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Sikc syndrom.⑫  作者: AKIRU
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別れ

主人公の年齢などを

今更ながらに変えたい状況です!



 青い空を、白い筋雲が走っていた。旅客機の跡だ。ぶれもせず真っ直ぐな状態を見る限り、上空は風がないようだ。

「今日も暑くなりそうだな」

 タケルはバス停の壁に背を預け、空を見上げながら呟いた。

「すぐマイナー思考になるなんて、老い先長くないわね」

 ユズとベンチに座っていた芙華は、真っ赤なマウンテンパーカーのファスナーを、首元までしっかり上げた。帽子にポール、イタリア製の登山靴、フランス製のリュック。家を出るとき、「日帰り登山でもするのか?」とタケルに訊ねられ、「山ガールの最低装備よ」と返した芙華だった。

「俺だけTシャツだと、さすがに浮いて見えるな…」

 ユズも日焼け予防の帽子とマウンテンパーカーを羽織っている。あとはウエストポーチにトレッキングシューズ程度だが、サングラスをかけ、手ぶら、紺のTシャツ、白いチノパン、スニーカー姿のタケルよりは周囲と馴染んでいた。

上高地へ入るには、沢渡(さわんど)周辺の駐車場に車を預け、バスかタクシーで入るのが一般的である。登山をする輩は、この地点ですでに十五キロ、二十キロ越えのリュックを背負い、相当な重装備をしている。

「その辺ちょっと歩いて、昼を食べる程度だろ」

 大袈裟だ。と電子フレーバータバコをくわえようとしたとき、ターミナルにバスが入ってきた。

電子タバコをポケットに仕舞い、他の乗客に続いてバスに乗り込んだ。

「どうしてユズちゃんの隣に座らせてくれないの?」

 タケルと並んで座るユズを見て、芙華は前の座席から身を乗り出して唇を尖らせた。

「サトルと俺の客人だから」

 その一言で、昨夜からユズとの接触を禁じられた芙華だった。

「ケチ」

 毒づいて席に座り直した。

仮想通過関連会社や、株式関係の会社の顧客ではなあり得ない。となれば除霊、霊媒、それらの類いなのだろう、と彼女は勝っ手な推測をしていた。普段は優しい叔父と兄だが、仕事に関しては厳しく、内情を漏らすこともない。当然のこととは理解していても、芙華は面白くなかった。

『ユズちゃんは、こんなオヤジとトレッキングしたいの?』『サトちゃん泣かせたら呪う!』『帝国ホテルでアフタヌーンティーしよ~』

 ユズがスマホを開くと、メッセージに芙華からの言葉がならんでいた。そして、『タケルさんは憧れの存在です』『サトルくんには感謝してます』と返した。

『物好き』

 ふたりがスマホで会話をしている間に、標高は高くなってゆく。

タケルは呆れながらも、深緑の山道を進む車窓を見るとはなしに見ていた。【雲間の滝】が視界を過ぎた。言い伝えによれば、渓谷の隙間からこの滝を見れると、寿命が伸びるとかなんとか。

「人は迷信が好きだよな」

 呟き、スマホの電源を落とすユズの肩を抱いた。

「見れました、雲間の滝」

「なら大丈夫だ」

 笑顔のユズに、タケルは頬擦りしてやろうと思ったが、脳裏を(よぎ)った吊り目に睨まれて、腕を解いた。

「大正池から歩かないで、かっぱ橋から回るのか?」

 タケルは気分屋の芙華に最後の確認をする。

「想像してたより混んでるから、水遊びして、ランチしてタクシーで帰る」

「一年で一番のピークだから、混むのが普通だろ」

 ランチの予約ができただけでも奇跡的なのだ。本来のタケルなら、サトルのフライトがあっても八月は避けたいところだった。北アルプス連峰を縦走するわけでも、知り合いの山小屋へ行くつもりも予定もない。

「想い出、できるといいな」

 タケルに囁かれ、ユズは複雑な笑みを返した。



      *



 標高千五百Mの上高地は、太陽光の痛さを忘れるほど、川から吹き上げる爽やかな風と、湿度の低さが、日常とはかけ離れた世界だった。小鳥のさえずり、白樺や小梨の葉擦れが、光と一緒に空から降ってくる。

 ホテルなどが点在するエリアから少し奥へ行くと、人波が途切れた。タケルは芙華を気にすることなく、慣れたような足取りで奥へ行く。

ユズは何はともあれ、その後ろ姿を追いかけた。

すれ違う人とは、どちらからともなく「こんにちは」と挨拶を交わす。三千Mクラスの山から下山してきたのか、重そうなザックを背負いながらも、充実した空気を醸している輩が目についた。

 明神館を過ぎてすぐ、鳥兜の花が点在する草むらが見えた。

ユズはその奥で立ち尽くす、年配の男性と目があった。軽く会釈をしタケルの後を追いかけたが、引っ掛かりを覚えて足を止めた。

「タケルさん!」

 ユズに呼ばれ、彼は迷わず踵を返した。

「あの、あっちにいる人なんですけど…見えますか?」

 ユズは、自分にしか見えない存在があることを知り、怖いというより、見えているものの生死に不安を覚えるようになっていた。

「気配はあるな」

 タケルは真相を確かめるため、ユズの手を握ってみた。

「…ホントにいる」

「やっぱり、生きてないの?」

 ユズは草むらを凝視するタケルの横顔を見上げた。先日からのことを思えば、死後の時間や日の浅い可能性が高かった。

「行くぞ」

「大丈夫、かな?」

「あのジィさん、ずっとお前を見てるだろ。何か話があるんじゃないか?」

 そう言うと、タケルはユズの手を握ったまま、人気のない建物の裏側からゆっくり歩みを進すめる。

「芙華さんに知らせなくていいの?」

「あいつなら、その辺で休憩してるだろ。電波も通じない地点だし、気にするな」

 ユズは慌てて、ポケットからスマホを取り出した。タケルの言ったとおり圏外だ。と、タケルに背中を押され、登山スタイルの男の正面に立った。男は眉尻を下げ、紫色の花をそっとたおり、改めてユズを見みた。

「こんにちは。こんなところで、どうかしましたか?」

 ユズは鳥兜の花を(もてあそ)ぶ手元を気にしながら、声をかけてみた。

「お嬢さん、私はもう死んでしまったのかね?」

 訊ね、男は花を口にする。

「そ、それ、毒です!」

「知っているよ」

 言いながら飲み込んだ。

「この程度なら薬にもならないさ」

 男の言うように、鳥兜の花を一輪食べたくらいでは舌が痺れることもない。

「ダメです!だからってアコニチンを口にするなんて」

 必死な形相で訴えるユズだったが、頬に触れた冷たさに、小さく飛び上がった。

「死人が、アルカロイドでどうにかなるわけないだろ」

 タケルは飲みかけのスポーツドリンクをユズに渡し、愉快そうな笑みを浮かべる男を見やった。

「生死の確認作業、ですか?」

「どうだろうね…。学生時代から山をやっているから、試してみたかったんだろうな」

 つまりは、生きているときに毒性の強い高山植物など、摂取したことがなかったということだ。タケルは、彼が軽はずみな事故で命を落としたとは思えなかった。

「おひとりで、縦走されていたんですか?」

「いや、連れがいるんだ」

 男は思い出したように辺りを見回した。

「奥様、とか?」

「女房は、実家の千駄木でしょう。通いで実母の介護をしているんでね」

「千駄木でしたか、わたしの実家もすぐ隣ですよ」

 タケルの世間話に、男は親しみを覚えたらしく、柔和な顔つきになった。

「この春、定年退職したんです」

「それはよかったですね」

「私はよかったが、息子が派遣でね。三十過ぎてるのに、自立も結婚もできない経済状況なんだ」

 男は大きなため息を吐いた。

「気分転換になればと思い、初めて北穂へ連れて行ったんです。今夜は横尾でのんびりして、明日帰る予定だったんですよ」

 頭上を、ヘリコプターが通過した。ユズは、眉間をしかめ、何かを模索する様子のタケルを見つめた。

「あとは頼むな」

 タケルはユズの手をきつく握り、放すとすぐ建物の方へ走って行った。

 男は大きなザックを、そっと二輪草の上に置いた。よく見ると、男の足下もザックの下も、草が潰れていなかった。

「あの、下山途中で息子さんとはぐれた、ってことですか?」

 ユズはザックの前にしゃがみ込んだ。中を見てもいいか、と眼で訴えると、男が頷いた。

「何かあった時は、昨日泊まった涸沢(からさわ)か、直接今夜の横尾(やど)で落ち合う約束をしているんだがね…」

 男は腕時計を見た。

「まだ九時半だったのか」

「え?」

 ユズは慌ててスマホを取り出した。

時刻は十二時少し前だ。

「止まった時間…」

 ユズは呟き、急いでザックの中を調べた。内側のポケットからジップロックが出てきた。中身はブドウ糖と、インスリンのキットケースだ。

「今朝、インスリン射ちましたか?」

「いやぁ、調子もよかったし、急いでいたから、途中で射つつもりだったんだよ」

「サボるなんて、糖尿病の方にとっては命取りじゃないですか…」

 言いかけユズはハッとした。

「もしかしたら、低血糖を起こしたんじゃ!?それで足元がおぼつかなかったとか、足を滑らせた…とか」

「うーん、頭がクラっとした覚えはあるが…滑落…したのかな…したかな…?」

 いぶかしげに呟く男を見やり、ユズはザックをもとへ戻した。

遠くでヘリの音がする。

サトルの休憩予定時刻はもうすぐだ。



         *




 明神館に駆け込んだタケルは、支配人に遭難者が出たことだけを説明し、固定電話と無線を拝借していた。岐阜県側にも長野県側にも、まだそれらしい要請は入っていなかった。

安易に捜索を頼めば、被害者家族の負担が大きくなる。だからといって、放置しておくわけにもいかない。

もどかしく無線機を見つめていたタケルは、無理を承知で、サトルがサブについているヘリへの通信を試みた。サトルは航空無線通信士はもちろん、機長飛行時間もクリアしているプロだ。

「頼む…」

 タケルは乾いた唇を噛みしめた。




「ユズ?」

 サトルはサングラスのフレームを正した。タケルからの通信を受け、三十分までの条件で捜索の手伝いを了承した。県警と山岳遭難防止対策協会(そうたいきょう)が到着するまでは、山小屋従業員(こやばん)と、確率の高い場所を回ることになった。

 サトルは目を疑った。

低空飛行しているとはいえ、視界のそこかしこに、白いワンピース姿のユズがいるのだ。

 ユズが手を振って笑う。

 助手席(ナビシート)から、サトルは進路の指示をする。ベテランパイロットの館林は、サトルの言葉に従った。彼の勘に、フライト中、何度か命拾いをした。

 勾配の激しいガレ場で、ユズが両手を大きく振っていた。着陸は無理な幅だった。

「そこの地点で、ホバーリングお願います」

 サトルはヘッドフォンを外し、後部へ向かった。ザックに備品とトランシーバーを突っ込み、ザイルと縄ばしごを手にした。

「まさか、降下するのか!?」

 館林は驚いた口調ながらも、ドアを開けにかかるサトルを止めなかった。

「二次遭難だけは気を付けろ」

 場所がわかれば救援は遅くない。と背中に呟いた。ヘッドフォンをしていないサトルに、聞こえていないことはわかっている。それでも、通じていると信じていた。

 サトルは館林に敬礼すると、迷うことなく降下した。命綱もハーネスもつけていない。谷間から吹き上げる風がなかったのは、幸いだ。

       

            *




 ぴくりと指が動いた。

「…弦?」 

 七海の心臓に熱が集まる。

 ゆっくり眼を開いた弦は、ぼやける視界をどうにかしようと、まぶたに力を込めた。感覚の薄い右手を、七海が握っていることに気づいた。温かいーと思った。涙が頬を伝う。

「…ごめん」

 か細い呟きに、七海は握っていた手に額を付け、涙を堪えて首を振る。

「よかった…ホントによかった。二度と目を覚まさないんじゃないかって…怖かった…」

 握りしめた手に頬を寄せ、安堵の喜びと罪悪感に震える七海。弦はその背中に手を回し、「大丈夫だよ」と笑みを浮かべて、ゆっくりゆっくりなぜた。

「ナースコールしなきゃ」

「あと少し、このままでいさせて」

「七海は、あまえっ子だったんだね」

「今だけだよ」

 昼を過ぎたばかりの病室の外は、行き交う足音と職員の声が賑やかだった。

「何日経ったの?」

 事故に遭い、救急車で搬送されたことは、所々覚えている。夢を見ていた。長かったような短かったような、楽しかったような…夢。

「四日間、眠り続けてたんだ」

「そんなに?」

 弦は前髪をかきあげ、ブラインドの隙間から射し込む光に目を細めた。

「打撲程度で、脳とか臓器に異常はないらしい。でも、後遺症が出ないとは断言できない…」

 七海は大きく息を吐くと、ナースコールをした。

 バイタルなどの問題はなかった。それでも改めて頭部の検査をし、異常がなければ筋力回復のリハビリを行い、退院できる目処がついた。

両親は、明日帰国するらしい。




「ユズちゃん、差し入れよ」

 面会時間を過ぎた部屋に、長躯の看護師が入ってきた。

看護師も医師も、ほとんど覚えていないが、彼女のことは知っている気がした。

「わざわざありがとうございます」

「今日は準夜勤だから、もうすぐ上がるけどね」

 赤羽という名札をつけた看護師は、簡易テーブルの上で、サーモボトルから何かを注いだ。

「固形物はまだ無理だけど、若いし、これくらいなら問題ないわよ」

「味噌汁が差し入れ?」

 軽口を叩いたつもりだったのに、漂うだしの香りがやけに懐かしくて、じんと目頭を熱くさせた。弦は気づかれないよう俯き、カップに口をつけた。口から食道、胃へと染みてゆく。

「お昼過ぎの話だけど、大学病院の方にね、三十代の男性が搬送されたの」

 赤羽雅子は、ブラインドを開いて月を見上げた。

「山で遭難したんですって」

 弦は彼女の話を聞きながら、具のない味噌汁をしっかり飲み干した。

「父親と下山途中に滑落して…運よく助かったみたい」

「それって、父親は助からなかった…ってことですか?」

「そういうこと」

 彼女が何故、そのようなことを言い出したのか、弦にはわからなかった。それでも、ただの世間話には感じられない。

「又聞きだけど、ふらついたお父さんを助けようとして、遅れて滑り落ちたみたい」

「二重遭難?」

「さぁ、ただの事故だったのか…。生き残った方の証言しかないから、わからないわよね」

「赤羽さんの言い方だと、まるで父親が殺されたみたいに聞こえますよ」

 弦は、彼女の背中を見やり肩をすくめた。

「あら、ごめんなさいね。ユズちゃんなら、何か知ってるんじゃないかと思ったの」

「どうして僕が…」

 自分は昼頃まで意識がなかったのだ。

「明日からリハでしょ?応援に来るから」

 ブラインドを閉めた彼女は、カップを洗い、ボトルをトートバックに仕舞った。

「遅くにゴメンね、話せて良かったわ」

「いえ、こちらこそ、本当にご馳走さまでした」

 弦は、小さく手を振って出て行く彼女を、視線だけで見送った。身体中の筋力が弱っていたので、ひとりで歩いて転倒する危険を避けていた。それでも、彼女を見届けるとゆっくり立ち上がり、扉に向かって伝い歩きをした。

扉の向こうから、彼女と誰かが話す声が聞こえた。弦は思わず扉に身を預け、その会話に耳をすませた。

「あいつが無事で何よりだ」

「まぁ、普通なら喜ぶ結果よね」

「もう関わることもないか…」

「サトちゃんは、本当にそれでいいの?」

「…元の生活に戻っただけだ」

「強がっちゃって。仕方ないわね、今夜は私が慰めてあげるから」

「いらねぇー。マジ迷惑」

 遠くなってゆく声に、弦の心拍が早くなった。

 

 行かないで!


 扉に寄りかかっていた躰が、足元から崩れ落ちた。

山も落ちもない、

これで、練習になっているのたろうか…


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