ベルリンのカフェにて 2
1月の風は軍服を通しても寒く感じるものであった。この年の冬は、例年に比べて冷え込んでいた。
そんな身体を温めてくれるのが、今飲んでいるワインであった。ヴァルザーは、魔王時代にこのお酒に出会う事は無かった。そもそも前の世界にワインどころかブドウと言うものは存在していない。初めて飲んだ時は、
「まるで毒が入っているのを知っている毒味役のようだ」
という飲み方をしていたが、このお酒が非常に好みであることに理解するのにそう時間はかからなかった。特にこのような寒い時期には、欠かすことが出来ないものでほぼ毎日飲んでいる。少しずつながら、いいワインと悪いワインの違いも分かるようになってきていた。
「今日はフランスの1922年物だぞ」
「ブルゴーニュ?」
「いやボルドーだ」
ブルゴーニュはフランス東部にある地域でワインの生産地として有名であるが、先の大戦で多大な被害を受けてしまった。そのため、戦争が終わってしばらくはフランス南部のワイン生産地・ボルドーのワインが市場を占めたのである。クルト中佐が勿体ぶって言うものだから、てっきり数少ないブルゴーニュのワインかと思ったのである。
「そういえば、ボルドーで思い出したがスペインの今度の選挙、厄介なことになりそうだぞ」
「どういうことだ?」
話を切り出したのは、フリードリヒ少佐であった。
ボルドーに接しているフランスの隣国・スペインでは1931年に王制から共和制に移行して以降、左派と右派の対立が激しかった。現在の政権は右派であるが、どちらも一枚岩とは言えない状況であり政治情勢は非常に不安定であった。
「ソ連の介入が激しいらしい」
「コミンテルンが暗躍してるのか…フランスの次はスペインというわけか」
コミンテルンとは、各国の共産主義政党たちが一堂に集まり、自分たちの方針を定める会議みたいなものである。簡単に言えば、親分であるソ連の意向に従って、各国の共産主義者たちの方針を定めるものであった。
そのコミンテルンが、人民戦線を持ち出したのはフランスが始まりであった。
当時のフランスは、ドイツに対する介入に対し連合国からの批判が集まり右派の中でも対立が進んでいた。しかし、左派もまた同様に一枚岩とはなれず、例えば社会党と共産党の対立が著しいものであった。
そんな情勢が変わったのが、反共産主義を唱えたナチス政権が隣国に誕生したことであった。これに危機感を覚えたフランス共産党は、それまでの主張を一部放棄し、反帝国主義、反戦主義、そして反ファシズム主義を持ち込んで左派の統合を図ったのである。それに社会党だけでなく、急進党などの他の左派の政党も参加し、ついに1932年に左派連合による人民戦線政権が誕生したのである。
これに味を占めたのが他の左派と対立をしている他国の共産主義政党たちであった。1935年、一同が集まったコミンテルンでフランス人民戦線に習え!と言わんばかりに、方針を反ファシズムを中心とした訴えをしていくことにしたのである。そして、スペインがその流れに引き寄せられている状態であった。
「さて、うまくいくかな?」
フリードリヒ少佐の質問はやや意地悪であった。フランスを見ると、なんだかんだ対立はありながらも政権維持を図ることに成功している。ではそのまま他国に持ち込めるかと言うとそうではない。フランスに比べ、ファシズムを歓迎する勢力も少なくないのもその1つの理由であった。
「では、少佐は反乱が起こるとでも?」
「そうかもしれんな。特に軍部は左派とは事を構える気で満々だからな」
「…さすがは情報部で。よくご存知だ」
現在フリードリヒ少佐はこれまでの経歴を生かし、国防軍情報部に所属している。上官はヴィルヘルム・カナリス提督である。そう彼は海軍の人間であり、陸軍所属のフリードリヒ少佐が部下になることは通常ではあり得ない事である。しかし、情報部は特殊な世界であり、海軍少将の部下が陸軍少佐というややこしい事態を生んでいた。
「介入するかな」
クルト中佐の言葉に、一同は黙り込んだ。共産主義勢力の拡大には、ここにいる者たち揃って反対である。ヴァルザーも最初のうちは共産主義がよく分かっていなかったが、その実態を把握するにつれ、周りの人たちが反対する理由を理解していた。
「するとしたら、正式の軍としての派遣ではないかもしれない」
ヴァルザーの答えに、フリードリヒ少佐は頷いた。
「あぁ、もし内戦となったらそうなるだろうよ。まぁ、なるとは決まっていないが」
少佐は少し含みをもたせながら彼の解答に反応していた。