黒川 秋菜。―雪乃
…………はぁ………………はぁ…………はぁ………………。や、やっと、落ち着いた………………。
荒い息を整えて、ついでに乱れかけの制服も整える。
「………………望乃夏も、落ち着いた…………?」
横を見ると、まだ息の荒い望乃夏。テーブルの上に置いておいた無糖紅茶の蓋をとって望乃夏に手渡すと、ひったくるようにして取り上げた望乃夏は中身を一気飲みする。飲み干す度に動く望乃夏の喉から、自然と目が離せなくなる。
「………………どう、落ち着いた?」
「う、うん………………まあ。」
と、飲み終わったペットボトルに目を落とす望乃夏………………少しして、急に慌てだす。
「ゆ、ゆきゆきゆきのののの!?こ、これ、雪乃の飲んでたやつ………………か、かかかかかか間接キスじゃないこれっ!?」
「…………とりあえず落ち着きなさいよ望乃夏。それに………………さっき、間接どころか直接………………したじゃないの………………」
言い終わってから、私も顔が真っ赤になる。
結局、また落ち着くために少し時間が必要になった。
「………………外、暗くなってきたね。」
「そうね………………望乃夏、今の時間は?」
と、望乃夏の袖口を見ると、長針は「6」を少し過ぎたあたり。
「………………雪乃、今なら行けるかな?」
「…………そうね、もう、一か八かだけど………………。このままこうしているわけにもいかないし………………」
望乃夏と二人っきりとはいえ、流石に理科室の床で抱き合って寝るのはちょっと抵抗が………………。
「………………なら、行くしかないね。」
と、望乃夏が理科室の扉を開けて外の様子を伺う。
「………………うん、下の階も静かなまま。今なら行けそうだよ。」
「ありがと、望乃夏。」
後片付けを済ませて綺麗にした机からお互いのスクールバッグを取り上げて、理科室を飛び出す。律儀に鍵をかける望乃夏をもどかしく思いながら、白衣を着っぱなしなことに気がつく。
「望乃夏、白衣返すわ。」
とスクールバッグを床に置こうとすると、
「いや、まだ着てて。………………もしものためにも。」
「………………一体、何をする気なのよ。」
「説明は後で。さ、行くよっ。」
望乃夏に手を引かれて、2Fへの階段を駆け下りる。途中の踊り場で、望乃夏は私を待たせて先に降りていく。少しして、戻ってきた望乃夏はまた私の手を引いて一気に駆け下りる。
「大丈夫、体育館のとこには誰もいなかったから。」
そのまま1Fへ続く階段まで走ろうとして………………先を走る望乃夏が突然止まる。
「雪乃、隠れて!」
思わず柱の影に隠れると、体育館へと続く渡り廊下の騒がしさが伝わってくる。
柱の影からこっそり覗くと、そこには見知った顔ばかり。
「雪乃、あの人たちは。」
「………………その通りよ。………………どうしましょ、練習が長引いてたんだわ………………。」
私の身体が、小刻みに震える。それは寒さじゃなくて………………本能的な、嫌悪感。思わず足がすくんで、その場にへたりこむ。
「雪乃……………………」
「やだ………………見つかる…………」
うわ言のように呟いて、その時を待つ。それを見下ろす望乃夏は、
「雪乃………………ちょっとごめんねっ!!」
と、私の髪を解いて後ろで一つにまとめて、ポニーを作る。そしてヘアピンで前髪をまとめておでこを出す。
「の、望乃夏…………何して…………」
「使いかけで悪いけど、これ付けて。」
と、望乃夏がポケットから使い捨てマスクを取り出して私に付ける。
「………………いい?ボクが全部受け答えするから、雪乃は調子悪そうにしてボクに寄りかかって俯いてて。…………顔も目線も合わせないようにして、白衣の前を抑えてぐったりして…………。」
望乃夏の指示に一瞬戸惑う。けど…………どうせバレるんなら、もう何だっていいわ。
言われた通りにすると、すぐにバレー部の集団にぶつかる。先頭を歩いていた経堂先輩が、すぐに望乃夏に気がついて話しかけてくる。
「おや、墨森さんじゃん。今帰り?」
「はい。…………やることも、無いんで。」
「ふーん。………………で、隣の子はどうしたの?友達?具合悪そうだけど。」
と、興味が私の方に向いて、先輩が近寄ってくる。………………やばい、バレる………………。破鐘のように乱れ打つ私の鼓動が、荒い息になって吐き出される。
「あぁ、この子は私の同級生です。………………ちょうど今『女の子の日』なんですけど、かなり重いみたいで………………無理して授業受けて部活来たんですけど、余計に具合悪くしちゃったみたいで…………今から医務室に連れてくとこです。」
望乃夏がペラペラとウソを語る。………………聞いてて、思わずほんとのことみたいに思えてきて、なんだかお腹が痛くなってくる。
「ふぅん………………。お大事にね。」
と、先輩は横を通り抜けて行く。それを見てほっとする私達。だけど、通り抜けていく集団の中で、私に訝しげな目線を向ける人がいた。
「………………あんた、また会ったわね。」
「………………どちら様でしたっけ。」
と、望乃夏が聞くと、長身の同学年は顔を真っ赤にして怒り出す。
「………………自分が殴った相手を忘れるなんて、随分と都合のいい頭をしてるのね…………。」
わなわなと震える長身を横目で見る。………………望乃夏、手を出さないでよね。
「ああ、なるほど………………少しだけ思い出しました。…………同時に恨みも湧いて来ましたけど、今は先を急ぐんで。」
と、私の手を引いて駆け抜けようとすると、
「…………あんた、見たことないわね。マスク取って顔見せてみなさいよ。」
と、肩を掴まれる。
「………………悪いけどこの子、具合悪いんで。」
と、望乃夏が間に入るけどそれでも長身は引き下がらずに、私の肩に手を置いたまま。
………………やっぱり、無理………………。望乃夏に視線を送ると、望乃夏は実力行使も辞さない、と目線で訴えかけてくる。…………やっぱり、こうなるのね………………。
「………………あたし、その子知ってるよ。」
と、集団から声が上がる。………………安栗、さん………………。
「私や墨森さんと同じクラスの子。……………………まぁ無理もないかー。5組は私しかバレー部いないもんね。名前はね、えーと、黒川さん。下の名前は、うーん、何だったかな?」
と、安栗さんが望乃夏に視線を送る。
「…………秋菜。黒川 秋菜さんだよ。」
と、咄嗟に望乃夏が答える。
「…………ほんと?」
まだ疑わしげな視線を送る長身。その時、集団から声が上がる。
「…………私もその子、見たことあるよ。」
こっそりと視線を送ると、声を上げたのは同学年の子。……………………目立たないけど、トスがうまいのよね。
「あー、私もトイレで会ったことある。髪が綺麗なんだよね〜」
と、今度は前の方から声が上がる。…………………控えのセッターの先輩…………。
「あんまり目立たないタイプの子だから知らなかったんじゃない?………………長身だからさ、うちにいたらいいプレーできそうだなーって。」
………………私が後ろに追いやった、元エースの先輩まで………………。
「どう、納得した?」
と、安栗さんが長身に聞くと、
「………………わ、私が知らなかっただけみたいね。」
と、尻尾を巻いてそそくさと行ってしまった。
「んじゃあ私たちも行くね。………………墨森ちゃんに、『秋菜ちゃん』、またね。」
と、安栗さんがみんなを引き連れて歩いてく。すれ違いざまに、望乃夏に「…………ありがとね。」と安栗さんが呟いたのを私は聞き逃さなかった。そしてすれ違っていく中で、何人かは私にわざと聞こえるように「お大事にね」とか、「早く治るといいな」とか…………………………「エース不在だとなんかピシッとしないんだよなぁ」とわざとらしく呟いてみたり………………。
「………………愛されてるね、『秋菜』………………いや、『雪乃』…………。」
「う、うるさいん、だから…………。」
………………ほんとにお腹痛くなってきたし、目の前まで霞み始めたじゃない………………。
「………………さ、帰ろっか。」
差し出された手を、しっかりと握りしめた。
書いてて、まさかここまで長くなるとは思いませんでした…………