三十二話
__________翌日。
九州へと向かった正希は、千歳と共に熊本上空を飛行していた。各隊員はアンノーンの襲撃に備えて沿岸部を警備し、第一第二部隊の隊長である六席の四人は緊急事態に対応できるように九州の中心である熊本に滞在していた。
今の所、下等アンノーンが数体現れた程度で、別段異常は発生していない。結界班の補修作業も九割方を終えており、任務終了も間近であった。
本子を失い、自らも命を失い欠けた正希は、任務が無事に遂行できそうなことに、ほっと胸を撫で下ろしていた。
目下の地上へと目を向ける。植物がコンクリートを突き破り、高層ビルの窓が割れ、一軒家は吹きさらしになっている。荒れ果てた故郷の熊本市に、正希は複雑な心境を抱いていた。
「ここって、正希の故郷なのよね?」
「…………らしい、って言うのが実際のところなんだけど」
実際、幼少期に自衛隊に命を救われて、孤児院に入った正希には、熊本での記憶はない。記録として自分が熊本生まれだと言う事は知ってはいるが、別段思い入れはない、はずであった。しかし、こうして廃れた故郷を見てみると、どこか寂しくも虚しい思いに駆られていた。
「それでも、あなたにとっては故郷なのよね………」
「……………うん。まあ、ちょっと悲しいっては思うけどね……」
そう漏らした正希は、無意識のうちに口をムッと紡いでいた。そんな彼の横顔を、千歳は暫くの間、無言で見つめていた。
「ねえ、西条さん。ちょっと降りていいかな?」
「ええ。いいんじゃない?でも、いつアンノーンが来るかも分からないし、できるだけ短めにね。私も行くけど」
二人はエアシューズの出力を下げ、徐々に高度を低下させていった。
二人が降り立った土地は、かつて新水前寺駅があったバイパス道路であった。高架された駅へと繋がる階段は、既に錆びれ尽くして崩壊していた。
恐らく緊急停止した当時のままなのだあろう。市電が中途半端な場所で止まっている。路面線路は背の高い草木によって覆われ尽くしていた。アンノーンが襲ってきた瞬間で時が止まっている。そんな様子だった。
「僕が住んでたのは、記録上は熊本市水前寺の三丁目、まあ、この辺だったらしいんだけど……」
「ちょっと時間はあるから探してみる?表札とか、歩いてみればあるんじゃないかな?」
バイパスに繋がる裏路地へと入って行く。二人の前を通りかかるのは、当然のことながら猫や犬の獣のみである。人間は一人として存在しない。否、生きている人間とは一人も遭遇しなかった。二人の視界に入るのは、青い空と寂れた街、幾らかの動物と白骨のみである。
辺りを見回して、『綾本』表札を探す。アパートやマンション、もしくは一軒家なのか。それさえも分からない状況下でこうして旧家を探すのは無駄な事かもしれないが、幸運なことに、その表札はすぐに見つかった。
「ねね!!正希!!アレじゃない?」
千歳が指さした先、そこには、二階建ての昭和の雰囲気を醸し出す、赤い屋根のやはり吹きさらしの一軒家がポツリと立っていた。玄関と思わしき場所には、『綾本』との表札が存在した。
それが目に入った瞬間、正希は何かに取り憑かれたように駆け出していた。
「………………ここが!!」
泡沫の朧げな記憶。一瞬だけ、その風景が蘇ってきたような気がした。
「ちょっと!正希待って!!ここがあなたの家だって限らないのよ!?」
「あっ………ごめん」
千歳の言葉に、正希は我を取り戻す。「しょうがないわね」とため息をついた千歳は、腕を組むと顎をクイッと動かした。
「…………まあ、でもどうせこの家の持ち主だってもうこの世にはいないだろうし、九州取り戻したのは貴方なんだから、入るくらいはいいんじゃない?」
「……………いや、でも………」
「多分、完全に復旧作業が始まったら二度と入れないわよ?撤去作業とか、いろいろあるだろうし。いいんじゃないの?ちょっとくらい」
「………………」
暫くの間「うーん」と唸りながら考え込んだ正希は、決断したのか小さく頷くと、そろっと玄関へと向かって行った。