1.目覚め
某洋画のCMを見て一気に書いた駄文です。勢いだけ。とにかく書き上げたかった。
設定もストーリーも何番煎じか分からないほどに煮詰められたものですが……よろしければどうぞ。
会いに行くから。
きっと、会いに行くから。
たとえどれだけかかったとしても――
むくりと起き上がったあたしを待っていたのは、ありふれた景色だった。
いつもの自分のベッドの上。白い天井、見慣れた一人暮らしのワンルームアパート。
部屋の隅には高校のときから続けているギターだとか、液晶じゃないからころんとした立方体の形をしたテレビ。他にも掃除機だとか、大学に来てすぐ買った3年物のノートパソコンだとか、いつも自分が使っている家具が並ぶ。
「頭痛い……」
痛みでやっと思い出す。
風邪ひいて寝てたんだった。そうそう、大学の講義中急に気分が悪く早退して、うちに帰ってからずっと寝てたんだった。
枕元にあった携帯電話を見ると、着信履歴が尋常じゃない数入っていた。
何かあったのかな?
とりあえずメール着信を確認する。
「うわ、新着59件……?」
メールボックスを開くと、そこに現れたのはひどく緊迫した文章だった。
『早く連絡しなさい!』からはじまった母親のメールは、最期は『無事を祈っています』に変わっていた。その間にも似たような内容の友達や彼氏、大学の先輩からのメールが大量に送られてきている。
あらら、風邪をひいている間ずいぶんみんなに心配かけちゃったみたいだ。
日付は寝込んだ日からなんと2週間が経っている。そりゃ心配もするわ。
着信記録も同じような相手からだった。留守電も多いけど全部メールと同じ内容だろう。まさか2週間も寝込むとは……不覚だ。そんなに疲れていたんだろうか。
とにかく親に連絡するのが一番だよね。そう思ってボタンをプッシュした。が……
「何ででないの?」
仕事中かな?
パートで働いている母のことだ。この時間は忙しかったかもしれない。きっと友達も彼氏も先輩もみんな授業中だ。
しかたないな。
友達みんなに『復活しました!心配してくれてありがとう』ってメールを一括送信して、とりあえずシャワーを浴びる事にした。7月終わり、寝ている間にかなり汗をかいてしまった。
ざっとぬるい湯で体を流してさっぱりする。が、浴びている最中に突然お湯が出なくなった。
「冷たっ!」
しばらく待ってみたがもう一度お湯が出る気配はない。
故障かな?
仕方ない。今夏でよかった、と思いながら冷たい水で流して出た。
すぐに携帯を見たのだが、返信はまだない。まあ、みんな授業中だから仕方ないか。でも、一人もこないって言うのは少しばかり寂しい。
ドライヤーをかけようとしたが、なぜか電源が付かない。テレビもつかなかった。おかしいなと思って冷蔵庫を開けると腐った匂いがした。もやしは液体化してたし、パックの牛乳はどろどろした塊と化していた。
「停電でもしてた?」
そう、そのあたりであたしは気づくべきだったんだ。
切羽詰ったメールの内容。返信のない携帯電話。お湯の出ない蛇口。電気の通らない家具。
そして、2週間という時が経っていた事。
いくらひどい風邪だってそんな長い間意識がないのはおかしいと気づくべきだったんだ。
気づいたのは、外に出てから。
セミロングの茶髪を高い位置に括って、ラフなジーパンにタンクトップ。わざわざデート用の女の子っぽい服を引っ張り出すのは面倒だったからこれで十分だ。ちょっと外に行って帰ってくるだけ出し、いつも履いている黒のスポーツサンダルを引っ掛けてアパートのドアを開けた。
最初に気づいたのはひどい腐臭。冷蔵庫の中とは比にならない悪臭に、思わず吐き気を覚えた。
思わずばたんとドアを閉めて部屋に戻る。
――いったい今のは何?
腐臭は……実はよく知っている。
なぜかと言うと、あたしが大学で専攻しているのが『生物学』という分野だからだ。外を埋める腐臭は、実習で狸の骨格標本を作ったときに肉を削ぎ落とす過程で嗅いだ匂いと同じだった。
心臓がすごい速さで脈打っている。
「何……?」
でも、電気がない今状況を知るには外に出るしかない。自分の目で確かめるしかない。
もう一度部屋に戻り、タオルを口元に巻いた。
そして、大きく一つ深呼吸してから覚悟して部屋のドアに手を掛けた。
誓って言える。
あたしはただの大学生だ。まあ、偏差値的に言えばほとんど日本のトップに入るかもしれない国立大学生である事を除けば。生物学専攻でマクロの方面、特に進化や分類に興味があったりする。そこから最近は地球科学分野にも足突っ込んでみたりして、ほら、あの、恐竜滅亡!みたいな感じの?そうそう、古生物学っていうんだよね、あの分野は。
特技は空手っていうのだけは珍しいかもね。その辺のシロートの男なら負けない自信もある。だから運動はそこそこ出来て、お陰でがりがりに痩せてはいないけど細身なほう。顔も10人いたらその中で4番目くらいかな。美人じゃないけど目を背けるほど不細工ではない感じ。
自分で言うのもなんだけど、顔とスタイルは悪くない、頭はいい、運動も出来る。愛想もいいし、これと言った欠点も見つからない。
要するにけっこう幸せな大学生活を送っていたんだ。
理系学部だから回りは男の子ばっかりで、男女構わず友達も多かったし。そろそろ2年近くなる彼氏だっていた。
そう、神様に見初められる理由は一つだってなかったんだ。
それなのに。
あたしの目の前に突きつけられたのは信じられない現実だった。
アパートを出てすぐの道に倒れている人を見た。
近寄ろうとした足がすくんで動かなくなる――あれは、死体だ。動物実験で様々な生物の死体を扱ってきたあたしにはすぐに分かった。
ピクリとも動かない。腐臭もある。なにより、あの塊の上に大量のハエが飛んでいる……死んでからかなりの時間が経っているのは一目瞭然だった。
あたしは愕然となった。
いや、そんな言葉じゃ表現できない。
凄まじい悲鳴を上げて走り回った。見慣れた街が見慣れない景色に染められている。悲鳴と涙が途切れることなくあたしの中から飛び出して、夏の青空を切り裂いた。
何か日常を探して駆け回ったのに、その先にあったのも累々と横たわる人間の死体だった。
アスファルトの道に折り重なるようにして倒れている死体。死体。死体。女性、男性、子供も大人も老人も関係なくただの腐った肉の塊として転がっている。
これは何?
一体何?
大きな交差点では車が衝突した跡がある。ぶつかった車の中にも死体が見える。
「誰かっっ!!」
お願い、誰か!
叫ぼうとしたが喉がからからに渇いていて声が出ない。腐臭を防ごうと巻いた口元のタオルも呼吸を妨げていた。
タオルを剥ぎ取って叫ぶ。
「誰かいませんか!!!」
肺の中に腐臭が入り込んできた。
音のない大通りに自分の声だけが響いた。
返事はない。
ポケットの携帯電話を取り出す。電池の残量が少ない。返信メールはない。
震える指でボタンを押す。ぴぴっと、電子音がする。
「お願い、出て……!」
携帯電話を耳に当てて呼び出し音を聞きながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔を腕で拭って、とりあえずこの街の状況を知るために山の上を目指す事にした。
どうしようもない絶望感が全身を支配する。今にも両手足が動かなくなりそうだった。
それでも、まず確かめなくちゃいけない。
途中で通った病院の前は特にひどかった。前面のガラスが派手に割れて、そこに数人の死体が積み重なっていた。その中には医者と思われる白衣の男性の姿もあった。
目を背けながらひたすら山の頂上を目指した。
山を登り始めると腐臭が少し遠のいた。
嗚咽としゃくりをあげながら、何の音もしない山道を登り続けた。標高数百メートルのこの山は、登山道だけならほんの30分もあれば街全体を見渡せる場所に出る。
どうしてこんな事になっているんだろう。
まるで映画で見た『地球最期の日』みたいだ。
あの主人公はどうしたんだっけ?
この山はいつもと変わらないように見えた。途中で湧き出ている水もいつもどおりだった。そこで喉を潤して、また頂上を目指す。
「あれでしょ? 原因はどっかの国の秘密機関が開発してた細菌兵器ってやつでしょ?」
途中のコンビニで盗ってきた乾パンを齧る。お腹はすいていなかったが、今のうちに何か腹に入れておく必要があるだろうと思った。
どっかの少年漫画の主人公が言ってた。『食える時に食え』って。
それから、何をしたらよかったっけ?
そう、身を守る手段。
「空手やっててよかったな」
現実逃避にそんな言葉を口にした頃、ようやく山の頂上に到着した。
ゆっくりと、眼下に広がる街を見渡してみる。
「あぁ……」
思わずため息が漏れた。
見慣れた街の光景は全く変わっていなかった。
なにが違うって?
動くものが何一つ見えなかったってこと。
以前この山から見下ろしたときは車の流れや、少なくとも人が歩いているのが見えた。そんな小さな都市ではないのだ。こんな真昼間に誰も歩いていない事などあり得なかった。
どうしたらいいんだろう。
崩れ落ちた自分の横で、電池の切れた携帯電話がピーっという電子音を上げて沈黙した。