第15話-4
私のすぐ前に、11歳の神林先輩の背中がある。
遠くでクルマの『キィー』という急ブレーキ音が鳴った。
私はそのタイミングで話しかける。
「智美さん……」
神林先輩はゆっくりと振り向く。
「お姉ちゃんは…… 誰?」
「私は猫の国から来たお姫様――」
そう、これは先輩の夢の中。
だから私はちょっとした冒険に出てみた。
「怪しい…… さては泥棒さんでしょう! お母―― ムグッ」
先輩の口をふさいで私のちょっとした大冒険は終了した。
「ごめんなさい、ごめんなさい。本当は近所の猫好きなお姉さんですぅー」
「ならお姉ちゃん、うちのミイがいなくなったんだけど知っている?」
「ええ、玄関の近くに見かけたわ。すぐに帰ってくるはずよ、5分後に」
「よかった…… ごはんちゃんとあげていたからね」
少女は胸に手を当てて、ホッとした表情をした。
「……ねえ智美さん、ごはんと猫の脱走と関係ある?」
「あるよ。だって、前に飼っていた猫は私がごはんをあげ忘れたからお外にでちゃったんだ。そして死んじゃったの」
あっけらかんとした感じで少女は答えた。11歳の子供ってこの程度の感性しか持ち合わせていないの?
ちがう。
この子は嘘をついている。
私にではない…… 自分自身に嘘をついているんだ。
7歳の神林先輩は自分がモモにエサを与えなかったからモモが家出をしたと考えた。モモの死が自分の責任であると思い詰めたのだ。同じくモモの死を悲しむ母親に告げる勇気が持てなかった。もし母親が先輩の気持ちに気付くことができたら、どんなに時間をかけてでもその誤解を解いたことだろう。
室中飼いの猫はエサを求めて外へ出る習性は無い。
でも隠し通されてしまった。やがて次の代の猫が家に来て、共に過ごす中でもエサを絶やしてはいけないと必死に管理をしてきたのだろう。それは自分のせいで死なせてしまったと思い込んでいるモモに対する贖罪なのかも知れない。11歳の神林先輩は…… そうやって……
5年間を過ごしてきたのだ。
私の目の前に立っている、この小さな体でどれほどの耐えがたい苦しみを抱えてきたのだ……
私にできることは……?
何をしてあげられる……?
何か言ってあげなくちゃ……
言葉が…… 全く出てこない私は……
神林先輩の前に膝をつき、両手で彼女の頬を包み込む。
そして――
「つらかったよね……」という言葉を絞り出した。
神林先輩は…… 私の目を真っ直ぐに見つめ……
涙を浮かべ…… それが頬にあふれ出し……
私はゆっくりと抱きしめた。
「がんばったね……」
私がそう耳元でささやいたとき、先輩は11歳の少女に相応しく……
「モモ、死んじゃったのー。私がモモのことを一番に考えてあげなかったから、ごはんを後まわしにしちゃったから-、モモは家を出て、クルマにひかれて死んじゃったぁぁぁぁ、うわあああ」
大粒の涙を流しながら泣いた。
この世界には先輩と私しか存在しない。
先輩のお母さんはいない。
私がお母さんの代わりになって何か言ってあげなくちゃ……
猫の習性のことを?
ううん…… そうじゃない。
これは理論や理屈ではない。
私は少し落ち着いてきた先輩に向かって……
「モモ、智美さんのこと今でも大好きでいるよ。たくさん遊んでくれてありがとう。寒い夜にはお布団の中に入れてくれてありがとう。頭をなでなでしてくれてありがとう。背中をとんとんしてくれてありがとう。だっこしてくれてありがとう。いつもくれたごはんおいしかったよって言ってるよ」
「ほんとうに……?」
「本当だよ。それにあの日外に出たのだって、大好きなお外で最後にいっぱい遊べてうれしかったって。智美さんがいてくれるお家も大好きだけど、お外も同じぐらい大好きだって。本当はもっともっとあそんでいたかったけど、本当に幸せだったよって言ってるよ」
「わたしも…… わたしももっと一緒にいたかったよー」
私はバットに話しかける。
「お願い! バットの力を貸してちょうだい!」
私の気持ちを読んだバットが答える。
《それは無理だ。そんなことに魔力を使ったらエレナの存在を維持できなくなるよ》
「お願い! 短時間でも良いから!」
《エレナ! お前が消えてしまうかも知れないんだぞ》
「私も頑張るから!」
《くそったれ! 30秒だ。それ以上はどうあがいても無理だ! 途中で苦しくなっても泣くんじゃねーぞ、分かったか?》
バット、ありがとう。
「智美さん…… モモに会いたいよね……」
「会えるの?」
「うん…… モモが、大好きな智美さんにもう一度会いたいって言っているから」
「会いたい! いま会えるの?」
「ほんとうに少しの時間なんだけど、遊んであげることはできないかも知れないけど、それでもいいかな?」
「うん!」
私は手のひらを開いて、詠唱を唱える。
バットから流れ込む魔力が青白い光となって手のひらを覆っていく。
やがて、炎のような光の点が現れ、それが猫の形に変わっていく。
モモを床に静かに置く。
「トトトト……」とモモは先輩の足下に駆け寄っていく。
そして先輩の足下にすりすり……
「モモ…… 会いたかったんだよ。ずっと会いたかったんだ」
先輩の目から大粒の涙があふれ出ている。
その光は最後の一瞬まで先輩の周りをくるくると楽しそうにすり寄っていた……
私は呼吸しているに息が詰まるような感覚を覚え、しだいに意識が遠ざかっていく。その最中で11歳の神林先輩からの「お姉ちゃんありがとう」という言葉が聞こえたような気がした――
現実世界に戻された私は、自分の体を支えるだけの力も無くなっていた。
悟さんはすぐに私に駆け寄ってきて支えてくれた。
ベッドの上では高校3年生の神林先輩が、幸せそうな顔で寝息を立てていた。




