おたがい。―望乃夏
結局その後は、誰にも邪魔されることなく部屋にたどり着いた。
「………………雪乃、お部屋ついたよ。」
肩に回してた腕を外すと、雪乃は自分の足でしっかりと立つ。けど、目線は伏せたまま。
「………………雪乃?もう演技しなくてもいいんだよ…………?」
「ごめん………………ほんとに、お腹とか痛くなってきた………………。」
「あれま………………」
とりあえず雪乃をベッドに座らせると、濡れタオルを取りに給湯室に入る。………………ついでに、電気ポットのスイッチも入れておくのは忘れない。
「………………雪乃、はい。」
目の前に差し出すと、雪乃は黙って受け取って、腫れ上がったまぶたに載せる。
「………………気持ちいい?」
「………………そうね、ひんやりとして………………。」
目尻やほっぺたには、幾筋もの涙の跡がついていて………………ハンカチを濡らして、丁寧にその筋をぬぐい取ってあげる。
「………………雪乃。そのままじっとしてて。………………嫌な思い出も、全部拭いとってあげるから。」
と、丁寧に拭き取ってあげるそのそばから、目尻の端から溢れて新たな筋ができる。
「…………もう、雪乃泣かないで…………。」
「………………泣かせてくるのは、望乃夏の方でしょ。」
「え、ボク?」
わ、私、何か不味いことした!?
「………………こんなに優しくしてくれて………………私のワガママを聞いてくれて………………守ってくれて…………望乃夏、あなたは一体、何なの………………。ごめん、私、望乃夏のことがよく分かんなくなってきた………………。」
………………よく、分からない、か。
「………………ボクにだって、雪乃のことが全部分かるわけじゃないよ………………。もちろんボク自身でも、自分のことでよく分からないことはあるし。」
「………………そういうことじゃなくて………………私にとって、望乃夏という存在は何なのか………………それが、分かんないのよ………………」
「………………哲学的だね………………………………。先に、ボクの答えを言っていい?」
雪乃がコクリとうなづく。
「…………………………ボクにとって雪乃は、大事な人。半年の間、同じ部屋で同じ空気を吸って、時には同じものを食べて同じお風呂に入って、………………最近は、同じお布団の中。今ではもう、雪乃がいないのなんて考えられない。………………それだけ、ボクの心の中に雪乃が根付いてるんだ。」
「そう………………」
と、雪乃は静かにそう答える。………………ひどいなぁ、こっちは真剣に考え尽くして真面目に答えたのに…………。
「…………………………望乃夏は、私にとっても大切な人。だけど………………それ以上だってことは分かってるけど………………それを表すのに、言葉が足らないの。………………………………私の灰色な世界を、明るくしてくれた望乃夏。不安定な闇夜を、心休まる月夜に変えてくれた望乃夏。…………私一人しか入れなかった私の要塞を、いつの間にかみんなが入れる公園に建て替えてくれた望乃夏。………………こうやって言葉は浮かぶけど、それをひっくるめて言い表す言葉がないの。」
「……………………その話からすると、ボクは雪乃にとっての『月』ってことなのかな。」
そう言った途端、雪乃の目が見開く。
「そうよ、それ……………………望乃夏は、私にとっての『月』よ。私の暗い闇を、おぼろげでもいいから照らしてくれる『月』。………………時々曇って見えなくなるけど、また出てくるって知ってからは顔を出すのが楽しみで待ち遠しくなって………………。そこにあるだけで、私は安心できる。そう、望乃夏は私の『お月様』………………!!」
いつになく饒舌になる雪乃に、ちょっとだけ引く。けど、その言葉は私を褒めるものばっかりで、なんだかお尻のあたりがむずむずする。
「や、やめてよ………………なんか、くすぐったくなるから………………//////」
思わずそっぽを向くと、
「………………望乃夏は、褒められるの苦手?」
「………………そういう訳じゃないんだけど………………雪乃にそう言われると、なんかこそばゆいって言うか………………。」
「ふぅん………………」
雪乃がいたずらっ子の顔になる。…………こ、これ絶対悪い事考えてる……………………。
「………………と、とにかくさ。目の腫れは引いたかなっ。」
雪乃のタオルをひったくると、元通りとは行かないけど大分落ち着いた様子の雪乃の顔。
「………………こんな顔、あんまり見ないで………………。」
「あ、ご、ごめん………………。」
そっとタオルを載せ直す。
「………………望乃夏、そういえば今何時?」
「今?………………えーと、六時半かな。」
「………………そう。いつもなら望乃夏がお風呂行く時間ね。」
そう言った雪乃のお腹が、きゅぅ…………と鳴いて、雪乃が顔を赤らめる。………………なんか、かわいいかも。
「ねぇ雪乃…………………………お風呂にする?それともご飯?それとも……………………ぼ、ボクにする?」
胸元を少し引っ張って、雪乃にアピールする。………………た、谷間ぐらいはなんとなくあるんだからね!?そうやって雪乃をからかって元気付けようとすると、
「………………望乃夏に、する…………」
と、タオルを外した雪乃が、据わった目でこっちを見てくる。
「……………………………………え?」
「………………お風呂より、ご飯より、望乃夏がいい………………。」
「……………………………………え、本気、なの?」
コクリ、と雪乃が小さく頷く。
「そ、そう………………。」
………………今になって、このからかい方を後悔し始めた。ゆ、雪乃に、…………私、イロンナコト、されちゃうんだ………………。思わず身震いすると、雪乃が自分のベッドの隣――雪乃が座ってる隣のとこ――を、ポンポンと叩く。………………ここに座れってこと?
恐る恐る雪乃の隣に腰掛けると、私の膝に雪乃の頭が降ってくる。
「ゆ、雪乃!?」
「………………しばらくそのまま。」
「アッハイ。」
………………えと、これはあれかな?ひ、膝枕ってやつだよねっ…………。
「………………遮るものがないから、望乃夏の顔が良く見えるわ。」
「う、うるさいなっ………………」
………………お風呂入る時に、ちょっとだけ成長したの確かめたもんっ!
「………………でも、いい眺めね…………。望乃夏のことを、見上げるのも。」
「………………雪乃のことなら、何回か見下ろしたことあるけどね。………………やっぱり、いつも見てるのとは違う景色だから良いんじゃない?」
「………………そうね。」
雪乃がゴロンと寝返りを打つ。
「そ、そっち向くのはダメ…………。」
「………………あら、今日のは地味ね。水色?」
「ゆ、雪乃…………怒るよ?」
「おー怖い怖い。」
クルン、とまた仰向けになる雪乃。
「…………………………もう少しだけ、こうさせて。」
「………………気が済んだら、言ってね。」
と、雪乃が目を閉じる。それから、寝息が聞こえてくるまでそんなに時間はかからなかった。
(……………………今日は、こないだ買った可愛いの下ろそうかな。)
と、雪乃のことを見下ろしながら考える。
(寝ちゃった、か。いつも私が先に寝ちゃうし、起きるのも雪乃の方が早いから………………なんか、新鮮な感じ。)
雪乃の前髪を、サラリと撫でつける。
(………………まだ、起きないでね?)
小さなニキビができた雪乃のおでこに、起こさないように口付ける。
(………………さて、何してようかなぁ。)
少しチラつく照明を見上げて、ちょっとだけ重くなってきた雪乃をそっと撫でながら考え込むのだった。