三十七話
____________『その時』は存外早く訪れた。
一ヶ月の特別編成の任務を終え、正希は通常の防衛業務の為に支所へ向おうと身支度を整えていた。慌て慌てに寝癖を直し、歯磨きを終えると、財布を片手に家を出る。基本的には第一部隊の支所で着替えを行うので家を出た時点での格好はかなりラフなものだ。間も無く八月に差し掛かろうかという時期なので、服の丈も自然と短くなる。
タワーマンションのエレベーターが上昇するのを待っていると、肩にトントンと軽い感触が走った。
「おはよ、正希。なんていうか、今日も結構ラフな格好よね。国家公務員とは思えないわね……」
「そう言う君だってラフじゃないか。普通にジャージじゃん………」
「ま、まあ……別に今日は仕事の後に何処か寄る予定もないし……それに、日焼けもできるだけしたくないから、ジャージは万能なの!ピンクだし、可愛いからいいのーっ!」
プクーと頬を膨らませ、千歳は正希を睨みつける。女性として、来ている服に意見を言われたのが気に食わなかったのだろう。不機嫌さの現れか、エレベーターに乗り込んだ千歳の『閉じる』ボタンを押す力が、ほんの少しばかり強まっている。
「…………それで、アレはどう?モノにできそう?」
「脈絡もなく『それで』って言われてもね…………まあ、千歳のおかげで上手く行きそうかな。ホントにありがとね」
心から謝意を込めてそう言うと、正希はにっこりと微笑んだ。そんな不意打ちが効いたのか、千歳は顔をボッと赤く染めると、ブツブツと小声で何やら言い始めた。
「……………ずるい。そんな顔されたら………ううー!!う…………むぅ。ずるい……またちとせって……………やっぱり恥ずかしい………うぅ…………」
「へ?どうかしたの?」
「なんでもないっ!!ばーか!」
「えぇ!?どうしてまた…………」
理不尽な言われように納得がいかない正希だったが、千歳がプイッと顔を背けてしまったので、仕方なくそれ以上は訊くことはなかった。
タワーマンションのエレベーターは全面ガラス張りで出来ており、高所から渋谷の街を一望できる造りになっている。
時刻は午前八時十五分。丁度エレベーターの中からは、通勤中のサラリーマンや奇抜な格好をしたショップ定員などの姿が小さく見える時間帯だ。
エレベーターが一階へと到着するわずか十数秒の間ではあるが、正希にとっては一日の始まりのスイッチを入れる貴重な時間だ。
『一階です。ドアが開きます』
若い職員が多い特化班への気遣いか、エレベーターの音声は今人気の声優の声が使用されていた。可愛らしく透明感のある声が、今日もまた一日が始まると気落ちする職員に活気を与えているのだ。
リフトから降り、マンションの玄関に向かおうとした______その時だった。
二人が耳にかけているアグリメントが「ピコーン」と音を立てた。正希がアグリメントを起動すると、数秒足らずで視界がARモードへと切り替わった。
メッセージコマンドには『NEW』の文字が浮かび上がっていた。
「ん?なによ、まだ出勤前なのに…………」
「僕にもメッセージが届いてるよ。…………コレ、六席宛に一斉送信されてるね。多分、防衛大臣からだよ」
正希はメッセージコマンドをタップした。新着メッセージに『1』の記載がある。続けてそれをタップする。届いたメッセージは、正希の予測通り首相兼防衛大臣からのものだった。
『大至急、首相官邸に向かってくれ。守衛達には特化班の制服を着用した人物が来たら、すぐさま通すように言ってある。君達に伝えなければならないことがある。時間が惜しい』
数秒足らずでメッセージを読み終えた正希は、『×』のコマンドを押してメッセージを閉じた。
「…………ねえ、千歳」
「ひゃいっ!?」
「君は家にも制服は置いてる派?ちなみに僕は、スカイツリーとか官邸に直接向かう時には、支所に一回寄るのが面倒臭いから家に一着置いてるんだけど……」
「……………こほん。奇遇ね、私もよ」
「降りて来たけど、戻ろうか」
正希はくるりと反転すると、エレベーターの上昇ボタンを人差し指で軽く押した。
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