再戦 デーモン
街の人々が寝静まったころ、俺はサン=シャリテ孤児院の前にいた。
「あー、皆さん今宵はよろしくお願いします」
俺は目の前に並ぶ自警団の面々に挨拶をした。各々が武装しており、自警団という割にはなかなか頼れそうだ。悲しいかなあまり歓迎はされている雰囲気ではないのだが。
「なんでぇ、こんな細っこい兄ちゃん一人かよ。あんなことがあったってのに冷てぇな、お役人どもは」
岩肌を削ったような顔の男が不満そうに声を上げた。周りの男達も頷く。
不満ももっともだ。街の危機だってのに、俺みたいなよく分からんやつよこされても困るだろう。
それにしたって面と向かって言うことはないんじゃないか、とは思うが。
ちなみに勇者様は別行動だ。この集団に加わっても勇者だと信じてもらえないし、ガキは帰れと追い返されるだけだしな。
「まあまあ。人手をよこしてもらっただけでもありがたいと思おう。いないよりマシさ」
温和そうな男が言った。庇ってるようでなにげに酷いこと言われてる気がするのだが。
「ハインツ殿はデーモンと実際に対峙して住民を守っていますから、もしまた魔物が現れてもきっと力になってくれるでしょう」
そこで院長が見かねて口添えしてくれた。
「……ほんとかよ」
ボソッと男達の誰かが言った。くっ聞かなかったことにしてやる。
「こんな兄ちゃんでも戦えるくらいなんだ、俺たちだってなんとかなるさ。さあ、見回りに行くぞ」
先ほどのゴツゴツした顔の男が威勢良く言うと、面々は口々に声をあげ散り散りになっていった。
「大丈夫かよ……」
そう一人つぶやく。
実際、あのとき倒せたからいいもののあのまま暴れていたらえらい騒ぎになっていただろう。そう考えるともっと人を割いてくれてもいいと思うのだが……もしかして下手に倒してしまったせいで軽く見られてしまったのだろうか。そう考えていると、
「申し訳ない、連日の見回りに昼間の騒ぎです。皆も気が立っているのでしょう」
院長が申し訳なさそうに言った。
「ああいえ、なんというか、もっと人手をそろえられたら良かったのですがなにぶん……」
「あなたが気に病むことはありません。それに、その剣もきっとご自分で用意されたのでしょう?」
「ええ、なんとかそれなりのものを用意できました」
そう、今回は武器を用意した。魔法だけだと攻撃に不安があるので冒険者に人気の店で急いで買ってきたのだ。剣帯と併せてなかなかなお値段だったが背に腹は代えられない。俺自身、どれくらい剣が使えるかは分からないがなんとなくできる気がした。
「さぁ、私たちも参りましょう」
そううながされ、俺たちは闇に包まれた街を歩き出した。
王都といえどもこの辺りは歓楽街からはほど遠く、夜にもなると辺りはうち捨てられたかのように静まりかえっていた。
夜は本当に恐ろしい。人間は夜目が効かない。その上、暗闇を歩くためには明かりを持ってわざわざ自分の居場所を盛んに知らしめることになる。だというのに、手に持ったカンテラの明かりは夜を打ち払うには心細い。ときたま深夜に営業をしている居酒屋があって、そこから漏れる明かりが頼もしいと思えるくらいだ。
――コツコツ、コツコツ。
石畳を歩く俺たち二人の足音が、左右に並ぶ家々で反射して不気味に響いた。
昼間にこの場所を歩いたとしてもきっとこんな音はしない。夜は昼間と同じで、そして違う世界なのだ。夜は家で寝ている限る。
ふと、気配を感じた。ここでキョロキョロと辺りを見回すことはしない。もし本当にこちらを伺っている相手ががいたら、こちらの警戒がばれてしまう。俺は院長に話しかけながら相手を探った。
「しかし、アンジェはいい子ですね。ペトラにも、少しは見習ってほしいくらいです」
別に何の意味も無い会話だ。話しているフリ――ではないのだが、会話をしながらこちらを伺う何者かを探す。
「そう言ってもらえるとうれしいですね。あとは少し落ち着きがあるとよいのですが。でも、ペトラ殿もあんなことがなければ――」
と、その時。ズシン、と大地が震えた。同時に遠くからガラガラと何かが壊れるような音が轟いた。
「院長!」
俺たちは音の方向へ走り出す。
街中をかけて行く間、建物が壊れる大きな音や獣の咆哮がどんどん大きくなっていった。辺りの家々の戸がかすかに開いて、何が起きたのかと辺りをうかがっている姿があちらこちらで見える。
もう道の反対側から音が聞こえる。騒ぎで起きた人々が寝間着のままで街路にあふれ出していた。もう少し、そう思ったところで目の前の建物がはじけた。
「んなっ!」
飛び散る破片から院長をかばう。見ると、建物に大穴が開いていて、その向こうを覗くと昼間のデーモンよりも幾分大きいヤツが暴れていた。
「院長は街の人を!」
そう言って建物の穴を抜けた。
「この化け物め、俺達の街を壊すんじゃねぇ!」
見ると先ほどの自警団の人間がデーモンに向かって槍を構えていた。周囲には見覚えのある面々が傷を負って倒れている。
「このぉ!」
気迫のこもってデーモンに突き出された槍は悲しいかな、小枝でも払うようにたたき折られてしまった。
男は腰砕けになってその場に尻餅をつき、庇うように左手を突き出しながら震えている。
このままだとやられてしまう。俺は火球を放って注意をこちらに向けさせた。
「グルウウゥゥゥゥ」
一瞬、全身を燃え上がらせたが、濡れた犬みたいに身震いをすると火はかき消えた。不機嫌そうにデーモンがうなり声を上げた。ああクソ、あんまり効いてないな。
「お、おお……アンタか。助かった」
男の手を取って立たせてやる。
「早くみんなを連れて逃げろ!」
そう言いつつ、デーモンが反撃をする前に全力の雷撃魔法を唱える。横目で自警団の男が仲間を抱えて逃げたのを確認し、今まさに襲いかかろうとしている相手を睨む。
「天上におわす我らの神よ! 天よりその怒りを示し給え!」
詠唱も省略しない。ぶちかます。
視界が真っ白になり、轟音が轟く。追撃準備。
「とどめ!」
前と同じように土の槍を手にとって、鳩尾を突き刺そうと――
「ガァッ!」
デーモンが俺を殴りつける。横に除けるのも間に合わない。防御するので精一杯。
そのまま吹き飛ばされ、建物の壁を突き破った。瓦礫に埋もれた体を起こす。こちらに向かってくるデーモンが見えた。
「元気いいなぁお前!」
ふらつく足をなんとか動かし、俺もデーモンに向かっていく。よく見れば相手もふらついていて、雷撃のダメージが無いわけではない。
バカの一つ覚えで振りかぶってきた右腕を左に跳んでかわす。
すれ違いざまに脇腹を斬りつけた。パッとどす黒い血が飛び散る。
「まだまだ!」
背後を取った。ヤツはまだこちらを向けていない。と、顔だけこちらに顔を向け、
「ヴァアアアア!」
咆哮を俺にぶつけてきた。一瞬俺の動きが止まり、デーモンの口が目の前に現れた。「ぐうぅっ!」
左半身に牙が突き刺さった。
「こんのぉ!」
瞬間、剣を逆手に持ってデーモンの左目に突き刺した。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァ!」
のけぞるデーモン。ここで引いたら負ける。距離を詰める。振るわれた左腕を懐に飛び込んで避け、足を切りつける。
膝を着いたデーモンの顔面に接近し、剣を大きく振りかぶる。
「おおおおおおぉぉ!」
血しぶきが飛び、重い衝撃が腕に走る。剣は頭蓋骨を半分ほど切り裂いた。食い込んで抜けなくなった剣を手放し、三歩ほど下がる。
「終わりだ!」
電撃魔法を唱え、剣に向かって放った。
「ヴヴヴヴ! グウウウウゥ! ウッヴヴルルゥゥ……ウゥ……」
体を激しく痙攣させるデーモン。うめき声がだんだんと小さくなり、動かなくなった。
「ハァ……ハァ……ゲホッ」
咳を手で押さえる。その手に、血が付いていた。息を落ち着けようと大きく息を吸うとヒューヒューと音がして、息が上手く吸い込めない。牙が肺まで届いたのだろう。
「うおおおぉ、アンタすげぇな!」
気づけば自警団の男達が俺を囲んでいた。
「細っこい頼りない兄ちゃんかと思ったら、こんな化け物を倒しちまうなんて」
「おいおい、剣も魔法も使えるのかよ」
「びっくりだよ。頼りになる人を呼んでくれたんだな、お役人も――おい、大丈夫か!? ひでぇ傷じゃねぇか!」
言葉を返さなかったからか、男達は俺の方を支えたり、顔をのぞき込んだりしてくる。
「ああ……どりあえず……ヒューヒュー……ぢ、治療だげでも――」
なんとか回復魔法を自分にかける。こりゃもう二回ぐらいかけないとダメだな。
そう思ったとき、ズシン、という足音がした。全身に悪寒が走り、すぐさま土魔法で壁を作る。同時に大きなヒビが入った。
「走れ! ここは俺一人で良い!」
そう叫んで自警団の連中を逃がす。
「お前らいっぱいいるのな……」
壁がガラガラと崩れ、先ほどのデーモンとおんなじ見た目のヤツがもう一体現れていた。
俺に向かって飛びかかってくる新たなデーモン。不完全な回復魔法でまだ傷はふさがりきっていない。呼吸もままならないまま躱し続ける。残る体力が急激に減っていく。
動く体力が無くなったら何もできなくなる。なんとか距離を取って肺の穴をふさぐ。最優先だ。
大きく飛びかかってくる動きに合わせて股をくぐり抜け、背を見せての全力疾走。そして回復。
「たゆたう命の源よ、我に祝福を与えたまえ!」
同時に振り返って状況を確認――
「グァウ!」
デーモンの右拳が直撃。一区画ほど吹っ飛ばされて、地面をゴロゴロとみっともなく転がる。
「うぅ……ペッペッ」
うめき声を上げ、口に入った土を吐く。全身からミシミシと嫌な音がした。
神様勇者様ペトラ様、そろそろ来てくれないと補佐官が死んでしまうんだが。
そう思っても助けは来ない。ふらつきながらも立ち上がる。左腕が上がらない。完全に折れてるな。肺だけでも治せてよかった。
「来いよ! 一匹も二匹も変わらねぇよ!」
虚勢を張る。そうでないと倒れてしまいそうだ。
俺に向かって拳が振るわれる。その瞬間、土魔法で斜めに壁を作る。壁は破壊されたものの、拳を斜め上に反らすという大役を果たした。
体勢を崩したデーモンの股を抜け、毛むくじゃらな背中に飛びついた。首に足を絡めて固定。俺は腰に差していた短剣を抜く。
「うおおおぉぉぉぉ!」
逆手に持ってデーモンの首の後ろや喉を滅多刺しにする。
「クソが! 倒れろっ倒れろぉ!」
メチャクチャに暴れるデーモンに体を振り回されながらも何度も何度も短剣を突き刺す。死ね、死んでくれ!
――しかし、それは敵わなかった。背中から倒れて俺を押しつぶそうとする動きに反射的に足を離した。地面に転がる俺。首元を押さえながら俺を血走った目で睨むデーモン。
「どうする、どうする……」
あとは魔法でどこまでダメージを与えられるか。最悪差し違えてでも……そう思ったときだ。
「こんのおおおおおお!」
甲高い声が響いて、ローブをまとった小さい人影が突如間に割りこんだ。
「勇者あああぁぁぁぁパァーンチ!」
突如現れた謎の影……というかペトラがデーモンを懐から殴りつけた。反動で足が地面にめり込み、粉じんが上がり、石畳が飛び散った。衝撃波が俺を襲う。
デーモンを見ると、ペトラに殴られた部分だけに大きな穴が開き、向こうが見えていた。そして、ゆっくりと後ろへ倒れていくデーモンだったもの。
「ふぅ……補佐官さん、もうちょっとであの世行きでしたね。頑張りに免じて、助けたお代は金貨一枚で勘弁してあげます」
フードを上げ、無邪気な笑顔でペトラは言った。
次回は5月5日更新予定です。
※5月5日追記
5月6日更新に延期します。