十七話
____________六月十二日。
この日、まるで特化班の休暇が終わるのを待っていたように、ピタリと止んでいたアンノーンの結解侵犯が次々に発生した。
とはいえ、各々が小規模な武力衝突であったため、六席が戦場へと出向くことはなかった。
その代わり、六席はスカイツリーの特別防衛庁本部へと召集されていた。無論、本部内では散発的に警報が鳴ってはいるが、六席への出動命令は出されていない。つまり、彼らが此処へ招集されたのは、日本領土奪還作戦に関する何らかの会議があるということだ。
__________時刻は午後三時。
楕円状の配置の席には、既に六席と首相のみが腰かけていた。時刻を知らせる鐘が鳴る。『六席会議』の始まりだ。
「……………………本当に、申し訳ない」
開口一番謝罪の言葉を口にしたのは、首相である秋ノ丘だ。六席は皆、召集をかけられた時点で会議の内容を察していた。否、確信していた。驚くそぶりを見せる者は誰一人としていない。
「……………………署名の件ですか……」
諦めの念がこもった正希の力無い声に、首相は無言で頷いた。
「東海と、北陸を奪還できたのだから、ここで進撃を止める必要はない。そう、国民は判断したようだ。それに加えて、国会では、日本奪還作戦を催促する法案が可決された」
アグリメントを起動した正希の視界に、三つのデータが表示される。署名に関するデータ、可決された法案内容データ、そして、恐らくは日本奪還作戦の原案と思われる、複数ページにわたる極秘資料。正希はその一つ一つにゆっくりと目を通していった。他の六席のメンバーも、同様に黙々と資料を読み進めていった。
「……………なるほどね。つまり、私達はどう足掻いても戦わないといけないわけね」
自嘲を込めて、千歳は含み笑いを見せた。彼女は法案内容をフリックしながら読み進める。十数秒後、表情を一瞬凍らせ、フリックする指を止めた。
「……………『特化班は、国民の求めに応じ、産まれながらに与えられたその使命を遂行すること』、ねぇ。ここ、すっごい悪意を感じるわ…………コレ、議員立法?」
「ああ、そうだ………」
正希もその条文で目を止める。すぐさま、その条文を示すデータを抹消したい衝動に駆られた。『削除』ボタンをタップする手前、ようやく冷静さを取り戻す。彼の中には、当然のようにある男の顔が浮かんでいた。
「創案者は………草木官房長官ですか?いや、『元』ですかね」
「…………………与党の幹部からはそう聞いた。法律の連名の中にも、彼の名前は存在した」
「そう………ですか………」
冷静そうに座っている橋代路を除き、六席の顔は絶望と諦めの色に染められていた。それは首相も例外ではなく、彼の感情のすべてがやるせなさや自責の念で支配されているようだった。首相は唐突に立ち上がると、再び深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ない!私の力不足であった……………無論、私は君たちにこれ以上の軍事作戦を強いるような真似はしたくない。出来るのなら、特化班全員が辞表を書いてくれた方がよいと思っている。受理し次第、私も辞める」
部下に向かって頭を下げる首相の覚悟は、正希が身にしみて感じるほどに強いものだった。一国の首相が、有事であるのに関わらず、国の防衛力を削ごうとしているのだ。一見蛮行では有るが、彼は本気だった。
「……………………もし、僕らがそうしたとして、僕らの代わりに領地奪還に向かわせられるのは、一般兵でしょう?」
「……………それは……………ああ、間違いはない」
首相は一瞬口を紡ぎ、正希の言葉を認めた。その事実を認めて仕舞えば、彼ら特化班に作戦実施を強制するようなものだ。断腸の思いであった。
『…………………………………』
再び、会議室内に静寂が走る。資料はAR機能により視界に直接映し出されるため、資料をめくる音さえもしない、完全なる静寂。しかし、その時間には何の生産性もないことを理解している正希は、作戦内容へと切り出さざるを得なかった。作戦原案の資料ファイルをタップし、内容を精査する。
「………………内容を見ていきましょうか。……………ん?僕と西条さんが東京守護ですか?これはどうして?」
しばらく間を置き、首相が答える。
「………………首都防衛の為だ。第一席、第二席。君たちは前回、東京に襲いかかった脅威から国民を救った。そのこともあってか、君たち二人を東京から出さないようにと各所から要請があった。署名に際して出された要求の一部にも、そのことは含まれていた」
「………………………」
正希は口を紡ぎ、無言になる。
「______なによそれ!!日本を取り戻せって言ってるくせに、私達は前に出るなってこと!?矛盾してるわ!!どうして受け入れたのよ!!」
バンっ!!と机を強く叩き、怒りの表情で千歳が抗議する。首相はさらに表情を堅くさせ、口を紡いだ。そんな首相に変わるように、正希が口を開く。
「西条さん。請願の署名が過半数を超えて、各所……多分、都庁とか、国会とか、そんなのところから要請があったんだと思うよ。そりゃ、いくら首相の地位でも無視はできないでしょ……」
「それでも!!あまりにも勝手すぎるわよ!!最後の砦とか、向こうはそう思ってるかもしれないけど、私達が納得しない!!」
千歳の目に、涙が浮かぶ。日本の最高戦力といえど、中身は十六歳のいたいけな少女だ。理屈や道理は理解しているものの、どうしても感情が先走ってしまう。正希や本子、六席の中では最年長の鍋城や、首相ですら、その感情を抑えるのに一苦労しているのだ。各々一様に、国民に対してさえも『ふざけるな』と声に出して抗議したい思いなのだ。
「……………君たちが納得しないのは百も承知だ。だから、譲歩案……とまではいかないが、君たち一、二席の『任務中の東京外への移動を原則禁止』にした。もし、最前線で特化班に危機が訪れるようなことがあれば、即、君たち二人の任務を解除し、随意に任せる。国民や国会がどう言おうが、『法律上』は問題もないし、君たちを咎めることはできない」
「………………なるほど………」
正希は思考する。首相の言う通りであれば、本質的には正希と千歳の移動の自由は制限を受けていないと言うことになる。しかし、だからと言ってその『抜け道』を乱発すれば、当然さらなる規制がかかってしまう。要は使用回数が制限された『抜け道』の条件だということだ。
「………………すまない。これほどの譲歩しか引き出すことができなかった。加えて申し訳ないが、今回の六席会議のメインは明後日行われることになる、『四国奪還作戦』の採決だ。無論、反対してもらっても構わない。が………」
「ただの時間稼ぎでしかない、と。特別防衛庁の会議では可決されるでしょうからね。というか、せざるを得ないんでしょうが。例え防衛大臣が前回とは逆に否決するように手を回しても、今度は立法府から圧力がかかる…………」
「………………耳が痛い話だ。だが、特別防衛庁への手回しについては、今回ばかりはそう上手くはいかないだろうがな……」
首相の苦笑いに、正希は「冗談ですよ」と言葉を返す。しかし、両者の言葉には感情が籠っておらず、無機質だ。続いて他の六席にへと視線を送る。各々資料に目を通し終わっており、二人の会話を見守っているようだった。正希は表情を引き締め、再び開口する。
「他のみんなはどうすべきだと思う?………特に橋代路五席、急進派の君の意見を聞きたいんだけど……」
普段の六席会議では、唯一の急進派である橋代路には、発言する機会はほとんどない。マイノリティである彼は、採決の際に自らの意見は示すものの、無粋な人間関係のこじれを起こさないためにも、基本無言を貫いている。急進派がどう思っているのか。その意見を取り入れざる得ないと考えた正希は、彼が作戦に賛成する前提の上でのその意見に期待したのだが、帰ってきた答えは存外なものであった。
「………………俺は、反対です。確かに俺は日本を取り戻したいと思っていますけど、前回の作戦で、これ以上領土を広げることの危険性と、奪還作戦自体のリスクも実感しました。せめて、現状の二倍の戦力がない限りは、この作戦は行うべきじゃない。…………でも、それを国民に強制させられるならば、戦力増強のために、例えそれが微微たるものであっても、時間は稼ぐべきだと思います」
その答えに、正希を始め会議の参加者全員が目を見開いて驚きを見せた。唯一の急進派の彼が、反対を表明したのだ。ならば、この会議での採決はもはや決まったようなものだった。六席会議の議長である首相が、徐に言った。
「ならば、採決にかけよう。この議案に賛成する者は、挙手をお願いしたい」
__________誰一人として、手をあげる者はいなかった。この日、六席会議において史上初、議案が全会一致で否決された。
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