二十六話
____________六月二十日。
特例として与えられた忌引きもまだ開けないこの日、正希はスカイツリーの特別防衛庁庁舎へと赴いていた。
渡本子が殉死してから一週間ほどの間、不思議なことにアンノーンの結界侵犯は一件たりとも起きなかった。その為か、スカイツリー内は職員達の作業の音しか聞こえないほどに、平静で静寂に包まれていた。
正希が向かうのは、地上四百メートルほどに存在する『戦闘準備室』である。
『戦闘準備室』へと到着した正希は、男性用ロッカーにて戦闘装備を身に纏い、非常用の薬品や、エアシューズ用の小型原子燃料のスペアなどが入ったウエストバックを装着した。最新鋭ARツールであるアグリメントを耳にかける。そして、鏡で自分の姿を確認すると、小さく頷き準備室の出口へ向かった。
自動顔認証システムが稼働し、スライド式のドアが開く。
「あら?正希じゃない。家にいないと思ったら、こんなところに居たのね」
丁度、彼女もこの部屋を利用するつもりだったのだろう。開いたドアの先には、正希と同じく戦闘装備を身に纏った金髪少女が立っていた。
「やあ、西条さん。何日かぶりだね。………なんか、いつも会ってるから、久しぶりに会った気がする……」
「………まあ、私達、同じ班の正副隊長だからね。基本仕事も休みも一緒だし。って、正希はまだ忌引き中じゃなかったっけ?」
「うん……まあ、ね」
答えにくそうに、含みをもたせてそう答える。勿論忌引き中の身であるために、正希は今職務時間ではない。休暇中にアンノーンが攻めて来た際に、愚痴をこぼしてしまう程度には真面目ではない彼が、こうしてスカイツリーにいるのには、明白な理由が有った。
しかし、それは決して勧められることでもなければ、誇れることでもない。そのため、六席との接触を避けるために、彼女らが支所に滞在しているであろう時間を選んでスカイツリーを訪れた正希であったが、千歳と出くわしてしまったことでアテが外れた。
正希の額から、嫌な汗が一滴滴り落ちる。
「まあ、って?……ちなみに、私は午前で勤務が切り上げられたから、ちょっと燃料補給でもしようとココに来たんだけど…………あなたはどうしたのよ?」
「あはは…………何だろうね?」
「んー?怪しい……」
千歳は正希の顔をまじまじと覗き込んだ。十数秒間ほどそれが続き、顔の近さに耐えきれなくなった正希は、思わず一歩退いた。
「ちょ………そんなに見つめられたら照れるから!」
「ほぇー!正希も私に照れてくれるんだ。ちょっと嬉しい。………んで、どうしたの?」
「いやまあ………………えーっと、それはほら。流石にこう何日も家に居たら感覚が鈍りそうだし。ついでに結界境のパトロールでもしてこようかなーって。サービス残業だよっ、サービス残業」
「……………ふぅーーーーん」
再び顔を覗き込むように近づけながら、千歳は疑いの目を正希に向けた。しかし、今度はすぐに顔を離すと、小さく「うん」と頷いて、小さく笑った。
「奉仕の精神をついに持ってくれましたか、正希くん。よろしい。しかし、あまり無理はしないようにしなさい!!」
「どうして上から目線なのさ………」
「まあまあ、いいじゃない。最近元気無さそうだったし。活気付け?みたいな?」
「意味がわかんないんだけど……」
そう言いながらも、正希は千歳に向かって微笑んだ。敢えて「何によって」元気が無いのかと触れないところを見ると、彼女なりの気遣いがあるのだろう。そんな彼女の優しさへのお礼も込めて軽く会釈すると、正希は千歳に小さく手を振って部屋を出た。
しかし、千歳と別れると数秒、彼女は何かを思い出したかのように、正希の元へと駆け寄って来た。
「…………あっ!そうそう。パトロールもいいんだけどさ…………」
千歳の言葉が途切れる。
「ん?どうしたの?けど……何?」
そう聞き返した正希の顔に、千歳は急にしおらしくした顔を近づけた。吐息が触れ合うほどの距離で、ゆっくりと口を開き、
「……………間違っても、アンノーンのところに攻めに行ったりしないでね。……………今のあなたならやりそうだもの。私はもう、誰にも死んでほしく無いの。あなたが死んだって、私は葬式には行かないし、骨も拾って上げないからね?」
目を潤わせて、懇願するようにそう言った。
「葬式くらいは来て欲しいかなぁ……」
「馬鹿!茶化さないの!!言葉の綾よ!」
ムッと頬を膨らませた千歳に、「大丈夫だよ」と笑顔で言うと、正希はエレベーターに向かって歩き出した。
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