二十二話
体が地面と平行な向きになる。
「………………………まさ……………くん…………」
本子の頬に、何やら雫が滴り落ちて来た。それは、自分を今支えてくれているであろう『彼』の瞳からであった。
「……………ごめん!!モト!!遅くなった!!」
____________言うまでもなく、その『彼』とは、特化班第一席、綾本正希であった。
本子にそう謝罪した正希は、その表情を一変させた。例えるならば、正に鬼神。彼の表情からは、目の前の『生命体』への殺意のみしか感じ取ることはできない。
金矢で吹き飛ばされたアンノーンは、すぐさま体制を立て直す。
『……………ほう。報告にある通りの能力だ。お前が第一席だな?』
「………………………………………」
正希は無言で、テレパシーを送って来たであろう目の前の個体に視線を送る。そして刹那にして感じ取る。
______________こいつには、勝てない。
不意打ちを食らわせたとはいえ、目の前の個体は、正希のどんな攻撃も通用しないと思わせる程に、そして、今まで正希が打ちのめして来たどんな個体よりも強い。金の矢が炸裂したはずの体には、かすり傷さえついていない。
____________なんとしてでも、彼女にこれ以上触れさせない。例え、自分が死んだとしても。
そう覚悟した正希は、即座に粒子を練り出して、次々に金を生成し、宙に浮遊させていった。不定形だった金は徐々に集結し出し、無数の矢に姿を変える。
しかし、そんな正希にも臆せず、アンノーンは不穏に笑った。
『そうか……お前がそうか…………ふふっ。そうだな。楽しみは後にとっておいた方が良い。いいだろう!いいだろう!私達はここで退こう。今回は私達の負けだ。奴ら二人も、そして私もこの場からは立ち去ろう。そうだな……………四国は私からの褒美だ。お前らにくれてやる。また、そう遠くないうちに会おう』
そう言ったブロンズの生命体は、正希に背を向け、近畿方面へと高速で去って行った。
金の時雨は、粒子になって霧散する。攻撃の準備が整った正希であったが、立ち去るアンノーンを深追いすることせず、刹那、南へと飛んでいた。目的は明白だ。今にも生き絶えそうにしている渡本子に治療を受けさせる。その一心で、正希はなりふりかまず最高速度で飛んでいた。
そんな最中、力のない手で本子は正希の腕をさすった。
「………………………正くん、地上におろして…」
「喋らないで!!今すぐ僕が医療班のところに連れて行くから!!」
正希は変わらず飛行する。
「………………無理。私はもう、助から………ない…………自分の体だもん。分かる…………….よ?内臓だって、出ちゃってるから………」
「お願い!!喋らないで!!僕が絶対に助けるから!!!」
正希の必死の形相にも関わらず、本子は微笑む。
「なら………このままでもいいから………聞いて…………」
「お願い、モト。喋らないで!!」
「私ね……死ぬってわかった瞬間、正くんに助け求めたの………お姉ちゃんなのに、だめだなぁ……」
「モト!!お願い!!!」
「でもね…………正くんが来てくれた時ね………本当に嬉しかった………んだよ?」
「そんな話は聞きたくない!!!お願いだから、喋らないで!!!」
本子の頬に、一滴、また一滴と雫が滴り落ちていく。
「……………ありがとう。正く………ん。格好………良かったよ…………」
「………………………………」
正希の服がやけに生暖かくなる。それは、正希の服に染み込む血液を通して伝わる、彼女の温かい熱だ。
________やめてくれ、止まってくれ!!
その願いとは裏腹に、その生暖かさは広がっていく。
「………………ねえ、正くん………聞いて?」
「今は聞きたくない………治ったら、教えて。もう、喋らないで…………」
我慢しても我慢しても、目頭の熱は止まらない。涙が滝のように溢れてくる。正希はそれを拭うことなく、ただ彼女を治療したい一心で飛んで行く。
「………………もう………つれないなぁ。正くんのいじわる……………………でも、ちゃんと聞いて………ね?」
「……………………………」
正希は返事を返さない。ここで頷きでもしたら、彼女がいなくなってしまうかもしれない。そんな恐怖が正希を襲う。
しかし、本子は微笑んで、その手を正希の頬へとあてる。
「…………………………いじわる……しないで?」
「………………………」
____________残酷にも、その時は訪れる。
「……………………最後が……あなたと…………二人でよかった……………正……くん……………大好き、だよ……………」
「…………………モト!?モト!!!」
本子は、自分を助に来てくれた想い人に、にっこりと微笑みかけると、そのままの顔でゆっくりと目を閉じた。肌を伝って聞こえていた彼女の心臓の鼓動が、ピタリと止んだ。
____________その言葉を最後に、渡本子は十九年という短すぎる人生に幕を閉じた。
正希が高知に駐在していた医療班の所に到着したのは、それから数十分後のことだった。大好きな少年に抱えられた、腹部をえぐられた少女の亡骸に、特化班の誰もが涙し、最大限の敬意を示し、敬礼した。当然のことながら、医療班にできたことは、ただ、少女の亡骸を抱える少年に頭を垂らすことだけであった。
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