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 閑話 ペトラとローラ

 ハインツとペトラが出会った日の晩。王宮のほど近く、王都でも指折りの大きさの土地にヴァイエ公爵の屋敷はあった。


 現在の館の主であるローラの部屋の扉が、ゆっくりと開く。


「いやーいいお風呂でした」


 頭に亜麻の布を撒いた、寝間着姿のペトラが部屋に入ってきた。湯から上がったばかりなのか、ほんのりと顔は上気していた。


 ネグリジェに着替えていたローラが出迎える。


「今日は大変だったろう。香油もいい物を使っておいたよ」


「なんかいい香りがすると思ったら。ワタシも取り扱うので次回はワタシから買ってくださいね」


 それを聞いて苦笑するローラ。


「フフッ、気に入ったら買うとするよ」


「それじゃあ良い物を仕入れないといけませんね」


 ペトラはハッハッハッと快活に笑い、室内履きをぺったらぺったらと鳴らしながら歩く。


「ペトラ、立派なレディになりたいのなら、もっと綺麗な歩きかたをしないとね」


 ローラはスッとペトラの隣に立つと、腰に手を添えて背筋を立たせた。


「むむっ、こうですか?」


 ローラに支えられ、ペトラは背筋を伸ばしてゆっくりと歩く。


「そう。優雅に、美しく……。上手上手」


 ローラがペトラの手を取って一緒になって室内を回る。


「うーん、難しいですね……練習してみます」


「相手が必要だったらいつでも声をかけてくれよ……ん、まだ髪が濡れているな」


 ローラはそう言うと、ベッドの前にスツールを置いてペトラを座らせた。ローラは亜麻布を手にとってペトラの後ろに座る。


「髪はしっかり乾かさないと痛んでしまうよ」


 そう言いながらペトラの髪をわしゃわしゃとなでる。


「ちょ、ちょっと、くすぐったいですよ」


「がまんがまん」


 ペトラの髪から湿り気がなくなったところで手を止めた。


「よし、もういいよ」


 そう言って、洗濯籠に亜麻布を投げ込んだ。


「はー、なんだか不思議な気分ですねぇー」


「どうしたんだい?」


「少し前までは戦争していて、お風呂どころじゃなかったのに」


「フフッいいことだよ。平和が一番さ」


「そうですね。平和が一番ですね。平和が一番」


「久しぶりに今日は大変だったろう」


 髪にブラシをかけながらローラが言った。


「そんなに疲れてないですけどねー……むしろさっき叩かれたお尻の方が……」と言って自分の尻をさする。 


「それは言わない約束だろう」


「それはそうですけどー」


 キャッキャと楽しそうに話す二人は、普段人前で見せる険しさは一切ない。


「そろそろ髪も乾いたろう」


 ローラは自分の髪を梳かしていたで、ペトラの髪の毛を先の方から丁寧に梳かし始めた。はじめは髪の毛の先の方を小気味よく。髪の先をほぐし終わると中程から先まで、最後にゆっくりと髪の根元からまっすぐに髪を梳かしていく。


「ペトラ、立派なレディになりたいなら髪は大事しないとね」


「ほうほう」


 ペトラが感心したように頷いた。


 しばしの間、髪にブラシを通す音のみが部屋に響く。


「しかし憂鬱ですね。自由になったと思ったのに、これから国のお仕事をしなくてはならないなんて」


「そう言わないでくれ。なるべく商売の邪魔はしないようにするさ」


 その声色はどこまでも優しげだ。


「そもそも!」


 ペトラがスツールからピョンと跳んだ。


「ワタシに補佐官なんて要りません!」


 ビシッとローラを指さした。「ワタシ一人で十分です」


「んー、仕事をするだけなら一人でも大丈夫だろうけど」


「ほう、他にも理由があると」


 ペトラがズイと首を突き出した。


「監視だよ、監視。一人で街を吹き飛ばせるくらいの力があるんだ。国だって監視したいのさ」


 ペトラはそれを聞くと腕を組み、考える。


 たしかにワタシがちょっと本気を出すだけで、それはもうすごいことができてしまう。お上の人たちが心配するのも分からなくはない。でも、ワタシだってこうなりたくてこうなったわけではないのです。


 なんてことをペトラが考えていると、柔らかくも少し骨張った感触が覆い被さってきた。


「ペトラ、大丈夫。私がなんとかするさ」


 そういうことではないのですが、とペトラは思ったが、口には出さずに話題を変えることにした。


「それにしてもなんで補佐官なんですか? 勇者同士でも良さそうじゃないですか」


「そりゃあ、勇者だったら一人で何でも解決できるからね。魔王退治の時にサポートしていたメンバーほどの実力が必要とも思えない。自分を守る実力さえあれば十分だ」


「なるほど……でも、なんであのお兄さんなんですか?」


「あー、彼はアルフレッド殿の推薦でね」


「友達って感じでもないですけど」


「何でも魔王軍との戦いでアルフレッド殿が危機に陥ったときにずいぶんと助力したそうだ」


 それを聞くとペトラは眉間に皺をよせた。


「えー、全然そんな感じには見えないですけど」


「まあ、そこは、私もだよ」


 二人はそろってあの細長く、少し頼りない男を思い浮かべた。


「ま、よくいる口だけ冒険者に比べて、そ、れ、な、り、に、実力はあるみたいですケド、ワタシはローラと一緒がよかったです」


 プクッと頬を膨らますペトラ。


「ペトラぁ!」


 ローラがペトラをぎゅっとだきしめた。ペトラがジタバタするが、逃れられない。もっとも、勇者の力を使えば簡単に逃げられるのだが。


「ペトラ、今は我慢してくれ。なに、おかしな真似は私がさせないさ」


「……何か怪しいところでも?」


 やんわりとローラの手をほどきながらペトラが言った。


「経歴が不明でね。あれだけ魔法ができる割に、誰も彼を知らないんだ」


「……冒険者とかに聞いたら分かりそうですけど」


「王都で有名な冒険者にも当たってはみたけど何も分からなかったよ。騎士連中にも聞いたが同じだった」


「じゃあ、アルフレッドはどこで知り合ったんです?」


「戦場で偶然助けられたそうだ、その時に酷い傷を負ってそのまま三年も眠っていた……そうだ」


「三年……その間ずっとアルフレッドがお金を?」


「そのようだね」


 ペトラは目を伏せ、口を開く。


「……あの、アルフレッドって――」


「アルフレッド殿は貴族子女との交際が噂になったばかりだよ」


 ローラがすかさず言葉をかぶせた。


「じゃあ何でアルフレッドはあのお兄さんにあんなにお熱なんでしょうね」


「ペトラ、言い方。まあ、いくら助けられたからと入って、そこまでできるかと言うと……アルフレッド殿ならやりそうだね」


「そう言われればそうですね。あの人なら」


「とにかく、何かあってからじゃ遅いんだ。警戒はしておいてくれよ」


「はいはい」


「『はい』は一回」


「はーい」


 などと戯れているうちにもう夜も遅くなったので、二人は寝床に着くことにした。ペトラがローラの家に泊まるのは久しぶりだったので、二人で同じベッドに入って寝ることにした。


 旅をしていた時はみんなでくっついて寝るのが常だったので、実は今でも二人ともその方が安心するのだった。


 ローラがペトラの髪を『三つ編み』にして、ペトラも同じようにローラの髪を『お団子』にする。そしてまとめた髪の上から夜帽をかぶった。ローラが部屋の明かりを消すと部屋は真っ暗になった。


 ベッドにはいってしばしの静寂ののち、ペトラが口を開いた。


「あの頃はこんな気持ち良く眠れるなんて無かったですね」


「そうだね」


 安らいだ声でローラが言った。


「……久しぶりにローラと一緒に寝て思い出したのですが」


 ペトラが半身を起き上がらせた。


「どうしたんだい?」


「ローラの『勇者様』ってその後どうしたんですか?」


 ペトラの手を握るローラの腕に力が込められた。


「イダッイダダダッ……ローラ痛いです!」


「あ、ああすまない……つい」


「もーどうしたんですか」


「ああいや、もう、忘れようと思っていたことだったからね」


「あんなに『私の勇者様』っていってたのに。『私の勇者様はきっとどこかで人のために戦ってる』って――痛い痛い!」


 先ほどよりさらに強くペトラの手が握られた。


「はぁ……はぁ……ペトラ、よすんだ、その話は……」


「もう諦めたんですか?」


「私もあの頃は若かった。若かっただけなんだ……」


「じゃあもう好きじゃないんですね」


「……そりゃあ、彼がまだ生きているのなら、もう一度話してみたいさ。ただ、前みたいに勇者様勇者様って、乙女みたいなことは言わないさ」


「そういうもんですかね」


「そういうものだよ」


 本当にそうなんですかねぇ、とペトラは思い、口を開いた。


「……でも、その勇者様はすてきだったのでしょう?」


「え? ……そうだなぁ、私と彼が出会ったのは、魔族に攻められて教会に立てこもっている時だった。周辺を魔族に囲まれて、もはやこれまで。そう思ったそのときだ」


 ローラが語り出したのを見て、ペトラはしまったと思った。こうなると毎回うんざりするほど長くなるのだ。


「――なすすべ無く震える私たち。と、突然彼が現れた――」


「ローラ」


「――ボロボロになりながら戦うその姿。意志の強さをまじまじと感じさせられるあの瞳――」


「ローラ」


「――身につけた防具ももう原型がなくなった時にチラリと見えた、彫刻のように鍛え上げられた肉体――」


 暗くてローラの顔は見えないが、恍惚とした表情を浮かべているのが手を取るように分かった。なにせ旅の途中で何度も同じ話を聞かされている。


「ローラ!」


 一段と大きな声でローラの名前を叫ぶ。


「ど、どうしたペトラ」


「それ以上はやめましょう、ローラのためにも」


「全然、問題はないよ?」


 自覚無いんですね、とペトラは思ったが口には出さなかった。いつものである。


「まあ、ローラが枯れてないことが分かっただけでもいいです」


「ペトラ、いったい何を言ってるいるんだい?」


「さ、寝ましょ寝ましょ。寝不足はお肌の大敵ですよ」


「ううん……なんだかもやっとするが、たしかにもう寝ないとね」


「そうですそうです。寝ましょ、ローラ」


「ああ、お休み、ペトラ」


 そう言うと、ローラはペトラの頭を優しくなでた。


「お休みです、ローラ」




 柔らかいベッド、体を優しく包み込むリネンの中、ローラに優しく抱きしめられながら、ペトラは思いにふける。


 面倒なお仕事ですが、国王様の頼み事です。聞いてあげましょう。


 まあ、変な人ですがアルフレッドからのお願いです。面倒を見てあげましょう。


 でも、ワタシの一番は商売です。ワタシは父と母の店を、絶対に再興させるのです。 そうペトラは思いながら、深い眠りに落ちていった。

次話の投稿は3月初旬を予定しています。

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