月の国のカグヤ
「カグヤ、そろそろあなたも下宿先を探しなさい」
寝転がりながら餅をほおばる私に、母は冷たく言い放った。
「まだ早いよ」
「いいえ早くありません。むしろ遅いくらいです。そうでなくても毎日食っちゃ寝のグータラ生活で、あなたそろそろヤバいわよ」
言われてみれば、確かに私は大きくなっている。縦にも横にも。
「このままじゃ、あなたのサイズに合う羽衣もなくなるし、お迎えの車にも乗れなくなるわよ」
「えーっ。どうせ向こうでは霞しか食べられないんだから痩せるよ」
「つべこべ言わずにさっさと探しなさい!」
母の気迫に押され、観念した私は下宿先を探すためにバンブー根っこに接続した。
バンブー根っことは、下界ではインターネットにあたるもので、世界中に張り巡らされた竹の根から、様々な情報を得られるシステムだ。最近下界の竹の根にも接続できるようになり便利になった。
「えーっと、オールウェイズロックは基本として。やっぱ笹じゃなくて竹がいいな。もちろん新竹でね。あとは……。うん、ここがいいかな」
「決まったの?では役所へ遊学届を出しておきますからね。二週間以内には月の国から出て行くのですよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「……本当は行かせたくないのだけどね」
「え?」
しかし母は私を振り返ることもなく、役所へ出かけて行った。
この月の国では、嫁入り前の娘は下界に遊学するのが習わしとなっている。と言っても学問や文化を学びに行くのではなく、自立心を養わせるためだ。可愛い子には旅をさせよ、というわけだ。
過去には下界の生活に溶け込みすぎて、帝やら公家やらに求婚されたツワモノも居たらしいが、まったく物好きな者も居るもんだ。私は時期が来ればさっさと月の国に戻って、白兎に乗った素敵な王子様と結婚するんだから!
そしてついに迎えた引っ越しの日。最低限の荷物と従者を伴い、私は下界へ降りた。
「カグヤ様。言うまでもないとは思いますが、下界の人間には月の民だとは悟られぬようお願い致します。身分を隠しての恋愛も厳禁です。それさえ守っていただければ、お好きなように過ごしていただいて構いません」
「分かっているわよ。ご苦労様」
「では、我々はこれにて」
そう言って従者は消え、ひとり殺風景な竹筒の部屋に残された。
彼らの言っていた通り、掟さえ守ればこの下界でどのように過ごそうが自由である。引きこもるのもよし、人間のふりをして学校へ通うのもよし。
しかし私には、一人暮らしをするからには絶対にやろうと決めていたことがあった。それはDIY ‐Do It Yourself。一言で言えば、好みのデザインの家具やインテリアを自分で作ってしまおうというものだ。月の国にはなじみがないが、下界では割とポピュラーな文化らしい。
どうせグータラするのなら、私も好きなものに囲まれて過ごしたい。
「よし、まずは情報収集するか」
さっそくバンブー根っこから、地下に埋設されたネット回線へ侵入し、下界のインターネットに接続した。まずはそこで基本的なDIYのやり方を調べるつもりだったのだが……。遅い、遅すぎる。
やはりバンブー根っこがアナログ回線であるせいか、WEBページが中々開かない。それにこの方法では、不正にインターネットに接続していることになってしまう。
何かいい方法はないだろうか……。
私は人間の姿になり家電量販店へ向かった。ネット回線の申し込み窓口で相談しようと考えたからだ。
「すみません、自宅にネット回線をひきたいのですが……」
「ありがとうございます。ご希望のプロバイダはございますでしょうか?」
「いえ、自分でネット回線をひきたいのですが」
「は?」
「電話線は通っていないのでADSLは無理です。光回線がいいのですが、どうやってひけばいいですか?電線から光ファイバーをひきこめばいいですか?」
「お帰り下さい」
冷たく追い返されてしまった。やはり竹の中にネット回線をひくなんて不可能なのだろうか。
最近のマンションでは光回線が最初からひかれていて、あとはプロバイダを決めればOKというところが多いそうだが、なんとも贅沢な話だ。
仕方なく店内をウロウロしていると、先ほどの店員が走ってきた。
「お客様、先ほどは失礼いたしました。ポケットWifiならお客様のご希望に沿えるかと」
「?」
「ネット回線がなくてもインターネットに接続できるようにする機械です」
「じゃあそれください」
なんだ、それを早く言ってくれ。
結局いちばん小さいサイズのポケットWifiを買うことにした。これならば竹筒の部屋に収まるはずだ。
さっそく部屋に戻り、インターネットへ接続した。先ほどと違ってサクサク見れるようになった。下界のデジタル文化というのはやはり素晴らしい。
一通りネットサーフィンを楽しんだのち、DIY関係サイトを参考にまずは初心者向けの作品を作ることにした。空き部屋になっている隣の竹を失敬し、小さなすのこを作る。さらにその小さなすのこを継ぎ合わせ、ポケットwifiを置くための棚を作った。
しかし……。
「うーん……」
記念すべき第一号作品が完成するも、全く納得できなかった。思いのほか時間がかかってしまったからだ。そう、この下界と月の国では重力が異なるのだ。まだ私はこの国の重力にも慣れていないし、物理法則も理解していないのだった。
ならば、と物理法則を一から学ぶため、再び人間の姿になって大学の物理学科へ通うことにした。さらに建築の基本や構造力学を学ぶため、式神を建築学科へ通わせた。
こうして私の下界生活はスタートした。昼はキャンパスライフを送りながら物理学を学び、夜は式神から建築学の講義を聞きながら作業をし、就寝前には一日の記録をSNSにアップする。意外にも性に合っていたのか、私はこの生活が気に入った。
そして家具や調度品を作るだけでは飽き足らず、竹の筒一階から最上階、さらには葉っぱに至るまで、竹一本まるまる自分好みのお城にアレンジした。
一階は竹細工をアクセントにした和風テイストの部屋、二階はブルックリンスタイルを竹でアレンジしたバンブルックリンスタイルの部屋、三階は竹の民芸家具やバンブーカーペットが目を引くアジアンリゾートスタイルの部屋……という風に。
もう楽しくて楽しくて仕方なかった。
しかしそんな充実した日々を過ごしていたある日、母が突然我が家にやってきた。
「カグヤ、あなたいったい何をしているの? この家のことが月の国でも知られて、もう大騒ぎよ」
「えっ本当?」
まさか月の国の人間がSNSを見ると思わなかったので、プロフィール写真は自分の顔にしていた。それを誰かが発見して、ちょっとした騒ぎになったらしい。
「ここにある家具や調度品もあなたが作ったの?」
「そうだよ。やりだしたら止まらなくなっちゃって」
せっかくなので、私は母を一階から最上階まで全て案内して見せた。グータラな私だってやればできるんだよ、と自慢しながら。
母は初めは「へぇ」とか「凄いわねぇ」なんて母はだったが、次第に口数が減ってゆき、最後にため息交じりにこう言った。
「やっぱり血は争えないのね」
母は下界に住んでいた時、この国の人間に恋をしたという。相手の男も母を愛し、激しい恋愛の末に私を身ごもった。
もちろん下界の人間と恋愛、ましてや結婚はご法度である。相手の男からは母の記憶が消され、母は強制的に月の国へ戻された。そして私が生まれ、月の民として育てられたのだった。
母が愛した男の職業は家具職人。そう、カグヤの名前は家具屋からきていたのだ。
「カグヤ、あなたは月の国にとっても、この下界の人間にとっても特別な存在です。本来ならば、時期が来れば月の国へ戻ることになっているけれど、強制はしません。あなたの好きなように生きてゆきなさい」
そう涙ながらに語った母は、月の国へ帰って行った。私は思いもよらぬ自分の出自に頭が真っ白になり、しばらくそこに立ち尽くしていた。
思えば、霞だけではお腹がすいて我慢できなかったりとか、下界の文化に興味を持ったりとか、周りと少し違うとは思っていた。でもまさか、自分が純粋な月の国の人間ではないなんて思いもしなかった。
ショックから立ち直るには長い時間が必要だった。正直母を恨んだりもした。
でも気づけば下界も月の国も、どちらも大好きになっている自分がいた。
そこで私はひとつの結論を出した。
「二つの国の橋渡しをする存在になりたい」
DIYのために通っていた大学を卒業し、下界の不動産会社に就職した。働きながら不動産売買と賃貸のシステムについて学ぶためだ。そしてその集大成として宅地建物取引士とマンション管理士、そして管理業務主任者の資格をトリプルで取得した。
ひととおり不動産取引のノウハウを学び、貯金も貯まったところで退職した。何人かに引き止められたが、自分の夢のためだと言ったら快く見送ってくれた。
貰った退職金で、我が家――竹のお城が建っている土地を買収した。伐採されないで済むように。これからも安心して暮らせるように。固定資産税やポケットwifiの支払いも、今までの貯金があるから暫くは大丈夫。
これで全ての準備が整い、私は会社を興した。仕事内容は下界へ遊学に来る娘達に不動産(竹の家)情報を提供したり、物件を管理したりという「つなぎ役」だ。
さらに希望があれば部屋の改修や、インテリアのデザインから施工まで請け負ったりもした。仕事がない日は娘達を相手にDIY教室を開いた。
立ち上げたばかりの頃は右往左往でトラブル続きだったが、母が従者を連れて手伝いにきてくれたおかげでかなり助かった。
「父さんもね、普段はグータラしていたけれど、やるときはやる男だったのよ」
仕事が軌道に乗ったのを見届けた母は、そう言って月の国へ帰って行った。
満月の夜は離れて暮らす母を想い、かつてこの地に生きた父を想う。
「お父さん、お母さん。私は二つの国を橋渡しする存在になれたかな?」
今日もグータラ娘は頑張ります。