁ」
「それは、いい酒だったからでしょう。彼は酒好きですからね」
「あら、そうなの?」
「旦那様のウィスキー、よく見ると旦那様が飲んでないのに目減りしていますよ」
「ふふ、今度見てみたいわぁ。こっそり覗いちゃおうかしら」
「まぁ、旦那様もご承知ですからね」
「パパとジョセフさんって仲がいいけど、どういう関係なの?」
「ジョセフは民衆派の騎士の家系で、取り潰しになるところを先代が助けたと聞いています」
「お義祖父様?」
「そうなりますね。今は領のはずれで、大奥様と暮らしていますよ」
「まだ会った事ないのよね」
「そのうち機会もありますよ」
それから、雫は気になっている事をマークさんに聞く。
「マークさん、雫と蒼ちゃんが気に入らないなら教えて、あなたの主になれるように頑張るわ」
「そうではありません。旦那様と奥様、それに領から来た使用人の態度を見れば、お二人が悪い人間で無い事は分かります。私は、旦那様がリエラお嬢様を諦めて、その悲しさをお二人で紛らわせているのではないかと思い、それが不満なのです。先程はそれが漏れて当たってしまい、大変申し訳ありませんでした」
「それはパパが悪いわね。ちゃんとマークさんに説明するべきだわ。マークさんはリエラちゃんとは親しかったの?」
「リエラお嬢様が小さい頃に王都に遊びに来た際に、大変懐いていただいて、私も息子そっちのけで可愛がる程でした」
雫はちょっと悩んで、話す事を決意する。これは絶対に内緒よ、と最初にしっかり言い含めて。
「リエラちゃんはね、異世界からこの国に迷い込んだ雫と蒼ちゃんを助けてくれたわ。そして三年、家族のように一緒に暮らしたの。生きる術もこの国の事も全部教えてくれたわ。だから、雫と蒼ちゃんもリエラちゃんを助けたいの。そのために、雫たちは今回王都に社交をしに来たのよ」
「そうなのですか?」
「えぇ。パパもこの計画は知っているわ。ママが話を聞いているかは分からないけど、察してはいるわね。雫が美容品、蒼ちゃんがお菓子を作っているのは、その目的のためにリインフォース家の評判を上げる必要があるからよ」
ごちそうさま! と雫は立ち上がる。
「帰りましょう。ちゃんと帰れるように協力してね、マークさん」
「かしこまりました」
逡巡する事無く、すぐに頷いて返答してくれる。
雫はマークさんと一緒に家に向かって歩き出す。
評価、ブクマ、いいね、誤字報告いつもありがとうございます。
今回も楽しんでいただけたら幸いです。




