十五話
______________二千四十七年六月十一日。
首相から与えられた一ヶ月の休養も残り一日となったこの日に、正希は喫茶店前に赴いていた。
無論、彼とて喫茶店くらいは来たことが有るのだが、この日は余計なばかりに緊張をしていた。そもそも喫茶店に来たことが有ると言っても、実のところ、例のようにスカイツリーからの帰路にて、千歳に無理やり連れ込まれたと言った方が正しい。
しかし、この日の正希は一人で(彼にとって一人で来るのにはレベルが高い)お洒落な喫茶店に来ていたのだ。しかも、待ち人は、常時行動を共にする副隊長の彼女ではなく、姉弟のように共に育って来たものの、最近は疎遠気味で喋り掛けることさえも少し緊張してしまう女性であった。
実はこの日は千歳に娯楽施設に行こうと誘われていたのだが、珍しくその日に「会いたい」と言われた正希は、千歳に愚痴られながらも、『その人』と会うことを選んだ。
特に理由はないのだが、何と無く、今日会っておかなければ、一生後悔するような謎の予感。それが彼をこの喫茶店まで動かした。
正希は深呼吸をすると、「よし」と小さく呟いて、喫茶店の扉をあけた。
「あ!正くーん!!こっちこっち!!もぉ〜〜!!一分遅刻だよ!?女の子を待たせるなんて、無期懲役だよ?」
扉を開けて一秒も経たないうちに、快活な声が聞こえてくる。テーブルが四つしか無いこじんまりとした喫茶店。その中央の席で手招きをしている黒髪少女の元へと歩き、正希は向かい正面の椅子に腰掛けた。
「無期懲役って………なんで急に物騒なこと言い出すのさ、モト。それにまだ集合時間四分前のはずだけど………」
「むぅー。孤児院では五分前行動が原則だったでしょ?それからしたら、一分遅刻でしょ?」
「いや、もうそれだと五分前が集合時間になってるじゃん………」
半ば呆れ顔で言った正希であったが、本子の「また屁理屈をぉ!!」とプチ怒の表情を見て、お茶を濁すように苦笑した。
「もぅ………せっかく久しぶりにお茶するのに、ムードのへったくれもないんだから………」
少々不満そうに、本子は頬を膨らませた。
「ムードって………僕達姉弟みたいなもんだから、そんなの必要ないでしょ……」
「その割にはお洒落してるじゃない?今日の正くんかっこいいよ?………んふふ、私が独り占めだっ」
「ちょっ……………からかわないでよね………」
そう言いながらも、正希は顔を赤らめ、彼女から目をそらした。姉弟みたいな関係だと分かってはいるものの、照れるセリフを吐かれては、彼とて本子を直視するのは気恥ずかしいのだ。
「最近ぜーんぜん話しかけてくれないよね?反抗期なの?お姉ちゃん悲しいな……」
目をうるっとさせながら、上目遣いをしてくる本子に、正希は更に顔を紅潮させられる。それを見て満足したのか、本子は「にひっ」と微笑んだ。
「全く………そんなこと言ったりするから、話しかけにくくなるわけじゃん」
視線をそらし、メニュー表を手に取る。正希はパラパラとページをめくりながら、ワザと会話を避けるように、無言で頼む品を選んでいく。しかし、そんな彼の頬を、本子は面白おかしそうに人差し指で突いていく。
「なになに〜。あっ!正くんまさか、私を『オンナノコ』として意識し始めちゃったってこと?」
「………………………」
彼女の問いにも答えず、正希は黙々とメニューに目を通していく。科学技術が進んだこの世界では、メニュー表でさえハイテクだ。商品の画像をタップするだけで、一度の確認の後に注文が完了する。
数分後、ウェイトレスがアイスコーヒーを二つ運んできた。
「あっ!!正くん、ありがとう。私の分も頼んでくれたんだ。私がコーヒー飲みたがってたって、よく分かったね!」
「……………ま、まぁ、十何年も一緒に居たんだから、そのくらいはわかるでしょ………」
自分で言っておきながら、気恥ずかしくなったのか、正希は照れを誤魔化すようにコーヒーをグビッと口に注いだ。本子も嬉しそうに携帯で写真を撮った後で、少量のコーヒーを口に運ぶ。
「…………………んで、なんで最近話しかけてくれないの?」
「うっ…………それは…………」
______これは答えるまで聞いてくるのだろう。
そう思いながら、仕方無さげに正希は口を開く。
「だってほら。副隊長として忙しそうだし………それに、鍋城さんとも仲よさそうだし………なんか大人の女性っぽくなったし………うっ…………」
自分で口にしておきながら、蒸発してしまいそうになる。「これはそう、姉に彼氏が出来た時の弟気持ちだ」と自分に言い聞かせ、正希は再び照れを誤魔化すようにコーヒーを口に運んだ。
「……………………嫉妬?」
「ぶばっべ!!!ゴホゴホっっ!!!」
本子の言葉に、思わずコーヒーを噴水のように吹き出す。胸の中のこそばゆい思いを、ダイレクトに表現されたからだ。ぶんぶんと全力で首を振りながらに、正希は机に吹き飛んだコーヒーをティシュで拭き取った。
「嫉妬してたのかぁ…………………ふふふ、お姉ちゃん嬉しいなぁ」
本子はにっこりとほほ笑むと、グラスに視線を落とし、氷をストローでかき混ぜ、コロコロと音を立てた。頬のあたりをうっすらと赤く染め、ぽつりとつぶやく。
「……………私は正くんが千歳ちゃんと仲良くしてるの見ると、ちょっと嫉いちゃうけどね」
「ベボバッ!!!ガハッゲハッ!!!」
拭き取ったのもつかの間、再びコーヒーのしぶきが机へと飛ぶ。しかし、そんなことなど意に介さず、本子は笑顔で続けた。
「ホントだよー?だって正くんのこと大好きだもん。千歳ちゃんに取られちゃったら、私泣いちゃうかも。…………これって禁断の恋ってやつかな?」
「ベボバッ!!!!!」
みたび正希はコーヒーを吹き出した。三回目のトリガーは、確実に『禁断の恋』という言葉だ。『大好き』だけなら、施設にいた時から本子には言われていたので、聞きなれてはいた。当然、正希は家族的な大好きと捉えていたし、本子もその意味で多用していたことは間違いない。しかし、彼女は今までになく乙女な顔で、上目遣いで、さらには色っぽく言ったのだ。
正希の心臓のビートが跳ね上がる。
「ちょ、本当に冗談はやめてよ。コーヒー無くなるから………」
「わっ!ホントだ!ごめんごめん…………ちょっと揶揄い過ぎちゃったかな?」
「全くもう……………」
残り少ないアイスコーヒーを、正希は心臓の鼓動を落ち着かせるかのように、ゆっくりと飲み干した。
「……………………………………」
「……………………………………」
再び、二人の間に静寂が降りる。しかし、それは気不味さ等とは程遠い、二人にとっては実に心地よいモノだった。久方ぶりの、育ちを共にした二人だけの静かな時間。まず間違いなく、この世で一番大切な存在と過ごす、ほんの僅かな幸福の世界。
正希も本子も自然と笑みをこぼしており、二人して顔を合わせ、見つめ合っている。
____________この時間が永遠に続けば、どれだけ幸せなことだろうか。
そう思いながらも、正希は徐に口を開いた。
「…………………それで、今日はどうして会おうと思ったの?何か理由はあるんでしょう?」
「…………………理由がないと呼んじゃダメ?」
「…………………全然構わないんだけど、もうそろそろ、ね?」
「…………………やっぱり、正くんには分かっちゃうか………」
「ばれちゃった」とばかりに、本子はペロッと本子は舌を出した。しかし、その瞳は何処か悲しげで、正希の表情も真剣なものへと変わる。
特化班に休暇が与えられて一ヶ月弱。日本には久方ぶりに平凡な日常が続いていた。アンノーンも大規模な動きは見せず、結界護衛兵だけでも対応できる程だった。
だからこそ、日々戦いに明け暮れていた彼らに、新たな感情が芽生え始めていたのも事実だ。しかし、それは彼らの職務上、決して口にしてはならない思いだ。それが分かっている上で、禁忌を破ることを恐れるように、本子は震わせた唇を開いた。
「私ね、この平凡がずっと続けばいいなって思ってる。ううん、もっと言えば、私は今、『戦いたくない』とさえ思っているの」
「………………それは、僕らが最も望んじゃいけないことだよね。……………でも…………」
____________正希とて、同じ思いだ。しかし、第一席としての彼の責任の自負が、寸前で言葉を止める。彼の責任と、本当の思い。二つの天秤が、彼の中で揺れる。いたたまれなくなった正希は、感情を抑えるように唇を噛み、俯いた。
「……………うん。分かってる。だからこそ、休暇が終わる今日この日に、あなたに会っておきたかった。一番長く近くにいた正くんに会って、ゆっくり話がしたかったの。仕事が始まったら、なかなか休みも合わないしね…………」
「モト………………」
本子の瞳に、うっすらと光るものが浮かび上がった。それに気づいた正希は、その雫を指で拭った。
「ごめんね、正くん。私お姉ちゃんなのに………」
「ううん。気にしなくていいよ…………」
二人の間に、再び沈黙がのしかかる。しかし、今度は心地よいものではない。決して不快ではないものの、二人の気を落とすには十分な重さであった。
「…………………それにね、理由は特にないんだけど、今日会っておかないと後悔するって言うか、二度と会えなくなる気がして不安だったの………」
「……………………………」
____________そんなことはない。
そう口にしたかった正希だが、それはできなかった。何故なら、彼も同じく、本子と同じように虫の知らせに会ったのだ。今日絶対に会わなければと、使命感にも近いものに駆られたのだ。理由はなく、嵐の前触れの如く。
「……………ねえ、正くん。今ね、政府の不拡大方針に反対する署名が集まってるんだって………」
「…………………その話は聞いた。もう、全国民の過半数は越えたって」
先日、その旨の連絡が首相から六席に入った。
二週間前、保守派政治活動グループが、不拡大方針へ反対の請願を出すべく、署名運動を開始した。当初政府はその動きに無反応だったのだが、東海と北陸を取り戻したことにより、熱気に溢れかえった国民のムーブメントは、政府の想像を遥かに越えていた。
なんと一週間足らずで、国民の過半数の署名が集まったのだ。無論、その請願は国会へと提出され、国民の意思を無視できない国会議員は可決へと回った。
首相はメッセージの冒頭に六席へ謝罪した。そして、連絡直後に行われた記者会見にて不拡大方針の撤廃を発表したのだ。
平穏な日々は続かない。六席をはじめ特化班にとって、自分たちが守り続けた国民により突きつけられた現実は、この上なく残酷なものだった。
「……………しょうがないんだよね。だって、私たちはその為に作られたんだもん。人間兵器として」
「……………………………………」
前回の作戦直後の会議にて、官房長官が口にした言葉は、決して的外れものではなかった。彼ら特化班は、アンノーンと戦うために、幼少期から様々な科学的負担を課せられ、人間兵器へと作られていったのだ。それは揺るがない事実である。
「…………………だけど、ちょっと悲しいね…………………って、ちょっ!!正くん!?」
正希は突然立ち上がった。そして本子のそばに寄ると、そっと手を肩に回し、抱擁した。
「…………アンノーンは、僕が倒す。僕達が『人間兵器』って呼ばれなくなる日まで、普通の人間に戻れる日まで、僕は戦うよ」
「……………………正くん」
本子は涙をこぼしながら、彼の抱擁に応えるように腰に手を回した。二人の肌が触れ合い、温かな熱が生まれていく。二人は店員達の目線も気に留めず、暫くの間抱き合っていた。
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