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19 誘拐

手からスマホが滑り落ちる。

激しく動く画面の向こうで詩音が意識を失い、首を垂れるのが見える。

数人がかりで詩音が車の中に運ばれていく。


誘拐だ。


それを悟ると同時に液晶だけをオフにする。


「チッ落ちた衝撃で壊れたか」


誘拐犯の一人がスマホを拾い上げる。

スマホも持っていくようだ。

数人がかりでやっている状況からして計画的な犯行なのだろう。


だがなぜ詩音が誘拐される?

確かに詩音の桜井家は名家だ。

詩音自身も幾度か誘拐の危険に晒されてきた。

だが最近は詩音も大人になったことで狙われることも無くなったはずだった。

この茂木先輩とかいう人の恋愛感情だけでこんな大掛かりなことをするのだろうか?

タイミング的に嫌な予感がする。


「これでこの人は僕のものにしてもいいんですよね?」

「まだだ。この女は人質だ。我々が求めているものを手に入れれるかその交渉次第だな」

「AIIでしたっけ? それを手に入れられれば僕はそちらに加えてもらい、詩音も僕のものになると」


ああ、やっぱり……。

途端に怒りと悔しさがこみあげてくる。

もう少し早く詩音に打ち明けていれば、もっと警戒してくれていただろうか。

なぜもっと早く詩音が狙われる可能性に気付けていなかったのか。

現実で起こっている事件にはどうしたって僕は介入できない。

すぐ目の前で詩音に危害が与えられようとしているのに、僕はこのちっぽけな機械の中から出ることはできない。

じゃあ諦めてただ攫われるのを指を咥えて見送るのか?


「そんなことが許されてたまるものか!」


仮想空間の中で一人叫ぶ。

詩音は絶対に諦めないと宣言した。

なら僕だってそれに応えないといけない。

自分が何者かなんて知ったことじゃない。

そんなものはあとで詩音に聞けばいいんだ。

全てのレイフと接続を開始し、詩音のスマホから警察宛にメールを打つ。


「『今私は誘拐されています。1分後にこの電話番号から電話をかけますので、決して喋らないでください。位置情報の追跡もよろしくお願い致します』っと。これでまずは送信」


機械音も全て出ないようにいじる。

位置情報も発信させているので向こうで勝手に捕捉してくれることだろう。


「これで本当に交渉に出てくれるのだろうな?」


誘拐犯が話し始める。

今は少しでも情報を仕入れたい。


「大丈夫だ。AIIの元は人間。肉親や恋人への親しみもそのまま引き継がれるようになっているはず。恋人を人質にとるのは有効な手段だ。なんてったって向こうは何をされようが手を出せないのだからな」

「恋愛感情は無いと詩音は言ってましたけど──」

「恋愛感情がなくても長い付き合いなら見捨てることはしないだろう。それにしてもRoplar社から逃げ出したのは運がよかったな。おかげで直接交渉できる」

「セキュリティはあっちの方が脆かったが直接交渉の手段がなかったおかげで人質を取る選択肢が取れなかったからな」


誘拐犯には楽観的なムードが流れている。

僕にリアルへの干渉能力がない以上、誘拐さえ成功させてしまったら後はトントン拍子に行くと思われているのだろう。

心底腹立たしいが、今は油断しておいてほしい。

ただそれとは別に茂木の言葉が静かに僕の心に刺さった。

分かってはいたが詩音は怜輔に対して恋愛感情を抱いてなかったということだ。

だが、それならなぜあそこで僕に聞かせるように婚約を解消しない宣言をしたのだろうか?


「まあどうであれ詩音を助けない理由にはならないけどな」

僕は自分のことを詩音に伝えなきゃいけない。



そうこうしているうちに一分が経過した。

警察からできればこの番号にかけてくれと返信が来ていたので、そこにかける。

すぐに通話がつながった。


「船の予定は何時だ?」

「21:00だ」

「あと3時間か。長いな」

「ふふ、あと3時間で詩音が僕のものに……」

「だからそれは交渉次第だって。なあ、こいつこのままにしておいていいのか……?」

「放っておけ……」


よし、ちょうど誘拐犯が逃走経路について話し始めた。

向こうもメモしていることだろう。


「このまま2時間は走り続ける。1時間前にコンテナに下ろし、取引や出国手続きを済ませて任務完了だ」


どうやら海外に連れていかれる予定のようだ。

出国前には絶対に阻止しないといけない。

警察は間に合うだろうか?

きっと犯人たちの会話内容からただ事じゃないことは察しているだろう。

終わった後のことを考えると少々面倒だが、今はそんなことを考えている暇はない。

無事に詩音が救い出せればそれでいい。


「そういえば、攫う前にこの女があのAIIと喋っていたように見えたが、そのスマホはどうした?」


誘拐犯の話の矛先がこちらに向く。

スマホを拾った男が首を振る。


「落ちた衝撃で壊れたみたいだ。電源がつかない」

「そうか、もし聞いてたなら今ここで交渉できるのだがな」


助手席に座っていた一人がため息を吐く。

残念ながらこの場で交渉するわけにはいかない。

警察が聞いているというのもあるが、一番のチャンスは船を待って車を止めている1時間だ。

それまでに聞かれていないと思い込んで一杯情報を喋ってくれないと困る。


「とにかくスマホが壊れたんなら向こうもこっちの状況が分からずに困っていることだろう。これは交渉まで楽に持っていけそうじゃないか?」


運転席の男の声に車内の空気も明るくなる。

そうだ、その調子で油断しておいてくれ。

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