十二話
「…………………ふぅ、これで、全部かしら」
金髪を清流のように靡かせながら、少女は額の汗を拭う。呼吸によって上下に揺れる胸や、風になびかれ(勿論、スパッツを履いているのだが)揺れるスカートから覗く、ハリのある太腿。約一時間続いた戦闘を終えた少女は、疲労の色こそ見せるものの、美しい肢体の力を抜くことなく、変わらず空を浮遊する。
爆風の類ではない、緩やかな風が吹く。千歳は、二丁の拳銃をしまうと、同じく戦闘を終えてこちらへ向かってくる総隊長に、穏やかに声をかける。
「…………どう?そっちは…」
「うん。まあ………一応、殲滅はできたかな………かなりきつかったけどね」
少年は、その白髪を風になびかせ、苦笑いを作って見せる。しかし、言葉とは裏腹に、美しい碧眼には、滾る戦意と余裕さが浮かび上がっている。
『お疲れ様です。お二人合わせた討伐数は、丁度敵数の20.5万に到達しました。残りの六席の方々も、たった今戦闘を終えたようです。あちらも善戦なされたようで、日本側の犠牲者は今の所、ゼロです』
ボーカロイドのような機械的な声とともに、ミデンが再び姿を現すと、二人をねぎらうかのように、にっこりと微笑んだ。彼女のAIプログラムとは思えないほどに人間味のある笑顔に正希はカアッと顔を赤くする。それを誤魔化すかのように、目線を外し、ぽりぽりと頬を掻く。
「ねえ、正希?なーに顔赤くしてるのかしら?」
「ふぇ!?あ、いや…………いやほら、疲れたから、息が上がって赤くなったんだよ!!」
「ふぅーん。その割には、そんなに辛そうにしてないじゃない?」
「いや、そ、そんなことない……よ?多分。ほら、ぜーはーぜーはー。こんなにキツそうにしてるのに、西条さんは疑うの??」
「ふぅーん、『西条さん』ねー!?…………まあ。別にいいけど……」
そうは言いながらも、千歳は「フン!」と顔をそらした。別にそこまで怒っていたわけでもないのだが、「西条さん」と自分の呼び名が戻っていたことには、ちょっぴり腹が立った御様子だ。どうでもいい事にこだわっていると自覚はしているものの、ほんのちょっぴり、心が痛い。
「んで、作戦はどうするの?目標は全部倒したから、後は結界張っちゃえば終わりじゃないの?」
「うん。そうするつもり。ミデン、敵はどう?まだ残ってる?」
『…………いえ、私が感知できる、半径百キロの範囲には、アンノーンらしき存在は見当たりません。……………只今結界班から作業開始の連絡が入いりました!これが終わり次第、首相から与えられた任務は完了になります』
「そっか……………すこし、あっけなかったかな……」
雲ひとつない、快晴の空を見上げながら、正希は腰元からペットボトルを取り出し、水分を補給した。「のむ?」と隣の千歳に声をかけると、彼女が小さく頷いたので、蓋を閉じてボトルを投げてパスをする。
千歳も一時間戦いくれて、喉が渇いていたのだろう。受け取ったペットボトルの蓋を何の疑いもなく再開封し、口を付けて水分を補給した。しかし数秒後、何かに気づいたのか、顔を真っ赤に染めると、慌てて蓋を閉めて、正希に押しつけるように返却した。
「ちょっ……!!!もう!!ナチュラルにそういうことするのやめてよ!!」
「………………んへ?何のこと?」
「な、何って!!わ、わわわ、分からないなら分からなくていいから!!」
急に慌てふためいた少女に首を傾げながらも、正希は総隊長としての役割を思い出し、アグリメントの無線をオンにする。視界に出てくる『接続先』のボタンをフリックし、『六席』をタップする。
『こちら第一部隊。アンノーンの掃討は完了済。第二、第三部隊の隊長は、状況を報告してください』
続いて、『共有』のボタンをフリックする。
『こちら益城ハルカです。アンノーンの掃討は完了しました。状況の整理がつき次第、次の指示をお願いします』
『こちら鍋城。同じくアンノーン掃討は完了済み。只今待機中。指示をどうぞ』
『了解。状況を確認しました。続いて全隊を含めて指示を出します。一応音声で伝えますが、データ化してメッセージにも送るので確認お願いします』
正希はそう言うと、さらに『共有』のボタンと続いて現れた『全隊』のコマンドをタップした。
『全隊に伝えます。只今、六席によるアンノーンの掃討は完了しました。よって、結界作業に移行中です。特化班はGPSで我々六席と結界班の位置を確認した後、結界班の護衛に当たってください。只今から結果外への侵入を許可します。残りの隊員は、海からのアンノーンの侵入に警戒し、警備に当たってください。なお、只今から緊急時のために、六席と全隊の通信をオンにします。AIで伝達内容は選別されますが、異常事態が発生した場合は、直接僕たち六席につないでください』
そう言い残すと、正希は自らのマイク機能をオフにする。波風と鳥のさえずりだけが、正希と千歳の世界を支配する。しかし、それ束の間、兵士たちの「おおおおおおおおおーーっ!!!!」という勝利の雄叫びが、約十キロ離れた正希達にまでとどいた。
しかし、そんな圧倒的勝利後においても、正希の胸には、何かに突っかかるものが残る。
「………………………本当に、これでいいのか?」
「…………急にどうしたのよ、正希。まあ、確かに二年前惨敗した作戦がこうも楽々と終わっちゃったんだもの。拍子抜けな気持ちになるのも分からなくはないわ」
「いや、確かにそうなんだけど……………本当にこれで敵は全部なのかな?」
東海にいた敵数は確かに五十万である。これは、特別防衛庁の最新鋭レーダーシステムで感知したので、まず間違いのない事実だ。しかし、正希は、彼の歴戦の経験からくるであろう腑に落ちない感覚をどうにも拭いきれずにいた。二年前、特化班の第一部隊が壊滅したこの場所を、こうも易々と占領できていいのだろうか、と。
二年前、当時の第一席の少女は、東海地方占領直後に五十万の大群と超高等アンノーンに襲われた。第一部隊の隊員達も、同じく五十万の群れに襲われる。そんな状況下で、後に英雄と称えられた少女は、五十万の大群と最強のアンノーンを相手にしながら、かつ隊員達を襲った五十万の群れを引き寄せて、一手にそれらを請け負い、隊員達の逃げる時間を稼いだのだ。
結果、日本政府は、第一席と無残にも第一部隊の半分の犠牲を払うこととなる。当時第二席で第二部隊隊長だった正希には、首都防衛の命令が下されており、歯がゆくも彼は指をくわえて見ていることしかできなかった。
二度とあんな事を起こしてはいけない。それは、現状維持派の彼の中核的な理念である。だからこそ、その異常なまでの危機管理能力が、彼に判断を踏み留ませる。
「……………ミデン、もう一回敵感知を」
『了解しました!それでは感知を開始します。
………………………………………感知完了です!結果は依然変わりません。いま最前線にいる六席全てのアグリメントから感知を行いましたが、それぞれ半径百キロのサークル内にアンノーンは感知できませんでした』
ミデンはビシッと敬礼する。しかし、正希の表情は余計に険しくなる一方だ。それが不可解だったのか、AIプログラムの彼女は不思議そうに正希を覗き込んだ。
「………………………やっぱり、おかしい」
『……………すいません、未だAIプログラムの域にある私には問題が分かりかねます。性能不足で申し訳ございません』
「いや、ミデンの言う通りよ。何が問題なの?私にも分からないんだけど………」
二人の声にも、正希はほとんど反応を示さなかった。しかし、数秒後、正希は何かに気づいたように、ハッと顔を上げた。
「しまった!!!クソ!!やられた!!ミデン!僕と全隊の無線を今すぐ繋いで!!」
『え?………わ、分かりました。ご命令とあらば』
そう言うと、メデンは指をパチンと鳴らした。無論、正希も数秒の動作で全隊への無線への接続は出来るのだが、わずかその数秒さえ惜しいほどに、彼は焦っていた。
『全体に告ぎます。作戦続行です!!特化班第一部隊は結界班の護衛、第二、第三は新潟から静岡にかけての結界境界線に今すぐ向かってください!!最低でもここから百キロ以上の遠くに!!飛行ができない地上部隊は、神奈川県の海岸線の警備に即向かってください!!!そして、三、四、五、六席は北陸から静岡に、僕達一、二席はすぐさま東京湾岸警備のために東京へ帰還します!!』
そう叫んだ刹那、正希は東に向かって超特急で飛行した。慌てて千歳がそれに続く。
「ちょっと!!急にどうしたのよ!!説明もなしに!!!ただあの指示だけ出されても、全隊が混乱するだけよ!!」
「……いや、丁度いい。全隊に音声は繋げたままだからこのまま説明する。君も聞いておいてくれ」
そう言いながらも、正希はさらに加速していった。エアシューズの限界速度は時速二百キロ。二十分ほどで首都圏には着くが、それでもなお彼は焦っていた。
「まず第一に、東海のアンノーンの数は五十万ではない。いや、もしかしたら五十万かも知れないけれど、東海地方が占領されるかも知れないのに、敵が増援を送ってこないと思う?」
「それはまあ…………でも、少なくとも六席を中心とした半径百キロにはアンノーンはいないんでしょ?」
彼女の言ったことは正しい。だからそこ、総隊長の正希が結界班に指示を出し、結界作製作業に入ったのだ。しかし、正希は「そこじゃない」と言わんばかりに首を横に振った。
「アンノーンはいない。けど、敢えて居ないんだよ。普通に考えてみてよ。東海のアンノーンのすべてが、どうして前線に来たと思う?勿論、僕らよりも文明が進んだアンノーンのことだから、少なくとも僕らが作戦開始した数分前には僕らの事を感知していたと思うよ。それなのに、わざわざ五十万の大軍を前面に出して、僕らにそれを殺させて、東海を明け渡した理由はただ一つ」
「何よ、もったいぶってないで…………」
そう言った千歳の顔には、徐々に焦りの表情が見え始めていた。彼女もどうやら事を介したようだ。すぐさま一度しまった拳銃を取り出し、チャージを開始した。
「つまり、僕らの感知範囲外にアンノーンがいる可能性が高い。この仮定が正しいとして、アンノーン達は東海を捨て、何をするのか。その答えは明白だ。警備が薄くなった北陸か、若しくは首都侵攻。僕らは奴らの手の上で踊らされていた可能性だってある」
「でも、それじゃ、すでに敵は首都近くにいるってこと??どうするのよ!?」
「だったら相手の予想よりも早く躍らされるまで!!ミデン、全隊との接続を切って、防衛庁本部に繋いでくれ!!」
『は、はいっ!!了解です!!』
ミデンは高速で飛行しながら、再びパチンと指を鳴らした。正希の視界の『全部隊』の表示が消え、『防衛庁本部』へと切り替わる。
「本部!!聞こえますか!?綾本です!!首相に繋いでください!!大至急です!!!」
『……………やあ、君か、私だ。どうかしたのか?異常が有るのなら、すぐさま報告してくれ』
常のごとく、どっしりと構えたような重い首相の声が正希の脳内に響く。正希は冷静さを取り戻す為に、一息置いて答えた。
「………東海は制圧しました。ですが、すぐさま自衛隊を東京湾湾岸に配備してください!!!!大至急です!!アンノーンが来ます!!北陸は全隊で警備しますが、僕達二人はそちらへ向かいます!!ですが、見込み二十分はかかるので!!!」
『……………』
数秒間、首相の言葉は途切れた。恐らく思考をしている様子である。日本の敵探知能力は、アンノーン侵攻以前でも、世界最高峰と言われていた。しかし、その技術は結界が放つ強力な電磁波によって阻害されてしまう。範囲をかなり絞ってならばその探知も可能ではあるのだが、未だアンノーンを感知できていないらしい現状の防衛本部は新たな敵の存在に懐疑的なようである。
よって、首相も判断をしかねているのだ。一刻一秒を争うこの状況下では、その首相の判断の停滞は、正希を苛立たせ、焦りを掻き立たせるのみである。しかし、正希が放った「早く返事を!」という言葉で、首相は判断に踏み切った。
『了解した。こちらで自衛隊には出動命令をだし、首都に非常事態宣言を出しておこう。君の判断を信じよう』
「………っ!!ありがとうございます!!僕らも急ぎ向かいますが、戦力を惜しまず投入してください!!」
『ああ、無論そのつもりだ』
正希は無線をオンにしたまま、首だけを振り向かせ、千歳にアイコンタクトを送ると、エアシューズの出力を最大にまで引き上げた。
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